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スレンダーマンの正体と、可愛い教え子

 荷造りは驚くほどあっさりと終わった。

 もともと辺境の貴族である。持っていくべき私物など、木箱一つに収まる程度しかなかった。


「カイル、本当に一人で大丈夫なの? まだ七歳なのに……」


 馬車の前で、姉のリリアが俺の小さな手を握りしめる。

 その隣では、母さんが心配そうにハンカチを握りしめていた。


「心配しないで、姉さん、母さん。公爵閣下から直々に指名されたんだ。ここで実績を作れば、エステダール家の立場もずっと安全になるから」


 俺は努めて明るい声を出した。

 嘘ではない。チュートリアルで全滅する俺たちの破滅フラグをへし折るためには、強大な権力を持つハンステイン公爵家とのパイプは喉から手が出るほど欲しい。

 

 それに、だ。


(公爵令嬢の剣術指南役。響きだけで最高じゃないか!)


 馬車の窓から遠ざかる我が家を見つめながら、俺は内心で安堵の息を吐き出していた。

 前世の記憶が戻ってからというもの、死の恐怖に怯えながら泥臭い素振りと筋トレばかりの日々だったのだ。

 それが急転直下、公爵家での優雅な家庭教師生活へのランクアップ。

 相手は幼い女の子だ。適当に褒めて、剣の振り方を優しく教えていれば、向こうも懐いてくれるに違いない。


(なんだ、俺の二度目の人生、意外とイージーモードに入ったんじゃないか?)







 ◆







 馬車に揺られること数時間。

 辿り着いたのは王都ではなく、広大なハンステイン公爵領の要となる本邸だった。

 息を呑むほど豪奢な造りだが、どこか空気が重い。庭の木々が日光を遮り、巨大な屋敷全体が異様な静けさに沈んでいる。


「よく来てくれたね、カイル君」


 玄関ホールで出迎えてくれたのは、あの時と同じ黒いコートと帽子を身に纏った長身の男だった。


「お招きいただき光栄です、ハンステイン公爵閣下」


 俺は完璧な貴族の礼をとった。

 内心では(やっぱりスレンダーマンにしか見えねぇ……)と冷や汗を流していたが、顔には出さない。


 よくよく考えてみれば無理もない。俺の脳内Wiki(前世のゲーム知識)に、ハンステイン公爵の顔など登録されていないのだ。

 あのエロゲにおいて、親世代のキャラクターは大抵が立ち絵のない『黒いシルエット』か、テキストのみのモブ扱い。

 

 俺がこの男の顔を知らないのも当然である。


「長旅で疲れているところ申し訳ないが、さっそく娘に会ってもらえないだろうか。彼女も、自分と同年代の指南役が来ると聞いて、少し……緊張しているようでね」

「はい、もちろんです。お任せください」


 俺は自信満々に頷いた。

 案内されたのは、屋敷の奥にある広大な室内訓練場だった。

 重厚な両開きの扉を、公爵が静かに押し開ける。


 部屋の中央。

 そこに、一人の少女が立っていた。


 純白のドレス。透き通るような白い肌。

 背中まで伸びた艶やかな黒髪。

 そして、前髪の隙間から覗く深い紅色の瞳。


 少女は俺の足音に気付くと、小さく肩を跳ねさせ、ドレスの裾を両手でギュッと握りしめた。

 目線は床に向けられたまま、こちらを見ようとしない。


(……え? めっちゃ可愛いぞ。それに、怯えてる?)


 なるほど、公爵が言っていた通り、同年代の男の子が来て緊張しているだけだ。

 俺は彼女を安心させるため、最も無害で優しい笑顔を顔に貼り付けた。


「紹介しよう。私の娘の、フィーネだ」


 公爵の低く落ち着いた声が、室内に響く。


「初めまして、フィーネお嬢様。本日からあなたの指南役を務めさせていただく、カイル・エステダ——」


 挨拶の途中で、俺の舌がピタリと止まった。


(……はい?)


 フィーネ。

 ハンステイン公爵家の、黒髪で紅い瞳の令嬢、フィーネ。


 数秒前まで優しく機能していた俺の思考回路が、一瞬にしてショートする。

 視界の端で、メイドたちが少女から不自然なほど距離を取り、壁際で小さく震えているのが見えた。

 少女の足元から、微かに、本当に微かにだが、空気を歪ませる黒いモヤが漏れ出している。


(待て待て待て待てッ!)


 俺の喉が、カラカラに乾いていく。


(フィーネ・フォン・ハンステイン!? あの『淫欲の災厄魔女』!? 主人公をワンパンで沈めて、俺の愛しきヒロインたちを全員肉奴隷に堕とした、あの狂畜生ラスボスじゃねえか!!)


 なんで気付かなかった。

 なんでハ(・)ン(・)ス(・)テ(・)イ(・)ン(・)という家名でピンとこなかった。

 ゲームの開始時点で、彼女はすでに一国を滅ぼしかけている最凶の魔女だった。こんな小さな子供時代の姿なんて、設定資料集の片隅に一行書かれていただけだぞ!


「……あの、私の顔に、何かついていますか?」


 沈黙に耐えかねたのか。

 未来のラスボス(現在七歳)が、おずおずと顔を上げ、紅い瞳で俺を真っ直ぐに見つめてきた。

 細く、折れそうなほど華奢な声だった。


「い、いえ! なにも! 素晴らしいお顔立ちだと、見惚れておりましたッ!」


 俺は直立不動のまま、裏返りそうになる声を必死に腹の底に押し留めた。


(終わった。チュートリアルの全滅フラグから逃げ出したと思ったら、自分からラスボスの拠点(セーブ不可エリア)に突撃していただと……!?)

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