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債務奴隷解放宣言  作者: 大垣 壽雄
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16、倒産五周年記念パーティー

16、倒産五周年記念パーティー


思えばとんでもないことを思いついたものである。人間がこの世から消えた時の儀式が葬儀であり、死者の供養のために命日などに行う仏事を法事という。会社の法事をやろうという話はあまり聞いたことがない。というより前代未聞である。

言い出したのは、フロンティアの財務部長をしていた宇梶である。彼は立場上最後まで大滝に付き合って残務整理をしてくれた男である。

税理士の資格を取った宇梶は、大滝経営戦略研究所の顧問税理士を引き受けていた。

大滝は、自分の会社のことに限らずクライアントのことでもアドバイスを求めて、重宝していたし、宇梶の顧問先の紹介もしていた。つまり、ギブ・アンド・テイクの関係である。

宇梶は、ひそかに散り散りに散っていった仲間たちとメールのやり取りをしていた。そして、心の通い合うメンバーだけでもいつの日かまた、飲み明かすような機会がないものかと考えていたのである。冗談半分に倒産5周年記念パーティーの話を何人かに持ちかけると、その火の粉はたちまちのうちに燃え広がったというのである。

大滝にとっては複雑な思いのその日、懐かしい顔がぞくぞく集まってきた。

「社長ご無沙汰していました。お元気そうで何よりです」

口ぐちに言いながら握手を求められる。

大滝は胸が詰まる思いで「しばらく、あの節は迷惑かけてすまなかった」「元気そうで何よりだな、その後お母さんは達者にしているか」「いま、何をしている?」などとあいさつを交わしていた。

「社長!お久しぶりです。ご無沙汰していてすいません」ひときわ大きい男、川添が姿を現した。

「やあ、しばらく、あのときは心配かけてすまなかった」

「いいえ、とんでもない。お力になれなくて・・・」

川添は、水戸店で採用した後宇都宮店長として実績を残してくれた若手のホープであったが、大滝にとって忘れられない思い出がある。それは、大滝が悪戦苦闘のさなかにいたときのことである。

「社長、いろいろ大変でしょう。少ないですが、これを役に立ててください」と言って差し出したのが、預金通帳と印鑑であった。通帳を開くと残高が二百三十万円ほどあった。

「ありがとう!気持ちはうれしいが使わせてもらうわけにはいかないよ。私もできるだけがんばってみるから心配しないでくれ」

「これくらいでは、焼け石に水だとは分かっていますが、私の気持ちです。そういわずにぜひ役だててください。お願いします」

大滝は涙が出るほどうれしかった。独身とはいえお金を蓄えるのには相当の覚悟がいる。決して多いとは言えない給料の中から預金してきたものを使ってくれ、という心意気に感動した。

「君の気持はありがたく受け取った。だから、これはひっこめてくれ。頼む」

「そうですか・・・」言いながら肩を落として本部を後にしていく川添の後ろ姿が、いまも大滝の脳裏に焼き付いている。

桜田の顔があった。彼は県庁前店の最後の店長であった。

県庁前店は、明らかに立地条件の選定が間違った店であり、大滝が会社の整理に手を付けた時、最初に撤退を決めた店である。

栃木県庁と宇都宮市役所を結ぶ道路の一本裏側の道に面した店で、大滝が宇都宮でも数少ない駐車場を持たなくとも成り立つ店だと考えて出店をした店であった。

昼間に人通りが多いこと、県庁をはじめ官公庁,電話会社、郵便会社、証券会社などのオフィス街で

昼食時の混み具合などから、繁盛間違いなしとふんだが結果は裏目に出たのである。

昼食時の混雑ぶりは予想どおりであったが、客単価の上がる夕食時はオープン景気が終わると客数は予測をはるかに下回ったのである。

フードサービスの売り上げは、ふつう客単価に客数をかけた数字であり、客単価は一人当たりの飲食個数に平均商品単価を乗じた数字である。肝心の客数が伸びない理由は多くの周辺の見込み客が仕事の帰りにもう一つ外側へ流れてしまうことが分かった。

開店準備の前にある程度の調査はしたものの、客の流れを読み切れなかったことが災いしたのである。

一般的な見方によればよい立地ということで、敷金や家賃が高く店づくりに金をかけ過ぎたため投資効率が悪かった。

そんな理由から桜田が店長をしていた県庁前店は、撤退の優先順位が高かったのである。

飲食店に限らずお店の立地の選び方は難しい。道路一本の違いが距離にすれば何キロにも匹敵するのである。

大滝にすれば、いずれは全店撤退する覚悟をしているのでほかの店長と同じ運命をたどることになるが、そのことを口にすることはできなかった。その理由は社員が、全店撤退、すなわち廃業することが分かるといっぺんにモチベーションが下がり、店が荒れてしまうと考えたからである。

桜田は店の掃除も終わり、ほかの店員も退社し一人営業日報を書いていた。

「桜田君、終わったらこちらへ来てくれ」

「はいっ」

間もなく桜田はいつもの習慣でメモの用意をして大滝の前にすわった。

「お疲れ様、単刀直入に言うが、驚かずに聞いてほしい」大滝が言うと桜田は緊張気味に居ずまいを正した。

「はい、何でしょうか」

「君も知ってのとおりこの店の成績は相変わらず業績が悪い」

「私の力不足で申し訳ありません」

「いや、君のせいだけではありません。この場所に出店をした大きな責任はわたしにある。会社の体力も相当落ちている。ついてはこの店を閉めたいと思う。そこで君に会社を辞めてもらいたいのです。突然のことで大変申し訳ないとは思うがこの話、ぜひとも承知してほしいのです」

桜田の顔色が青ざめたようである。無理もない、業績不振とはいえこのところ、本部負担費を計上できない状況ではあるが、店舗だけの独立採算では赤字にはなっていない。本人にすればもう少しのところだと思っているはずだ。

しかし、大滝にとっては決めた順に店を閉めなければならない。

しばらくうつむいていた桜田が顔を上げた。

「社長、私にもうしばらくチャンスを頂けませんか。そして、私に悪いところがあれば、指摘してください。必ず直します」

「君に落ち度はない、それは私がいちばんよく知っている。しかしこの店は撤退しなければならないのだ」ともすれば崩れそうになる気持ちを振り切り大滝はいった。そして、この店へ来る途中、どんなに辛くても必ず桜田を辞めさせなければ本部へ戻らない、と自分に言い聞かせながら来たことを思い返していた。

「社長、私の給料を減らしても結構ですからもう少し使ってくれませんか」

桜田が、妥協案を出した。

「すまん、それもできない」

「ほかの店へでも・・・」

「すまない、桜田君」

大滝は、いずれフロンティアの店は一つ残らずなくなるのだ、と言いかけた言葉を喉元で抑えた。

しばらく、沈黙の続いた後、絞り出すような声で桜田が言った。

「わかりました。それでは将来また店を増やす状態になったときはわたしを使ってください。それまで、私は父の仕事を手伝って待っています」

「承知した。そんな日がくるよう私もがんばってみる」

2人は店を閉め、近くのバーで閉店スケジュールなどを話し合いながら酒を飲んだ。

あれから、何年経ったことであろう。

「社長、ご無沙汰しております。お元気そうでなによりです」

「桜田君も元気そうでよかった」

大滝は心ならずも退社を勧告したあの日を思い浮かべながら桜田の手を握った。

「いま何をしている?」

「社長お忘れですか、私は日光で父のやっている建具屋の手伝いをして、社長の復活を待っていたのです」

「すまなかった」

「いえ、いやみを言うために来たのではありません、社長の元気な顔を見られただけでうれしいのです」桜田が目頭をうるませているのを見て大滝の胸が、きりりと痛んだ。

洋菓子店に勤めている関口勉が最後に駆け込んできた。彼は、フロンティアのコックの中でも洋菓子やデザート作りでは皆から一目置かれる存在であった。いまでもクリスマスになると決まって大滝が好物のロシアデコレーションケーキを贈ってくれている。

総勢二十名あまりの顔が揃った。

ホテルのロビーにある催事の案内には“フロンティア同窓会”と書かれてあった。

乾杯の後立食のテーブルを囲んで話に花が咲いていた。

1人ひとりとの物語があり、1人ひとりとの別れがあった。

参加者の3分間近況報告会が始まった。

いまの職場での苦労をなげく者もいたが、物足りなさを話す者、いまの同僚との連帯感のないことを訴える者など、それぞれであったが、一応にフロンティア時代を懐かしんでいることがわかった。

大滝は、あれからの数年間「自分は独りだ、自分には一匹狼がお似合いさ」などと自虐的に自分に言い聞かせてきたことを恥じた。俺には、こんなにいい仲間がいたのを忘れるところであった。そんなことを考えていたときである。

「皆さん、それではここで大滝社長のあいさつをお願いいたしたいと思います」

幹事役の宇梶が頃合いをみて大滝を壇上へ招いた。

拍手の止むのを待って大滝がマイクを持った。

「皆さん、ご無沙汰しておりました。本日皆さんの元気な顔を見せていただき、また声を聞かせていただき、ありがとう。この不況の中で皆さんそれぞれの分野でご活躍の様子、本当にうれしく思います。お蔭さまで私も会社の整理も終わり、新しい仕事に恵まれて頑張っています。早いもので最後の店を閉じてから五年が過ぎようとしています。あの時はご迷惑をかけました、心からお詫び申し上げます。こうしていま、思い出しただけでも胸が痛みます・・・・・」

「・・・・・・・・」

大滝のスピーチのうまさはみんなが知っているだけに、その沈黙にかたずを飲む。

「・・・・・今日はありがとう。・・・・あの節は本当にすまなかった・・・」

大滝は泣いていた。

「・・・・・」

いいたいことは山ほどあった。言い訳したいことも多々あった。しかし、声にならなかった。

心根のやさしい大滝が、臥薪嘗胆、鬼と化し、復活することを自らに誓って辛酸をなめてきた一部始終を宇梶は知っている。

宇梶は大滝の絶句する姿を見て胸をつまらせながら思った。沈黙こそ雄弁というが、多くの仲間は、大滝の絶句の奥にある心の叫びを分かち合っているに違いない。

設営や受付などの手伝いをするために参加していた明美が片隅で泣いていた。

突然拍手が沸き起こった。みんなが大滝をいたわり、激励する拍手であった。共鳴現象を起こしたような拍手はしばらく鳴りやまなかった。

温かいざわめきの中、夏の夜は更けていく。



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