ニキシーと捕獲(前)
「久しぶりですねぇ」
覆面の女――スタは、〈・x・〉の「・」の部分の下を手の甲でこすりながら言った。
どうやら泣いている表現らしい。
「ここは冷えるでしょぉ、ちゃんと着込んでくださいねぇ……体は大事ですから……」
「………」
「差し入れも色々持ってきたんですけどねぇ、ダメだって言われて。ひどいですよねぇ……」
「………」
「ほら、子供たちもこんなに大きくなったんですよぉ。世間様の風は冷たいけど、立派に育って……ほら、ママに声をかけてあげて」
「えっ」
「ほら。あなたは覚えてないかもしれないけど、この人があなたのママなんですよぉ」
「……ま、ままー、あいたかったー」
少年の――ディーザンの棒読みの台詞を聞いて、ようやくニキシーは口を開いた。
「設定に無理があるのでは?」
「そこなの……」
スタの後ろに立って冷ややかな目で見守っていたセレリアは、檻の向こう側から溜め息を吐くのだった。
◇ ◇ ◇
「でへぇ、すいません……どうしても一度、刑務所面会ごっこがしてみたくてぇ。憧れませんか、あのシチュエーション?」
「その手のドラマはあまり見ないので……憧れもないですね、犯罪者の妻とか願い下げです」
ここは首都ドロクの地下牢。ニキシーは囚人服を着せられて、檻の中に入っていた。
「まあ、どういうわけか今はわたしが犯罪者ですが……」
「正当防衛よねぇ、あれは」
カフェでディーザンを攻撃した男をぶん殴り、うっかり殺してしまった後。
スキルを数えるために立ち止まっていたニキシーは、あっさり衛兵に囲まれて逮捕されてしまった。牢にぶちこまれて、しかたなくログアウトして、翌日ログインしたらこれである。
「いやいや過剰防衛だよ。このゲームじゃ町中の戦闘行為はそれだけで犯罪だし。殺人罪じゃなくて騒乱罪だけに留めてくれただけでもラッキーだよ」
「それ、何か違うわけ?」
「拘束期間が違うんだよ。殺人だと12時間、騒乱罪なら3時間」
牢の中でそれだけの時間を無為に過ごさなければいけない。『ゲームをする時間』と考えるととんでもない長さだ。サービス開始当初、犯罪者ロールプレイをしようと気軽に考えていたプレーヤーは、さっさと引退していったという。
「スマホいじってればあっというまですねぇ」
「ゲーム内でスマホとか寂しすぎでしょ。……で? ニキシーは今日あと3時間は出れないわけ?」
「保釈金を払えば出れるよ。――わかってるって、ボクが用意してるよ」
ディーザンはそっぽを向いて頭を掻く。
「いいんですか?」
「まあ、助けてもらったわけだし……」
「それなら言い方ってもんがあるでしょ?」
「う……だから、わかってるって。その……ありがとう」
「こちらこそ、助かります」
なんといってもニキシーの懐は寂しい。女王蜂を狩って貯めたお金も、ほとんど使い切ってしまっていた。
「なんでも保釈金を払う以外だと、強制労働か剣闘士にならないと時間短縮できないと言われて、困っていたんです」
「なにそれ?」
「強制労働はあれだよ、あのたくさん棒がついてて、手で押してグルグル回すやつ」
ディーザンは丸太を手で押しながら回るジェスチャーをする。
「ああ、昔の映画とかで出てくるやつね。あれってなんなの?」
「あれは動力ですね」
首をかしげるセレリアに、ニキシーは説明する。
「分かりやすいものだとエレベーターでしょうか。あれを人力で持ち上げる仕組みです」
「まあ、このゲームの強制労働で回すやつは、どこにも動力つながってないらしいけどね。刑期も三分の二ぐらいに縮む程度だったかな……」
「えぇ……」
完全に無意味な作業であった。それで一時間短縮されても、なかなか納得しがたい。せめて社会貢献でありたかった。
「でも剣闘士は、ニキシーならいいと思うな! 刑期1時間につき1回戦うんだけど、勝てば賞金も出るんだよ。負けたら治療費を取られるから、5回に4回は勝たないと黒字にならない渋さなんだけど、ニキシーなら全勝間違い無しだよ! 配布武器がランダムとかいうクソ仕様なんだけど、今のニキシーなら問題ないし。連勝記録を塗り替えれば追加の賞金も出るから、いっそチャレンジしてみるっていうのも――」
「嫌です」
「えぇ……なんでさ。お金は必要だろ? カフェで壊した家具とかの請求で、借金作ってるわけだし」
カフェは意外と高い家具と食器を使っていた。金額が大きいので返済期限に余裕をもたせてもらってはいるが、借金は借金である。ニキシーの懐は寂しいどころか底が抜けているのだ。
だが、ニキシーは断固断る。
「あのダサい下着で人前に出るのは絶対嫌です」
剣闘士はインベントリを没収されるうえ、防具は配布されない場合もある。ゆえにデフォルトのクソダサ下着でコロッセオに立たなければいけない。
「絶対に、嫌です」
全裸――それは絶対に選べない選択であった。
◇ ◇ ◇
看守に保釈金を払い、インベントリを返してもらって、ニキシーはようやく暗い地下牢から地上へ戻ってきた。ほんのわずかな時間であったのに、首都の喧騒がすでに懐かしい。
「いやぁ、一安心ですねぇ」
「まだ借金の問題があるでしょ」
「それなんだけど、ひとつ依頼をとってきたんだ」
ディーザンがメガネをかけなおしながら話しはじめる。
「もちろんボクも借金の半分はもつつもりだよ。だからってわけじゃないけど、仕事は選ばせてもらってもいいだろう?」
「内容によるわね」
「大手クランの依頼だから問題ないって!」
大手クラン、と聞いて裸族が思い浮かんだニキシーは、背筋をぞっとさせてその幻想を打ち消す。
「首都拡張区を運営する『ファナティックムーン』の依頼で、珍しい動物の捕獲作戦に参加するんだ。参加人数分お金も出るし、いろいろボーナスもつくから、おいしい仕事だと思うよ。というか、もう全員分申し込んでるから、早く待ち合わせ場所に行こう!」
「あんたね、仕事を請けるなら相談してからにしなさいよ」
「先着順だったんだよ……他に代案があるなら、キャンセルするけど……話だけでも聞きに行かない?」
「――どうする? あたしは、しょうがないからついていくけど」
「いいですよぉ!」
「特にあてもないですし、構いません」
女王蜂で金策をすることも考えたのだが、最後の苦戦を鑑みると気が引けるし、いいかげん飽きも来ていた。ディーザンが先走りすぎるのは困ったものだが、こちらのことも考えてのことだろう、とニキシーは許容する。
「ディー、あんた感謝しなさいよね」
「わかったよ。ほら、早く行こう!」
わかっているのかいないのか、小走りに駆け出すディーザンの後を、三人は顔を見合わせてついていくのだった。
◇ ◇ ◇
首都拡張区。それは首都を覆う城壁の外、首都の北側に存在するプレーヤー町である。
町といっても首都とその様相は大きく変わる。なぜならこの町は特例を除いて、すべて『プレーヤーが一時的に設置できるアイテム』で構成されているからだ。天幕が立ち並び、箱を積み上げて作られた壁が区画を分け、板が天井の代わりを果たし、毛皮が絨毯の変わりに敷き詰められる。
プレーヤーの創意工夫によって生まれ、維持されるプレーヤー町。クラン『スターカーズ』が砂丘で広げているものとは規模が違う。首都拡張区、クラン『ファナティックムーン』が運営・維持するこの町こそが、最大規模のプレーヤー町である。
そして。
「ほう、そなたたちか、応募してきた初心者というのは」
最大規模のプレーヤー町を運営するクラン。それはつまり、最大規模の人数が所属するクランでもある。
「なかなかよい面構えをしておるではないか。のう?」
首都拡張区で『ファナティックムーン』の詰め所に向かい、依頼の件を伝えたところ、一行は巨大な天幕に案内された。そして高いところに設けられた椅子に座る、小さな姿を見上げている。
「とまれ、よく来た。わしがファナティックムーンのクランマスター、イリシャ・ラスクイーターじゃ」
それは黒衣のドレスを着た幼女だった。銀色の髪は丁寧に結い上げられ、真紅のリボンを引き立てる。ドレスのレースも真紅、宝飾品も真紅と、黒と銀と赤しか見当たらない。その姿は人形のような、と形容して正解だろう。
「うわ……本物だ。トップクランのマスターだ。やばい、有名人だよ!」
「そうね、あたしも聞いたことあるわ」
興奮を隠せないディーザンに対して、セレリアは冷静だった。
「本物で、やばそうね」
「……なんかニュアンスがちがくないかい?」
「あんたがそれでいいなら、いいけど」
セレリアは周囲を見渡す。天幕の中には、他にもファナティックムーンのメンバーの男たちが数名控えていた。
「あんたたちも、あれでいいの?」
無遠慮に問う。クランメンバーたちは即答した。
「いい」
「ああ、いい」
「のじゃロリ最高じゃん?」
「イリシャたんハァハァ」
クランの結束は固いらしい。
「いやでも――絶対、中身おっさんよね?」
「ちょっ、セレリア!」
ディーザンは青ざめる。――が。
「それがどうした」
「はっ?」
クランメンバーの言葉は、ディーザンが予期しないものであった。
「たとえ中身が男だったとしても!」
「のじゃロリかわいいイリシャ様がこの世界に存在するのは事実!」
「中身とか何の話? 中の人なんていない! ここにいる存在がすべて!」
「つかまだ希望はあるし! おにゃのこの可能性もあるし!」
「イリシャたんハァハァ」
クランの結束は――とても固いらしい。
「でもあの金髪ロリの子もかわいい」
「確かに。じと目なのがたまらん」
……一部、結束が緩い部分もあるようだ。ニキシーは口をヘの字に曲げた。
「あー、これ、よいか、そこのエルフ娘」
放っておかれていたロリ――イリシャが声をかける。
「わしはな。あれじゃ。勇者が王様に失礼ぶっこいて、大臣が叱って、王様が笑って不問に付す、よくあるあの流れ。あれが大嫌いじゃ」
「はあ」
「じゃから、機会があったら『わはは――死刑』とかやってみたかったんじゃが……」
イリシャは椅子の肘掛にもたれかかり、パンッ、と扇子を開いて扇ぐ。
「実際にやられると、マジでこんな無礼なやつがいるのかー、っと逆に関心してしまったわ。というか引くわ。なんじゃその無神経は……。まぁ、そもそもわしは王ではないしの。クランに所属してない以上、上下関係もお主たちとの間にはないし。よいよい、不問に付すよ。せっかくの初心者じゃ、たわむれに命を手折ってしまってものう」
「余裕なのね」
扇子の向こうで、イリシャは芝居がかった笑いを浮かべる。
「ふふ……悠久の時を生きるわしには、たかがエルフ娘のたわごとなど、取るにたりぬものなのじゃ」
ニキシーは何も言わなかった。
何も言わなかったが――疑問で頭の中がいっぱいだった。
結局、このイリシャは幼女なのか、年配なのか?
悠久――永遠の時間を生きるというのはどういうことなのか? プレーヤーではなくNPCなのだろうか?
そういう――ロールプレイに疎いニキシーには、イリシャの存在がよくわからなかった。
「では、早速移動するかの。参加者はおぬしたちで最後じゃ」
ニキシーの疑問をよそに、イリシャが椅子から、ぴょん、と飛び降りて立ち上がる。
「ミストキャットの捕獲に出発じゃ!」