店長の負けフラグ
部活前に円城による番狂わせがあったものの、その後の部活は入荷数が少なかったこともあって滞りなく進んだ。
…寮での件は忘れることにしよう。
俺は極力、日焼けした腕と首筋を意識しないように努めた。
夜。一通り品出しも終わり、俺はカウンター横にあるパソコンを使い、メールボックスを開いた。店のメールは、店毎に共有したいファイルや画像などがあれば使用されるものの、実際はそういったケースは滅多にない。なので、今のところメールは俺か玲菜しか見ていない。
通販サイトのメールも入ってこない為に相変わらず変わり栄えの無い表示だが、そんな中に一通だけ未開封の新着メールが届いていた。差出人は『chuuou.hs』
中央高校書店部からのメールだった。
「お、来たか」
俺は手早くそのメールをプリンターで印刷し、レジにいるアオイに気づかれないよう、自然な動作でメールを破棄した。
「ちょっと裏で資料見てるから。何かあったら呼んでくれ」
「了解です」
客もまばらな店内に背を向け、
俺はそそくさと部室に入る。
中央高の一年生部員からの、支店間移動を希望する書籍の一覧が送られてきたのだ。
「どれどれ、どんな感じかな?」
部屋の隅に置かれた机を整理し、作業ができる空間を作る。俺は椅子に腰掛けて送られてきた資料に目を通し始めた。
「凄いな。書名だけじゃなくて出版社やISBNコード(本を識別する固有の番号)まで一覧で出してる。ずいぶん優秀な一年じゃないか」
俺はしばらく、送られてきた資料に感心していた。
15分後。一通り内容を確認し、現時点で移動可能と判断できる本に印を入れる。やはりあちらは女性客が中心であり、挙げられていた本はほとんどが女性向けの書籍であった。
別にこちらがそういった本が売れていないという訳ではないが、新刊で入ってきた本がいつまでも店頭に残っていることもあり、負の遺産とも言える不良在庫は結構あるものかと思う。
「女性誌は分からないな。あとで円城に判断してもらうとしよう」
先ほどの一件も忘れ、俺は一部の判断を共犯者へと委任した。そしてこちらが希望する書籍のリスト化の作業に着手することにした。
店の方はいたって静かで、しばらく集中してリストアップができそうである。
そのまま時は流れ、秘密裏の作業も終え、閉店の時間となった。
今日の売上もそこそこだったな。梅雨のこの時期は客足も遠のきがちだから、こういう日にしっかり売上を出さないとまた月末に苦悩することになる。
お金を金庫にしまいながら、俺はアオイに聞こえないようにして小さくため息を吐いた。
数字で見ると、やはり不安になってきてしまうものだ。俺はイチャキャンと支店間移動しか騒いでこなかったが、その他にも小さな売上アップの為の努力をいくつか施しているのだ。そのいずれもが無意味なのではないかと、今こうして不安に押しつぶされそうになっている。
「いい機会だ。明日また玲菜と今月の運営について話し合うとしよう」
俺はそう決意し、アオイと二人で店にネットをかけて下校した。
明けて水曜日。週で一番辛い日だ。
ついでに、今朝は玲菜と朝練の日である。最近は笹本やアオイなど下級生に任せっきりだった朝だが、今日は俺たちが朝から閉店まで出張らなくてはならない。
…というのも、今日は夏の魔物とでも言うべきアレが入って来るのだ。
「おはよう有夢」
「に、兄様? 今朝はお早いのですね」
「ああ、部活が忙しい日なんだ」
俺が5時過ぎに一階へ降りると、キッチンでは既に有夢が弁当を作っていた。来年には高校生になる我が妹は、会社員である母さんの為に毎朝こうして弁当を準備している。俺の分も作ってくれると言うのだが、恥ずかしいやら何やらでいつも断っている。どうやら俺自身も有夢に少し壁を感じているらしい。
…あるいは、その外見に少し抵抗を感じてしまっているのかもしれない。
有夢は、簡単に言うと玲菜に憧れているところがあるのだ。偶然にも髪質が似ていて、玲菜に倣って育ったせいか、目つきも少し鋭角的になってきた。あんなにシャイでピュアな心を持っているのに、目つきだけはあの魔女と同じなのだ。これについては玲菜と因縁が無くとも彼女を恨んでいたことだろう。
そんな不幸のコラボレーションがあり、最近の俺は有夢の前で笑うことが少し苦手だ。
ついでに、どうやら二乃舞がウチに来た時、たまたま有夢と帰り際に遭遇していたらしい。
俺に発情するくらいの変態カリスマ店長なのだから、恐らくはこいつのことも舌なめずりしていたに違いない。
夜道は怪しい女に気をつけてほしいものだ。
既に外は明るかったので、俺は昨日買っておいた菓子パンをいくつか鞄に詰めて登校することにした。
この時間ならば6時頃には学校に着く。さっさと面倒な奴を片付けて、必要最低限のコミュニケーションで朝は乗り切ろう。
「あ、待って兄様」
支度を終えて玄関で靴を履いていると、俺を呼ぶ声と共にパタパタとこちらへ近づく足音が聞こえてきた。
振り返ると、有夢が布でくるんだ小包を持ってこちらへと向かってきていた。
「どうした?」
「…その…これを…」
妹は気恥ずかしそうにしながら、持っていた小包を俺へと差し出してきた。
受け取るとそれは微かに温かく、空腹を刺激する良い匂いがした。
「これ、弁当?」
「…はい。今日はお忙しいとうかがいましたので、ちゃんとした食事をお取りになった方が…良いです」
……。
俺は、言葉が出てこなかった。
いつも最低限のコミュニケーションしか取ろうとして来なかった有夢が……。
…あ、やっぱり目つきがちょっと鋭いな。
「ありがとう。すごく嬉しいぞ」
「…はい」
俺の感謝の言葉に、有夢は一瞬幼い頃から変わらない純粋な笑顔を浮かべた後、すぐに恥ずかしそうに下を向いてしまった。
最悪な日の朝にこんな嬉しいことがあるなんて。今の俺はどんな苦難も乗り越えられそうだ。
妹の手作り弁当!
シンプルながら凄まじい破壊力を持つ言葉だ。もう味なんかどうでもよく思えてくる。
「兄様」
「うん?」
そんな存在するだけで有難い神器を懐に収め、今度こそ家を出ようとしたところ、まだ伝えたいことがあったらしい有夢が俺の征服の裾を引っ張ってきた。
少し二の腕の日焼けしたところに触れ、少し顔をしかめる俺。
「あ、ごめんなさい。
…その、もしお時間がありましたら、今度有夢の勉強を見て下さいませんか?」
……。
今度こそ俺は落涙するかと思った。妹と一気に距離が近づいた気がした。
何か、何か良い流れが来てる気がする!
俺は有夢の受験勉強を見る約束をし、軽快なステップで家を飛び出した。
もう、今日の俺は何も怖くないぞ!
苦難困難どんとこいだぜ!
恥ずかしいテンションになっていたが、特に気にせずに学校への道を急いだ。
先に待ち構えるは数百の文庫本と千変の魔女。
「ふ、奴らに今の俺を止められるものか。返り討ちにしてくれる」
俺のモチベーションは朝から最高潮に達していた。
大丈夫、もう玲菜の後塵を拝することなんてないさ。
「今日の話し合いで今度こそ打ち負かしてやる!」
拳を天高く突き上げる。
ーーこの言動全てがフラグなんてことは、まさかないよな。
一瞬、そんな不安が頭をよぎった。
続




