輝天円城
……放課後を知らせるチャイムが鳴っている。結局、俺はこの屋上(しかも大時計の上によじ登っている)から下界を延々と見渡していた。
半日近くそんな俯瞰に耽っていたので、最早屋上でたそがれるなんて行為に少しも青春っぽさを感じなくなっていた。
「腰が痛い…」
足を空へ投げ出して下界を眺めていたので、どうやら腰やら下半身に負担をかけていたらしい。時計の上に座っている形なので、柵なんて周りにはない。
長針が足に当たりそうな距離で足下を回っている。つまり実に危険な場所で、先生にでも見つかれば停学ぐらいは突きつけられそうだ。
でも、今の俺は自身のことながら、それらの危険には無関心だった。
いや、冷静に考えればおかしな事を言っているのは分かる。何故なら俺は生徒会長になることを目標にして高校生活を送ってきたはずなのだから。停学なんてくらったら一気に先生たちからの評価を下げてしまう。
「……はあ」
でも、玲菜の涙を見たらそんなことどうでも良くなってしまった。
…意味不明である。元々、俺はあいつを屈服させて二度と俺に生意気な口をきけないようにするのが目標だったはずなのに。
もう俺の中での自身の評価は最低だから、あの涙の場面で狂喜しながら笑い狂っても黙認するはずだった。普通を装っていた俺の、醜くて姑息な本性が少し顔を見せただけだと思って諦めるしかないと考えていた。
…でも俺は、あいつの泣き顔を見て動揺し、不安になり、そしてこんな所で半日たそがれている。
一体なんなんだ?
俺のことも分からないし、玲菜のことも分からない。あいつは幼なじみという記号がついただけの仇敵だったはずだ。形を成した怨嗟と言ってもよい。
「どうして、恨みを憐れむなんてことが出来る」
もしかしたら俺は長年負の感情を抱えていたせいでマジで狂ってしまったのか?
奈留の女装癖の話じゃないが、異常者っていうのは奇行に及ぶまで自身の異常に無自覚だと聞く。
「くそ、母さんや有夢に迷惑かけたくないな…」
知っての通り、うちは母さんも有夢も俺に対して敬語で喋るという少し変わった家族だ。ただ単に二人がそういう性格だからなのかは定かではないが、今さら変えるのも変な感じなのでそのままで暮らしている。父さんは俺が産まれる前(あるいは直後? 母さんは詳しく教えてくれない)に亡くなっており、母さんが女手一つで俺たち兄妹を育ててくれた。
そんな母さんに対して恩を仇で返すようなことだけは死んでも御免だ。今度精神科にでも行ってみるとしよう…。
「はあ、なんかこれから楽しくなるとか考えていた気がしたんだけどな」
日差しばかり陽気である。孤独に太陽光を浴び続け、全身くまなく汗ばんでいた。
「そう言えば、昔こんな状態の俺に興奮して襲われかけたことがあったな…」
嫌な過去が思い出された。男としては情けない限りだ。
髪の毛を弄りながらそんなトラウマを思い出していると、横に置いていた携帯が鳴り始めた。
ここにいる間に何度か携帯が鳴りはしたが、俺はその全てを無視している。今はあまり会話したくない気分なのだ。
とは言え、やはり高校生にもなっておいて誰にも連絡しないで欠席っていうのは良くないよな。玲菜にまたガキ扱いされてしまう。
……玲菜。
「瀬名店長おっす」
俺が再びたそがれモードに入ろうとしていると、後ろから軽快に挨拶された。
「授業サボってこんなとこで何やってるのかなぁ?」
「円城か。びっくりさせるなよ」
背後にいたのは、書店部の体張っちゃう担当、円城紫衣瑠だった。
敷地内の最高位であるこの時計台の上に立っていても、彼女はそのスカートを抑えつけることはしない。何て男らしい。
「こんなとこ、何しに来たんだ?」
「六時間目サボって保健室で寝てたらさ、僕のツンデレ妹レーダーが急に真上を指し示したわけよ。それで上ってみたらさもありなん」
……。
後から聞いた話だと、彼女が飽きて帰ろうとしたら時計の上に俺がいるのを偶然発見したらしい。どうやったら偶然豆粒みたいな俺を見つけられるんだよ。。
「で、用は何だよ? 俺は今から部活なんだけど」
「うん、さっき副店長にシフト交換の相談してきて、その結果をね」
少し苦笑いをしながら円城はそうつぶやく。
…玲菜は普通に登校しているんだな。泣いてたくせに、これじゃ益々俺が弱っちい存在に思えてくるぜ。
「…どうだった?」
「えーと、残念ながら…」
そっか、と返答して俺はため息を吐いた。
ーー凄いな。お前はどんな辛い事があってもブレないんだな、玲菜。
「今日はかなり声のトーンが低めだったけど、あのキリッとした目つきは健在でさ。流石に僕もあれに睨まれたら太刀打ちできなかったよ、あはは」
まあ、そうだろうな。ある意味お前とは正反対な奴だから。多分あいつが同年代で一番出世早いよ、社会出たらさ。
「…にしても分からないな。玲菜は何でそんなに水曜のシフトを譲らないんだろう」
「……はい?」
円城が『何言ってるの? バカなの?』と言わんばかりに首を傾げてくる。こいつの煽りスキルは相当なものである。
「だってさ、別にシフトが減るわけでもないのにだぜ? あいつ別に習い事とかもしてないし。拒む理由が皆目見当もつかないよ」
「いやいや、そんなの店長と離れたくないからに決まってるじゃん」
ーーズルッ
俺は盛大にこけそうになった。
ここは時計台の上なので、普通に死にそうになったと言い換えてもい。
一気に大量に汗をかいた後で、俺はワンテンポ遅れてリアクションをとる。
「はぁはぁ…はあ?!」
「色々とびっくりしたなぁ。っていうか当たり前じゃん、純愛だよ純愛」
「ば、バカも休み休み言えよお前」
「ひど、そんな僕が始終馬鹿なこと言ってるみたいに。だってそうでしょ? 二人は付き合ってるんだからさ」
……あ。
そこで俺はようやくイチャキャンのことを思い出した。
最近じゃあ朝から閉店までずっとその演技に徹していたというのに、やっぱ俺は役者にはなれないようだ。
「せっかくだから、共犯者の円城には教えておくよ。ただし、絶対に口外はするなよ?」
「うん?」
イマイチ信用しきれていない彼女ではあるが、書店部の裏を駆け回るには知らせておかねばいずれ感づくだろう。俺は円城に玲菜との関係を大雑把にだが説明した。
うー、喋ったら更に汗かいてきたぞ。
「ふぅん。二人にそんな事情がねぇ」
「俺もあいつもできれば一言も会話なんかしたくないのさ。涙ぐましい奉仕の精神ってやつ」
「まあ、本当に嫌い合ってるなら確かにキツい仕事だと思うけど…」
円城はスカートを弄りながら、真剣な顔で何やら考え事をしていた。
部活まではあと40分ほど時間があるが、俺はその前にシャワーでも浴びたい心境だった。
はあ、せめて屋内で時間潰しているんだったなぁ…。
「ねえねえ店長」
「んー? 俺部活行く前に風呂入りたいからそろそろ下行くよ」
「その偽彼女役さ、副店長の代わりに僕じゃダメかな?」
ズルッ
二度目の冷や汗。今度は立ちくらみまであった。
次はこけたまま意識を失うかもしれない。そして永遠に目覚めぬまま棺に収まりかねない。
「はぁはぁ、こ、殺す気か!」
「あはは、別に冗談言ったつもりはないんだけど」
立ちくらみでふらふらとおぼつかない俺を、円城は自然な動作で抱きかかえる。今度こそ意識が落ちるかと思った。
「これから僕と店長で悪い事をするんでしょ? だったら表の関係ももっと親密になろうよ」
「悪い事とか言ったか俺? それと裏の関係とか無いから。玲菜だけで十分だから」
円城の胸元から離れ、俺は後ずさりながらもツッコミを入れる。
くそ、こいつもやっぱり女の子なんだな、くそ!
「も、もういい! 俺はシャワー浴びるから、じゃあな」
「ふぅん、運動系の部員でもないのに施設使えるの?」
「…そこは忍んて行くしかない」
円城は腕を組んで不敵な笑みを浮かべる。
「今日は特に暑いからなぇ。色んな部活が取っ替え引っ替え利用してると思うけどなぁ」
「うぐ……」
そう言われたら、確かに過去何度か忍び込んでその人の多さに諦めたことがあったな。
うーん、でもこのベタベタなまま店に立つのは嫌だー。
「店長地味に潔癖なとこあるからねぇ。そんな店長に穴場を一つ教えてあげようか?」
「え? シャワー浴びれるとこ他にもあるの?」
「あるよ、寮生用のやつさ」
……ああ、そういえば。
この新星高校には隣接した場所に地方から入学した生徒向けの寮があるのだ。確かにそこならば心置き無くシャワーを使えるだろうが…。
「寮って、入るだけでも一苦労じゃん」
「ふふふ。僕が寮生ということを忘れているようだね」
おお、そうだった!
ギャグ漫画のような展開だな!
「じゃあ、使わせてくれるのか?」
「いいけど、条件が二つあるよ」
まさか偽彼女にしろっていうんじゃないだろうな。流石にそれなら諦めるぞ。
そんな間にも首から汗が滴る。
「一つ目、これが一番難関かな。寮は男子寮と女子寮に分かれているから、当然僕が使えるのは女子寮ってことになるよ。そこは平気?」
「確かに難関だな。バレる確率は?」
「寮に入る時に誰にも見られなければ後は個室になってるから大丈夫だと思う。念の為髪の毛結わせてね」
うーん仕方ない。本来なら絶対取らない選択肢だらけだが、今の俺は間違いなく人前に出られない身体なので決断するしかあるまい。
「で、二つ目は?」
「二つ目はね…ってゆっくりしちゃってるけど時間大丈夫? 二つ目は英検5級並に簡単だからむこう着いてからで良くないかな?」
携帯を見れば、確かに入浴するとなると足りないぐらいの残り時間である。まあ英検5級なら余裕だよな。
「オッケー、じゃあお願いするよ」
「オッケー、ふふ」
円城は何やら溢れんばかりの笑顔を浮かべていたが、この時の俺はシャワーの誘惑にかられて特に不審に思わなかった。
…………。
そして女子寮に着き、俺は個室で四度目の悲鳴をあげることとなる。
いや、正確には口を塞がれていたので悲鳴すらあげられなかったのだが。
円城の提案二つ目は、
『彼女も一緒に入浴して、その半日太陽に晒して日焼けした俺の二の腕と首元を思う存分なぞらせる』
という不可思議かつ意味不明なものであった。
店先でアオイに涙目なのを指摘されたが、俺は何も答えなかった。
続




