校長の考え
新たな声の出現に、みんながそちらを向く。
そこには、長く白い髪とひげを持つ老人が立っていた。校長のギルデントだ。
校長の後ろには、ココナ。いなくなったから先に教室へ行ったとルルナは思ったが、ギルデント校長を呼びに行っていたらしい。
「何か問題でも起きたのかね」
ギルデント校長は何も知らない。ココナがこの場を離れて校長を見付けると、すぐに来てくれ、と言って事情を話す暇もなく引っ張って来たのだ。
「俺がルルナをえこひいきしてるとさ」
「えこひいき?」
「昨日、俺がルルナに補習した時のことだ」
「ああ、あれのことかね」
「校長、ご存じだったんですか」
ギルデント校長の言葉に、トイフェールが驚いたようにそちらを見た。
「話は聞いておるよ。試験で満点が取れなければ……という話だろう?」
ギルデント校長は、何でもないことのようにうなずいた。
別にハズィランがわざわざこの話を報告した、という訳ではない。
ルルナの二度目の補習が終わり、ハズィランが職員室へ戻る時にたまたまギルデント校長と会った。その時に会話の中で「今、これこれこうしてきた」と話しただけ。いわば、雑談の一部。
「ずいぶん絞ったから、生きた死体みたいなツラで帰って行った、などと言っていたな」
「ハズ! 生きた死体って何よっ」
ギルデント校長が笑いながらハズィランの表現した通りに話したので、ルルナが突っかかる。
「補習が長かったから、ちょっと疲れた顔してただけでしょ。勝手に殺さないでよねっ。人をアンデッドみたいに」
「俺にはそう見えたから、そう表現しただけだ。言論の自由って奴だろ」
いつもの緊張感がなくなりそうな会話を、トイフェールが咳払いをしてやめさせた。
「校長は、よくないことだとはお考えにならないんですか? 一人の生徒だけに長く補習をさせるなど、クラスの公平を欠きます」
トイフェールの言葉に、ハズィランとルルナは「また最初に戻った」と思った。
「そう言われればもっともだが、そう深刻に受け取らなくてもいいと思うがね。一度や二度、多くの補習を受けたからと言って、極端に他の生徒と能力の差が開く、ということもないだろう」
トイフェールの訴えを、ギルデント校長は緩やかに受け流す。
「少なくとも、ルルナがそうなることはありえないよな」
ありえない、とは聞き捨てならない。
「そんなの、わかんないわよ。ある日、突然才能が開花して……」
「その話は、また今度ね」
続けようとしたルルナを、ココナがその口をふさいで止めた。ルルナが口をはさむと、どうも話が進みにくくなる。
「トイフェール。さっきから公平がどうのって言ってるけど、俺はその場にいた他の奴にも言ったぜ。付き合いたいなら、一緒に面倒みてやるって。結果的にはルルナだけが続いて補習したが、俺の誘いを断ったのは生徒の方だ。これでもえこひいきか?」
「っ……」
そこまでは生徒達も話していなかったので、トイフェールもこの反論にはすぐに言葉が出て来ない。
「あ、確かに言ってたわよね。でも、みーんな、さっさと帰っちゃった。帰ったって言うより、逃げた感じ。あれ以上、ハズにしごかれたくなかったのよね」
ルルナも証言する。これは補習を受けた生徒に聞けば、同じ答えが返るはずだ。
「……なるほど。ちゃんと逃げ道も用意されていた訳ですね」
わずかにハズィランの眉が上がる。だが、何も言わない。
「トイフェール先生! 逃げ道って何っ」
黙ったままのハズィランの代わりに、ルルナが噛み付いた。
今の言葉は、わかろうとしない、なんてものじゃない。完全に悪意から出たものだ。
「ちょうどいい機会だ。前から校長にお聞きしたいことがあったんです」
ルルナの言葉を聞いてなかったかのように、トイフェールはわざとらしくギルデント校長の方に向き直る。
「何だね?」
「なぜ彼がこの学校で教師をしているんです? 魔法使いでもないのに」
ああ、そういうことか。
トイフェールの言葉を聞き、ハズィランはようやく納得した。
彼は魔性が嫌いなのだ。これまでのハズィランを見る目つきからして、憎んでいる、と言ってもいい。
ハズィランも、昔は人間に対して色々とやらかした。ガーヘンディッシャンにランプへ封じられるまで、死者こそ出なかったとは言え、多くの人間に害をなしていたのだ。
当然、被害者やその人達に縁のある人間からは恨まれる。魔法使いに封じられるまでも、封じられてからも、ハズィランは彼らから冷たい目で見られた。憎悪に燃える目で見られたことも、一度や二度ではない。
どこかで見た気がしていた。そして、彼の言葉で思い出す。
トイフェールの目は、あの頃の人間達と同じ目なのだ。
魔性を憎んでいる。恨んでいる。
そういった感情が、トイフェールの心の中で渦巻いているのだ。
昔であれば、自分がしたことの報いなのだからと認め、ハズィランは人間達の刺すような視線も甘んじて受けた。そういう目を向けられることをした、という自覚はあったから。
しかし、トイフェールに何かした、という覚えはない。この学校で初めて会った彼に恨まれる筋合いなどないはずだが……想像はつく。
トイフェール、もしくは彼の周囲で魔性が関わるよくない事件が起き、魔性である、というだけで全ての魔性を敵視するようになった。
そんなところだろう。
細かいことはともかく、事情が少し飲み込めて、ハズィランとしては少しすっきりした気分になった。
言ってみればとばっちりのようなものだが、人間と関わりながら生きて行くならこういうことも起きるだろう、というのは織り込み済みだ。
「私がハズィランに依頼した。彼もそれを受けてくれた。それだけのことだが?」
「ぼくが言っているのは、そういうことではなく……」
トイフェールの言葉が少し詰まる。
ギルデント校長が直接ハズィランをスカウトしたと聞き、新参者のトイフェールとしては魔性がどうの、とはっきり言いにくくなったらしい。
「魔性が教職に就いてはいかんかね? かなり珍しい事例ではあるが、いけないということもあるまい」
魔法学校で魔法を教えるのは、一般的に魔法使いである。魔法使いが使役する妖精や魔性が補佐をすることはあっても、ハズィランのような状況にある魔性はまず聞かない。
「クビにされたって、文句は言わないぜ。この仕事で生計を立ててる訳じゃないからな」
「今のところ、そういうことは全く考えておらんよ」
ハズィランの言葉に、ギルデント校長が笑って否定する。
「危険だとはお考えにならないのですか」
「え、ハズが危険なの? どこが?」
ルルナが目を丸くして、ハズィランを見る。
ガーヘンディッシャンに出会うまでは素行が悪かった、という話は聞いた。だが、話だけで現実にその時の様子を見ていないルルナにすれば、ハズィランのどこが危険なのか、よくわからない。
ルルナから見るハズィランは、単なる口の悪い魔性だ。
「さぁな。それぞれの感じ方によるだろ」
答えようもなく、ハズィランは肩をすくめる。自分は危険な存在ではない、と訴えたところで、それを信じるかは相手次第。
「だけど、ハズはあたしとココナを、崩れかけた魔女の城から助けてくれたじゃない。そうすることで、自分が死ぬかも知れないってわかってたのに。危険な魔性がそんなこと、しないわよ。誰でも自分が一番大切だもん。それに、その時にほとんど魔力を失って……」
強い魔力を持つハズィランだったが、長く封じられたことによってほとんどの魔力を失った。ランプから解放された時には、ギルデントよりも弱くなったと聞いている。
「ルルナ。状況や方法にもよるけれど、魔力を失ったからと言っても、ずっとそのままじゃないんだよ」
トイフェールが、今度はちゃんとルルナの言葉を聞いて、教師らしく訂正する。
「え、どういうこと?」
「時間が経てば、魔力は回復するんだ」
きょとんとしたまま、それを聞いたルルナはハズィランの顔を見た。見られたハズィランは、どこか居心地が悪そうな顔で説明する。
「人間が体力を回復させるのと同じだ。魔性にとって、魔力と体力は人間以上に同義語みたいなもんだからな。ランプがあった時は命を保つために魔力を削ってたけど、ランプがなくなった今はその必要もない。削らずに済めば、使われなくなった分がたまっていくだろ」
魔女の魔法によって「ランプの外」に封じられていたハズィラン。彼にとっての異常な状況で命を保つには、魔力を体力に変換してゆくしかなかった。
それが千年近くも続いたので、ルルナとココナに出会った時にはその魔力がほとんど底を尽きかけていたのだ。
しかし、魔法は解けた。
ガーヘンディッシャンがかけたランプの中に封じられる魔法も、魔女キッカがかけたランプの外に封じられる魔法も。
もう魔力を削らなくていい。使わない魔力は、たまってゆくだけ。
そして、魔性であるハズィランは、魔力をためる器が人間よりずっと大きいし、回復が早いのだ。
「じゃ、今は校長先生よりも強くなっちゃってるの?」
「……たぶんな」
ギルデント校長の魔力も強い。だが、校長も所詮は人間。持てる魔力にも限界がある。
「じゃ、ハズは本来の力を持つハズに戻りつつあるってこと?」
「完全に元に戻るには、まだ時間がかかる。ランプの外にいた時間は、短くなかったからな」
「ですが、すでに今の時点であなたは、この学校で一番強い力を持っていることになる」
「……」
否定はしない。できない。この学校で一番強い「魔法使い」はギルデント校長だ。
しかし、ハズィランは……ギルデント校長が持つ以上の魔力を、すでに回復させている。
「彼の力がそんなに問題かね?」
深刻そうに言うトイフェールに、ギルデント校長は不思議そうに尋ねる。
「校長……召喚したならともかく、こういう状態というのは」
召喚した魔性なら、術者の力量にもよるが、ちゃんと指示通りに動く。だが、自由な魔性は……当然ながら、自由に動くのだ。
その自由が、人間にとって悪い結果をもたらすものにもなりかねない。
「何かよくないことをしでかす、と? そうかな。私はそうは思わないがね」
「な、なぜそう言い切れるんです……」
にっこり笑いながらギルデント校長に言われ、トイフェールは毒気を抜かれたような顔で、それでも何とか聞き返す。
黙って立っていれば威厳たっぷりに見える魔法使いだが、笑うと茶目っ気たっぷりな表情になるギルデント校長。場の緊張した雰囲気が、一気に壊されてしまった。
「もちろん、私の祖先であるガーヘンディッシャンを信じているからだ」
その言葉に、トイフェールだけでなく、ハズィランも不思議そうな顔をしている。
ここでなぜ、昔の魔法使いの名前が出てくるのか。
「ガーヘンはハズィランが二度と人間に対して害をなさないであろうと判断し、近くランプから解放するつもりだった。魔女キッカのために彼自身がハズィランを解放することはかなわなかったが、とにかくハズィランを自由にしても差し支えないと考えた。ガーヘン程の魔法使いがそう思ったのなら、ハズィランがここにいても私は問題ないと思う。万が一にも何か起きれば、どういう形ででも私が責任を負うと約束しよう。どうかね?」
「……」
最高責任者の校長にこうまで言われては、トイフェールもこれ以上の反論はしにくい。
「わかりました。校長がそこまでおっしゃるなら、ぼくもこれ以上申し上げることはありません。……失礼します」
軽く一礼すると、トイフェールは行ってしまった。
やっと終わったぁ……。
彼の後ろ姿を見送り、ルルナとココナはこっそりとため息をついた。ハズィランも、表情には出さなかったが、同じ気分だ。
「校長先生。トイフェール先生って、どうしてハズを敵視するの。大昔はともかく、この学校では何も悪いことしてないのに」
ルルナが口を尖らせる。
トイフェールは行ってしまったが、結局「えこひいき問題」は解決していないのだ。彼はえこひいきだ、と決めつけたまま。
ハズィランやルルナの言い分を、聞き入れてはくれなかった。理解も納得もしてくれようとはせず。
ルルナとしては、もう訂正する気も失せてしまったが、それでも気分が悪い。
ルルナはトイフェールの授業を受けたことはないが、授業を受けたクラスの友達は「楽しいし、わかりやすい」と話していた。たまたま別の時に話す機会があったが、その時は優しく応えてくれていたのに。こんな言われ方をするとは、ショックだ。
「魔性と悪い形で関わってしまった、とかですか?」
ハズィランが考えていたことを、ココナも考えたようだ。
「そんなところだよ。聞いた話では、彼が子どもの頃に祖父が魔性に襲われたそうだ。その時の怪我が元で、足が不自由になってしまったとか」
話を聞いて、ハズィランは視線を外した。