ムーラの思惑
結果、水明たちは四つのチームに別れて行動することになった。
黎二チームは、瑞樹、グラツィエラ、それにフェルメニアが加わった四人。
エリオットチームは、彼とクリスタにレフィールとハイデマリーを加えた四人。
初美チームは、ティータニアとリリアナを含めた三人だ。
水明は何か起きた場合における対応と、市街に潜む魔族のさらなる捜索のため、現在単独行動を取っている。
ともあれ、まずは城壁内に潜んだ魔族の掃討である。
魔族が撤退してから、兵士たちが何度も巡回しているらしいが、内部にはかなりの数の魔族が潜んでいた。市街の外れ、東部、西部。巧妙に隠れているが、水明の目からは逃れられない。
最も多いとされる場所に向かったのは、エリオットが率いるチームだった。
目的地は、市街の外れだ。王都メテールの中心部を守る二つ目の城壁を超えたあと、木立を抜けた場所。第一の城壁からもほど近いそこへ、四人は急ぎ足で向かっていた。
空はいまだ曇っており、太陽は輪郭すら完全に見えず、いつ泣き出してもおかしくないほどの空模様。まるで日の沈む間際のような暗さがある。
湿気っぽい空気の中、レフィールとハイデマリーは移動しながら、エリオットたちから例の魔族の特徴について話を聞いていた。
「――異形の姿の魔族か」
「そうなんだ。なんというか、昆虫を大きくして気持ち悪くしたような感じ……とでも言えばいいかな? 随分といびつな見た目だから、見ればすぐにわかると思う」
レフィールの聞き取りに、エリオットは大まかな特徴を伝える。
「それほどか。これまで見た魔族は将軍でも、いびつという表現が挙がるようなものはそう多くはなかったが」
「なんとういか本腰を入れてきた感じがするかな」
二人の会話に、ハイデマリーが加わる。
「話を聞く限りじゃ厄介そうだね。サクラメントを持った剣主に、エリオット君と二人で相手にしても、やっと一体どうにかできそうだったんでしょ?」
「ははは、手厳しいね。でもまあそんなところだよ」
クリスタはハイデマリーの言いようがお気に召さなかったのか、ツンとした様子で言葉を挟む。
「ですが、エリオット様が本気を出せば結果はまた変わっていたと思います」
「いや、それでもどうだったかわからないかな。それに、大きな痛手を与えたのはレイジだったしね」
「それは、偶々機会がそうであったからで……」
あくまでエリオットの実力を持ち上げたいクリスタは、子供さながらのふくれっ面を見せる。
一方でエリオットは持ち上げられるのが面映ゆかったのか、さりげなく話題を変えた。
「僕も自分を卑下するわけじゃないけど、レイジの持ってる武器は相当なものだ。あれも君たちの世界の代物なんだろう?」
エリオットがハイデマリーに訊ねると、彼女は素直にうんと頷く。
「ボクはそこまで詳しくないけど、結構な危険物かな?」
「私も話を聞いただけだが、かなりのものらしい」
「あれだけ力を発揮できるからね。レイジが持ってる分の力をさらに上回る力を出したときは、さすがの僕も驚いたよ」
話をしながらの移動が終わったレフィールたちは、近場にあった建物の影に身を隠す。
周囲に何かしらが蠢いているような気配があった。
「そちらだな」
「この辺り、結構入り込まれてるみたいだね」
「うまく身を隠します。これほど魔族というものが器用だとは思いませんでした」
「見た目じゃわからないけど、力で周囲を汚染して、自分たちが隠れるのに利用してるんだろうね」
「これはマズいな。次の大掛かりな攻撃に呼応されたら、大きな被害を受けるだろう」
レフィールが切り出す。
「では、戦術と陣形についてだが」
「僕はなるべく力を温存したいかな。またあの魔族が現れたときに、対応できるようにしておきたい」
エリオットはそう言って、左腕に嵌めたガントレットをぽんぽんと叩く。
黎二を援護する際に使ったそれの使用を、今回は控えたいというように。
「そうだな。ではエリオット殿は助攻、私の援護に入ってもらうことになるが、それでも?」
「構わないよ。ハイデマリーちゃんはどうかな?」
「いいよ。ボクもトランプたちに動いてもらうことにするし」
「私は魔法で皆様の援護に入ります」
「よろしく頼む」
方針が決定してすぐ、レフィールが建物の影から飛び出す。
しかして、魔族が動く気配は一向にない。このままやり過ごそうとでもいうのか、だが、それはレフィールが許さなかった。
彼女から、精霊の力が解放される。
周囲にレフィールの持つ精霊の力、イシャクトニーの赤迅が吹き荒れる。まるで大雨の前触れの一陣の風のように、赤い輝きを持つ突風が渦巻くと、偽装に使っていた邪神の力が瞬く間にはがれ、潜んでいた魔族たちがあぶり出されていった。
姿があらわになった魔族たちは方針を変えてレフィールたちの排除に動き出そうとするが、赤迅の風圧に押され、思うように身動きが取れないらしい。その場に縫い留められている。
そんな中、ハイデマリーが声を上げた。
「うわー、なにあれなにあれ? 気持ち悪ーい」
声に抑揚はないため、本気かどうなのかエリオットとクリスタには判断が付かない。ここに水明がいれば、彼女の言い方がいつもと違うことにすぐに気付けるのだが。
「そうか。君は初めて魔族を見るんだね」
「うん。話には聞いてたけどほんとにデーモンみたいな姿をしてるんだね。ヤギの頭はのっかってないけど」
「へえ、君たちの世界じゃそんなイメージなんだ」
「そっちはどうなの?」
「僕の世界かい? 全体的ににゅるにゅるしてるかな?」
「……うん。そっちも結構大変そうだね。水明君なら『うげー!』とか言って叫んでるよ」
視線は普通だが、同情めいた言葉を口にするハイデマリー。
ともあれ、魔族が赤迅を払いのけられないことを確認し、ハイデマリーたちは散開する。
クリスタが魔法を放ち、エリオットも剣を用いて魔族たちを打倒。次々と倒していく。
一方でハイデマリーはカードの兵隊を展開。頭や手足を生やしたカードたちが、剣や槍、メイスなどの物騒な武器を持って、魔族に向かって襲い掛かる。
戦いは、一方的だった。
魔族たちは赤迅に動きを阻害されて思うように動けず、そこを自由に動けるレフィールたちが一体ずつ確実に倒していくという流れとなっている。
そんな中、エリオットが神妙なつぶやきを漏らす。
「……なるほど。そりゃあもう使いものにならないから捨てるって発想にもなるか」
「ん? エリオット殿、どうした?」
「ああいや、レフィールちゃんの力はやっぱりすごいなと思ってね。これは僕、いらなかったんじゃないかな?」
「え、エリオット様!? 何をおっしゃられるのですか!?」
「いやーだってこんなの見せられたらさぁ」
エリオットはおどけているが、そのためレフィールはまったく本気に受け取らない。
「君はいつでも調子が変わらないな。いつも本心を表に出さない」
「うん? レフィールちゃんは僕の『本当』が見たいのかい? 望むならいつでも見せてあげるけど?」
「いいや、遠慮しておくよ」
「エリオット様っ!」
「はいはいわかってるよ。きちんと集中するから」
レフィールはクリスタを宥めるエリオットを見ながら、ふと思う。
その偽装っぷり。どことなく水明と似ているな、と。
しばらく――その場の魔族の掃討が終わった折、エリオットが不思議そうに口にする。
「拍子抜けだね。まったく歯ごたえがない」
「エリオット殿言う通りだな」
「あの魔族の将軍は何か細工をするような話をしてたんだけど、やれやれどうやらこっちは外れみたいだ」
「向こうが戦力を見誤ったとかは考えられない? だってボクたちっていう援軍が増えたんだから」
「いいや、あの魔族の将軍もかなりの強さだった。そんな相手が趣向を凝らすって言ったんだ。何かあるって見るべきだ」
「ふーん。わかった」
ハイデマリーが素直に話を受け取ったそのときだった。
まるで砲弾でも撃ち込まれたかのような震動と轟音が辺りを脅かす。
「む――」
「うわ、ちょっと埃っぽいのはヤなんだけどー」
「おっと、話をしてたらなんとやら。お出ましだ」
エリオットだけは、何事か察していた。
しかしてそこに降り立ったのは、あまりにいびつな姿だった。
昆虫の姿と獣の姿を混濁させたような巨体。黎二とエリオットの前に現れた異形の魔族に他ならない。
「もしかして、あれが例のすんごいヤバい魔族ってやつ?」
「ええ。そうです。お気を付けを」
「確かに言う通り、尋常ではない姿をしているな。いや、魔族というのも尋常ではないが」
「そうだね――というかあれ、僕とレイジで追い詰めた奴じゃないか。やれやれ、傷の治療もしていないってことは、あれも使い捨てってことかな?」
異形の魔族は腹部が大きくえぐれている。そのせいか、動きがどことなくぎこちない。
ハイデマリーが突然鼻を押さえた。
「――うわくっさいなにあれ? 腐ってるんじゃない?」
「そのようだな。にしても傷を治さず放置したままか……」
えぐれた腹部が腐敗によって、さらに黒ずんで爛れている。傷もそのまま放置しておくということは、本当に駒としか考えていないのだろう。
「やだなぁ……みんな、あれを近付けさせないで」
ハイデマリーはそう言うと、総計53枚のトランプの兵隊たちを展開させる。
異形の魔族の周囲を取り囲むように広がったトランプの兵隊は、剣や槍、メイスをせめぎ合わせて突進。しかし、ハイデマリーがけしかけたトランプの兵隊は、一撃で跳ね飛ばされた。
トランプの兵達たちはもとのカードへと戻ってしまう。
「これじゃ時間稼ぎにもならないね」
「あいつに生半な攻撃は通用しないよ? かなりの力がないと抑え込むのは難しい」
「なら、これだ――あとでしっかり洗ってあげるから許してね」
ハイデマリーはその場にいる誰にでもなく、そう一言告げると、呪文を唱える。
「――Sie kommen,meine niedlich bär kuscheltiere」
(――さあおいで、ボクのかわいいくまさんのぬいぐるみ)
『ポンッ!』という可愛らしい音を響かせながら、空に巨大なクマのぬいぐるみが出現する。三角帽子をかぶった大きなくまのぬいぐるみは、異形の魔族に吸い込まれるかのように落ちていった。
――ズシン。
そんな巨大なものが地面に落ちたときのような音が辺りに響く。
ハイデマリーの予想では、異形の魔族は五行山に封印されていた孫悟空よろしく、そのままクマのぬいぐるみの下で身動き取れずになると思っていたのだが――
汚らわしい咆哮と共に、クマのぬいぐるみは異形の魔族にぶんぶんと振り回され、とんでもない勢いで投げ飛ばされた。
「うそ? ベアトたんでもダメなの? これ以上になると大魔術級じゃないと厳しいかなぁ……」
だが、ハイデマリーの攻撃で異形の魔族の動きが止まったというのは間違いない。
エリオットがその隙を見て、滑り込むように飛び込んでいった。
がら空きになった正面に、エリオットが真っ向斬りを叩き込む。
その鋭い一撃は、しかし異形の魔族の強靭な肉体によって受け止められた。
直後、エリオットが大きく弾き飛ばされた。というよりは自ら相手の攻撃に合わせて飛んだようで、着地も完璧にこなし、何事もない。
だが、なぜか困惑している様子。
「どういうことだ……?」
エリオットは剣を掴んだ自分の右手を見ている。
「エリオット様! いかがなされましたか!」
「……いや、大丈夫。なんでもないよ」
「その気持ち悪いのに何かされたとか?」
「そういうわけじゃない。僕個人の問題だから」
「…………?」
エリオットの妙な言い回しを、ハイデマリーとクリスタは怪訝に思う。
そんな中、エリオットには、レフィールの動きが気になった。
「……レフィールちゃん?」
何故かレフィールは、無造作に前に出て行く。
「…から…に。う…えか……に」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら歩を進めるレフィール。一体どうしたのか。いまは表情も見えないために、混乱しているようにしか見えない。
エリオットも、ようやくそれが「上から下に」と言っているということに気付いたその折。
レフィールが豁然とまぶたを開き、異形の魔族に毅然とした視線を向ける。
「――お前には、試し斬りの的になってもらおう」
レフィールはそう言い放つと、大剣を高々と振り上げる。その切っ先を空に突き立てるように、八相の構えの状態からさらに高く剣を掲げるような構えを取り、異形の魔族を待ち構えた。
周囲に渦巻くイシャクトニーの赤迅が、彼女を取り巻く。まるで竜巻の中心点にいるかのようなそんな暴風の中、エリオットの目にレフィールを囲う円形のフィールドが構築されたのが見えた。
レフィールを目標と見定めた異形の魔族が咆哮を上げて突進する。
おどみをまとって突進する巨体に対し、赤い風をまとった大剣が空を切り裂いて唸る。
地を震わす衝撃と、それに反して冷ややかで鋭い刃風の音が聞こえてくる。
しかして、交差するか否かのみぎり、異形の魔族はレフィールの上から下への剣によって真っ二つに切り裂かれた。
両断された巨体が崩れ落ち、地面を揺らす。
やがてそれは黒い塵となって消えてしまった。
精神を落ち着けるレフィールに、エリオットが歩み寄る。
「いやぁ、こんなに簡単に倒されちゃうと自信失くしちゃうなぁ」
「いいや、エリオット殿とレイジ君が消耗させていなければこうはいかなかった。それに、集中力が意に適うまで結構な時間を費やすからね」
呟いてあの動きを思い出し、剣を構え、集中する。それらの行程を踏まえると、致命的な隙とも言えた。周囲の援護がなければ、決して真っ二つになど叩き切れなかっただろう。
そもそもこの程度ならば、エリオットや黎二だって倒せるはずなのだ。
どうして二人が大きな危惧を抱いていたのか、レフィールにはわからないほどだ。
ということは、だ。
「…………訊ねたい」
「なんだい?」
「以前に君が戦ったこの魔族は、本当にこの程度だったのか?」
レフィールの言葉に、エリオットはピタリと立ち止まる。
「……いや、かなり動きが悪くなっていた。おそらくは僕やレイジが与えた傷を、そのまま放置していたんだと思う。正直前はまともに会話している余裕とかなかったしね」
「そうか。やはりまだまだ修行が足りないらしいな」
正直な話、レフィールもインパクトのタイミングを合わせるのに精いっぱいだった。
いまよりも動きが速かったなら、あの体当たりによって吹き飛ばされていただろう。
これからこんな存在が、大量に出てくるのか。
そんな確定的な未来に、さらなる精進の必要性を実感するのだった。
「やれやれ、僕もそろそろ本気を出さないといけないようだね……」
……レフィールが実力不足を憂慮する中、エリオットの口からそんな呟きが漏れ聞こえてきたのは、果たして何故だったのか。
●
ムーラは王都から離れた場所に作られた陣の中で、一人、思案に耽っていた。
考えるのは、この戦の今後についてだ。
人間の都市を攻め、魔王ナクシャトラや邪神の意に沿うよう勇者の力の偏重を促す。
都市陥落は二の次であり、目的が遂行できればそれでいいという程度のもの。
――だが、それだけでは上手くことが運ばない可能性があるのではないか。
ただ威圧して退くだけではなく、趣向などと口にしたのには、そんな憂慮とも言えない危惧があったからだ。
「女神の力の偏重か……勇者が二人いるこの状況で、それがうまくいくと言うのか……」
すでに予定外の事態は起こりつつある。ならば、その都度それを解消していくのが、己に与えられた裁量だろう。
そのために仕掛けたのは、異形の魔族一体に、細工が二つ。
異形の魔族の方は損傷が激しかっため、適当にけしかけた程度だが、それでも邪魔にはなるだろう。
ふと、魔族の一体がムーラのもとへと近づいていった。
ムーラはそれを報告と察し、耳を傾ける。
「動いたか? …………なに?」
しかして魔族がムーラの耳に報告したのは、彼女を驚かせるに値するものだった。
当初の予定が狂わされたことで、ムーラは方針の転換を余儀なくされる。
そんな中、以前にリシャバームが口にした言葉が蘇った。
「黒い髪、黒い衣服をまとった人間の少年……」
あのときリシャバームは「そう言った可能性も考慮しておいた方がいいかと」「あなたほど力を操れるのであれば、あるいはとも思います」そんな言葉を口にしていた。
ということは、リシャバームはそれだけ、その男のことを警戒しているということだ。
ならば、己がそんな相手を倒してみせれば、どうなるか。
「……いいだろう。私直々に貴様の顔に泥を塗ってやろうではないか」
ムーラはそう言うと、苛立った表情を引き締めたのだった。