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②海辺のスケッチ

久しぶりの田舎町で、さくらはスケッチブックを手に海へ。

夕陽に染まる波打ち際で出会ったのは、明るくてちょっと不思議な少年・日向。


「…日が沈む前に、お互い完成させちゃお」


砂浜に広がる二人だけの小さな創作の時間――

描くことの楽しさと、胸をぎゅっと締め付ける夏の高鳴りがここにある。




祖父母宅に荷物を置き、ほっと一息をつく。

長旅の疲れと私の体調に配慮してか、祖父母は、今日は無理に農作業は手伝わず、テレビでも見ながらゆっくりしなさい、と言った。



居間には昔ながらの家具が並び、古びたお香の香りが漂う。

家の前の畑では、祖父母が黙々と夏野菜の収穫をしている。



ふと居間を見渡すと、本棚には、中学時代に使っていたスケッチブックが一冊、挟まっていた。

ゆっくりと表紙を開き、ページをめくる。

今よりも拙い、懐かしい作品の数々がページをめくるごとに蘇る。ふと、先生に初めて褒めてもらった作品が目に留まった。



「北川さんの絵は印象派みたいだね。淡い色の重なりが、光の陰影を表してて綺麗」



小学生の頃、クラスメートに絵を馬鹿にされた過去の自分が救われた気がして、嬉しかった。拙い筆致を指でなぞり、じんわりと心が温かくなる。



だが最後のページの絵を目にしたとき、手が止まった。

文化祭で目立つ場所に飾られたこの絵は、自信がない私にとって大きな挑戦だった。だが、



「北川さんの絵は上手いけど、安パイというか、なんかこじんまりしてるよね。」



――あの時のクラスメートの言葉は胸に刺さったままだ。それ以来、誰かに自分の描いた絵を見せるのは怖い。



それでも、絵を描くのをやめることはできなかった。

描いた絵を誰にも見せず、ひそかに描き続けた。

自分だけの世界に色を重ねる時間は、私を支えてくれた。

いつか、人に届ける力をつけたい。そう思ってはいるけれど―



「さくら、絵を描くのはいいけど勉強しなさい」

「絵ではまともに食べていけないわよ」

「絵を趣味に出来るだけの生活を送りたければいい大学に行って、ちゃんとした会社に入りなさい」



母の厳しい声が、頭をよぎる。

絵を仕事にするのは現実的じゃない。

ちゃんと勉強して、安定した会社に入って、絵は趣味にする。

それが1番なのも、頭ではわかってる。

―わかっているけど…



湧き上がる本音がふっと胸を熱くする。

でもすぐに自分でその火を押さえ込む。

…無理だ、私には。



本棚の前でスケッチを眺め俯いていると、

不意に、祖母に声をかけられた。



「陽子叔母さんが玄関先に来ているわ。

しんどくなければ、起きて町を回ってきなさい」

 


玄関口に向かうと、懐かしい声が聞こえた。



「―さくらちゃん。町に来るのは久々だろうし、

一緒に回ろうか」



叔母の陽子さん。この町で釣具のレンタル屋さんと民宿を営んでいる。

黒く焼けた肌にショートカットの黒髪。華やかな顔立ちに南国柄のシャツを着こなす叔母さんは、まさしく海の町が似合う女性、という印象だ。

 


コロナ前から徐々に海水浴客が増え出し、夏は仕事で忙しくしていたためか、こうしてちゃんと会うのは久々だった。



「お店は夫とバイトの子に任せているから大丈夫。

まずはゆっくり、町の人たちに挨拶に行こうか」

「はい」

「いってらっしゃい」



玄関先で祖父母が笑顔で見送ってくれるのを背に、家をあとにする。

絡まりあった思いが頭の片隅に残って少し気が重かったけど、気さくで明るい叔母さんと歩きながら町を話をしているうちに、浮かない気持ちは徐々に晴れていった。



こうして私は、叔母さんと共に町の人たちに挨拶しながら歩いた。

道端の花や商店の軒先には懐かしさや田舎の生活の温かさが感じられ、思わず微笑んでしまう瞬間もあった。



「さくらちゃん、饅頭持っていきな。日間浦の銘菓なんだ」

「うちで作ったアジの干物も美味しいわよ」



日間浦の人たちは皆、優しい笑顔で迎えてくれた。

店や家を回るたび、お菓子や地元の名産品を差し出してくれ、両手が塞がるほどに心は満たされていった。

 


胸の奥のつかえが少しずつ解けていく。

都会での緊張や、日常の焦燥感が、ここでは静かに溶けていくのを感じた。






ーー



「さくら。よければ向日ヶ浜のほうに行ってごらん。

今日はいい天気だから、とても綺麗な夕陽が見えるはずだよ」



夕方。一通りの用事を終えて縁側で休んでいると、背後から祖父が声をかけてきた。

顔を上げると、あの頃より顔の皺が深くなった祖父の顔が夕陽に照らされていた。



「…いい写真が、撮れるんじゃないか」



祖父は目を細め、優しい声で語りかける。

…本当は絵のことを言おうとしたんだろうけど、あえてそれを飲み込んだかのような微妙な間に、気づかないふりをした。



「…ちょっとだけ、みてみようかな」



私は祖父に微笑みかえし、縁側から立ち上がった。




ーー


 


向日ヶ浜の海は久々に訪れると、透明度が増したように見えた。

砂の冷たさや波が岸辺に触れる音、潮風の香りまで、東京では味わえない感覚が一度に押し寄せた。



波の音に誘われるように、砂浜に腰を下ろす。

しわになったスカートを整え、ふと顔を上げると、沈みかけの夕陽が海面をオレンジ色に染めていた。



――綺麗……



輝く水面を照らす暖かな光と、波が作り出す黒く深い影の陰影。

ピンクとグレーに染まった入道雲はどこまでも綺麗で、

まるで宗教画のようだった。



大自然の作り上げた芸術に、思わず息を呑む。



―描きたい。描かなきゃ。



躊躇いつつも、念の為と言い聞かせてカバンに入れたスケッチと色鉛筆を取り出し、一心不乱に手を動かす。

…この感覚は、いつぶりだろう。



自然と息が漏れる。

夢中で波の揺らぎや、海に反射する光を描き写していく。




集中して鉛筆を動かしていると、不意に足音が近づいた。

「うま!」



驚いて振り向くと、私と同い年くらいの男の子がにこにこと立っていた。



「あ、ありがとう……」



思わず照れ笑いを返す。



「俺、日向(ひなた)。さくらちゃんだよね?」

「そうだけど。…どうして知ってるの?」

「今日おばちゃんと町の人に挨拶して回ってたでしょ。父さんと母さんのとこにも来てて、聞いたんだ」

「そうなんだ…」



大きな丸い瞳に、大輪の向日葵のような明るい笑顔。

夕陽に照らされていてもわかるくらい焼けた小麦色の肌に、きゅっと上がった口角。

初めて会ったはずなのに、どこか安心感を覚えた。



「…俺もなんか作りたくなってきたな」



おもむろに日向くんは砂浜にしゃがみこむ。

何をするんだろうと息を詰めて見つめていると、彼は小石や貝殻を手に取り、並べていった。




「…そういう発想もあるんだ」



私は思わず声を出した。日向くんはにっこりと笑った。



砂浜に並べられた小石や貝殻は、まるで現代アートのようで。

不規則に並べられた海の産物は、幾何学的でありながら、まるで命を持ったかのように生き生きとして見えた。

 


「…日が沈む前に、お互い完成させちゃお」



日向くんがにっと笑うのを合図に、私たちは引き続き作品作りに没頭することにした。



夕陽がさらに低くなり、海が赤く染まる。

二人で黙々と手を動かす。貝殻や小石が私のスケッチと交わり、海辺に小さな作品が完成した。



「――これで完成だね」


「…うん。夕陽が最後の彩りになったみたい」



私と日向くんの視線が、沈みゆく太陽を映す海面に重なる。

胸の奥に、今日一日とは違う、忘れられない感覚が残った。




ーー




「…ね、よかったらさ、一緒に豊漁祭りのポスターを

デザインしない?」

「…え?」



日向くんの唐突な提案に、思わず彼の目を見つめる。



「さくらの色彩センスと俺のデザインセンスを組み合わせたら、

めっちゃいいものが作れる気がするんだよね」



…私なんかに、そんなことできるんだろうか。

戸惑いを隠せない私に日向くんは満面の笑みを向ける。

その瞳は純粋そのもので、そこには一点の曇りもなかった。



「…俺、この町のよさをもっといろんな人に伝えたい。

そのために、祭りを絶対に成功させたいんだ」


「…」



(北川の絵って赤ちゃんのらくがきみたい)

(北川さんの絵は上手いけど、なんかこじんまりしてるよね)

(さくら、絵を描くのはいいけど勉強しなさい)



かつてかけられた言葉が、頭の中で何度もこだまする。

喉の奥が締まって、胸が苦しい。

―描いてみたい。でも、人に見られるのは怖い。



だけど、さっき日向くんと作品を作った時に残った感覚が、胸の奥を揺さぶって止まらない。



「…私には無理だよ」



…これ以上、好きなものを否定されたくはない。

でも、あの時感じた高鳴りを、単なる過去の思い出にしたくない。



私は、蚊の鳴くような声で返事をするのがやっとだった。

思わずこぼれ落ちた涙を見られまいと、とっさに顔を背けた。





「…さくらが辛いなら、俺は無理を言わない」



日向くんの低い声が頭上から降り注ぐ。



「…でも、俺はさくらと一緒に作品が作りたい。

2人なら、絶対いいものを作れると思うんだ」



恐る恐る顔を上げると、さっきまで笑っていた顔から無邪気さが消えていた。

結ばれた唇と、澄んだ瞳だけが真っ直ぐにこちらを射抜いてきて、胸の奥が思わず震えた。



「…わかった。…やってみたい」

「…ありがとう」



日向くんの目尻がふっと下がり、張りつめていた空気が一気にほどける。夕陽に照らされたその笑顔は、さっきまでの真剣さとの落差もあって、妙にあたたかく心に残った。



「さ、もうそろそろ暗くなるし帰ろっか!」



先に立ち上がった日向くんが、しゃがんだままの私に自然な流れで手を差し伸べる。

可愛い顔に似合わないごつごつとした手が私の手を包み込んだ瞬間、胸の奥が跳ね上がり、体の芯が熱くなる。

同時に、頭の中でぐるぐるといくつもの思いが巡り、息がわずかに詰まる。

心臓の音が耳まで響くようで、ちょっと怖くなるくらいだった。



「危ないから送ってくね」

「いいよ、すぐそこだし」

「夜道を女の子1人で歩かせられないよ」



結局、祖父母の家の前まで送ってもらった私は、夕食の時もお風呂の時も、まだ胸の高鳴りと頭のざわめきが残っていた。



あの時の夕焼けと、日向くんの真っ直ぐな眼差しは、眠りにつく瞬間まで瞼の奥に焼きついていた。



胸の奥で、まだ答えの出せないざわめきが続いている。

でも――あの時、確かに私は「描きたい」と思った。



(私、本当にポスターを描くのかな……)



ぼんやりとした不安と、抑えきれない高鳴りが交じり合いながら、私は新しい夏の始まりを感じていた。






ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

町の少年・日向と出会い、戸惑いながらもポスター作りに携わることになったさくら。次回からは日向の仲間たちも登場し、少しずつ、物語が広がっていきます。

よければ引き続きお付き合いいただけたら幸いです。☺️

感想やブクマ等いただけると励みになります。

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