姿無き者
深千代玲菜。
同学年ではその名を知らぬ者はいない有名人。ベクトルの集中。「映え」の到達点。
腰上まで伸びた黒髪は艶を帯びて美しく揺れ、同年代と比べても落ち着いた所作も伴って美的ステータスを底上げしている。
当然の様に制服の着こなしにもセンスが表れ、他者より目立つだけではなく先導者となりモードを作る。そして噂を聞いてハードルの上がりきった他校生すらも実際に会えば度肝を抜くその整った目鼻立ち。
彼女の説明には事欠かない。むしろどこを褒めたたえるかという点の多様性においては日々新たな論説が生まれておりさながら深海ないし宇宙の神秘に等しい。
そんな美の深淵なる彼女が書店部などという自衛隊じみた組織に入部し、エプロンをかけて人々に接客しているという事態は単純に言って利益を生んだ。素直に会話をしたい同級生、彼女の作る売り場のセンスを拝見したい他校生、そして数多有象無象たる様々な思惑を持った人ヒトひと……。彼女が入部してしばらくは新星大学部附属高校書店部の開店以来の混み具合であったという。
人格者であった彼女は客に媚びもせず、ただし先輩や教諭には上手く気を使い、ある種の一線を越えないラインで絶妙な立ち回りを演じていた。彼女の本心は誰にも分らなかったが、それ故に深千代玲菜はこの栄華が卒業まで続くものと思っていた。
しかし、その思惑は初年度の夏に早くも瓦解する。演劇部と兼部していた悠里……瀬名悠里がその内の片方を退部し、書店部に本格的に参加し始めたのだ。これは玲菜には当初、大きな誤算だったはずだ。中学時代に心をへし折ったはずの幼馴染が自分と同じステージに再び名乗りをあげてきたのだから。
二年のあの冬を迎えるまで私は何も知らなかったのだが、中学時代を知る人々にとって瀬名悠里という男子生徒はある種の禁則事項に近い存在であった。
曰く、教育実習として赴任してきた女子大生と恋仲になり別れさせられた、とか。
その腹いせに体育館の壇上の幕を引き裂き、火を点け大騒動となり停学処分をくらったとか。
玲菜が褒めるに事欠かない存在だとすれば、悠里は貶すに余りある存在だった。
しかし高校生にもなると元同級生たちも分別がつくのか、あるいは誰かによる統制が敷かれていたのか、悠里の素性についてはほとんど高校内で語られることはなかった。様々な悪事が抜け落ちて、結果的に高嶺の花こと深千代玲菜と仲が良かった男子生徒というキャラクター性だけが残ることになる。
そんな彼が書店部に入り初めに提案したこと。それは生徒と書店の安全の確保であった。
確かに現在の書店部は一部の生徒の人気によって昨対110%という好調な売り上げを推移している。しかしその一方で客層の悪化も各所で懸念されており、最近では当校と全く縁のない芸能事務所の所属タレントとカメラマンが店先に現れ、どこぞから入手した書店部のエプロンを着て勝手に撮影会を開き始めたりなどしている有様だ。元は玲菜目当てのスカウトのはずだったのだろうが、それが紆余曲折を経て彼女の後釜を狙う女子高生たちの披露の場となってしまったようだ。
元より生徒のみならず近隣住人からも治安の悪化を不安視する声があがっていたこともあり、悠里の案…入店者の規制と外部施設の配置変更…は、一年生ながらも高い評価を受け、ただちに実行され成果を上げる。ちょうど「人の噂も七十五日」という風潮もあり、秋を迎える頃には玲菜ブームは沈静化していた。
この一件と日々の努力の甲斐あって、書店部での一年を終える頃には悠里は玲菜に並ぶ書店部の期待の新人として重宝されていた。一見すると中学時代の問題児である瀬名悠里の更生に関心させられるのかもしれないが、後に彼らの同級生に話を聞くと、『結局元の形に戻った』と、皆口を揃えて中学時代の再現だと言うのであった。
……私が思うに、悠里の例の提案は玲菜の身を案じてのものではなく、むしろ属性的には対極に近いものだったのではないだろうか。結果として悠里たちの前の世代の店長と親しかった悠里が玲菜を差し置いて店長となり、その実績を足掛かりに生徒会長にまで上り詰めようとしていたわけで。もしその安全対策案が無ければ、彼らの世代の書店部は玲菜の一強状態だったかもしれない。
……まあ、最終的に玲菜は生徒会長になり、一方の悠里は最終学年はほぼ幽霊のような存在にまで堕落してしまったのだが。
書店部部長=店長となった悠里は順調に店舗運営を行っていたけれど、秋口にあの第二附属の二乃舞亜理亜が介入しだした頃から少しずつ歯車が狂い始める。前年の玲菜による売上訴求効果を忘れられない愚かな理事長の後押しもあって、今度は二人セットにして店の見世物として売り出し始めたのだ。
これも勝負と捉えたのか、あるいは二人が生真面目なだけなのか。悠里と玲菜の努力の甲斐あって、当時の書店部の売り上げは再び伸長し、たまに雑誌などに取り上げられるなどもして多方面で成功を収めた。私はこのまま、二人が並んで歩く姿を後ろから眺めながら高校生活を終えるのだろう。そう思っていた。
しかし、その年の、二年生の冬に、二人の間に何かが起きた。
それは形容しがたい事態だった。私はそれが起きた直後の深夜に、憔悴しきった悠里を行きつけのファーストフード店で介抱している。その時の彼は、何かがあった後にも関わらず、確かに深千代玲菜を愛していた。
裏切りにも様々なかたちがあるだろうが、少なくともそのときの悠里は彼女のことを憎んではいないようだった。そういう意味では高校時代に時折見せていた暗く冷たい表情を、その日を境に彼は浮かべなくなった気がする。
真実が彼から語られることはなく、そこにたどり着けなかった私は、彼の傍に寄り添い、彼の為に自分が変わる決意をした。そしてその後の茨の道から今日までの出来事は今更語るまでもない。
とにかく、一年の時の悠里の提案が玲菜の王座を脅かすための復讐であったとしたならば、そしてその流れが旧友たちには昔見た光景であったならば、これほど歪な関係は無いだろう。瀬名悠里と深千代玲菜はいつからか互いを憎み合い、それでも離れずに傍に居続けた。
互いに学校のトップに君臨するために幼い頃から切磋琢磨してきた仲? そんな生易しい間柄ではない。現に悠里は中学・高校と二回も人生に挫折し、生涯を棒に振ろうとしてしまっている。
詰まるところ、私、秋篠奈留がこの大学に籍を置くのは、この謎の探求のためなのである。
そして、できるならば、悠里の隣に居続けたい。
そのために、私は玲菜を――。
…………。
……。
数年ぶりに見たかつての親友の顔は、少しやつれて疲れが色濃く浮き出ていた。あの誰もが憧れた長い黒髪は後ろで無作法にまとめられ、着込んだスーツこそ整っているものの、挙動からは苛つきや居心地の悪さがありありと感じられた。これは普段に習慣として行うようになってしまった行動が無意識に出ているのだ。かつての彼女なら外には出さないでいたであろう部分でもある。
「あなた、こんな時間まで学校に残って何をしているの?」
「知ってるでしょ? 本部様お抱えの終星同人会のメンバーだもの」
彼女は私の社交辞令にも応じずに厳しめの口調で質問してきた。なので私も彼女に倣って素で話すことにする。
「あんな破落戸の集まり、新星大学の汚点だわ。こっちには日々過激な描写に対する批判の電話が来て対応に苦慮しているのよ」
「それはあなたの仕事の範疇でしょう。創設時に設けたガイドラインに抜け穴を作った当時の社員に文句を言うべきよ。私達だって迷惑をかけないように活動しようと心がけている。グレーゾーンの人たちはしっかり本部が手綱を握っておいて欲しいものね」
肌を伝う冷気よりも冷えて鋭い言葉の応酬。
予想はしていたけれど、私と玲菜ちゃんの相性は最悪になっていた。元より彼女は集団における中心的存在で皆を引っ張っていくタイプ。かたや私は吠えもせず、常に誰かの後ろでうずくまっている臆病者。そこに更に、運営と同人、そして親友を傷つけた者と傷つけられた者という複雑な関係が付随する。はっきり言って私は玲菜ちゃんに対してとても多くの重い感情を抱いている。それは、別に全て彼女の影響というわけでもないが、私の表面の性格を変化させるほどのものだ。
「……ずいぶん変わったわね、秋篠さん」
「変わったよ。誰かが変われなかったから」
もしもあの人が変われたなら、私は彼が時折見せる寂しい表情もひっくるめて隣で無邪気に明るい笑顔を見せているだけで良かった。でも、そうはならなかった。多分悠里は、まだ心のどこかで深千代玲菜のことを……。
「……はぁ。いい、頭が冴えていくよ」
「いい年してそういうノリは受け入れられないわよ」
私は能力系バトルもの小説の主人公みたいな気分だった。
一方の玲菜ちゃんは腕を組み、時折時計を見やるなど明らかに苛立っていた。恐らくはこのクリスマスも早朝から今の今まで仕事に追われていたのだろう。どうやら年末に一部の大学館のリニューアルを予定しているらしく、その打ち合わせや取次、版元との調整に膨大な時間を割いていると聞き及んでいる。
「打ち上げをするのは勝手だけど、大学と書店の名を汚すことのないよう注意しなさいよね。秋篠さんはお酒に弱そうだしそっち方面も心配して……」
「……ああ、うん。毎回酔った勢いでどうにかしてやろうと思っているんだけど、上手くいかないね」
私の冗談まじりの言葉は、ある意味で一番彼女の神経を逆なでしたらしい。非道徳的だからだろうか。実際はそういう場面では私は一滴も飲んではいないのだけどね。
目が慣れてきたとはいえ薄闇の支配する深夜帯のため、彼女が下を向いてしまえばその表情は伺い知れなくなってしまう。
「……」
「玲菜ちゃん?」
「……」
「戻りなさい」
先ほど一瞬見えた激情のようなものは彼女の表面から消え失せ、代わりに酷く深刻な表情を浮かべていた。これは何を意味するのだろう。
「探しているの、彼を」
「ここにはいないわ」
「信じられない」
その言葉は自分でも驚くほど冷気を放っていた。あの玲菜ちゃんが鼻白むほどである。
だってそうでしょう。玲菜ちゃんは私が愛する人が愛していた人で、その人を何度も傷つけた人で……。
…………。
「ねえ、二人の関係はなんなの?」
二人が誰と誰を指すのか、なんて口に出す必要もない。
これを聞ける機会は二度と訪れないと思っていた。そして今日を逃せば二度と開かれることもない真実への足掛かりになるかもしれない。
額にじんわりと汗を浮かばせながら、私は彼女へと切りかかる。
「何も」
「彼はね、一度だけ、一言だけあなたとの関係を話してくれたことがあったの。大学書店部の飲み会で先輩たちにどんどんお酒を注がれて、私が付き添って家まで送ったときにそれとなく聞いてみたらね」
「『俺とあいつは魔王と魔王だ』って」
「……そう」
「それって、二人が互いを憎み合っているってことだと思ってるのだけど、どうかな」
私が彼女の嫌がるような表現をいくつか用いて挑発しても、玲菜ちゃんは最小限の反応しか見せない。およそ魔王なんていう表現には良い印象が無いので、二人の歩みも踏まえて支配的で力に溢れた者同士が覇権を争っている、といった含みを感じたのだけど、合っているのだろうか。
内心ではこのタイミングで悠里と玲菜ちゃんが同じ場所に存在するという事実から、もしかしたら二人は付き合っているのではないかという不安すら過るので、何とかして事実に近づきたいところである。
「も、もしかして二人って、実は付き合ってたり」
「今度それを言ったらサークル潰す」
「……ごめん」
……とっさに口に出してしまった。ああ、もう。
「私じゃないわ」
「そうなんだ」
その言葉は何故か真に迫る響きがあったので、私はつい安心させられてしまう。
そこから、しばらく無言の時間が続いた。
私が数年かけてまとった似非名探偵という論理的装甲はもはやほぼ瓦解している。自らの発言による自爆というのは何とも情けない。
……やっぱり、今日のところは仕切りなおそう。
一際強い風が吹いたのをきっかけに、私は別れの言葉を切り出そうとした。
「ひとつ」
「――え?」
しかし、一瞬早く玲菜ちゃんが口を開いた。
気が付けば彼女の所作から疲れや苛立ちが消え、かつての途方もないような存在だった深千代玲菜の在り方を成していた。
「こんな夜だからあなたの問いに応えてあげる」
それは予想外の発言だった。そして自分の望んでいた展開であるはずなのに、私は今、この夜で一番の寒気を感じていた。
「『魔王と魔王』というあの子の言葉にはもう一つ意味がある」
「え?」
目を瞑りながら言葉を紡ぐ玲奈ちゃんは、何故かとても純粋に見えた。
それが瞳が隠れているからだと遅れて気がつき、いかに彼女の目元に魔力が宿っていたのかを認識させられた。
そんな印象の子が他にもいた気がするけど、目の前の彼女のことで頭がいっぱいの私に思い出せる余地はなかった。
「でも、それをあなたが知ることは永遠に無い」
そして、その一言を言い放つと同時に開かれる魔眼。まるでその影響力を自身も十二分に把握しているかのようだ。
実際玲奈ちゃんは元演劇部員のようだし、そういった術はお手のものなのかもしれない。
……そういえば、悠里も元々は演劇部にいたんだ。
何か意味があるのだろうか。
「これは呪い。私とあの子を繋ぐ、あるいは断絶する、どうしようもない運命」
……。
……。
その言葉の凄みに、彼女の相貌から伝わる魔力に、私は思わず言葉も出ずらその場に立ち尽くしてしまう。
そして玲菜ちゃんは、校門の方へと踵を返して、そのまま闇夜に消えてしまった。
……何がいい年してそういうノリは、よ。
最後に演技力の差をまざまざと見せつけられてしまった。
「……っ」
しかし、あの言葉が単にそれを誇示するための虚言だったとは思えない。
二人の過去。そこに何かがあるのは分かる。
演劇部に何か交差する部分があるの? 魔王という言葉にすぐに反応できたのは何かを知っていたから? でも彼女には想像力があるから一概にそう決めつけるのは危険な気が……。
…………。
思考を止めてはいけない。
もうこんな顔になってしまっては悠里を探すことはできないけど、せめて元の状態に戻ってからじゃないと和佐君たちにも怪しまれてしまう。
「……まだ、遠いみたいだ」
出口の光は相変わらず見えないけれど、時間をかけてこの謎に挑み続けるしかない。
一体、二人の間に何があったのか。私は命を懸けて挑む覚悟を今再び胸に刻んだ。
動悸を抑えるために真冬の芝生にしゃがみこみ、私は私が帰ってくるのを少しずつ待った。
うずくまる様子は、傍から見たら何か人ではない不鮮明な、それこそ蜃気楼のように朧げな姿の投影であったに違いないだろう。




