52 カール・フォスター
クマのように大きく太った体。そして丸々とした顎に生える無精ひげ。
その割には技巧派といえるピッチングをする彼は、親しみを込めて「カールベア」と呼ばれた。
クロークハッチ・チェッカーズの投手陣の中で、見た目で目立つ人間は二人。
カール・フォスターとマイケル・ケイジである。
マイケルは遠目で見ても明らかに身長が高く、また手足も長いことから「ウォーターストライダー」と呼ばれていた。
一方でカールは、背の高さもさることながら、太っていたせいかクマに例えられた。
イメージの一端には、柔っぽいあごひげも影響していただろう。
カールは体格に見合わない繊細さを持っていて、何をするにしてもチームメイトに
「なあ、どう思う?」
と聞かずにはいられないような性格だった。そして
「どうって、お前が思うようにやれよ」
と言われるのが普通だったが、こんなカールの話し相手になれる人間が多かったのも、チェッカーズというチームの特徴だった。
カールはチームに居心地の良さを感じていたが、反対に
──野球を辞めたら、俺はどこに居場所を求めたらいいんだ
という恐怖に、苛まれることも多かった。
カールは臆病者だ。人付き合いでは臆病さがネックであることも、十分に自認している。
それでも脱却ができないというのが、カールが本当に臆病者であることの証明にもなっていた。
このチームには、もうひとり臆病な人間がいる。ジャスティン・ラッセルである。
ジャスティンとカールには共通点が多かった。
それこそ体以外は、瓜二つといっても良いくらいだった。
この2人はそういった意味で、仲良くなりそうだと思われがちだった。
しかし本物の臆病者というのは、仲間同士で肩を寄せ合うこともできない。
実を言えば、ジャスティンの方が社交性がある。気は小さいが、人との会話はできる。
──自分と同じ人間だ
そう感じ取ったジャスティンは、カールに対して
「カール。今度食事にでも行こうか」
と話かけて、友人になろうとした。
しかし、カールの臆病さは群を抜いている。ジャスティンの問いかけに対して
「いや、用事があるから……」
と言って断った。
他から見れば、カールの口調がハッキリしていたこともあって
──本当に用事があるんだろう
と感じただろう。しかしジャスティンは、自分がカールと似た人間であったから
──この人は、人と関わることができないんだ
ということを察することができた。
カールは、無意識に隔たりを作ってしまう性格だった。
それは相手との間に壁を作るというよりも、自分の足元を掘って中に閉じ籠るようなものである。
壁があるのならば、壊してしまえる人がいれば良い。
だが、穴は壊せない。壊そうとすれば、中に入っている人物を生き埋めにしてしまうかもしれない。
「罠」を張っておびき出すこともできるだろうが、それはそれで、カールのことを裏切っているようで気分がよくない。
だから、周りの人間は彼に対して何をしてやることもできない。
そのことがもどかしく、どこか悲しい気分になる。
もしかしたら、カーター・フレイマンやロールス・エイブラムスよりも、カールのような人間こそが
──厄介だな
と思われていたのかもしれない。
カール「ベア」とは、言いえて妙だった。
野生のクマも本当は臆病だからこそ、自分の身を守るために人を襲うらしい。 カールも同様に臆病ではあった。
ただ、自分の身を守るために相手を攻撃することはない。その混乱が収まるまで動かない。
カールにとって人と関わるということは、嵐をやり過ごすような物かもしれなかった。
──・──・──・──
カールは戦争に怯えた。
もちろん、怯えたのは彼だけではなかったが、カールの場合は考え方が飛躍していて
「俺は死ぬのかな」
いうことを周囲に言いふらす有様だった。
戦争があったからと言って、自分が死ぬとは決まっていない。
そのことはカール自身もよく分かっているのだろう。それでも恐怖を拭うことは、戦争という原因が終わるまで、できない。
周囲の人間は支えようとした。
どれだけカールが厄介だと思っていても、どれだけ自分が無力であっても
──目の前の人間を放ってはおけない
という気持ちがある。
だが、そういった人間も、戦争が進むにつれて減っていった。
カールの知り合いとも言える選手は、だいぶ少なくなった。
周りにはタイラー・オーニールくらいで、あとは監督のゲイリー・マクドナルドと、職員のゲーリック・トラバースぐらいだった。
周囲が知らない人間ばかりだと不安になる。カールのような人間であれば、なおさらだった。
周りと断絶し、さらに孤独を深めていった。カールにはキャリアがある分、どこか空気に馴染めない。
そして、そんなカールに追い打ちをかけるように、徴集令状が届いた。
軍紀などは、カールのような人間には合わない。厳しい口調で
──弱い者は弱い
ということを、余りにも直接に突き付けてくる気風は、カールの中に在ったごく僅かな自信を、粉々に打ち砕いた。
カールは戦場に出るべきではなかった。
風呂にも入れず、ギスギスとしていて、食事も満足に摂れず、人の死が近くにある。
そういう環境に慣れられるはずが無いのだ。
──・──・──・──
カールは生還した。運が良かったのだと思う。
カールの家族も
「無事だったんだね。本当に良かった」
と、大きな喜びを見せた。
しかしカールの兄のバリーは、弟の灰色に染まった目を見て
──弟は変わってしまった
ということがすぐに分かった。
カールの心は死んでしまっていた。
この頃から、カールは無気力なまま生活を始めることになった。
カールは戦後、生家に身を寄せていた。家から出ることができず、数年を無為に過ごした。
家族は心配し、カールを何とか社会に出そうと思ったが、カールは身が入らずに失敗を重ねた。
カールの目には、失敗を悔しがる様子は無かった。
善意が無いわけではない。ただ、己が何かをする意義というものを完全に失っていた。
一方で、食欲はすさまじかった。
何かを満たしたいと思っていたのだろう。とにかく、目に付く物は口に入れた。
そんなことで心は満たせない。
周りの人が思っていたとしても、カールの耳には届かない。
カールの姿に意志というものが感じられない。見るに堪えない姿だった。
そんな様子が続いているのを見て、彼の両親は
「どうにもできない」
と、息子を家から追い出した。
カールは腑抜けた顔のまま、自分の持つべき荷物と実家を出た。
家の外には兄のバリーが、自分の車を止めて待っていた。
小さな自家用車というよりも、豪快な印象を持つ、フルサイズピックアップの車だった。
カールはバリーに手を引かれて、車の後部座席に座る。
3つのトランクに詰められた荷物は、バリーが荷台に載せた。
カールは以前にも増して太った。
バリーの持っている車は、国内でも有数の大きさを誇っている車両だったが、それでも車内が窮屈に感じるほどだった。
バリーは車の窓を開け、車内の陰気な空気を入れ替えると
「カール、出発するぞ」
と言って、レバーをドライブに入れ、ゆっくりとアクセルペダルを踏んだ。
背後にあった家が遠ざかっていく。
普通であれば少し寂しさを感じて、家へ振り返りたくなるかもしれない。
だがカールは、そんな素振りを見せなかった。
──・──・──・──
家を出てから2時間が過ぎた。
バリーの家まではあと、1時間ほど車を走らせなければいけない。
──これから、カールをどう扱えば良いんだろう
バリーは頭を悩ませていた。
家族が
「カールの面倒は、もう見れない」
と言った時、バリーは反対した。
カールは心が折れてしまっている。この状態で手を放してしまったら、カールはどうやって生きていけば良いのか。
「それなら、俺が面倒を見る」
そう提案したのは、道端で死んでいくカールの姿が鮮明に見えたからだった。
そうは言っても、カールの前途は全く見えない。
それはバリーに筋道を立てる能力が無いというよりも、カールの目が完全に塞がってしまっていることが原因だった。
目が見えず、口も利けなくなった人間を導くことは、予想よりも難しい。
手を取り、歩調を合わせ、周りの景色を言って聞かせる。そうやって注意を払っていても、どこかで転ぶ。
そして苦悩している内にも、周りは足早に去っていく。
導く人間には、周囲から遅れようとも構わない、という覚悟がいる。
立ち止まっているように見えていても、歩き続けているんだと言い張る、神経の太さがいる。
カールに無い分、自分が補わなければならないと思う。
だが、そう決意していても
──俺はもう、人の上に立つ仕事はできないだろう
と、ひしひしと思っていた。
バリーは印刷会社で働いていた。
キャリアを重ねて、会社への発注を受け付ける業務を、責任者としてこなしていた。
彼の下には何人もの部下がいる。
──カールを養いながら、部下や会社を支えるだけのバイタリティが俺にあるのか?
そう思ったのは、カールを引き受けようと決めた夜だった。
そして、バリーはカールを引き受けることを決断して、辞職した。
「いきなりじゃないか。なんでそう思うに至ったんだ」
真面目で勤勉だったバリーが、急に会社を辞めようとしたことが信じられない。上司はそんな顔をして、バリーに問いかけた。
バリーは
「家の事情です」
とだけ、話した。
彼の弟が、チェッカーズにいたカール・フォスターだということは、会社の中でも知れてる。
そして、その影響でチェッカーズびいきになった同僚もいる。
そういった人たちに
──弟のカールが廃人同然になっている
と言うことは、カールの尊厳のためにも、できなかった。
「カール、着くぞ」
バリーは、反応をろくに示さないカールに話しかけた。
「ああ」
カールが返事をした。それだけでも、嬉しさを感じるほどだった。
郊外の一軒家である。バリーはカールの為に引っ越した。
人の匂いが濃いが、それでも少しばかり行けば自然がある。
──今のカールには、こういう場所のほうが良いだろう
バリーはそう考えていた。
バリー自身には妻も子供もいない。女っ気が無い学校へ行き、女っ気が無い職場で働いているうちに、いつの間にか結婚するチャンスを逃していた。
気が付けば52歳。
周りの同年代の人間には、すでに孫ができている人間もいる。
羨んでもいるが、もう自分にはどうしようもない。
行き遅れた独身者が、廃人も同然になった弟と同居する。
──俺も哀れになったもんだな
そう思わないでもないが、同情する人はいない。むしろ気味悪がられるのが普通だろうと、割り切った。
2年が経ち、バリーは新しい仕事を懸命にこなすうち、近隣の人に認められるようになった。
だが、カールについては関わりたくない人が多いらしい。
バリーは、カールにも社会に出てほしいと思っている。そして、行動にも移した。
近くにある小売店や飲食店などに就職を掛け合った。
最初は快く受け入れてくれていたが、次第に
「あんたの所の弟は腑抜けだ。役に立たない」
と言われるようになり、ことごとくクビになってしまった。
──思えば、子供の頃からヘマが多かったな
そう思い出した。
細かい作業ができず、頭の回転も鈍い。
体格に恵まれ力持ちではあったが、それがいつも邪魔をする。
家族も補おうと熱心に教育をしたが、それが却って、彼を委縮させてしまったようにも思う。
──どこで、間違えたんだろうな
それはカールだけの話じゃない。バリー自身も、そして家族全員の話でもある。
バリーは今、運輸業に従事している。
毎日のようにトラックを運転して、遠くの街に物を運ぶ。
休みの日に家に帰ると、カールに
「風呂に入れ」
というのが習慣になっている。カールはそうでも言われないと、体を洗わない。
せめて周りの人を不快にさせる存在にならないよう、注意していた。
普段の身だしなみは、その中のひとつである。
カールはいまだ、食欲が旺盛だった。
食べる割に運動しないで、贅肉が付きすぎなくらいに付いた。そしてその割に、足は細い。
バリーはカールの運動不足を解消させるために、散歩に連れて行った。
──向こうの丘まで
などと決めて外に出るが、カールにはそれほどの体力すら無い。だから、できるだけ道を大回りして帰る。
生活が不安になった。だいいちトラックを運転している間、カールがどんな生活をしているのかも、わかっていない。
バリーは医者に連れて行き、カールの体をチェックしてもらった。
カールは糖尿病だった。
具合が悪くなっている素振りも見せていなかったが、医者には
「糖尿病は、そういう病気なんです。気が付いたら悪くなっている」
と、言われた。
それからバリーは、前にも増してカールに付きっきりになった。
そして同時に、自分の仕事の手伝いもさせた。トラックの助手席に乗らせ、各地の風景を見せ、必要があれば辺りを散歩もした。
50代も半ばになったバリーには、仕事に辛いものがある。
それでもカールの「病状」が良くなるのを、近くで見れた点については、恵まれている。
──カールもいつかは、独り立ちができる
そう信じられるのは、幸運なのだ。
──・──・──・──
カールも51歳になった。
バリーは58歳。それでも今の仕事にやりがいを感じ、はつらつとしている。
カールは前に比べると表情が明るくなり、近くの小売店で働けるまでになっていた。
人と話すことになっても、以前のようにおどおどとする様子は、もう無い。
一方のバリーも、この歳になってガールフレンドができた。
彼女は41歳。だいぶ年下だったが、ふたりで居るときはよく笑っていた。
最初は彼女も、カールの存在を不気味がっていたが
「あいつは、何もやましいことなんてない」
とバリーが言ったことを
「これから付き合う人の言葉を、信じられないのはいけないわね」
と、受け入れてくれた。
カールにとっても彼女の存在は心地よく、ふたりの会話をそばで聞いて、大きな腹を揺らしながら笑ったりした。
──幸せは、いつ来るかわからない
バリーもカールもそう思っていると、一人の珍客があった。
「カーター。何をしに来たんだ?」
隠そうと思っていても言葉の端に棘が出てくるのは珍客、つまりカーター・フレイマンの人格を、知っているからである。
「そう固くなるな。少し、おしゃべりをしに来ただけだ」
カーターは年を重ねたせいか、チェッカーズにいた時よりも落ち着いている。
家に入り込んだカーターは、ソファに腰を掛けた。
「そこは姐さんが座っているところだ。こっちに座れ」
カールは自分の座っている場所を明け渡した。
「わかったよ。お前は?」
「立ってるさ」
「でだ。あらためて、何でここに来たのかを聞かせてくれよ」
「ああ、思い出話でもしようかと思ってな」
「思い出なんて、俺には無いようなもんだ」
「いつも隅にいたもんな。それでも、覚えていることはあるだろう?」
「当然だ。お前のことも忘れられないよ」
「皮肉か。そんなことを、言えるようになったのか」
「ああ。少しだけ自信が持てるようになったんだよ。お前、今は何してるんだ」
「少年野球のコーチをしてる」
「お前がか? 今のご時世、受け入れられる奴なんているのか?」
「いや。だから、いつも試合ができるかはぎりぎりだよ」
「だろうな」
「まあ、報いってやつだよ」
「そんなことを言うなんて、珍しいじゃないか」
「思うところが、いろいろあってな」
「……ラッセルはどうしてる」
「軟禁中だよ」
「なぜ?」
「毒ガスを作ってたらしい」
「うそだろ?」
「本当だよ。あいつは、そんな事を望んでする奴じゃない。作らされてたのが実情だろうが、それでも責任を問われたらしい」
「思うようにはいかないな。俺もそうだったよ」
「軟禁されてたのか?」
「違う。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「糖尿病になってな」
「そうだったのか。体の調子が良くないのか」
「今は大丈夫だよ。薬ももらってるし、案外動ける」
「そういわれてみれば、やせたな」
「そうだろ」
「……なあ、カール。今から話すことは、お前の体に毒になるかもしれない」
「毒って、大げさじゃないか。思い出話なんだろ?」
「そうだ」
「なら、話したほうが良いんじゃないのか」
「なら、そうだな。どこから話そうか」
「どこでも良いぞ」
「……ジェイコブが、いまチェッカーズで監督をしているのは知ってるか」
「もちろん。あいつはリーダーに相応しいと思う」
「そうか。ほかの仲間については聞いているか?」
「そういえば、知らない。どうなったんだ?」
「お前から聞いてくれ。そうすれば答える」
「回りくどいな。じゃあ、タイラーは?」
「ジェイコブが監督をやっているのを知っているんだろ? なら、タイラーがコーチをしてるのも知ってるはずだ」
「マイケルはどうなった?」
「マイケル・ケイジか。あいつは戦争中に病気で死んだよ」
「ロランは?」
「ロラン・バークライは、帰還中に戦死した」
「アイクは」
「アイク・ウィリアムスは行方不明だが、死んだだろう」
「マイクは、どうなった」
「マイク・ロッティはヤクで捕まって、治療中だ」
「ロールスはどうなんだ」
「ロールス・エイブラムスは爆撃に遭って死んだ」
「……サイモンは?」
「サイモンか……あいつは戦争から帰ってきたが、強盗にあって死んだよ。これ以上、聞きたいか?」
「いや……そうか……」
「泣くな。俺が泣かせたと思うと、ムカッ腹が立ってくる」
「俺は……俺は仲間がいなくなったことに泣いてるんじゃない」
「なら、どうしたんだ」
「仲間がそんな目に遭っていたのに、何年も抜け殻のようになって生きてきた」
「そうか、お前も辛かったな」
「違う。仲間やその家族が辛い思いをしてきたっていうのに、俺だけ甘えて生きてきたんだ。そのことが申し訳なくて、堪らない。すまなかった。すまなかった……」




