捕まえた!
「………で、なんでこんな状態になっているんでしょうね?」
「捕まえた!」
「私が追いかけていたんですがね?」
アニータは、芝生に倒れ込んだリアム様の背中に乗って、腕をひねりあげている。
ちょっと息が切れているが、近衛騎士団長を押さえつけたのだ!上出来だ!
「こうなったら最終手段よ!既成事実を作ればいいんだわ!」
そう。
どうしてもリアム様がいいと言う私に兄たちが教えてくれた奥義。既成事実。
「はっ?アニータ嬢!?」
「おとなしくして!男性は痛くないって兄様が言っていたから!」
「何を教えているんだ、あの馬鹿どもは!」
ええと、まずはズボンを脱がすのだっけ?
私がスカートをまくりあげるのが先だったかしら?
ああ、違う違う。それは最後でまずは……
「キスマークね!」
リアム様の腕を押さえつけたまま、目をむく彼の耳の下に口づけてみる。
ちゅ、ちゅ…ちゅ。
「……つかない。お化粧をもう少し濃くしてくるべきだった?」
「それは違う……」
疲れたように呟く彼の言葉はとりあえず無視をして、もうズボンを脱がす方に行ってしまおうと思う。
今、口紅持っていないし。
片手で腕を押さえたままズボンに手をかけると、「よっ」という軽い声と共に、リアム様が起き上がった。
「ふえ?」
あっという間に、アニータは芝生の上に座って、リアム様は正面に胡坐をかいて座っていた。
開いた口が塞がらない。
あまりに簡単で、軽く拘束を逃れられてしまった。
最初からアニータはただリアム様をこかすことができただけだったのだ。
馬鹿にされていた!
それに気がついて、涙をこらえながら睨み付けると、困ったように首を撫でながら、リアム様が言った。
「アニータ嬢、あなたは兄が好きだったはずだろう?」
悪気のなさそうな顔に、涙が堪えられずに、涙腺が決壊する。
「兄に押し付けようったって無駄ですからね!私、ライアン殿下に嫌われるために、一番嫌いなタイプの女性を演じきったんですからっ!彼の中で私は最低最悪の女性ですからね!」
アニータの泣きっぷりに驚いているリアム様に、今がチャンスとばかりにとびかかって押し倒した。
「私の調査は完璧です。私はリアム様を手に入れたのです!」
もう一度、首筋にキスをしてみる。
やっぱりキスマークはつかない。
この状態でズボンを脱がしにかかっても、きっと無理だろう。
だったら……他に打てる手は持っていなかった。
呆然と見上げてくる瞳に、自分がどんな顔で映っているかなんて考えたくない。
「もうあきらめてっ…ひくっ結婚してくださああぁい」
うわあああぁぁん。
小さな子みたいに、リアム様の首に縋り付いて泣いた。
「嫌いになっちゃやだあぁ」
泣いている間に、また抱き上げられていた。
リアム様の首筋に顔をうずめたまま、泣き止んでみたけれど、顔をあげられない。
色々な液体が顔を濡らしてぐっちゃぐちゃだ。
「アニータ?泣き止んだ?」
「今から逃げるので、次は追って来ないでください」
「いきなりなんだっ?―――じゃあ、離さないことにしよう」
くすくすと笑い声がした。
本気で逃がさないようにしているようで、この腕からすんなり逃げられる気がしない。
「いろいろ、服で拭きますよっ?離してください」
乙女のプライドを一部分捨てて自己申告してみた。
見られるよりは幾分かましなはず。
さっき大泣きしている顔を見られてはいるが、それとこれとは別だ。
「ああ、なるほど。……どうぞ?」
背中から回ってきた腕が、スカーフを握っていた。
「……高そうです」
「洗えばいいんじゃないか?」
「……返しませんよ?」
「ふっ、どうぞ?」
では、お言葉に甘えまして。
やった。リアム様のスカーフを手に入れてしまった。
使うのがもったいない。……なんて、乙女心を出せる状態ではないことは一応理解してる。
一生懸命ふきふきしていると、すりっと頬ずりされてしまった。
「……リアム様?」
「うん?」
「そんなことをしたら、襲います」
ぶはっと盛大にリアム様が噴き出した。
「それは困るな。結婚前の令嬢を傷ものにしては、信用にかかわる」
心底面白そうなリアム様を、顔を拭き終わったアニータは睨んだ。
「傷になんかなりません」
そういうアニータの頬を優しく撫でながら、リアム様は言った。
「アニータ、私はあなたが好きだよ」
「………ふへ?」
思ってもみないことを言われて、変な声が出た。
驚くアニータの顔を見て、リアム様は呆れたようにため息を吐いた。
「元々、私はあなたが好きだった。だから、兄に願い出て、私があなたと結婚することになっていた」
「は?」
「まあ、周りの思惑は知らないが。ところが、あなたに結婚を申し込もうと思ったら、アニータは兄を一生懸命誘惑しているじゃないか」
「へ?」
「しかも、マンフィニットの屋敷で見るアニータとはずいぶん違う姿で。ああ、あんなに頑張るほど兄のことが好きなんだなと思ったよ」
「えええ!?」
元から結婚相手はリアム様?
聞いてない!聞いてないどころか、逆だった。
「なのに、頑張りが行き過ぎて、兄に嫌われてしまって可愛そうだと思っていたんだけど」
「ふにゃあ」
両頬をつままれて、情けない声が出た。
「そんな、明後日の方向に頑張っているとは知らなかったよ」
情けなさに、またにじんできた涙を舐めとられた。
「アニータ」
こつんと、おでこをぶつけて顔を覗き込まれた。
「私と結婚して欲しい」
見上げると、アニータを愛おしそうに見るリアム様がいた。
アニータは、震えそうになる声を、必死で押さえつけて、大きく返事をした。
「はい!」
「キスマークの付け方は、また今度教えてあげよう」
「口紅使いますか?」
「……使わない」
「お父様、アニータが、どうやら妙な暴走をしているようですね」
「兄さん、だけど待ってください。アニータには一度しっかりと分からせる必要があるのでは?」
「そうだな。弟の言う通りだと私も思います。いつまでも自分の行動に責任を持てないようでは困りまから」
「ええ。侯爵家に泥を塗る真似であっても、アニータが成長できるなら、いいではないですか」
「そうだなこのまま、何をするつもりなのかを…ぶふっ、いや、失礼しました。…ぶぶっ、おもしろくなりそう…いえ、なんでも。もうしばらく様子を見ましょう」
「ぶはっ。兄さん、オレ、すげえ我慢してんのに!」
「無理無理!無理だって!アニータの顔思い出せよ!」
「ぶはははははははは!」
「………お前たち………」