表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/74

第74話 三つ目の封印

 北東の冥渦の匂いが、前回とは違っていた。

 金属的な焦臭は同じだ。硫黄の匂いも同じ。だが、その奥に別の層がある。甘い。花に似ているが花ではない。腐敗でもない。千二百年前の聖属性の残り香。生きている結節点が地中で微かに光り続けていた場所だけが放つ、かすかな清浄の匂い。昨日ユイが「青い線が集まってるの」と言った場所の匂いだ。

 ユイの誘導で、生きている結節点の位置は特定済みだった。北西から時計回り。六つの結節点のうち三つが生存。三つが断絶。断絶した三つをシアの聖属性で再起動し、生存している三つを基盤にして、調律点で均衡を取り直す。

 手順は分かっている。代償も分かっている。分かった上で、ここに立っている。

「ユイ。始めるぞ」

 風読み通信越しに呼びかけた。数秒の間。アリアの風属性が二百キロの距離を繋いでいる。

「うん。見えてるよ、お兄ちゃん。……北西の結節点が一番明るい。そこから始めて」

 ユイの声が、戦場の空気に溶けた。冥渦の瘴気の中に、花を活ける少女の声が降りてくる。

 ◇

 シアが結節点を回った。

 一つ目。北西の大きな岩の下。昨日確認した場所。苔の匂いが岩の表面から立ち上っている。湿った古い石の匂い。千二百年間、この岩の下で封印が眠り続けていた。シアが跪いて、両手を地面につけた。白銀の聖属性が掌から流れ出す。地面に染み込んでいく。シアの紫の瞳が集中で細まっている。額に汗が滲んでいた。一つの結節点を再確認するだけでも、聖属性の消耗がある。

 青白い光が浮かび上がった。結節点が再確認された。生きている。

 二つ目。北東。断絶した結節点。シアが両手を地面につけた。聖属性を注ぎ込む。長い時間がかかった。紋様の損傷が深い。千二百年の風化で、線が途切れている。シアの白銀の光が傷口を埋めるように紋様の隙間に入り込んでいく。薬を傷口に塗り込むように、丁寧に、慎重に。

 微かに光った。薄い。だが光っている。再起動。

 シアの呼吸が荒くなっていた。二つ目で既にかなりの消耗。

「ユイちゃん。三つ目の位置は?」

「南東に十二歩。……ちょっと待って、ずれてる。もう一歩南。そう、そこ」

 ユイの声が修正を入れた。メルティアの千二百年前の記憶とは微かにずれている。千二百年の間に地殻が数メートル動いたのだろう。メルティアの記憶は千二百年前の位置。ユイの目は今の位置。ずれを補正できるのは、ユイだけだ。

 三つ目。四つ目。五つ目。六つ目。シアが一つずつ回って、聖属性を注入していく。四つ目の結節点は損傷が軽く、すぐに起動した。五つ目は損傷が深く、シアが二度注入してようやく微かに光った。六つ目はシアの力では足りなかった。

「……ここは私だけでは。損傷が大きすぎます」

 シアの紫の瞳に焦りが浮かんだ。六つ目の結節点が起動しなければ、封印陣が完成しない。

「俺がやる。蝕で」

 六つ目の結節点の前に立った。光と闇を呼ぶ。聖属性だけでは足りないなら、聖と魔の混合で無理やり起動させる。蝕の力は荒いが、出力が高い。

 蝕を薄く発動した。全開ではない。結節点一つに注ぐだけの出力。掌が微かに灼けた。光と闇が混じった力が地面に染み込んだ。

 六つ目が光った。今までで一番強い光。蝕の出力が聖属性だけより結節点への適合度が高い。

 六つ全ての結節点が起動した。地面の下で、六本の青白い線が中心に向かって走っている。見えない。だが、足元の振動で感じ取れた。六本の力の流れが交差に向かって収束していく。

 ◇

 最後。調律点。冥渦の中心。裂け目の真上。

「お兄ちゃん。真ん中に立って。六本の線が全部集まってる。……綺麗だよ。星みたいに光ってる」

 ユイの声が、遠くから届いた。星みたい。ユイにはこれが星に見えるのか。封印陣の結節点の光が、星の光のように見える目。綺麗だと言える感覚。この戦場の最も危険な場所で、ユイは「綺麗」を見ている。

 蝕を全開にした。

 光と闇が掌の中で重なる。世界の色が変わった。蝕の視界。光の中に闇が透け、闇の中に光が宿る。匂いも変わった。冥渦の瘴気が薄まり、封印陣の清浄な匂いが足元から濃く立ち上ってきた。蝋燭の蝋に似た、温かくて透明な匂い。千二百年前の聖属性の残り香が、蝕の力に反応して覚醒している。

 だが——前回と感覚が違った。

 山岳地帯で最初に蝕を試した時は暴れ馬だった。力が制御を振り切ろうとする。均衡を取るのに全身の力が要った。今回は力の流れが滑らかだった。ユイの誘導で結節点の位置が正確だから、力の通り道が整っている。水路のように。力を流す道が、既に準備されていた。

 メルティアがラスティカの夜に語った言葉を思い出した。千二百年前の「彼」。火属性しかない普通の魔法使い。だが均衡を取るのが上手かった。「水路のように。力を流す道筋を、体の中に自然に作れる人間だった」。今、ユイの誘導で、その「水路」が外側から準備されている。俺の体ではなく、封印陣の構造そのものが水路になっている。

 調律点に力を注いだ。封印陣の六本の力の線が中心に集まっている。その交差点で、聖と魔の均衡を取り直す。

 冥渦の縁が震えた。赤黒い脈動が弱まっていく。裂け目の縁が縮み始めた。

「お兄ちゃん、いい感じ。線が太くなってる。冥渦の黒が薄くなっていくよ」

 ユイの声が、リアルタイムで修復の進捗を報告してくれている。目が見えない作業を、ユイの目が補っている。

 十二メートル。十メートル。八メートル。前回の限界を超えた。五メートル。三メートル。

 シアの白銀の光が俺を包んだ。聖属性の障壁。シアが後方から、浄化の力でカイトの体への負荷を軽減している。シアの息が荒い。結節点の起動で消耗した上に、障壁まで展開している。だが紫の瞳は揺れない。

 大地が軋んだ。

 裂け目が塞がった。石と土が互いに噛み合って、亀裂が消えていく。赤黒い光が薄まって——消えた。

 地面に、新しい封印陣の紋様が浮かび上がった。青白い光。六芒の変形。六つの結節点と中心の調律点が、千二百年ぶりに完全な形で光っている。封印が、生き返った。

「……閉じた」

 シアの声が震えていた。障壁を解いて、膝に手をついている。消耗している。だが、紫の瞳に涙が浮かんでいた。

 ユイの声が風読みで届いた。「お兄ちゃん! 黒い穴が消えた! 青い光がすごく明るくなって……全部繋がった!」。興奮した声。十四歳の少女が、二百キロ先から封印の完成を視ている。

 リーゼが剣を鞘に収めた。冥渦が閉じる間、周囲の魔物を一人で迎撃し続けていた。碧い瞳が地面の封印陣を見ている。「……綺麗ね」。短い感想。リーゼがこの種の言葉を口にするのは珍しい。だが、千二百年ぶりに光る封印陣は、確かに綺麗だった。

 ◇

 代償。

 左腕の袖をまくった。封印陣の青白い光で確認した。周囲の空気が変わっていた。冥渦が閉じたことで瘴気が薄まり、山の風が本来の匂いを取り戻していた。針葉樹の樹脂の匂い。岩場の乾いた匂い。だが口の中には鉄ではなく血の味が残っている。唇を噛んでいた。

 黒い紋様の先端。首の付け根を超えて、喉仏の下。顎の下に向かって、数ミリ進んでいた。

 ノアの声が低く響いた。

「進行率、推定29%。2%の進行。前回の半分以下だ」

 2%。前回は5%。ユイの誘導で効率が上がった分、魔印への負荷が軽減されている。

「効率が上がっている。ユイの誘導で無駄が減った分、力の通り道が整えられていた。蝕の出力が結節点に正確に流れるから、体への逆流が少ない。……だが」

「分かってる。ゼロにはできない」

「蝕を使う限り、進行は避けられない。効率が上がっても、ゼロにはならない」

 29%。ノアが初めて進行率を告げた時は22%だった。そこから7%進行した。残り31%で60%。蝕一回で2%なら、あと十五回で限界。大陸中の封印陣は二十以上。全部直す前に——。

 考えるのをやめた。数えるな。今日は一つ閉じた。それだけでいい。

 メルティアが封印陣の青白い光を見つめていた。赤い瞳が、光を映していた。千二百年前に自分が設置した封印が、別の人間の手で修復されている。同じ構造。同じ光。だが、別の手で。

「……あの時と同じ光。封印が生き返る光」

 声が小さかった。♪がない。千二百年前の記憶が、今の光景と重なっている。

「でも、あの時は」

 口を閉じた。

 あの時は——調律者が壊れた。メルティアがラスティカの丘で語った物語。十回の調律で限界を超えた体。最後の封印で崩れた「彼」。メルティアが天界の法を破って救った。

 同じ光が、今、カイトの足元で光っている。同じ美しさで。同じ代償を求めて。

 メルティアの赤い瞳が、封印の光からカイトの首元に動いた。襟からはみ出した黒い紋様。もう隠せない位置。千二百年前に見たものと同じ。調律者の体に刻まれていく代償の証。

 何も言わなかった。メルティアは。今日も何も言えなかった。言える言葉が、千二百年経っても見つからなかった。

 ◇

 前線の聖騎士や他のパーティが、封印陣の光を見に来ていた。焚き火と革鎧の匂いを纏った兵士たちが、地面の青白い紋様を囲んで立っている。

「冥渦を完全に閉じた?」

「聖騎士団が何週間もかけて押さえていたのを、一人で?」

「あの光は——封印が復活したのか? 千二百年ぶりに?」

 驚きと畏怖の声。カイトの名が、前線で違う響きを帯び始めている。「全属性使い」ではなく、「封印を修復できる唯一の存在」として。

 だが、隊長が近づいてきた。疲弊した顔に、安堵と——それとは別の色が浮かんでいた。期待。次を求める目。

「……南の冥渦も、閉じられるか」

 来た。一つ閉じれば「次も」。予想していた。だが、実際に聞くと重い。

「時間をくれ。蝕の後は回復が要る」

「分かっている。だが……あまり長くは待てない。南の冥渦から、新しい上位種が出始めている」

 隊長が背を向けた。歩き去る後ろ姿。白い法衣が汚れている。泥と血と煤。この男も限界なのだ。限界だからこそ、カイトに次を求める。

 一つ閉じた。あと何十、開いている。

 一つ閉じるたびに魔印が進む。世界を繋ぎ直す糸が、自分の命で紡がれている。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ