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第16話 聖鎖

 三日間で、できることは全てやった。


 ノアから融合魔法の制御訓練を受けた。火と風の爆炎ブラスト。水と雷の麻痺の豪雨パライズ・レイン。土と風の砂塵のサンド・プリズン。三種類の融合魔法を、出力を調整しながら連続で撃つ練習を繰り返した。


 メルティアからは、聖属性の弱点を聞いた。


「聖属性は対魔に特化している。あなたの七つの属性のうち、魔と闇は聖鎖に触れた瞬間に消滅する。光は相殺されて無効。つまり、使えるのは火、水、風、土、雷の五属性だけよ」


「五つあれば十分じゃないか?」


「甘いわね。聖鎖は拘束術であると同時に、防壁術でもある。鎖の内側にいる術者には、外からの攻撃がほとんど届かない。攻撃が通らない相手に、いくら撃っても意味がないわ」


 リーゼは剣の研ぎ直しと、対人戦の型を復習していた。「審問官は魔物じゃない。人間を斬るのとは訳が違う」。冷静な声だった。


 シアは回復魔法の精度を上げながら、聖属性の応用を試していた。聖属性同士がぶつかった時、何が起きるのか。シア自身にも未知の領域だった。



 ◇



 三日目の朝。


 ラスティカ北の平原。街から歩いて半刻の場所。枯れ草が風に揺れる広い平地。遮蔽物はない。周囲を見渡せる開けた地形。


 俺が選んだ戦場だった。


 街道の向こうから、白い法衣の影が歩いてくる。一人。供も護衛もいない。単独で来た。Aランク以上の実力者が、一人で十分だと判断している。


 マルクス・ヴァレンティ。


 銀縁の眼鏡が朝日を反射して、光の点が顔の上で揺れている。口元に薄い笑み。目は笑っていない。いつもの表情だ。


 二十メートルの距離で止まった。


「約束通り、三日後です」


 穏やかな声。風が法衣の裾を揺らしている。


「ギルドの審議結果は聞いていません。ですが、結果は分かっています。あなたがたは引き渡しに応じない」


「ああ。仲間を差し出す気はない」


「予想通りです。データは嘘をつきませんから」


 マルクスの右手が動いた。白い法衣の袖口から、光が流れ出した。


 金色の光。液体金属のように滑らかに、だが鋭い輪郭を持った光が、マルクスの指先から編み上げられていく。


 鎖。


 光の鎖が、マルクスの周囲に展開された。一本。二本。四本。八本。十二本。最大展開。金色の鎖が空中に浮かび、マルクスの体を中心に旋回している。鎖の一つ一つの環が聖属性の魔力で編まれていて、触れるだけで魔を浄化する。


 左腕の魔印が悲鳴を上げた。


 痛みではない。恐怖だ。魔印そのものが聖属性の気配に怯えている。手首から上腕まで広がった黒い紋様が激しく脈打ち、熱を発している。魔が聖を感知して、本能的に逃げようとしている。


聖鎖ホーリー・チェイン。これが私のスキルです」


 マルクスが眼鏡を押し上げた。


「悪魔契約者にとっては、少々不快でしょうが」


「少々、ね」


 構えた。右手に火を呼ぶ。胸の奥の熱。怒りに似た炎。


 放った。火の弾がマルクスに向かって飛ぶ。


 聖鎖の一本が反応した。火の弾を空中で叩き落とす。金属のような衝突音。火が散って消えた。


 風。風の刃を三連射。聖鎖が三本同時に動いて、全てを弾いた。鎖の動きは速い。人間の腕よりも速い。マルクスが自ら動く必要すらない。聖鎖が自律的に攻撃を防いでいる。


 雷。右手から紫電を走らせた。聖鎖の一本が盾のように立ちはだかり、雷を吸収した。金色の鎖が一瞬だけ紫に発光して、すぐに元に戻る。


「通常属性の攻撃は、聖鎖には効きません。鎖は聖属性の魔力で編まれていますから、通常の五属性では構造を破壊できない」


 マルクスの声は講義のように淡々としていた。戦闘中だという緊張感がない。データを読み上げるような口調。


 リーゼが横から斬りかかった。


 銀色の剣がマルクスの左側面に迫る。リーゼの踏み込みは速い。低く、鋭く、死角から。


 聖鎖が二本、リーゼの前に壁を作った。剣が鎖に当たる。金属音が鳴る。だが鎖はびくともしない。リーゼの腕に衝撃が返って、体がよろめいた。


「物理攻撃も同様です。聖鎖は実体を持つ魔力の結晶体。通常の武器では破壊できません」


 マルクスが指を動かした。十二本の鎖のうち四本が、こちらに向かって伸びてきた。


 速い。


 一本目が俺の右腕に巻きついた。締まる。熱い。聖属性の魔力が、腕を通して体の中に浸透してくる。魔印が暴れた。左腕が灼けるように熱くなる。聖と魔がぶつかっている。体の中で。


「ぐ……っ」


 二本目が左足に巻きついた。膝が折れる。引き倒される。枯れ草の上に片膝をつく。三本目が胴体に巻きつこうとした。


 土。


 地面から石の壁を隆起させて、三本目の鎖を弾いた。だが壁は一秒で砕かれた。聖鎖の力が石を貫通して砕く。


 四本目が左腕に伸びる。魔印のある腕に。


「させない!」


 リーゼが四本目の鎖に斬りかかった。剣では切れない。だが、鎖の軌道を逸らすことはできた。剣の腹で鎖を叩き、俺の腕から逸らす。


 メルティアが影縛りを発動した。マルクスの足元の影が一瞬固まる。だが、聖鎖がマルクスの足元を覆い、影を浄化した。影縛りが消える。


「闇属性の術ですか。……面白い。闇は聖に浄化される。使い手の方も、少し気になりますが」


 マルクスの灰色の瞳がメルティアを見た。一瞬。だが深い視線だった。


「今は後回しにしましょう。まずは目の前の案件から」


 鎖が締まった。右腕と左足に巻きついた鎖が、更に力を込める。体が動かない。聖属性の魔力が皮膚を通して体内に流れ込み、属性の一つ一つを圧迫している。


 特に、魔。


 七つの属性の中で、魔だけが完全に封じられていた。体の一番奥にある魔の扉が、聖鎖によって施錠されている。呼ぼうとしても、手が届かない。指先が扉に触れる前に、聖属性の壁に弾かれる。


 魔が使えない。禁忌属性が封じられた。


 残りの六属性で戦うしかない。だが、通常属性では聖鎖を破れない。攻撃が通らない。拘束が解けない。


 追い詰められている。


「灰原カイト。全属性使い。確かに珍しい才能です。ですが、聖鎖の前では意味がない。全ての属性を持っていても、全ての属性を封じられれば同じことです」


 マルクスが歩み寄ってきた。ゆっくりと。勝利を確信した足取り。残りの鎖が、俺の周囲に展開されていく。檻を作るように。


「抵抗を続けますか? それとも、ここで投降しますか?」


「……投降なんて、するわけないだろ」


「データ通りです。悪魔契約者は、最後まで抵抗する傾向があります。統計的に」


 マルクスの指が動く。鎖が俺の胴体に巻きつこうとする。


 その時。


「――やめてください!」


 声が割り込んだ。


 小さな声。だが、聖属性の力を帯びた声。空気の中で声が光った。言葉そのものが魔力を纏っている。


 シアが、俺とマルクスの間に立っていた。


 銀色の髪。尖った耳。白い法衣。紫の瞳が真っ直ぐマルクスを見ている。両手を広げて、俺の前に立ちはだかっている。小さな体で。震えている体で。


「シア……!」


「カイトさんに手を出さないで!」


 シアの声が震えていた。だが、紫の瞳は揺れていなかった。恐怖はある。だが、恐怖の上に、別のものが乗っている。


 マルクスの灰色の瞳が、シアを見た。


「シア・ルナティーク。半エルフの聖女。教会から追放された異端者」


「異端者じゃありません」


 シアの声が、一段強くなった。


「私は聖女です。教会がその称号を奪っても、力は消えません。この力は、私が生まれた時から持っているものです」


「それは興味深いデータですが――」


「データじゃありません!」


 シアが両手を前に突き出した。


 白い光が溢れた。シアの掌から放たれた聖属性の魔力。マルクスの聖鎖と同質の、だが異なる色をした光。マルクスの聖鎖が金色なら、シアの光は白銀色。温かさを持った光。


 白銀の光が、俺の右腕に巻きついている金色の鎖に触れた。


 鎖が、ぐらりと揺れた。


 聖属性同士がぶつかっている。金色と白銀。マルクスの力とシアの力。同じ聖属性だが、質が違う。マルクスの聖鎖は「裁き」の力。冷たく、厳格で、容赦がない。シアの聖属性は「癒し」の力。温かく、柔らかく、包み込むような。


 同じ聖なのに、正反対だ。


 鎖の構造が乱れた。白銀の光がほんの数秒触れただけで、金色の鎖の環が一つずつ開いていく。解錠されていく。鎖が腕から緩み、ほどけて落ちた。


 右腕が自由になった。


「……なるほど」


 マルクスの声に、初めて変化があった。驚きではない。だが、データを更新する時の微かな間。予想外の結果を処理している声。


「聖属性同士の干渉。聖女の癒しの力が、聖鎖の拘束構造を解除する。……これは、データにありませんでした」


 シアの両手が震えている。聖属性の全力行使。小さな体には負荷が大きい。額に汗が浮いている。呼吸が荒い。だが、紫の瞳の光は消えていなかった。


「カイトさん」


 シアが振り返らずに言った。前を向いたまま。マルクスから目を逸らさずに。


「左足の鎖も、解きます。少しだけ、時間をください」


 シアの白銀の光が、左足の鎖に伸びた。


 金色の鎖が、再びぐらりと揺れ始めた。


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