冬の蜃気楼④
次の日、俺は奈留の要望にあった展開場所の写真を送り、去年児童書を担当していた先輩にいくつか質問を試みた。昨年クリスマスの展開を行ったのは経営学部の現四年生の先輩であり、やはりというか女子だった。就活も終えて残りの学生生活を書店部に費やそうとしている、奉仕の体現者とでもいうべき人だ。
「あ、悠里…『くん』だったんだ。児童書担当でその名前ならてっきり女の子かと思ってたー」
「そう、ですよね…」
ほら、やっぱり男が児童書担当ってみんな不思議がるじゃないか。
俺は密かに
「亜り…二乃舞先輩に突然任されちゃって、もう何から始めればいいやらという感じで…」
「あー、あの子は凄いってみんな言うよね。社長のお気に入りだし」
一応は先輩にあたるので、亜理亜の名前を人前で出すときは呼び捨ては控えている。一部では俺が亜理亜の犬だとか至流の妹(出所不明。不本意)だとかいう話を聞くが、この大学書店という大グループの中ではそういった噂も隅々までは行き渡らないようだ。良かった。
「でもでも、その二乃舞さんの目に留まるってことは期待されてるってことだよ? 悠里くんは高校から書店部?」
「はい、一応」
「じゃあそれかなぁ。ただ今年の一年には優秀な子、いるよね? 二次元から飛び出してきたみたいな子」
……。二次元からというくだりはともかく、俺たち一年生の中で飛び抜けて優秀といえばやはり華宮になる。新星附属の書店部で店長を任されていたという肩書きは何よりも頼もしいものらしい。故に元同期の二乃舞と至流は二年ツートップであるし、来年には名実共に彼女らがここの頭になることだろう。その点、高校後期でちょっとした問題を起こした挙げ句に附属推薦を蹴って浪人までした俺は、低評価どころか大人たちから目をかけられることすらない部員となっている。まあ、俺が逆の立場でも脛に傷のあるような男は要職から遠ざけるだろうし、妥当な判断だとは思う。
「でもま、君、児童書とか似合いそうだよ。ちょっとお姉さんと頑張ってみようか」
「……」
話が大学生らしい軽いノリの様相を呈してきたため、俺は去年の商品展開とその結果を簡単に説明してもらった。
売上で言えば、去年末の児童書部門の売上は前年比101%。年々減少傾向にある書店の売上事情をみれば悪くはない。しかし、先輩いわく去年はこれでもあまり良くはなかったのだという。理由を聞けば、
「だってハリポがあったじゃない」
そういう先輩の言葉を聞いてようやく思い出す。去年の年末は、児童書業界で今最も人気のあるファンタジー作品の最新刊が発売されていたのだ。ちょうど当時は浪人をしていて受験勉強まっただ中だったけれど、進学していた亜理亜や至流すから当時の盛況具合は聞いていた。クリスマス近いあの時期に、上下巻がセットになって重厚でそこそこ高価なあのシリーズは、さぞかし多くの家族からプレゼントの対象に選ばれたことだろう。
ああ、それは厳しいな。
「必然的に今年は前年度割れしそうってことですか」
「少なくとも去年ぐらいの頑張りだと、確実になるだろうね」
思わず俺はむうと唸った。これは俺が思っていた以上に難しい状況だ。
俺に課せられた使命は、正確には「お店を綺麗に飾り付ける」ことではない。それによって客を引きつけ前年度の売上を越える利益を上げるのが目的だ。普通なら一つの作品がその月の売上を左右するなんてことはありえないのだが、ハリポは全世界4億部を売り上げる超大型シリーズだ。そういう例外中の例外が去年起こっていたわけで。
「発注も図鑑を中心に売れ筋をしっかり出しておかないといけませんね…うーん、販売計画表書かないと駄目かぁ」
「…いま思いついたんだけど、いい方法があるよ?」
え? と、考え事をしていたので思わず素で聞き返してしまう。その表情があまりにも呆けてみえたのか、先輩はさらに顔をニヤニヤといやらしくさせる。
しかし去年の戦場を乗り切った先達のアイディアならば是非とも聞いておきたい。そう思って俺は、思わず前屈みの姿勢で「お願いします」と懇願した。
「これは二年前、かな? うちの附属高で実際にあった事例なんだけどね、児童書担当の男女に交際疑惑をふっかけて…」
「…それはいいです」
……。
…。
その日の夜。俺が部活動を終えて帰り道を歩いていると、駅を出た直後に携帯が鳴動した。画面を見れば、そこに映っていたのは制服姿でしなをつくったいたいけな女子高生(当時)。
「…なに?」
「今日、早上がりだったのね」
電話に出ると、電話帳の登録画面から数年ほど成長した元同級生の声が聞こえてきた。あの当時から更に体型に迫力をつけたにも関わらず、発せられる不機嫌ボイスは昔と何ら変わっていなかった。なので、俺の中の亜理亜の印象は高校時代から変わっていない。
「って言っても今の今まで残業してたから遅番とあまり変わらないけどね」
「じゃあ一層声かけてくれても…っ」
久しぶりに露骨な拗ねっぷりの亜理亜。何かビジネス館で問題でもあったのだろうか。
亜理亜があちらで作業していたのは知っていたのだが、今は商戦の進捗状況を聞かれたくなかったのであえて彼女には連絡を入れないでいた。というか、いくら附属高書店部店長のよしみとはいえ、大学生になっても時間合わせて帰ろうとするのは気恥ずかしい。至流はそういうとこフランクというか、いやまあ多分あいつの方が普通で俺が幼稚なだけかもしれないけど…。
とにかく俺は、二乃舞亜理亜という女子と仕事以外で二人きりになることに気恥ずかしさと後ろめたさを感じていた。
「…あまり一緒にい過ぎると迷惑かなと思って」
その気恥ずかしさの方(と課題の進行具合)を隠すため、俺はあえて後ろめたさの方を不義理の理由として彼女に伝えた。
「今さら、なんですの」
……。そうだよな。
もはや亜理亜がエリートと呼ばれる陰で「火遊び好き」だの「もしかしてビッチ」だのと言われていることは自他共に自覚しているのに、これでは嘘にしてもあまりに建て前すぎた。そんな話を俺らの中で今さら持ち出すのは禁じ手だったかもしれない。
「ごめん。児童書の計画が難航してて一人で考えたかったんだ」
罪悪感から思わず本音を吐露する。一緒に帰るのが恥ずかしいと思う反面、俺は亜理亜と対等な立場にいようと、ざっくり言えば認められたいと思っている。だから大役を任されたときは天を仰ぎつつも少し嬉しかった。あらゆる手を尽くそうと心のどこかで密かに思っていたりもした。
だから彼女にだけは助力を仰いだり弱音を吐いたりしないようにしてきたのだけど…。
「ええ、それは予測していましたわ」
だからこうして内心を見透かされていたりすると、落ち込む。俺の亜理亜の前での強がりがすべて道化だったような気がしてきてどうしようもなくなる。
「……はぁ」
そんなことを思ってしまっていたので、思わず口からため息が漏れてしまった。
俺のそんなリアクションの何が面白かったのかは分からない(というか分かりたくない)が、亜理亜は電話越しにクスクスと笑い始めた。機嫌が良くなったのならせめて幸いか。
「ふふ、いいじゃない。元店長とはいえここの書店部は附属とは別物ですもの。それにやったことのない分野を任されたのなら尚更」
「…それを押し付けてきたのはお前じゃん」
「もちろん期待しているからよ? そしてその期待と同じくらい楽しみにもしていますわ」
……。
暗い夜道に亜理亜の声はとても気持ち良く響いた。少しでも意地悪な動機で俺を抜擢したのではないかと疑っていた自分を恥じた。
「明後日にはそちらに顔を出すわ。苦悶の表情が見たいから時間は教えないけどね」
前言は即座に撤回された。
……。
…。
その後は互いの分野の売上について軽く話し合い、会話を終えようとしたところに奈留についてそれとなく聞かれた。あいつはあいつで考えてくれているとだけ伝えると、亜理亜は特に気にも留めずといった感じで話を終えた。多分進捗状況の確認のための電話だったのだろうが、最後の質問だけ不自然な間で聞かれた気がしてちょっと気になった。
携帯をしまい、俺は再び明日からのコーナー作りについて思考を巡らせることにした。
装飾については、最終手段として値の張る装飾電球でも張り巡らせれば見栄えは整う。売上のために身銭を切る覚悟(かかっても一万くらいだが)が決まればそれも仕方ないと思う。けれどもやはり、単純に売れる本を買いたいと思わせる並べ方をするのが一番だ。そのためにはもっと去年の単品売上を精査しなければならないし、各出版社がこの時期に売り出そうとしている商品も聞く必要がある。何もしていないと不安になるばかりだしな、よし…。
「この冬だけは頑張ってみるか」
そうしたらまた、日の当たらないながらも穏やかな学生生活に戻るとしよう。
「……ん?」
そんな季節限定のやる気に満ち溢れていたところ、しまったはずの携帯が再び鳴りだした。
見たことのない番号に不審がりつつ電話を取り、耳を当ててみる。
「えーと、もしもし?」
「ーー久しぶり、店長。僕だよ」
一瞬、誰だか分からなかった。何故ならその声はいわゆるイケメンボイスで、元の声は高く澄んでいるのに吐息をかけるかのように甘い響きがあったからだ。それでも未だに俺を「店長」と呼び、一人称が「僕」である声高(つまり女子)な知り合いと言えば、一人しかいない。
「円城、か?」
「そうだよ。久しぶりだね」
それでも一応疑問系になってしまったのは、高校を卒業して記憶が少なからず薄れていたことへの不安の表れ。俺の中で 円城紫衣瑠という少女は高校時代の同級生であり、危うく俺と同じ、学生最悪の蔑称をつけられかねなかった共犯者未満の友人だ。
もちろん普通の知り合いよりは親密だし秘密もたくさん共有しているが、俺は過去のせいで高校の友人には卒業してから一度も連絡をとってはいない。そういった後ろめたさも、俺の言葉の語尾を釣り上げた要因の一つである。
「良かった、声は普通のようだね」
「見た目もそれほど変わっていない自覚はあるんだけどな」
「それは重ねて良かった」
どうやら円城は久しぶりに旧友へと連絡してきただけのようだった。とは言え浪人時代も何度か連絡をもらっていたが、当時の俺は色々とふさぎ込んでいたので一度も出たことはなかった。俺はまず、そのことを第一に謝った。
「あぁ、いいよ。むしろ僕をかばってくれたこと、感謝してる」
「それも元々は俺が話を持ちかけたから、だからさ」
苦すぎる高校後期の記憶は、お互い腫れ物を触るようにして核心の部分を避けて話した。
俺はもう家の前に到着していたが、彼女との昔話についつい夢中になり、玄関前の階段に腰掛けて話し込んでいた。隣の家の二階の明かりに何となく焦点をあわせながら。
「ふーん、大学の書店部ってやっぱり大変なんだね」
「スペースも増えたけど人も増えたから分担できて楽かと思ったんだけどね、やっぱり鬼だよ」
俺はそのまま自然な流れで、目下取りかかっている児童書の年末商戦について円城に説明した。そういえば、彼女も附属時代は児童書担当だったっけか。
「それはもう、また裏の繋がり使ってあれこれやるつもりなんだろうね、店長?」
「…え? いや、俺はそんな…」
そこまで言って、俺は日中に聞いた先輩からのアドバイスと先ほどの亜理亜との電話を思い出していた。
……。
そして、今繋がっている電波のむこうにはかつての共犯者。
「……」
しかし、一度は危ない目にあわせた彼女をまた誘ってもよいものか。なら極力リスクの低い方法で…いや、でも…。
「……。えーと、円城さ」
「うん」
「その、急な話なんだけど、良かったらまた一緒に」
「いいね、面白そうだよ」
…。結局、打診してしまった俺と、それを言い切る前に即答で快諾してくれた円城。これは友情…なのだろうか。
「詳しく聞きたいな。今から会える?」
今の俺には数少ない時間をいとわないその悪友と、俺はこの一時間ほど後に数年ぶりの再会を果たすこととなる。
年末に向けての道筋が、おぼろげなからも見えてきた気がした。
続




