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宝石掌編  作者: 石留 琴
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柘榴石

 

柘榴石。わたしの、、柘榴石。こちらへ来てください。そう言いながら手のひらを空へ向けて、柔らかいソファに沈む柘榴石を呼ぶ。柘榴石は静かに目を瞑って、柔らかなワンピースに身を包んで、しっかりした布の柔らかいソファに身を沈めている。行儀良く足と手を揃えて、クッションに小さな体を預けている。柘榴石。もう一度、空気に囁くように呼ぶ。柘榴石。もう一度重ねて呼ぶと柘榴石はようやく目を開いてくれた。朝焼けの光が差し込んだ、深い赤と端のピンクと内に溜まった黒色と、なにより柘榴の赤がきらきらと瞬く柘榴石。目と目が交差した瞬間、すぐによそへと視線を逸らされる。悲しいけれど、寂しくはない。柘榴石は、ずっと居てくれるのだから。少し視線が合わなくたって、構やしない。頭ではそう理屈っぽく言ってみても、柘榴石が来てくれないことに我慢できず、わたしの方から側へよる。側へ寄って、小さな体を手のひらに乗せて、そっと顔を近づける。柘榴石はおかしそうな笑い声をあげて、朝焼けの光がちらちらと周囲を舐める炎のようにゆらめく。ほんの小さな体ではソファの全体すら照らせないが、彼女の光は確かにはるか周囲を揺らめかせている。


『あなた、すごい顔ね』


どんな顔ですか?囁くように、内緒話をするように問いかけてみる。心当たりがなかった。


『迷子の顔、徹夜の顔、夢見が悪い時の顔よ』


柘榴石はふいに腕を上げてわたしの顔を指差す。そんなにも、酷い顔をしているのか。冷え性でいつでも冷たい指先を自分の頬に添えて、軽く揉んでみる。いつもは嫌なはずの冷たさも心地よく感じる、わたしはかなり疲れていたらしい。そう、最近忙しかったから。


『違うわ、あなた忙しさにかまけて忘れていたでしょう』


忘れた?何を忘れていたのですか?わたしは想定していなかった、どの言葉も想定通りというわけではないけれど、その言葉に驚く。最近は小さな揉め事も多くて、それで色々と忙しくなってしまっていた。それは間違いない、柘榴石の言う通りだ。けれど毎日のルーティンは崩れていなかったし、仕事のミスもほとんどなかった。ハンカチとかの細々した忘れ物も、大してしていない。いや、していたとしてもその程度で柘榴石の言う酷い顔にはならない。わかりません。柘榴石、わたしは何を忘れていたのですか?柘榴石は光をころころ転がしながら、またおかしそうに笑った。私は一体どれだけ酷い顔をしているのか。


『私がいることを、忘れたでしょう』


『だから、私を思い出して寂しくなったのよ』


柘榴石はちらちらと光を反射しながらそう言う。またそっと瞳を隠して、私のことを見ないようにするかのように。眠るように瞼を下ろして、わたしなんて居ないかのように眠ろうとする。わたしはその安らかな顔を眺めながら、柘榴石の言葉を必死に反芻した。柘榴石のことを、わたしが忘れてしまっていた?そんなはずはない、柘榴石はわたしの大切なものなのだから。毎日その存在、色に想いを馳せて、手のひらに乗せて大きさを実感して、守られていることを願うのだから。だから、柘榴石のことを忘れるだなんてそんなはずはない。


本当に?


いつもいつも、忙しかった。目がまわるというより、目を閉じられない忙しさだった。いつも考えることが多くて、ぼんやりと夢想する時間はほとんどなかった。それで、ようやく休む時にはもう何も考えられない状態だったし、あるいは新しい仕事について考えてばかりだった。それじゃあ、前回柘榴石について考えたのはいつだっただろう。そんなの、普通に考えれば数時間前。いつもの、忙しくなかった頃ならそう答えられる。けれど今は、いつだっただろうか、すぐに答えが出せない。確信を持った答えを導くことができないのだ。わたしが頰に手を当てたまま愕然としていると、柘榴石は仕方なさそうに、また目を開いてくれた。あたりにまたほむらが広がる。赤、紅、ピンク、深い黒と柘榴石の色のほむら。


『仕方ないわね。忙しさで私を忘れて、そんなことにも気が付かないなんて』


本当に、自分に呆れて仕方がないです。柘榴石の言葉にひたすらに頷いて、赦しを乞うために座り込む。わたしを守ってくれるもの、わたしの大切なもの、わたしの柘榴石を忘れてしまうなんて。柘榴石はわたしの頭頂部をじっと眺めて、それからひとつ息をついた。風が差し込んでどこかのカーテンが翻る。カーテンの隙間から差し込んだ朝焼けの光が、柘榴石の光を床一面へ塗り広げる。小さな柘榴石、わたしのちっぽけな柘榴石。それでもわたしの一番を譲らない柘榴石。あなたのことを忘れていたから、わたしは忙しさ以上に草臥れた。寂しくて、近くにあるはずのものがなくて調子が崩れた。それほど大切なのに、言われるまで気がつけなかった。わたしの、わたしの柘榴石。どうか期限を直してください。あなたに見捨てられてはどうしようもないのです。


『次はないわよ』


柘榴石は囁く。


『良い、私はどこにでも行けるわ。あなたが忘れたその日のうちに、どこにでも』


囁く。


『あなた、私を忘れてはだめよ』


わたしはただ手のひらよりも小さな柘榴石に頭を垂れた。柘榴石の言葉を心に刻んで、どうか忘れないようにと自分に言い聞かせる。次に忘れてしまったら、わたしは見捨てられてしまうから。見捨てられてしまったら、きっともう本当にわたしは立ち直れないから。だからどうか柘榴石を失望させないように。あなたを決して忘れないように

 

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