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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス


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20/30

14 アイク・ウィリアムス

──今日は、大事な試合だ

 タイランツとの大事な一戦である。

 ゲーム差は0.5。この試合で勝てば、差はひっくり返る。


「おい、アイク」

 ロッカーからグラウンドに出ようとしたとき、後ろからロラン・バークライが声をかけてきた。

 キャッチャー防具を身にまとい、目には闘志がみなぎっている。

「わかってる。今日は変化球主体で行くんだろ。相手もやる気だろうからな」

 アイクは野球帽のつばを直しながら、ロランの言葉に応えた。

「わかってるんなら良い。2番には気をつけろよ?」

 ロランの言う通りだ。今日のタイランツの2番には、さいきん調子の良いアントニー・ロックウェルが座っている。

 ここ5試合で18打数11安打。四死球の数は4つ。OBP(出塁率)でいえば、.682。

「ああ。あいつにヒットを打たれたら、もう仕方がないだろうな」

 アイクはグラウンドに足を踏み出すと、ロランに指をさした。

「頼んだぞ」

 ロランにそう語りかけ、マウンドに登る。

「もちろんだ。俺に任せろ」

 ロランもまた、キャッチャー用のグラブをアイクに向けて、信頼に応える気概を見せた。


 クロークハッチ・チェッカーズ対ラドウッド・タイランツ。

 アイクが立つマウンドには、チェッカーズに関わる人間の期待が込められている。


──・──・──・──


 アイクがプロの舞台に立ったのは、1912年のことである。

 当時18歳のアイクは右も左もわからず、おどおどしている部分があった。


 そんなアイクに最初に声をかけたのは、チェッカーズの捕手候補として名の上がっていたロランである。

 歳も立場も近い。ロランとは2歳違いだったが

──チームのために

と思う気持ちで一致していた。


 ロランにはリーダーシップがあった。

 投手とは積極的に意見を交換するし、上司の言うことにしっかり耳を傾けながら、自分の軸の部分は譲らない頑固さもある。

 アイクはロランのそういった所を羨んだ。


 ある日、ロランに対して

「君のようになるには、どうしたら良いんだろうか」

いた。ロランは大きな声で笑って

「俺なんか、そんな大した人間じゃないさ。お前のほうが立派な人間になれるだろ?」

と言い放った。


 アイクは

──君が大した人間じゃないのなら、俺はどれだけ小さい人間なんだ

と思ったが、家に帰ってから思い直して

──自分は自分にしか変えられないだろうな

と、自分自身がロランのようになれるように、隠れた努力を始めた。


 数年ばかりの勉強と鍛錬を経て、アイクはなんとなく、人の前に立てるようになってきた。

 発言しにくい場面で発言できるようになったり、人の相談に乗れるようになったりした。

 ただ、このアイクの変貌の仕方を

──人が変わったようだ

と評する人はいなかった。

 もともとアイクが持っていたものが、ようやく表れるようになったのだ。そう評価された。


 アイクには人を抱擁ほうようする力があった。

 ただ優しい、というだけでなく、芯の強さを感じさせるようなものだった。肯定するだけではなく、きちんと批判もする。しかし突き放すようなことはしない。

 アイクは知らぬ間に、チームメイトから頼りにされる存在になった。


 プロに入ってからそうなるまで、アイクはメジャーな選手にはなれなかった。

 それでもチームに欠かせない人格を有していたから、チェッカーズの上層部では

──アイクを球団職員として見込もうか

という話も出てきていた。

 アイクに直接、話を持ち込まれたことがあったが

「俺は選手として、このチームを支えられる人材になりたいんです」

と言って、その誘いを辞退した。

 この時に話を持ってきたのは、まだ新人といっても良いくらいの若手の職員で

「そうですか……」

と、明確に肩を落とした。アイクはその様子を見て

──人に使われるっていうのは、辛いものなんだろう

と、その職員の若い部分に同情していた。でも、それだけでは終わらず

「とにかく、俺はやらない。上司に伝えてくれ」

と言って、あえて突き放すような態度を示した。

 この職員はゲーリック・トラバースといい、のちにチェッカーズに必要とされる存在となった。


 1920年。アイクが27歳となった年のことである。

 このころのチェッカーズには、のちに「ビックリ箱」と言われるほどの、個性的なメンバーが集まり始めていた。

 アイクも中堅どころとなってきて、性格もあってか、チームを取りまとめることも多くなった。

 チームの正捕手になっていたロランも、一緒になってのことである。


 ただ、ロランは捕手、アイクは投手という立場の違いがあるから、それぞれが違うアプローチをしていた。

 ロランは投手と野手のコネクトをし、アイクは投手の取りまとめ役になっていた。

──野手には居ない

 ということを2人は感じていたが、これはまだ入団したばかりの、ジェイコブ・フューリーが担っていくことになる。


 このころのチェッカーズは若い選手も多く、再建期といって良い時期だった。そのせいかはわからないが、ロッカーの雰囲気はあまり良くない。

 負けることも多く、特に気の短い選手は、体に不機嫌さが表れることも多かった。


「畜生! 今日も負けか!」

 ジェフ・オーガスタは、ハイスクール(高校)を卒業してまだ3年の選手である。

 感情のコントロールが甘く、物に当たることが多い。

 この時も、感情を抑えきることができずにグラブを投げつけた。

 ここまでなら、いつもの事だった。だが、たまたまチームの主軸を打っていた、ドリー・パクストンの体に当たったのである。

「何をするんだ、てめえ」

 ドリーは静かに怒った。チームメイトはこういう時こそ、彼の怒りが大きいことを知っている。

 周囲は必死になだめようとしたし、ドリーも自分の立場をわきまえて怒りを抑えようとしたが、ジェフが食ってかかった。

「ああ? 長打も打てねえのに偉そうな口ききやがって」

 周囲の顔は青ざめて、ドリーの顔は逆に赤みを帯びた。


 確かに、ドリーは長打を打たないタイプのコンタクトヒッターではある。しかし、今のチェッカーズを支えている屋台骨やたいぼねには変わりがない。

 ジェフの行為は、チェッカーズの現状を見ず、ドリーのプライドを傷つけるものだった。

「言わせておけば、大層なことを口走るもんだな」

 ドリーはまだ、自身の怒りを抑えようとしている。ここで爆発させてしまっては、チームの為にならない。そう考える理性がドリーにはある。


 だが、ジェフには若さもあって、そういった「チームのため」という考えが足りない。

「てめえが出ても他が返せないんだから無駄骨なんだよ。勝てる訳ねえだろうが」

 呆れたように言ったこの言葉が、ドリーの我慢を無駄にした。

「この野郎!」

 ドリーがジェフに組みかかり、ロッカーの中はあっという間に()()()()()()になった。

 ジェフはドリーの鼻っ柱を殴り、鼻血が出て床が汚れた。


 アイクは眺めず、すぐにジェフの身を取り押さえて、ドリーから引きはがした。

「ふざけるな!」

 この時アイクは、初めて人を殴った。ジェフは左の頬を抑えて、アイクを睨みつけた。

「行くぞ、ジェフ・オーガスタ」

 アイクはジェフの胸ぐらをつかんで、監督室まで連れて行った。


 監督室で書類を整理していたゲイリー・マクドナルドは

──やらかしたか

と、わかっていたかのように眉をひそめた。

「監督、こいつを下に落としてください」

 アイクはジェフの降格を直訴した。

「なぜだ?」

 マクドナルド監督が問いかけてきたので、アイクは事のあらましを話した。

「こいつはチームの主軸であるドリーさんのことを侮辱ぶじょくし、殴りまでしました。チームのことをおもんばかることすらできない。いくら能力があっても、輪を乱すような人間は不要です」

 アイクは語気を強めて言った。

 マクドナルド監督も、納得した、という表情をした。


「わかった」

 とだけ、マクドナルド監督は言った。

 当然というべきか、ジェフは反論した。

「俺の言ったことに間違いは無いはずだ! ドリー・パクストンは率は良いかもしれねえが、ランナーを返せねえじゃねえか。あいつがどうやってチームに貢献してるっていうんだ?」

 ジェフは悪びれる様子を見せなかった。

──こいつ

 アイクは怒りを感じて、また手が出そうになった。

 しかし、ジェフの方を向いたところでマクドナルド監督が口を開いた。

「ジェフ。お前はそんなに、自分がチームに貢献できていると思っているのか?」

「俺はきっちり、仕事をしている」

「確かに、ジェフは歳の割には活躍しているといえるな。だが、ドリーはそれ以上の活躍をしているぞ? 決勝打点も、得点も、得点圏の打率も、出塁率も。彼はチームどころかリーグでも上位だ」

「だから何だっていうんだ。現にチームは勝ててないじゃないか」

「そう言うな。お前はチームが苦しい場面で投球したことがあるか? チームの連敗を止めたことがあるか? 逆転の端緒になったことがあるか?」

「もちろんだ。俺が登板して、逆転を呼び込んだことだってある」

「誇りを持てたか?」

「俺のおかげだと思ったね」

「でもその分、負けた時はブーイングも凄かっただろう」

「確かに、それにイラつきはした」

「そういったプレッシャーを、ドリーは毎試合受けている。誇りも、失望も、喜びも、怒りも。おまえはたかだか、3試合に1回。成績だってドリーはリーグでもトップクラス、おまえは、歳の割に、抑えているだけだ。どこに勝っている要素があると言える?」

 ここまで言われて、ジェフは黙り込むだけになってしまった。

 アイクは溜飲を飲み込むことができた半面

──自分は、まだ未熟だったんだろうな

と思って、振り上げかけた拳を下げた。

「ジェフ。しばらくは下で、頭を冷やしてこい」

 マクドナルド監督は冷淡に言った。ジェフは従うしかなかった。


 ジェフが一足先に監督室から出た後、ドアノブに手をかけたアイクに、マクドナルド監督が声をかけた。

「アイク。ご苦労だったな」

 ねぎらいの言葉だった。アイク自身、自分が大きなことをやったとは思っていない。

「いえ、チームのためです」

 とだけ言った。

「チームのため、か……」

 マクドナルド監督がため息をついた。

「何か、悩みがあるんですか?」

 アイクはマクドナルド監督の溜息に、憂いがあるのを聞き逃せなかった。


 マクドナルド監督は「構うな」といった様子で首を横に振ったが、アイクにはどうしても無視ができない。

「過ぎた言い方ですが、監督もチームの一員です。俺にだけでも話してください」

 アイクは懇願こんがんするように言った。


 そういう風に言われると、マクドナルド監督も無視はできなくなったらしい。

 ゆっくりと、口を開いた。

「今のチェッカーズは、弱いだろう。選手も、やり辛さを感じているはずだ」

「そんなことはない……と言いたいですが、確かに、ロッカーの雰囲気は暗くなりがちですね」

「私も、それは感じている。チームに居残って活躍しているドリーや、若くてもチームを取り仕切っているロラン、それにアイクにも感謝しているんだ」

「そんなことを言わないでください。監督のリーダーシップのおかげですよ」

「実を言うとな、どうも私はスケープゴートなんだよ」

「は?」

「はは。そういう反応をすると思った。私は弱くなったチームが強くなるまでの間、その責任を取るためだけに監督をやっているんだ」

「そんなわけないでしょう? チームが弱いのは選手のせいです」

「そんなことを言うな。私も、そのことを呑んで座に就いているんだ。だから、選手にはのびのびとプレーをしてもらいたいと思っている。それには違いない」

「……なぜ、溜息をついたんですか」

「さっき、チームのためと、君は言っただろう? 私に、その言葉を言う資格があるのかと、ふと思ったんだ」

「あります。間違いなく。悩めている時点で」

「監督失格だな。選手にこんなことを言うとは……」

「そんなことはありません。……監督」

「なんだ?」

「強くなってからもその座に留まっていられるくらい、俺たちが活躍して見せます」

「選手にそんなことを言われるとはな。だが、気持ちは本当にありがたい。期待している」

「出過ぎた言い方でしたが、許してください」

「そんなことはない。君の言葉は、私の胸に刻まれたよ」

 アイクからの言葉を聞いたマクドナルド監督は、晴れやかな笑顔を見せた。


──・──・──・──


 1926年。チェッカーズは紛れもなく、強いチームに変わった。

 アイクがマクドナルド監督とした約束も、果たすことができた。

 アイクは33歳。年齢的にはだいぶ年長組になった。それでも、周りが老け込むことを許してはくれない。

 以前にも増して、個性的な選手が増えたからだ。


 言い争いも多いし、殴り合いに発展することもある。

 それなのに何故か、いがみ合ってはいない。不思議なバランスが、この「ビックリ箱」にはあった。


 今日も、だいぶ賑やかだった。そして賑やかになるたびに、アイクは仲介に入った。

 基本的には、投手のリーダーとして立ち回ることが多かった。

「ジェフ」

 アイクはジェフの隣に座った。

 ジェフはどこか疲れた様子を見せている。

「ああ、アイクか」

 ジェフはアイクの姿を見ると、グラブを磨いていた手を止めた。

「カーターとのことか? それとも、ロールスか?」

 問いかけを聞いて、ジェフはうなだれた。

「そいつらも、そうなんだが……」

 ジェフはため息をひとつ吐いてから、言葉を繋げた。

「カールのことだよ」

 アイクは納得した。


 カール・フォスターは1920年の入団から成績こそ残してはいるが、臆病が過ぎてコミュニケーションが取り辛い。

「確かに、お前にとってはもどかしいだろうな」

 ジェフは以前と比べると、周りを見渡せるようになっている。だが、生来の短気はなかなか治せない。

「この前も、あいつを怒鳴っちまった」

 アイクは呆れたりはしなかった。

 ジェフがこういう人間であると、わかっている。だからジェフやカールといった人間を無理に付き合わせずに、どうしたら上手く共存ができるのかを模索していた。

「そう思えるのなら、あともう一歩だろうな」

──ジェフも苦悩している

 そう考えてアイクは叱りつけず、善行を促すような言葉をかけた。


 ジェフも、どこか気分が楽になったような顔をしている。

 アイクは、このチームが深刻ではない、数々の問題を抱えていることを見ている。バランスを保てているのが奇跡のようなチームだった。

 アイクもそのせいで奔走することが多いものの

──手間がかかるほど、かわいいものだ

という理論で、ここ以外のチームで活躍する、という想像ができなかった。


 アイクには妻子がいる。

 妻はメリーといい、1917年に結婚した。

 子供は2人。兄がフィリップ、妹がナタリー。家族仲はとても良かった。


 野球選手は遠征が多く、家にいられる時間は限られている。

 それでも、たまに家に帰ると、妻のメリーは手の込んだ料理を作ってくれた。

「うまい、うまい」

 と言ってアイクが食べる姿を、微笑みながらながめてくれる。


 アイクも、そういった家族の献身を身に受けて、さらに頑張ろうという気になる。

 そういった好循環が、アイクの周りにはあった。


 アイクにとって家族は一番身近で、一番応援してくれる存在だ。

 そういう人々のため、アイクは何事にも、負けるわけには行かなかったのである。


──・──・──・──


 タイランツとのゲームは勝利に終わり、これでチェッカーズは首位に立った。

 まだ油断できないとはいえ、これで最大6ゲームを離されていたところを、ひっくり返した。

 この日のロッカールームは明るい雰囲気に包まれた。

 普段、ずっと機嫌が悪いようなチームメイトも、この日ばかりは喜んでいた。


「アイク、ナイスピッチング」

 アイクが試合後のストレッチをしている所に、ロランが話しかけてきた。

「お前のおかげでもあるんだぞ? とりあえず、仕事ができてほっとした」

 ロランは笑った。アイクも、顔に笑みをたたえないということはできなかった。

「今日、用事がないようだったら1杯どうだ?」

 ロランはアイクを飲みに誘った。

 明日は移動日。しかも遠征先である。

──そうだな、そうしよう

 そう思ったアイクは、ロランから差し出された手を取った。


──・──・──・──


 妻のメリーは、リビングで懐中時計の針を眺めている。

 1秒ずつ、1分ずつ、確実に針は進んでいるが、なぜかそういう気がしない。


 子供たちが心配そうに、メリーの顔を覗き込んだ。

「あなたたち、勉強は終わったの?」

 子供たちに暗い感情が伝わらないよう、メリーは笑顔を作った。

「うん。今日の晩ご飯は何?」

 ナタリーが無邪気に問いかけてくる。

「今日は、パスタでも作ろうかしら?」

 子供たちの反応を見るために、わざと問い返した。

「ミートボール入りが良い!」

 フィリップがはしゃいでそう言った。


 この反応を見るに、子供たちは何も気にはしていないようである。

 もしかすると、そのフリをしているだけかもしれない。

 いずれにしても、この明るさがメリーの心をほぐしてくれた。

「じゃあ、そうしましょう」

 メリーは立ち上がり、ミートボールパスタの材料があるかを確かめた。


 パスタはあるが、肉はない。メリーは買い物をするために、子供たちと家を出た。

 首からは懐中時計をさげてきた。

 ふだんならケースの中に入れて大事にしまっておくが、この日は、そういう気にはなれなかった。


 6月14日。

 この日はメリーの夫であるアイクが、兵士となるために家を出た日である。

 家を出る前、アイクは真鍮しんちゅう製の懐中時計をメリーに渡して

「待っていてくれ」

と、手をしっかり握って言った。出征が決まった時も、手紙で

「生きて帰れるよう、願っていてくれ」

と書き連ねていた。


 その言葉を、アイクが行方不明になってから7年以上たった今でも、メリーは未だに守っている。

──アイクの乗っていた船が撃沈した

という知らせは聞いている。それでも

──生きているかもしれない

と思っている。

 いつか時計を返す日が来るはずだと、信じているのである。


 子供たちは、すくすくと育っている。

──もう心配はいらないのよ。帰ってきて

 心から願っているが、何も知らせが届かない。

 心が暗くなることも多いが、アイクの影が見えるたびに、自分を励まして生きてきた。


 いつまで自分を励ましたら良いのか。

 先が見えないまま、メリーは生き続けている。

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