ニキシーと捕獲(後)
「なに、発見した?」
霧の中から現れるミストキャットを足止めし、黒の斑点の有無を確認してとどめを刺す。
そんな作業にもだいぶ慣れてきた頃、イリシャの上ずった声がして、四人はそちらに目を向けた。
「はい。第十一分隊から報告がありました。本体を見つけたとのことです」
「おお、でかした、すぐに向かうと伝えい!」
護衛から報告を受けて、イリシャは沼竜の首を彼方へ向ける。
「二人はわしに続け! エルフ娘らはここで待機じゃ。戦力的にも問題なかろう」
「いいのかしら? ついていかなくて」
「派手に動くと他のプレーヤーに気取られる心配がある。すでに何回か遭遇していると報告も受けておるからの――待ちに待ったモフモフじゃ。取り逃してなるものか!」
イリシャは目を光らせ、ニィィ……と唇の端を持ち上げて狂気の笑みを浮かべる。
「あれは、わしのじゃ。わしのモフモフなのじゃ。邪魔する奴は容赦せぬ。半年前のあの屈辱……二度と同じ過ちを繰り返すものか。誰であろうと首を落としてくれる――ゆくぞ!」
イリシャは沼竜に拍車を入れる。その巨体と湿っぽそうな見た目に反して、沼竜はドドドドドドと猛スピードで駆けていき、あっという間に霧で見えなくなった。
「あれを派手って言うんじゃないかしらね?」
「まあまあ、雇い主の言うことは聞いておこうよ。しっかし、ボクらが発見すればボーナスが出たんだけどなあ、さすがにそこまで甘くなかったか」
「苦労したんですけどねぇ」
来る猫来る猫、すべて分体だった。顔とか体とか分かりやすいところに斑点があればさっさと戦闘に入れたのだが、顎の下とか腕の裏とか、分かりづらい場所にあると確認に時間がかかる。
「ま、これで面倒くさい確認作業は必要なくなるわけね」
「だね。来るやつはもう、あとは全部分体だから」
「では――わたしも戦闘に参加していいでしょうか?」
ニキシーが手を上げる。
これまでニキシーは、ずっと確認係をやってきていて、武器を握ってもいなかった。
「ああ、そうだね。もうボクら以外にいないし、いいと思う」
「ちょっと神経質すぎたんじゃない?」
「余計なトラブルは避けたいだろ? ニキシーが一撃でミストキャットを倒しでもしたら、クランメンバーを殺したのがニキシーだってバレるかもだし――そうでなくても、いったいどうやって通常攻撃で、って騒ぎになるし」
「そーね、あんたみたいにね。自慢をしたくなったりね」
「う……言うなよ。約束だろ」
「はいはい、わかってるわかってる」
二人だけにしか分からないやりとりをして、ディーザンは咳払いをする。
「とにかく、ニキシーはここから本気を出してよ。ミストキャットが出てくる間隔も短くなってきたし」
「わかりました」
さすがに確認係だけしているのは辛かった。
イリシャたちからも『なんでこいつ戦わないんだ』というような目で見られていたし。
「さっそく来たみたいよ。精霊が言ってる」
「便利ですねぇ、パフちゃん」
シダを踏む音が聞こえる。ニキシーはインベントリから武器を取り出した。体格差のある相手なら長物がいいだろうと――取り出したのは身長ほどの長さのある、棒。構えて、待つ。
――が。
「おやおやァ?」
霧から出てきたのは、ミストキャットではなかった。
「これはこれは――なかなかウマそうな獲物がそろってるじゃねェか?」
◇ ◇ ◇
それは三人組のプレーヤーだった。どれも黒を基調とした装備をしており、霧の中では目立つ。
黒いフード、短剣を持った軽装の男。黒い布を目隠しに巻いた、革鎧の男。黒い鉄鎧で全身を覆い、巨大な戦斧を担いだ男。
「本体がなかなか見つからなくてダレてたトコだ――標的を変えてもイイかもしれねェな」
口を開くのはフードの男だ。手に持った短剣をくるくるともてあそぶ。
「何よ、あんたたち?」
セレリアが訊ねる。だが、男は無視した。その視線は四人を順に舐め回し、最後に宙に浮かぶ精霊を見る。
「初心者だな」
「だったら何よ」
男は、再び無視する。
「メイジはオレ。プリーストは任せた」
「は? だから――」
「セレリア、なんかやば――」
次の瞬間、男たちが動く。
「【加速突き】ィ!」
「【トマホーク】!」
フード男の姿がかすみ、次の瞬間ディーザンの背後に到着する。その短剣は、赤く染まっていた。
「かはッ」
「ディー!?」
「【背中突き】――【なます切り】ィ!」
息をつかせぬ連続攻撃。霧が赤く染まる。あっという間に、ディーザンは死亡した。
「クッ――」
「ひっ、ひぇぇ」
「おっ、そっちは初撃外されてんのかよ」
鉄鎧の男が投げた斧――スタを狙ったそれは、間に入ったニキシーが棒で打ち返していた。戻ってきた斧を手に、鉄鎧はフードに言葉を返す。
「まぐれだろう。次はない」
向けられる、殺気。ニキシーはスタを背にして、棒を握る手に力をこめた。
黒ずくめだからイリシャの関係者かと思ったが、どうも違うらしい。ミストキャットを狙う他のプレーヤー――それも、初心者を追い剥ぎするようなやつら。
「【突
ニキシーはスタを蹴り飛ばし、反対側へ跳ぶ。
撃斧】!」
猛スピードで直進した鉄鎧が、ニキシーとスタの間を抜けて空振りする。
急制動をかけて振り向き、標的としたのは――スタではなく、ニキシー。二度までも攻撃を防いだ相手。
「【活
横から斜め下に斬るタイプ。逃げるなら? 持ち手の方向へ、かいくぐるように!
殺斬】!」
ニキシーの頭の上で、風が逆巻く。鉄鎧の男が斧を振り切り、無防備な横っ腹を見せる。
ここだ。ニキシーは棒を振りかぶった。
「やあッ!」
スキル発動のない、通常攻撃。
貧弱な装備。威力の高くない棒。
対する鉄鎧は、高品質の鎧。
まず、間違いなく弾き返せる。大したダメージも受けずに反撃できる。そう、鉄鎧は判断して、回避を放棄し――
バゴッッ!!
「ガッ――!?」
軌跡も追えなかった一撃に、鉄鎧が吹き飛ばされる。
「なんだァ!?」
セレリアに向かっていたフード男が振り返り――
「やあ!」
遅かった。混乱と衝撃に鉄鎧が立ち上がれないでいるところに、すばやく打ち下ろされる棒。それが正確に兜を叩き潰し、鉄鎧の息の根を止める。
「何した!?」
「知らん、棒スキルとかマイナーだし」
フード男に、目隠し男が答える。手にはスペルブック。
「――目隠ししてて読めるんですか?」
「あれはファッション目隠しだから見えてますぅ」
ニキシーが思わず呟くと、這いながらこちらに寄ってきたスタが答える。
まあ〈・x・〉も見えてるんだからそういうものか、とニキシーは納得した。
「あ、あんたたち、PKね!」
「今さらだな」
PK。プレーヤーキラー。プレーヤーに対して殺人を行う遊び方をするプレーヤー。
嫌われ者ではあるが、成功すれば見返りは大きい。死体から資産のすべてを奪い取れるからだ。
成功すれば、であるが――サービス開始から三年、現在も活動を続けるPKは、その道のプロだ。
脅威をニキシーと見定める。最初に殺るべきはこいつだ、と。
「【加速
――さっき見たし、そもそも修得済み。ニキシーは踏み出した。
短剣の移動を伴うスキル。高速で移動するかわりに、動きに制限が大きい。真正面に移動、突きが放たれるのは対象がいた地点、それまでは腕を引いて『溜め』――ならば、ずらす、迎え撃つ。
突き】――ガッ」
交差。
ニキシーが突き出した棒が、フード男の胴を抜く。
ただの通常攻撃であれば、ありえない。スキルの威力のほうが、スキルの速度のほうが圧倒的なため、弾かれるまでいかなくても無視して攻撃を決められるところである――ただの通常攻撃であれば。
バランスを崩してフード男が背後に転がっていくのを無視して、ニキシーは前進した。
狙うは目隠し男。250を超えるスキルを既知としたニキシーも、魔法については未知のままだった。
その仕組みも、種類も、(めんどうくさいから調べていないので)知らない。
「チッ――【スポイル】!」
「【フラッシュ】!」
目隠し男が放った魔法に合わせて、スタが魔法で光を放つ。
黒っぽいエフェクトが見えたので相殺できないか考えたのだろうが、ダメだった。むしろまぶしくてニキシーはもろにその黒っぽいエフェクトに突っ込んでしまう。
効果は――倦怠感。SPゲージが大幅に減る。
スキルを使ったのだろう、と。フード男も目隠し男も、そう考えていた。
スキルを使ったからこそ、たったの二回の攻撃で鉄鎧を屠ったのだと。
貧弱な装備でその威力を出したのなら――大技を連発したならもう残りSPは少ないはずだ、と。
スキルの発動が聞こえていないことに違和感を覚えつつも、無視して常識に乗っ取って行動して。
「やあ!」
しかし、ニキシーのSPは枯渇していない。
「ごふ!?」
棒が胴を薙ぐ。
「やっ!」
「……!?」
すぐさま切り替えして、二打目。今度は首に。目隠し男は膝から崩れ落ち――死亡。
「【十字投げ】ェ!」
「ッ!」
修得済み。だが背後からでは見当がつかない。投擲した短剣が五つに分かれ十字になるスキル――ニキシーはとにかく身を投げ出して転がった。棒立ちならすべて当たる可能性が高いが、移動すれば。
「つッ――!」
二本、短剣が胴に刺さる。革鎧で多少は軽減されたものの、HPゲージはガクンと減った。
さらに、状態異常表示。毒だ。HPゲージがジリジリと減る。
「なんなんだ――なんだ、テメェは!?」
フード男が、新たに短剣を取り出してニキシーに向き合う。だが近づきすぎない。毒での自滅を待っていた。
「何のスキルを使った!? コマンドが聞こえねえ――まさか、隠蔽系のチートか!?」
チート。ずる。不正改造。
ドロクサーガでは公式が完全に否定しているし、SEやプログラマを生業とするプレーヤーたちも『仕組み的に不可能に近い』と保証する、ゲーム上での不正行為。
それでもプレーヤーの間で噂は絶えない。あいつが強いのはチートだ、あいつがあんなに稼いでいるのはチートだ。金を増殖するチートがある、ひらめき率を操作するチートがある、等々――
中でも戦闘において、スキル名を発することなくスキルを使う、というチートの噂は根強かった。それができれば対人戦闘で圧倒的な優位をとれるという、その願望からか――だが。
「スキルなんて使っていませんし、ずるもしていません」
ニキシーは答える。
「ただの、通常攻撃です」
「――は?」
フード男の思考が止まる――
「【バックスタブ】!」
「があっ!?」
その隙を、セレリアは狙っていた。気配を消し、背後に回って、致命の一撃を。
「仇はとったわよ」
ニヤリと笑うが――
「この、アマァ!」
「あッ」
とどめには至っていなかった。ニキシーに転がされた後、薬を使って回復していたのだ。フード男は腕を振り回し、セレリアは尻餅をつく。
「【なます――」
短剣を振り上げ――ギクリ、とその気配に気づいて、フード男はスキルをキャンセルした。
ニキシーが飛び出している。完全に突きの構えだ。
だが遅い。何のスキルも使っていなければ、体の動きに補正はない。十分迎え撃てる、とフード男は判断した。
選択したのはカウンター技。
スキル発動にはスキル名の発声が必要な以上、カウンターは至難と言われている。
だが見えている攻撃、知っている攻撃になら、上級者は合わせられる。
ましてや、タイミングに予測のついた通常攻撃ならば。
「【突きか
【突き返し】。突き攻撃限定のカウンター技。
修得済みだ。
ニキシーは放つ。通常攻撃を。威力、精度――そして速度の向上した、ただの突きを。
「がェ!?」
フード男が吹き飛ぶ。衝撃波で霧に穴が空き、短く雨が降る。
しばらくしても――男が消えた霧の向こうから、物音がすることはなかった。
「う、ぐ……」
「ニキシーさん!?」
ニキシーは膝をつく。毒の影響で、HPゲージが残りわずかだった。SPが減ると頭が重くなるが、HPが減ると体が重くなる。視界もかすむし、呼吸も荒い。
「待っててくださいねぇ、今解毒を……」
スタが駆け寄る――
「待って、後ろ! 危ない!」
「ッ!」
セレリアの警告に、ニキシーは反応した。スタを突き飛ばし、迫り来る気配に、振り向きざまの一閃!
「ギャアッ!」
「――?」
人の悲鳴ではない。ニキシーはかすむ目をこらす。何も動いていない――いや、霧に混じってよく分からないだけだ。白い毛皮が、横たわって――
「まったくとんでもない阿呆じゃ」
どしんどしん。別の方向から、沼竜の足音が近づいてくる。その竜上にいる人物は、イライラを隠せないでいた。
「どーもテイムできないと思ったら、分体じゃ。ケツに斑点があったわ。あの間抜けが。なーにがデカいケツのアナだと思いましたじゃ。ケツを割っても足りんわ。ことが済んだら改めて処刑して――ん?」
イリシャが、戦闘の痕跡に気づく。男たちの死体、倒れるセレリアとスタ。
「なんじゃ? 何があった? ……って」
ニキシーと、その先の――ミストキャットの、『死体』。いつまで経っても、霧にならない、死体。
「ほ、本体ぃぃぃぃいいいいい!?」
白帽山の麓に、イリシャの悲鳴が響き渡るのだった。