怒気
◇◇◇◇
三十六階層・グランベル領、スピアノースの街。
ローデル・グランベルの屋敷、大広間。
分厚い豪勢な壁に囲まれた空間は、昼だというのに薄暗い。高い天井から吊るされた魔導灯の光が、長机の上だけを冷たく照らしていた。
「こんな奴が、このダンジョンに潜んでいたとはな……」
吐き出された声は、呆れとも苛立ちともつかない。そのまま広間の壁へと吸い込まれていく。
『そ、そうなんですよぉ。ラフィさんは今からルナちゃんのパーティーに入りますぅ〜』
長机の上に展開されていた配信映像が、ピッ、と乾いた音を立てて消えた。
光が消えた瞬間、広間に残ったのは重苦しい沈黙だけだった。
「62階層の神狼……ランダンのRTA……50階層の黒龍……」
椅子に沈み込んだ巨体が、ゆっくりと動く。
白髪を油で撫でつけた頭。肥え太った頬。脂の浮いた指先が、机をコツ、コツ、と叩いた。
「どれも規格外だ」
次の瞬間。
バンッ!
机を叩きつけた衝撃が、広間を震わせた。
「これはなんだ!」
怒声が反響する。
控えていた使用人たちが、びくりと肩を震わせた。
「これが本当に最底辺だと!? ありえん!」
怒気が空気を重くする。
誰も口を開けない沈黙の中、柱の影が揺れた。
音もなく、忍び装束の男が姿を現す。
「報告いたします」
「続けろ」
「このソルという名のノースレッド。ラフィが仕留めきれなかった以上、我々では太刀打ちできません」
ローデルの目が細められた。
「最後に聞く。本当にこいつはノースレッドなのか」
「はい。ギルド未登録。身元不明。経歴なし。ダンジョン警備隊規定では……汚れとして、発見次第排除対象です」
ローデルの口元が、ゆっくりと歪む。
「……汚れ、か」
指先が再び机を叩く。乾いた音が広間に響く。
「こういう奴が出ないために、お前たちダンジョン警備隊がいるんじゃないのか?」
忍びは淡々と答えた。
「このダンジョンで配信もせず上層に到達するのは通常不可能です。ノースレッド同士でパーティーを組む例もありますが、それは発見次第、即処刑となります」
抑揚のない声が続く。
「配信不可。ギルド登録不可。パーティー不可。市民や貴族に罵倒されようと反撃も許されない」
冷たい言葉が並ぶ。
「それが最底辺ノースレッドの扱いです」
「……それでも、ここまで強くなったと?」
ローデルも呆れる口調になる。
「はい」
「ありえん……ノースレッドのくせに」
でも現実にいるのだから、歯痒さが滲む。
「職業はレンジャー系統の可能性が高いかと。他にレアスキルを所持している可能性もありますが、使ったスキルから見ても通常のレンジャーを極めていると考えるのが自然です」
「極めたレンジャーだと……?」
ローデルの指が机に叩きつけられる。
バキッ、と叩いた部分だけが砕けた。
「さらに問題はラフィです。警備隊上位戦力であり、内部情報の大半を把握しています」
「……それが汚れ側に回った」
「はい」
ローデルの顔が怒りに染まる。
「ふざけるな……」
低い声が落ちる。
「ノースレッドは汚れだ。秩序の外の存在だ。強ければなお危険……」
指が机に食い込む。表面に細い亀裂が走った。
「それが希望になればどうなるか……分かっているのか」
忍びは静かに頷いた。
「既に第二班を待機させておりました」
「ならば問題あるまい」
だが忍びは動かない。
「……どうした」
「第二班、三名。全員、連絡途絶」
ローデルの目が開いた。
「……は?」
忍びが小型記録具を起動する。
微かな光と共に音声が流れた。
『……どこだ〜』
ザー……というノイズ。
『あ……あったあった。ソルくんを倒すのは無理。ラフィさんも無駄死にはごめんだぜぃ! 手を引いた方がいいよ。これはラフィさんからのせめてもの忠告。あれはヤバい』
そこで音声は途切れた。
ノイズだけが、しばらく空間を満たす。
「止めろ」
静寂が落ちる。
ローデルの額に、じわりと汗が浮かんだ。
「……汚れが」
頬が引き攣ると、歯がカチカチと鳴った。
「配信で力を誇示し、人を集める……」
拳がゆっくりと握られる。机の表面に指の跡が深く刻まれた。
「最底辺の希望なんぞが出来てみろ……」
低く、押し殺した声。
「放置すれば、全世界のダンジョンにノースレッドが流れ込むぞ」
忍びが答える。
「既に配信の影響で、ノースレッドの動きが活発化しています。さらにリスナーの中にも気づき始めた者が」
ローデルが立ち上がると、椅子が音を立てて倒れた。
「何にだッ!」
「このソルが、ノースレッドであることにです」
そして。
「……は、はは」
肩が震える。
「ははは……」
口元が吊り上がった。
脂ぎった顔に、冷たい笑みが広がる。
「ならば決まりだ」
指を鳴らす。
「もう悠長なことはしていられん。汚れは広がる前に処理する」
冷酷な声が淡々と告げる。
「他のダンジョンからでも、ラフィ以上の警備隊を呼べ」
忍びがわずかに眉を動かす。
「それには、このダンジョン十年分の利益が消えます」
「構わん!」
拳が振り上げられる。
「何がなんでも、ここで潰す!」
机に叩きつけた瞬間、木材が割れ、亀裂が一気に広がった。
「ノースレッドごときに、このラビリンスクェイクの秩序を乱されてたまるか」
吐き捨てるように言い放ち、ローデルは踵を返す。
「片付けろ」
短く命じると、巨体を揺らしながら広間を後にした。
残された大広間には、割れた机と、重苦しい怒りだけが残った。
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