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セプテンバー・コール・アップ  作者: ヒポポクロス


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18 ザック・ドイル

 8月11日の午前6時20分。

 とあるマンションの一室で、1人の男が死んでいるのが発見された。

 男の名前はザック・ドイル。

 来歴を調べてみると、もともとは野球選手として生計を立て、戦時中は兵士として出征したらしい。

 しかしながら、戦後しばらくして消息が分からなくなっていた。


 家族からのコンタクトもなく、ひっそりと暮らしていたのだろう。

 遺体が発見されたのも、隣に住む人間が異臭に気が付いたからである。

 通報を受けた警察官が、鍵の閉まっていたドアをこじ開けて開けて入ったところ、変色して冷たくなっている彼が発見された。


 ザック・ドイルという名前なのだとわかったのは、発見から時間が経ってである。

 マンションの管理人が言うには、彼は「マイク・モーリス」と名乗って入居していた。

 むろん偽名であり、彼には過去と自分を切り離す必要があったのだろう。


 周りの人が言うには、いつも具合が悪そうにしていたという。

 それもそのはずで、彼の遺体を司法解剖にまわすと、腎臓を壊していたことが分かった。

 それにも関わらず酒をよく飲んでいたようで、遺体の横にはウイスキーの瓶が転がっていた。彼の、自身の体を労わらない行為が寿命を縮めたのは言うまでもないが、そうしなければならない理由があったのだろう、とも推測できた。


 部屋の中を改めてみると酒におぼれた以外は、整然とした生活を送っていたことも分かった。

 よく掃除され、物品も整理されて、彼の遺体が発見された後に行われた遺品整理も、可もなく不可もない、といった形で行われたという。


 生前は無口な人であった、というのが近隣の人の評価である。

 話しかけても

「どうも」

と言うばかりで、まともな会話をしたことすらもない人がほとんどだった。


 しかしながら、彼と長く話したことのある人も何人かいる。

 マシュー・ラックマンという人がそのうちの1人である。

 マシューは気遣い屋で、孤独に生きようとしているザックのことを放って置けなかったらしい。

 酒の匂いがする彼を近くの喫茶店に連れて行き、そこで

「話をしようじゃないか」

と持ち掛けると、ザックは肯くことも拒むこともなく、ただマシューの前に座ったのだそうだ。


 マシューは訊きたいこともあったが、その前に緊張をほぐそうとして

「コーヒーでも飲もうじゃないか」

と持ち掛けた。

 ザック(この頃はまだマイク・モーリス)はひと言

「コーヒーは腎臓に悪い」

と言って、紅茶を所望した。

 生前の彼は、自身の体が弱っていることには気づいていたようだし、とくに腎臓が悪いことも分かっていたようだ。

「そうか」

 マシューは紅茶を頼んだ。そして彼がカップの半分ほどを飲んだ頃合いに

「何か、あったのか」

と短くいてみた。


 この言葉を聞いた彼は

──やっぱり、聞こうとするのか

という反応をしたのだ、とマシューは言っていた。それほどまでに、彼にとって過去に関する話はデリケートなものだった。


 それでも何回か話し合っているうちに、少しずつ胸の内を話すようになっていった。

 それほど辛い過去ならば、聞かないほうが良いだろう。そうマシューも思っていたが

「どうにか、聞かせてくれないか」

と、聞く覚悟を決めた。


──・──・──・──


 ザック・ドイルは、もともと野球人である。

 それも、職業としてこなした。

 この話をいぶかしむ人もいるだろう。確かに世の中には、そういった詐欺をする輩も居ることには居る。


 だが、ザックは違う。

 レベルの劣る野球を見せておきながら、勝手に客を集めて金をせびったのではない。彼は紛れもなく、トッププレイヤーの一人だった。


 この時代は、先発投手が完投を目指すのが普通である。

 しかしながら、それが上手うまくいかないことなど山程ある。

 打ち込まれた時、スタミナが持たないとき、怪我をしてしまったとき。試合によっては絶対に打たれたくない場面で、前もってリリーフを投入するときもある。

 そんな時に右腕を振るってチームを救ったのは、ほとんどの場合において、このザックだった。


 特に語られるのは1922年のシーズン。

 シーズンに2失点のみ、防御率は0.24。

 その2失点も、味方の記録されないエラーと、不意を突いたスクイズが絡んでのものである。

 リーグに所属するあらゆるピッチャーの中でも、圧倒的な数字だった。

 その時のザックはまさしく「無敵」と言えるほど、相手チームは攻略に難儀した。


 ザックは、あるいはザックを中心としたチェッカーズの投手論は、時代を動かした。

 積極的にリリーフを投入して勝ちをもぎ取っていく野球は、この当時に指揮を執っていたゲイリー・マクドナルドの選手運用の妙である。


 そんな環境の中で選手として育てられてきた彼は、革新的な野球をできているという部分で、自分は恵まれていると思っていた。

 同時に、その中で野球をできなかったなら

──自分は生き残れていたのだろうか

という面で不安でもあった。

 彼のチェッカーズに対する、ある種の依存心だったのかもしれない。


 そもそもザックは、球威が有ることが長所だといわれた一面、スタミナ面で問題のある選手だった。

 走ることは苦手、投げるにしても緊張感のある場面で100球も投げられない。

 マクドナルド監督も、そういう彼の姿を見て

──これでは先発をさせることはできない

と思っていた。それでも

──彼の持ち得る武器を、こんなことで潰すわけにはいかない

と判断したマクドナルド監督は、かれに「リリーフ」という役目を与えたのである。


 結果は、先に示した通り。

 ザックは誰も追随することのできない、圧倒的制圧力と優れたメンタリティを持つ選手へと成長した。

 ザックはいつも、マクドナルド監督への感謝を口にしていた。

 チェッカーズへの愛情も、強かった。

 そういう人間が、そこから離れなければならないとすれば、どういう苦しみがあるのか。


 世の中が戦争というものに突入した時、ザックはしきりに

「兵士には、なりたくないな」

と、言っていた。

 確かに、そのとおりである。愛着のあるチーム。なんだかんだあっても、皆が共にいられるチーム。

 そんな場所はどこにでも、あるものではない。


 だがそれは、自分たちで決められないとも知っている。

「こうなったら結局、どうしようもないか」

 そんな諦めに対する言い訳を、ザックは自分に対して用意していた。


 多くのチームメイトが先んじて戦場へとおもむくことになり、ロッカールームが寂しくなった。

 ザックは

「もうそろそろ、俺か」

と、呟いた。

 それを近くで聞いたのは、チームメイトのジェイコブ・フューリーである。

「俺かもしれないぞ」

 そう、ジェイコブは返した。

 たちの悪い冗談ではあったが、少しずつ雰囲気が暗くなっていくロッカールームで、そんなことも言わなくてはならない程に、心が乾いているのも事実であった。


 2人は重い溜息をついた。

 自分たち以外に居ないロッカールーム。騒がしかったあの光景が、とても懐かしく感じた。


「そんなに時間が経っていたかな」

 ザックが言うと、ジェイコブは首を横に振って

()()1年半だ」

と、返した。

 その割には余りに静かすぎるような、そんな気がした。


──・──・──・──


 ザック・ドイルが出征したのは、1931年の初めから1934年の終わりまでの、おおよそ4年間である。

 戦地の範囲が一番拡大していた時期のことだった。


 ザックが派遣されたのは比較的、戦争の火が小さい辺境の地だった。

 1週間のうちに、数えられる程度の小競り合いがある程度で、そこまで激しい戦闘になることは無かった。


 安心したことだろう。やれることをやっていれば、少なくとも自分が死ぬ確率は、他の場所に比べて少ない。

 戦地に就いてから4年たった後のザックは、その勘にそぐったように、傷ひとつない体で故郷に還ってきた。


 しかしながら上手く行かないのが、この時代の混沌とした空気の要因である。

 ザックの心には油断があった。

──ここでは、激しい戦闘はない

 と思っていた彼は、少しばかり準備を怠っていた。

 時代は戦火の坩堝るつぼの中にある。どこに居ても火が及ぶことに、彼は留意しておかなければならなかった。


 ザックのいた地は、敵軍の強襲用の進軍路に選ばれていた。

 兵站の攻略のために編成された強力な軍団が、彼のいる駐屯地に突き進み、そして衝突した。

 多勢に無勢とは、まさにこのことである。

 かたや土地の占有のためだけに派遣された、装備の薄い部隊。

 かたや敵の重要地を奪取しに向かう、装備の整った部隊。

 戦力差は歴然だった。


 混乱の中でもみくちゃにされ、多くの兵士が殺された。

 その中で彼は、数少ない生還者になった。

 ザックの脳裏には、銃弾で打ち抜かれた仲間の姿が鮮明にあったのだ。


 戦地での話は、良くも悪くも人の興味を引き付ける。

 ある人は戦士たちの息吹を身近に感じたいから、と言い、ある人は戦争の悲劇を論じたいから、と言う。

 しかし、どちらも人の傷をえぐる行為をしていることには変わりなかった。

 その人にとっては正義であっても、訊かれている人間にとっては、そうとは限らない。


 親戚や、あるいはマスメディアの人間は、彼の戦地での様子を聞きたがった。

 ザック自身がもともと有名人であったせいか、声はひっきりなしであったようだ。

 彼は訊かれるたびに、心の中に鉛のような鈍重さを感じていたに違いない。家族から話を聞くと、次第に言葉数を少なくしていったという。

 人伝手に聞いただけでも、眼前に映し出すように想起できた。


 戦地から帰還して2年の後、ザックは忽然こつぜんと姿を消した。

 置き手紙もなく、私物も多くが取り残された状態で、ほとんど着の身着のまま出て行ってしまったのである。

 家族は、彼が日ごろ心労を抱えていたことに気が付いていたから、心配してすぐに行方を探し始めた。


 が、手がかりがない。

 人のいない深夜帯を選び、隠れながら移動したのだろうか。彼の姿を見た者は居なかった。

 そしてその10年後に、「マイク・モーリス」という名前で発見されたのだ。


──・──・──・──


 マシューは悔やんでいた。

「自分がもっと彼の心をわかってやれれば、こんなことにはならなかった」


 その言葉に、巧く答えられる人間は居ない。

 マシューの言っていることは、よくわかる。

 苦しみの中にいると知っている人を助けられなかった、という後悔は一生残るだろう。


 だが同時にザック・ドイルが、何も物を言わない人間であったことも確かだった。

──そういう人間を、救うことができるのか?

 と言われて、うなずけるのか。


 その板挟みに遭ったマシューの気持ちに寄り添うということは、難しいことだった。

 むしろマシューの近くにいる人間ほど、近寄りがたさを感じているのかもしれない。

 そして、人々が近寄りがたさを感じていたのは、ザックに対しても同じだったのだろう。

 自分から言えないほどの苦痛。それほどの苦しみに、向き合えるのか。


 独善にならないだろうか。偽善にならないだろうか。

 皆が善人だからこそ、その恐怖に悩んだのである。


 いっそ悪人が彼をいびって、傷をえぐったならば、快方に向かったのかもしれない。

 そんなことを夢想してみても、今はもう叶わない。


 マシューは警察から、ザックの普段の生活態度について訊かれたときに

「マイクは普段、暴れるようなことはなかった」

と答え、言葉に嘘は無かったという。

 その言葉はザック自身が酒に溺れながらも、理性をもって人に接していたということでもあるし、逆に自分の心根をさらさなかった、ということでもある。


──もっと正直に生きていれば

 言いたくなる気持ちもあったが、その「正直さ」も所詮、こちらで勝手に決めつけたものだ。


 人は都合が良いように生きている。

──都合が悪い

 と感じた時、ひとまずは反発する。

 しかし、その都合という物が時代の流れにそぐわなかったら、自分の中に抱え込んで生きていくしかなくなるだろう。

 その苦しみとは、どれほどなのか。


 悩みの程度にもよる、種類にもよるだろう。

 ただ苦しみが自分の中に落とし込めなくなると、その人の本性が出る。

 ある人は他人を傷つけるだろうし、ある人は読書にふける。

 ザックは酒に逃げ、自分を傷付けた。それを思い留まらせる人間は、彼の周囲にはいなかった。


 もしも昔の仲間たちがいち早く彼の元に駆けつけて、昔と変わらないデリカシーの無さで彼に接することが出来たならば、救えただろうか。

 「マイク・モーリス」と名乗らず、また「ザック・ドイル」と名乗って過ごすことが出来ただろうか。

 善人ばかりでは、救えない人もいるのだろうか。

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