14 アイク・ウィリアムス
──今日は、大事な試合だ
タイランツとの大事な一戦である。
ゲーム差は0.5。この試合で勝てば、差はひっくり返る。
「おい、アイク」
ロッカーからグラウンドに出ようとしたとき、後ろからロラン・バークライが声をかけてきた。
キャッチャー防具を身にまとい、目には闘志がみなぎっている。
「わかってる。今日は変化球主体で行くんだろ。相手もやる気だろうからな」
アイクは野球帽のつばを直しながら、ロランの言葉に応えた。
「わかってるんなら良い。2番には気をつけろよ?」
ロランの言う通りだ。今日のタイランツの2番には、さいきん調子の良いアントニー・ロックウェルが座っている。
ここ5試合で18打数11安打。四死球の数は4つ。OBPでいえば、.682。
「ああ。あいつにヒットを打たれたら、もう仕方がないだろうな」
アイクはグラウンドに足を踏み出すと、ロランに指をさした。
「頼んだぞ」
ロランにそう語りかけ、マウンドに登る。
「もちろんだ。俺に任せろ」
ロランもまた、キャッチャー用のグラブをアイクに向けて、信頼に応える気概を見せた。
クロークハッチ・チェッカーズ対ラドウッド・タイランツ。
アイクが立つマウンドには、チェッカーズに関わる人間の期待が込められている。
──・──・──・──
アイクがプロの舞台に立ったのは、1912年のことである。
当時18歳のアイクは右も左もわからず、おどおどしている部分があった。
そんなアイクに最初に声をかけたのは、チェッカーズの捕手候補として名の上がっていたロランである。
歳も立場も近い。ロランとは2歳違いだったが
──チームのために
と思う気持ちで一致していた。
ロランにはリーダーシップがあった。
投手とは積極的に意見を交換するし、上司の言うことにしっかり耳を傾けながら、自分の軸の部分は譲らない頑固さもある。
アイクはロランのそういった所を羨んだ。
ある日、ロランに対して
「君のようになるには、どうしたら良いんだろうか」
と訊いた。ロランは大きな声で笑って
「俺なんか、そんな大した人間じゃないさ。お前のほうが立派な人間になれるだろ?」
と言い放った。
アイクは
──君が大した人間じゃないのなら、俺はどれだけ小さい人間なんだ
と思ったが、家に帰ってから思い直して
──自分は自分にしか変えられないだろうな
と、自分自身がロランのようになれるように、隠れた努力を始めた。
数年ばかりの勉強と鍛錬を経て、アイクはなんとなく、人の前に立てるようになってきた。
発言しにくい場面で発言できるようになったり、人の相談に乗れるようになったりした。
ただ、このアイクの変貌の仕方を
──人が変わったようだ
と評する人はいなかった。
もともとアイクが持っていたものが、ようやく表れるようになったのだ。そう評価された。
アイクには人を抱擁する力があった。
ただ優しい、というだけでなく、芯の強さを感じさせるようなものだった。肯定するだけではなく、きちんと批判もする。しかし突き放すようなことはしない。
アイクは知らぬ間に、チームメイトから頼りにされる存在になった。
プロに入ってからそうなるまで、アイクはメジャーな選手にはなれなかった。
それでもチームに欠かせない人格を有していたから、チェッカーズの上層部では
──アイクを球団職員として見込もうか
という話も出てきていた。
アイクに直接、話を持ち込まれたことがあったが
「俺は選手として、このチームを支えられる人材になりたいんです」
と言って、その誘いを辞退した。
この時に話を持ってきたのは、まだ新人といっても良いくらいの若手の職員で
「そうですか……」
と、明確に肩を落とした。アイクはその様子を見て
──人に使われるっていうのは、辛いものなんだろう
と、その職員の若い部分に同情していた。でも、それだけでは終わらず
「とにかく、俺はやらない。上司に伝えてくれ」
と言って、あえて突き放すような態度を示した。
この職員はゲーリック・トラバースといい、のちにチェッカーズに必要とされる存在となった。
1920年。アイクが27歳となった年のことである。
このころのチェッカーズには、のちに「ビックリ箱」と言われるほどの、個性的なメンバーが集まり始めていた。
アイクも中堅どころとなってきて、性格もあってか、チームを取りまとめることも多くなった。
チームの正捕手になっていたロランも、一緒になってのことである。
ただ、ロランは捕手、アイクは投手という立場の違いがあるから、それぞれが違うアプローチをしていた。
ロランは投手と野手のコネクトをし、アイクは投手の取りまとめ役になっていた。
──野手には居ない
ということを2人は感じていたが、これはまだ入団したばかりの、ジェイコブ・フューリーが担っていくことになる。
このころのチェッカーズは若い選手も多く、再建期といって良い時期だった。そのせいかはわからないが、ロッカーの雰囲気はあまり良くない。
負けることも多く、特に気の短い選手は、体に不機嫌さが表れることも多かった。
「畜生! 今日も負けか!」
ジェフ・オーガスタは、ハイスクールを卒業してまだ3年の選手である。
感情のコントロールが甘く、物に当たることが多い。
この時も、感情を抑えきることができずにグラブを投げつけた。
ここまでなら、いつもの事だった。だが、たまたまチームの主軸を打っていた、ドリー・パクストンの体に当たったのである。
「何をするんだ、てめえ」
ドリーは静かに怒った。チームメイトはこういう時こそ、彼の怒りが大きいことを知っている。
周囲は必死になだめようとしたし、ドリーも自分の立場をわきまえて怒りを抑えようとしたが、ジェフが食ってかかった。
「ああ? 長打も打てねえのに偉そうな口ききやがって」
周囲の顔は青ざめて、ドリーの顔は逆に赤みを帯びた。
確かに、ドリーは長打を打たないタイプのコンタクトヒッターではある。しかし、今のチェッカーズを支えている屋台骨には変わりがない。
ジェフの行為は、チェッカーズの現状を見ず、ドリーのプライドを傷つけるものだった。
「言わせておけば、大層なことを口走るもんだな」
ドリーはまだ、自身の怒りを抑えようとしている。ここで爆発させてしまっては、チームの為にならない。そう考える理性がドリーにはある。
だが、ジェフには若さもあって、そういった「チームのため」という考えが足りない。
「てめえが出ても他が返せないんだから無駄骨なんだよ。勝てる訳ねえだろうが」
呆れたように言ったこの言葉が、ドリーの我慢を無駄にした。
「この野郎!」
ドリーがジェフに組みかかり、ロッカーの中はあっという間にてんやわんやになった。
ジェフはドリーの鼻っ柱を殴り、鼻血が出て床が汚れた。
アイクは眺めず、すぐにジェフの身を取り押さえて、ドリーから引きはがした。
「ふざけるな!」
この時アイクは、初めて人を殴った。ジェフは左の頬を抑えて、アイクを睨みつけた。
「行くぞ、ジェフ・オーガスタ」
アイクはジェフの胸ぐらをつかんで、監督室まで連れて行った。
監督室で書類を整理していたゲイリー・マクドナルドは
──やらかしたか
と、わかっていたかのように眉をひそめた。
「監督、こいつを下に落としてください」
アイクはジェフの降格を直訴した。
「なぜだ?」
マクドナルド監督が問いかけてきたので、アイクは事のあらましを話した。
「こいつはチームの主軸であるドリーさんのことを侮辱し、殴りまでしました。チームのことを慮ることすらできない。いくら能力があっても、輪を乱すような人間は不要です」
アイクは語気を強めて言った。
マクドナルド監督も、納得した、という表情をした。
「わかった」
とだけ、マクドナルド監督は言った。
当然というべきか、ジェフは反論した。
「俺の言ったことに間違いは無いはずだ! ドリー・パクストンは率は良いかもしれねえが、ランナーを返せねえじゃねえか。あいつがどうやってチームに貢献してるっていうんだ?」
ジェフは悪びれる様子を見せなかった。
──こいつ
アイクは怒りを感じて、また手が出そうになった。
しかし、ジェフの方を向いたところでマクドナルド監督が口を開いた。
「ジェフ。お前はそんなに、自分がチームに貢献できていると思っているのか?」
「俺はきっちり、仕事をしている」
「確かに、ジェフは歳の割には活躍しているといえるな。だが、ドリーはそれ以上の活躍をしているぞ? 決勝打点も、得点も、得点圏の打率も、出塁率も。彼はチームどころかリーグでも上位だ」
「だから何だっていうんだ。現にチームは勝ててないじゃないか」
「そう言うな。お前はチームが苦しい場面で投球したことがあるか? チームの連敗を止めたことがあるか? 逆転の端緒になったことがあるか?」
「もちろんだ。俺が登板して、逆転を呼び込んだことだってある」
「誇りを持てたか?」
「俺のおかげだと思ったね」
「でもその分、負けた時はブーイングも凄かっただろう」
「確かに、それにイラつきはした」
「そういったプレッシャーを、ドリーは毎試合受けている。誇りも、失望も、喜びも、怒りも。おまえはたかだか、3試合に1回。成績だってドリーはリーグでもトップクラス、おまえは、歳の割に、抑えているだけだ。どこに勝っている要素があると言える?」
ここまで言われて、ジェフは黙り込むだけになってしまった。
アイクは溜飲を飲み込むことができた半面
──自分は、まだ未熟だったんだろうな
と思って、振り上げかけた拳を下げた。
「ジェフ。しばらくは下で、頭を冷やしてこい」
マクドナルド監督は冷淡に言った。ジェフは従うしかなかった。
ジェフが一足先に監督室から出た後、ドアノブに手をかけたアイクに、マクドナルド監督が声をかけた。
「アイク。ご苦労だったな」
ねぎらいの言葉だった。アイク自身、自分が大きなことをやったとは思っていない。
「いえ、チームのためです」
とだけ言った。
「チームのため、か……」
マクドナルド監督がため息をついた。
「何か、悩みがあるんですか?」
アイクはマクドナルド監督の溜息に、憂いがあるのを聞き逃せなかった。
マクドナルド監督は「構うな」といった様子で首を横に振ったが、アイクにはどうしても無視ができない。
「過ぎた言い方ですが、監督もチームの一員です。俺にだけでも話してください」
アイクは懇願するように言った。
そういう風に言われると、マクドナルド監督も無視はできなくなったらしい。
ゆっくりと、口を開いた。
「今のチェッカーズは、弱いだろう。選手も、やり辛さを感じているはずだ」
「そんなことはない……と言いたいですが、確かに、ロッカーの雰囲気は暗くなりがちですね」
「私も、それは感じている。チームに居残って活躍しているドリーや、若くてもチームを取り仕切っているロラン、それにアイクにも感謝しているんだ」
「そんなことを言わないでください。監督のリーダーシップのおかげですよ」
「実を言うとな、どうも私はスケープゴートなんだよ」
「は?」
「はは。そういう反応をすると思った。私は弱くなったチームが強くなるまでの間、その責任を取るためだけに監督をやっているんだ」
「そんなわけないでしょう? チームが弱いのは選手のせいです」
「そんなことを言うな。私も、そのことを呑んで座に就いているんだ。だから、選手にはのびのびとプレーをしてもらいたいと思っている。それには違いない」
「……なぜ、溜息をついたんですか」
「さっき、チームのためと、君は言っただろう? 私に、その言葉を言う資格があるのかと、ふと思ったんだ」
「あります。間違いなく。悩めている時点で」
「監督失格だな。選手にこんなことを言うとは……」
「そんなことはありません。……監督」
「なんだ?」
「強くなってからもその座に留まっていられるくらい、俺たちが活躍して見せます」
「選手にそんなことを言われるとはな。だが、気持ちは本当にありがたい。期待している」
「出過ぎた言い方でしたが、許してください」
「そんなことはない。君の言葉は、私の胸に刻まれたよ」
アイクからの言葉を聞いたマクドナルド監督は、晴れやかな笑顔を見せた。
──・──・──・──
1926年。チェッカーズは紛れもなく、強いチームに変わった。
アイクがマクドナルド監督とした約束も、果たすことができた。
アイクは33歳。年齢的にはだいぶ年長組になった。それでも、周りが老け込むことを許してはくれない。
以前にも増して、個性的な選手が増えたからだ。
言い争いも多いし、殴り合いに発展することもある。
それなのに何故か、いがみ合ってはいない。不思議なバランスが、この「ビックリ箱」にはあった。
今日も、だいぶ賑やかだった。そして賑やかになるたびに、アイクは仲介に入った。
基本的には、投手のリーダーとして立ち回ることが多かった。
「ジェフ」
アイクはジェフの隣に座った。
ジェフはどこか疲れた様子を見せている。
「ああ、アイクか」
ジェフはアイクの姿を見ると、グラブを磨いていた手を止めた。
「カーターとのことか? それとも、ロールスか?」
問いかけを聞いて、ジェフはうなだれた。
「そいつらも、そうなんだが……」
ジェフはため息をひとつ吐いてから、言葉を繋げた。
「カールのことだよ」
アイクは納得した。
カール・フォスターは1920年の入団から成績こそ残してはいるが、臆病が過ぎてコミュニケーションが取り辛い。
「確かに、お前にとってはもどかしいだろうな」
ジェフは以前と比べると、周りを見渡せるようになっている。だが、生来の短気はなかなか治せない。
「この前も、あいつを怒鳴っちまった」
アイクは呆れたりはしなかった。
ジェフがこういう人間であると、わかっている。だからジェフやカールといった人間を無理に付き合わせずに、どうしたら上手く共存ができるのかを模索していた。
「そう思えるのなら、あともう一歩だろうな」
──ジェフも苦悩している
そう考えてアイクは叱りつけず、善行を促すような言葉をかけた。
ジェフも、どこか気分が楽になったような顔をしている。
アイクは、このチームが深刻ではない、数々の問題を抱えていることを見ている。バランスを保てているのが奇跡のようなチームだった。
アイクもそのせいで奔走することが多いものの
──手間がかかるほど、かわいいものだ
という理論で、ここ以外のチームで活躍する、という想像ができなかった。
アイクには妻子がいる。
妻はメリーといい、1917年に結婚した。
子供は2人。兄がフィリップ、妹がナタリー。家族仲はとても良かった。
野球選手は遠征が多く、家にいられる時間は限られている。
それでも、たまに家に帰ると、妻のメリーは手の込んだ料理を作ってくれた。
「うまい、うまい」
と言ってアイクが食べる姿を、微笑みながらながめてくれる。
アイクも、そういった家族の献身を身に受けて、さらに頑張ろうという気になる。
そういった好循環が、アイクの周りにはあった。
アイクにとって家族は一番身近で、一番応援してくれる存在だ。
そういう人々のため、アイクは何事にも、負けるわけには行かなかったのである。
──・──・──・──
タイランツとのゲームは勝利に終わり、これでチェッカーズは首位に立った。
まだ油断できないとはいえ、これで最大6ゲームを離されていたところを、ひっくり返した。
この日のロッカールームは明るい雰囲気に包まれた。
普段、ずっと機嫌が悪いようなチームメイトも、この日ばかりは喜んでいた。
「アイク、ナイスピッチング」
アイクが試合後のストレッチをしている所に、ロランが話しかけてきた。
「お前のおかげでもあるんだぞ? とりあえず、仕事ができてほっとした」
ロランは笑った。アイクも、顔に笑みをたたえないということはできなかった。
「今日、用事がないようだったら1杯どうだ?」
ロランはアイクを飲みに誘った。
明日は移動日。しかも遠征先である。
──そうだな、そうしよう
そう思ったアイクは、ロランから差し出された手を取った。
──・──・──・──
妻のメリーは、リビングで懐中時計の針を眺めている。
1秒ずつ、1分ずつ、確実に針は進んでいるが、なぜかそういう気がしない。
子供たちが心配そうに、メリーの顔を覗き込んだ。
「あなたたち、勉強は終わったの?」
子供たちに暗い感情が伝わらないよう、メリーは笑顔を作った。
「うん。今日の晩ご飯は何?」
ナタリーが無邪気に問いかけてくる。
「今日は、パスタでも作ろうかしら?」
子供たちの反応を見るために、わざと問い返した。
「ミートボール入りが良い!」
フィリップがはしゃいでそう言った。
この反応を見るに、子供たちは何も気にはしていないようである。
もしかすると、そのフリをしているだけかもしれない。
いずれにしても、この明るさがメリーの心をほぐしてくれた。
「じゃあ、そうしましょう」
メリーは立ち上がり、ミートボールパスタの材料があるかを確かめた。
パスタはあるが、肉はない。メリーは買い物をするために、子供たちと家を出た。
首からは懐中時計をさげてきた。
ふだんならケースの中に入れて大事にしまっておくが、この日は、そういう気にはなれなかった。
6月14日。
この日はメリーの夫であるアイクが、兵士となるために家を出た日である。
家を出る前、アイクは真鍮製の懐中時計をメリーに渡して
「待っていてくれ」
と、手をしっかり握って言った。出征が決まった時も、手紙で
「生きて帰れるよう、願っていてくれ」
と書き連ねていた。
その言葉を、アイクが行方不明になってから7年以上たった今でも、メリーは未だに守っている。
──アイクの乗っていた船が撃沈した
という知らせは聞いている。それでも
──生きているかもしれない
と思っている。
いつか時計を返す日が来るはずだと、信じているのである。
子供たちは、すくすくと育っている。
──もう心配はいらないのよ。帰ってきて
心から願っているが、何も知らせが届かない。
心が暗くなることも多いが、アイクの影が見えるたびに、自分を励まして生きてきた。
いつまで自分を励ましたら良いのか。
先が見えないまま、メリーは生き続けている。




