数が集まりすぎれば
やってしまった。
そんな思いばかりがある。
思えばあたしはいつもこうだ。
気がついたらどうにもやるせなくなって、憤りを抑えきれなくなって、向こう見ずに飛び出している。
駆り立てるのはいつだって苛立ちでやるせなさだ。
どうしてだ?
どうしてそんなに簡単に見捨てられる?
シリスのあの透徹した目を思い出す。どうでもいいモノがどうなろうと知ったことではないと暗に主張しているあの目だ。
そりゃああんた達には関係無いかもしれない。顔も知らないはずだよ。
でも、今日テアちゃんが食べていたアイスクリームは料理人さんが作ってくれたものなんだ。そのデザートやお菓子を運んできてくれたのが使用人の人達で、屋敷を入る時に応対してくれたのは警備員さん達だ。全く関わりあいが無いわけじゃないんだよ。これかられーちゃんと一緒にやっていこうって時にそんな人達が死んでもいいっていうのか?
いや、これは言い訳だ。
きっとあたしは例え本当の初対面の人で全く完膚無きまでに関係性の無い人間であったとしても助けようとしただろう。
なんでかって? あたしが気に入らないからだ。
これが賢くない行為だってこともわかってる。
ああ、わかってるさ。
けど別にそれでいい。
危険にさらされてる人達が居るんだ。
助けられるかもしれない人達が居るんだ。
それを見捨てて「良かった良かった自分は生き残った」だなんて、あたしには思えない。
だったら馬鹿でも愚か者でも、玖月歩は人助けに走るべきだ。
一足飛びで暖色灯揺らめく廊下を進む。左右を見回すが蜘蛛の姿は無い。
突き当りの曲がり角を右へ。その通りの途中にある扉――最初の目的地――へ辿り着くと、慎重に、そっと開けて隙間から中を覗きこむ。
「誰も居ない、か……」
敵が居なくてホッとすると同時に人の姿が無いことに残念さを覚えた。けれどこれで次に向かう先は決まった。厨房だ。
この屋敷はれーちゃん一人のための数ある別邸の一つだけれど、常に管理のために一定数の使用人が務めている。もう夜も更けてきているけれど全くのゼロということは無いはずだ。なら使用人室を空けてどこに行ったのか? 追加の料理を作りに行ってる可能性がもっともそれらしいと思えた。
考え直せば使用人を呼びつけるための何かしらがれーちゃん達とクロが交渉していたあの部屋に無いわけはないと途中で思い至ったけれど、あの時は頭に血が上ってしまっていたのでしょうがない。今更だ。戻ろうにもここまで来てしまったらたぶん厨房に行った方が早い。
気にせず先へ進もうとするが、そこでふと足が止まる。
「このままじゃ駄目だよね。またさっきみたいなの来たら逃げることしかできないや……」
使用人室を見回すと、ふと赤いボンベ状のものが見つかった。
「消火器、これなら……」
粉末消火器だ。本来着火物周囲の酸素を遮断して火を消すためのものだけど、小さい虫を吹き飛ばすぐらいはできないだろうか? あわよくばそのまま窒息も狙えないかとわずかばかりの期待をする。
壁に掛けられたモダン調の絵画にいつもは感心の溜息をつくところだけれど今はそんな暇は無い。階段を駆け下り、1階を目指す。
と、その階段の途中で気になる、いや気にせざるを得ないモノを見つけた。
「……糸?」
ところどころ階段の手すりだったり段の途中に白い色が張られていて、触れればまずいことになる予感で一杯の代物だった。
さっきまでの軽快に飛ばすような疾走をできるわけも無く、慎重に避けながら進む。周囲への注意もサボるわけにはいかないので更に時間がかかった。超牛歩。
厨房に近づくにつれ蜘蛛糸は量を増していった。足の踏み場がほぼ完璧に無いような通路もありわざわざ迂回したほどだ。無駄に広いんだよこの洋館!
ようやく厨房前の食堂に辿りついたのだけれど、心なしか蜘蛛糸がこの辺りだけ少なくなっている気配がなんとなく罠を連想させる。凄く嫌な感じだった。
「虎穴に、ううん、この場合は蜘蛛の巣穴にいらずんばってところだよね……」
樹のうろとか土の中に住処を作る種類もいたはずだからあながち間違いでもあるまい。
使用人室と同様に慎重に扉を開けようとドアノブに手を掛ける。
ニチャ。
「ニチャ?」
音の発生源に半ば条件反射で視線を向けるとあたしの右手からだった。
正確には手のひら。
「ちょ、これ、やばっ、しくじった!!」
丁度立ってる位置からでは見えないような、ドアノブの下側の部分に糸が貼り付けられていた。
しかも粘性が高く、引っ張っても捻っても切れる気配が全くない。
四苦八苦してると今日一日ですっかり聞き慣れてしまった何かが這いまわるような、あのカサリとした音が食堂に響いた。それも上下左右全部からだ。
「四方八方に片手も塞がり、って大ピンチすぎるでしょ!」
さっきの交渉部屋の時と同じだ。大小様々な蜘蛛があたしの方へ向かって高速で向かって来ている。それも生理的嫌悪感を抱かずには居られない膨大な数だ。昔の偉い人は言ったそうだ。「数が集まりすぎれば何であれ気持ち悪い」と。
このまま無抵抗だと糸でがんじがらめか全身に噛み付かれるかだろう。この国は毒を持っている蜘蛛は10種類程度しかいないみたいだけど、この数は居てもおかしくない。1匹2匹ならともかく数十匹に毒を注ぎ込まれればあたしの体とてどうなるかわからない。消火器を浴びせて撃退するかこの場を離脱しなければ危険だが、今現在ドアノブに片手が貼り付けられていて身動きが取れない残念な有様である。
しかしモノは考えよう。ドアノブに貼り付けられていて動けないなら……それ自体を引っこ抜けばいい!
「ぅぬぅぅあぁぁあっっ!」
壁に片足を掛けてがっちり掴んだまま目一杯力を込めて引くと、金属製の留め具が音を盛大に立てて木目を引き裂いた。
「よっし!」
ドアノブが引っ付いたままの右手が邪魔で煩わしかったが、不器用ながら消火器の先端を蜘蛛に向ける。粉末消火器の噴射力はなかなかのもので正に蜘蛛の子を散らすように白い飛沫が床を覆っていった。
「こっち来んな! あたし基本的に虫って苦手なの!!」
当初の目論見通り吹き飛ばすことと呼吸器官を覆って窒息させることに成功しているようだ。消火剤を吹きつけられた奴らはしばしこちらへ前進する挙動を見せたものの、途中で力つきて進むのをやめる。当てずっぽうな考えが上手くいったことに少し溜飲が下がる。
しかし、数が数だ。自分めがけて突っ込んでくる蜘蛛達全てに消火器の洗礼を浴びせられるわけもなく、波状攻撃を回避してきた蜘蛛たちはひたすらにあたしを目指している。このままじゃジリ貧。
消火器を投げ捨て、翻って先ほど開いたドアの先へ飛び込む。罠かもしれないが、こちらからは奴らが来ていない。一時しのぎにはなる。
「このままじゃ不便すぎるよもう! 何かあるはず…………、って、え、嘘!?」
幸い逃げ込んだ先の厨房には蜘蛛は這っていなかった。けれど人間大の、白色の糸をきれいに巻いたような糸巻きが2つほど床にあった。もしかして、いや、間違いなく使用人さん達だ。
遠目に見ただけでは無事かどうかが判然としない。どうか無事であって欲しい。今すぐにでも助けて逃げ出したいけどそれもあの蜘蛛の大群をなんとかしないと厳しい。
「厨房だし、火を使うものなら……あった!」
コレステロールゼロの調理用グレープシードオイルをぶちまける。そして次にガスバーナー。炙るなんてみみっちいことは言わない。
「黒焦げにしてやる!」」
入り口に撒いたオイルにガスバーナーを浴びせると、少しもどかしかったものの無事に引火。燃え広がると屋敷が燃え落ちるかもしれないがこれで時間は稼げる。
……れーちゃんにあとで謝っておこう。とんでもな対価を要求されるかもしれないけど。
わずらわしかった右手のドアノブ接着部分にガスバーナーを浴びせる。普通の人ならできないんだろうけど、この程度なら少し熱い程度で済むのは過去に実証済みだ。
粘着質の糸は瞬く間に炭化し、接着性を損なった。黒いグスグスの粉末をあたしの手に残してドアノブが剥がれ落ちる。
念のためその辺においてあった調理器具で糸巻きにされた人達の表面に触れてみるが粘着性は無かった。
いつも詰めている数からすると2人分というのは少なすぎる。カッとなって飛び出して来る前にれーちゃんに使用人さん達の人数だけでも聞いてくるべきだったけれど、他に糸巻きも見当たらない。
とりあえず両脇に抱えて別経路からの脱出を目指す。勝手口から外へ繋がっていたはずだ。
シリス達のあの様子ならとっくに外に出てる。癪だけどいつまでも単独で絶対数の分からない敵を相手に出来ないし、とっとと合流するに限る。
「このまま外にっ……なっ!?」
ちょっとした一流ホテルの厨房ほどもあるスペース、その壁面が突如として吹き飛んだ。フッ素コートやらダイアモンドコートされた調理器具が互いに衝突し合いながら宙を飛んで行く。もうもうと立ち込める煙の向こう側から見えたのは……
「ギィィシャァアアアッッッ!!」
「ガルガントスッ!? なんでっ、いや、違っ!?」
居るはずのない埃のベールから見えたシルエットに動揺。8つの目と8つの脚。そいつはあたしを瀕死に追いやったガルガントスを嫌でも思い出させた。
けど奴じゃなかった。甲殻は黄黒の縞模様に塗り分けられ、体躯もガルガントスより一回りほども小さい。ガルガントスでもなく小さな蜘蛛の群体でもない想定外の敵。その遭遇に体を硬直させてしまったあたしは屋外側の壁をぶち破ってきたそいつにまんまと奇襲を許してしまった。
金属バットぐらいの太さの歩脚を振りかぶったそいつを見た瞬間、回避の不可を悟ったあたしは何よりもまず抱え込んでいる2人を庇うことを優先した。両脇に放り出した直後、土手っ腹に衝撃が走る。今度はあたしが自分の体で厨房の壁を貫いて、縞蜘蛛と逆側――食堂へと吹っ飛ぶことになった。
「くっそ、なん……なのさ」
ガルガントス程じゃないにしても今のは効いた。内蔵が潰れるレベルじゃないが、肉と骨に響く一撃だった。
「ギシャシャシャシャアアアッッ!」
あたしがダイニングルームの床に這いつくばって悪態をついている間にそいつは雄叫びをあげ、毒々しいコントラストの歩脚を踊らせる。硬質な物体がガンガンぶつかる音を響かせながらこっちに近づいてくる。
「……どう見たってあんた敵だね……いいよ、戦ろうか」
片膝立ちで相手を睨みつける。良く良く観察すれば威圧感はガルガントスより遥かに下だ。初撃でいいのを貰ってしまったけれど肉弾戦でも戦えないことはないはず。
問題があるとすればステージだ。あたしが壁の破片を撒き散らしながら食堂に侵入してきた時点でだいぶ散ってはいるが、すぐにでも通常サイズの蜘蛛共が集まってくる。長引かせられない。それに壁を破ってくるってことはいつ奇襲を掛けられてもおかしくないからここで仕留める必要がある。
「う、らぁぁぁぁぁ!」
「ギシャシャァアァ!」
敵が来るのを待つのではなく、迎え撃つ。
駆け出しながら縞蜘蛛の頭頂部目掛けて右腕を振りかぶる。頭を潰せば生きていられないはず。不安といえばあたしの拳が縞蜘蛛の表皮を砕けるかというとこだけど、そこはやってくみなくちゃわからない。
果たして、あたしの大振りの一撃は――空振りに終わった。
こっちに向かって前進してきていた縞蜘蛛は突如歩脚を地面へ突き刺し急制動をかけたかと思うと、その体躯からは想像も出来ないほど軽やかに宙へと舞い上がった。舞い上がって、腹部の先端をあたしに向けた。
しまったと思った時には遅かった。先端に見える突起、その出糸管から大量の糸が放出。
右手を振りかぶって体の流れてしまったあたしに避ける術は無く……いや、仮に体制を崩してなかったとしてもこの至近距離では投網状に広げられた糸の回避は難しかったろう、雁字搦めに拘束されてしまった。
「ちっ、きしょ」
人語を介さないからといって油断した結果がこれだ。
糸を解こうと暴れるが逆に絡まって更に身動きが取れなくなる。おまけに散っていたはずの通常サイズの蜘蛛達も集まってきた。絶対絶命もいいところだ。
「ガスバーナーとオイルを捨ててきたのはまずかったな、くっ、このっ、解けろっ、解けろっ」
寝転がったあたしの目の前まで子蜘蛛が迫り、今まさに飛びかからんとしたのと、
「全く、何をやっているのですかあなたは」
その蜘蛛が突き立った紅の剣に潰されるのは全くの同時だった。




