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星宮家と異世界的日常  作者: 兎花
第4章  星宮家と獣人の国
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17 ~司視点・後編~

皆さんの反応が怖いです…

 

 空の裂け目は闘技会場の上段であればなんとか目視できた。


 会場内を見渡せば、下に行くほど気付いている者はほとんどいない。視界に入っている者はもちろん、勘の鋭い者や高魔力保持者などは何らかの違和感を感じているようで、所々で戸惑いの表情を浮かべている者もいる。


「お帰りなさい。――おや、気を失っているのですか?」


 姿を見たわけでもないのに俺の気配に気付いたジークラウドが振り向く。腕の中の百合奈さんを認めると目尻に険が宿る。


「いえ、眠っているだけです。ご心配なく」


 腕の中で眠る百合奈さんの寝顔を隠すようにおもむろに体を捻ると、会場中央に視線を落とす。


「他のご兄弟は?」

「一足先に宿に帰しました――界魔獣が発生したようです」

「やはり、そうですか。なんとも嫌な『乱れ』を感じたのでまさかとは思いましたが……それで、ツカサ達はこの後はどうするつもりです?」


 ふと、男が喋りながら手を伸ばしてくる気配を感じた。警戒するようにさらに身を捩り思わず不快感を前面に出した顔で見てしまう。


 忌々しい程の美麗な顔を綻ばせ、男は百合奈さんだけを見ている。


 ……なぜ、こんな顔をするんだろうか。大切な――まるで宝物に触れるような、それでいて弱さを含む笑顔にこちらの胸が詰まる。


 訳の分からない焦りに突き動かされて考えるより先に男の手を払ってしまう。


 そんな俺の態度を気にする様子もなく小さく笑うと、ジークラウドは冷静な視線を闘技場に戻した。


「早急にヴィスゴットに戻るつもりです。……このままここにいて巻き込まれるのも面倒だ」

「そうでしょうね。ですが一応は国賓として招待されている身、このまま立ち去るのはあまりに不義理になります。――界魔獣に関してはここは獣人の国、貴方達兄弟が出る幕にはならないはず。しばらく様子を見た方がいい」


 そう言ってジークラウドは辺りを見渡した。それにつられて俺も闘技会場を見渡す


 いつの間にか場の雰囲気が変化していた。明らかに落ち着きを無くした観客達の様子にちらほらと怒りの色が見えだしている。


 国賓席からならば、空の裂け目を確認できるが、それ以外の場所では目に入りづらい。会場の様子を一巡して眺めていると赤毛の大男と視線が交差した。


 腕に抱えた温もりに幾重にも結界を張り巡らせる。


 男の目はまるで獲物を見付けた空腹の肉食獣のようで、堪えることを知らない欲望を垂れ流し見ているだけで辟易する。


 俺の視線に気付いた武代王ダオロは、不敵に笑うとざわめく観客に向かって立ち上がり、その重厚な深紅のマントを軽やかに払うと、なんの前触れもなく獣の咆哮を上げた。


 すり鉢状に造られた闘技会場中に、その咆哮は震動となって伝わっていく。その瞬間、観客席からの音が一切止む。


 さすがは獣人達と言ったところか。強者()に対する従順さがよくわかる。


「聞け、兄弟達よ! 悟き者や強き者達の中には気付いている者もいるだろう。今、我らが敬愛する龍王陛下の都に、穢れが入り込んだ。これを許すのか、尊敬すべき兄弟よ! 陛下の真白き御体に汚れを許すのか! ――否!!」


 ダオロの突然の演説にも関わらず、獣人達の意気が急速に高まっていく。その熱に煽られるようにあちこちから声が上がる。


 闘技会場を埋め尽くすように放たれた彼らの咆哮に滲むのは怒りだ。大切なものを美しいものを汚された怒り。


 あまりの煩さに眉をしかめると、隣でジークラウドがゆるく頭を横に振る動作をした。


「相変わらず、暑苦しい」


 赤毛の大男は高々と拳を振り上げる。

 それに呼応するように獣人達が一斉に立ち上がった。


「ゆけ! 兄弟よ! 我らが王の都に唾吐く輩を赦すな! 今こそ我らの忠誠と敬愛を示す時よ!!」


 彼等獣人にとって、この都は縁なのだ。王が唯一残した不変の都。


 それを汚されることは何よりも重い罪だ。彼らにとってまさに逆鱗に触れられる行為だ。


 ダオロの言葉に、その場にいた獣人達は獣の姿に変化すると一斉に駆け出した。彼等が目指しているのは界魔獣の出現ポイントだ。本能でどこへ向かうべきかわかっているのだろう。


 駆け抜けていく獣人達の間を、悠然とこちらへ歩いてくるダオロの目は真っ直ぐに俺を射抜いている。


 一瞬、このまま影の中に潜り百合奈さんを連れてヴィスゴットに戻るか、という考えが浮かんだ。めんどくさい奴には関わらないのが一番だ。


 だが、実行に移す前に、俺の考えを読んだのかジークラウドが小声で忠告してきた。


「ひとつ、助言するならば。ここで相手をしていた方がいいですよ。今後も付きまとわれても気にしないのであれば、ご自由に」

「……付きまとうと言っても、彼はこの国からは出られないでしょう?」


 うっすらと漂う嫌な予感を無視して呟く。

 それに対して隣の男はうっすらと笑う。


「そう信じるのであれば、立ち去ればいい。嫌なことから目を逸らしていると後になって纏めてつけを払うことになりますよ」

「……それは経験談ですか」


 俺の質問にジークラウドは冷めた目を赤毛の大男に向け、そして苦々しく息を吐く。


「全く。あんな大男に付きまとわれても鬱陶しいだけで嬉しくも何ともない。ここで無視をすると百合奈さんに迷惑がかかってしまう可能性もある。よく考えなさい」


 舌打ちを堪えながらダオロを見下ろす。

 思わず、抱き抱えた腕に力が籠る。

 すると思わぬ所から援護の声が届いた。


「――お待ちなさい、ダオロ」


 視界の端で、白い人影が立ち上がる。

 

「その方にふれてはなりません。司代王の権限において命じます。下がりなさい」


 女性らしい凛とした声にダオロの歩みが止まる。そして不満そうに鼻にシワを寄せると声の主を睨み付けた。


「邪魔をするな、司代。俺が用があるのはそこの弟の方だけだ。姉の方には手を出さねえよ」


 ダオロの弁に白い女の目が据わる。何かを見定めるように黄金色の瞳がダオロを見る。


「それが通るとでも? 王陛下の名代として意に背く行為を看過できません。下がりなさい――三度目はありませんよ?」


 しばらくそのやりとりを見守っていると、やがて諦めたようにダオロが短い溜め息を吐いた。


「はぁ、仕方がねえな。相変わらず貴女は頭が堅い。だが――」


 男の眼差しが力を増してこちらを射抜く。そこにあるのは強い苛立ちと僅かな――悲しみだろうか。


「――あんたは龍王陛下じゃねぇ」


 落とすようにそう呟くと、ダオロは予備動作もなく剣を抜いた。さすがは武代王だ、動きが読める者はほとんどいなかっただろう。


 だが俺には見える。こちらを面白そうに見る男の視線も、抜かれた剣の動きも。そして魔力を帯びた剣風が闘技場の地面を抉り観客席を割りながら向かってくるのも。


 それらを無表情で眺め動かなかった。張っている結界で自分も百合奈さんも無傷で済むと確信していたからだ。


 それを慢心だとは思わない。いつだって俺が一番に守るべきものはこの腕の中の女性(ひと)だからーーだから、その存在に気がつかなかった。


 突然、俺達を庇うように飛び出してきた黒い影を見た時は警戒したが、それが何か理解した瞬間に肝が冷えた。声を出す暇もなく、黒い体にダオロの放った剣風がぶつかる。



 にゃ……



 ボロ雑巾のようにオニキスの体が重い音を立てて地面に落ちた。いつも軽々と物音を立てることのなかった四肢が力なく宙をかく。


「なんてことを!! ダオロ!!」


 悲鳴のような司代王の声に男の切羽詰まった声が被った。


「くっそ! ふざけるな! 弱者をいたぶる趣味はねえんだよ!」


 ダオロにとっても予期せぬ乱入に粟をくっているのがわかる。


 俺がしゃがみこむ前にジークラウドが素早くオニキスに手を伸ばす。この男は確か医師の心得があると聞いている。それが魔物にも有効なのかはわからないが俺が見るより確実だろう。


 さらに癒しを施しているのがわかった。


「……すみません、ありがとうございます」

「いいえ、お気になさらずに。むしろこちらが謝罪せねばなりません。――馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまでとは」


 見た限りではオニキスの体に外傷はないようで、命の波動もきちんと感じる。気を失っているだけのようだ。いつの間にか詰めていた呼吸を吐き出すと肩の力がふっと抜けた。


 と同時に沸々と怒りが沸き上がってくる。


 オニキスとはまだ短い付き合いだが、勝手に傷つけられて黙っていられるほど俺も情が薄いわけではない。


 一歩踏み出した俺を、オニキスの治癒をしながらジークラウドが止めた。


「なぜ止めるんです。おいたの過ぎた駄犬にはお仕置きが必要でしょう?」

「もちろんです。ですが、貴方がする必要はありませんよ。きちんと『飼い主』が躾てくれます、今は腕の中の人を一番に考えなさい」

「飼い主?」


 意味がわからずにジークラウドの方を見た瞬間、激しい破壊音が闘技場を支配した。それに被せるように男の悲鳴が響く。


 何事かと声のした方を見ると、砂埃が舞う中、男が壁に埋もれるようにして倒れていた。その前には男を見下ろすしなやかな後ろ姿がある。色素の薄い髪は腰まで伸び、クセがあるのか緩やかに波打っている。腰の辺りから見える体の線は服の上からでもわかるほど女性らしい曲線を描き艶かしい。


 残念ながら顔は見えないが、後ろ姿だけでも佳い女だとわかる。


 その衣装から司代王かとも思ったが違う。チラリと確認すれば彼女も顔面を蒼白にして固まっていた。


「……なんのための王か」


 女性にしては低い声だが耳に心地良い。

 だが今はその声の中に深い怒りが潜んでいる。目の前の獲物を食い破ろうと、ひたりと焦点を当てて狙い済ましている。


 狙われた方は身体中に付いた汚れを払うように立ち上がり女の姿を認めると、全ての感情が抜け落ちたかのような驚きを見せた。


 よろり、とダオロの足が後退する。そして絞り出す様に言葉を発した。


「まさか、まさ、か……」


 喘ぐ様に疑うばかりで、それでも男は視線を謎の女性から離さない。


 ――にゃあ。


 足下に慣れた感触がした。元気そうな姿に思わず口角が緩む。一心に擦り寄る様子を眺めていると、さらなる衝撃音が闘技場を揺るがした。


 音の発生源は再び転がされたと思いきや、素早く一回転して立ち上がり防御体勢をとる。と間髪入れずに距離を詰めた女性の華奢な膝がダオロの腹部に食い込む。


 ……スリットが入っているのか。


 そんなどうでもいいことに感心していると、腹を折ったまま男が膝をつく。その頭上に容赦ない女の踵がふり落とされた。


 ダオロは海老のように腹を庇ったまま背後に飛んだ。かろうじて避けたつもりだろうが相手は容赦なく追い込んでいく。


 ダオロよりも僅かに速い動きで背後をとると背中に手のひらを当てる。


 驚いた男が声を上げるより速く、その発破音は闘技場を揺さぶった。その衝撃であちこちから崩壊の音が響く。


「……貴方に! 王の心得など諭されたくはない!」


 俺の足下で見事な赤毛が砂埃で白く染まった状態のダオロが悔しそうに怒鳴った。


 その発言に対し女は眉ひとつ動かさずに歩を進める。こちらに向かい歩いてくるその容姿は美しさよりも強さに溢れており気圧されるほどだ。


 彼女の目が俺にひたりと当てられた。その目を見て息を呑む。ねっとりとした濃い黄金の瞳。


 俺はこの目を知っている。


 いつも、百合奈さんの側にあって俺たちを見ている目だ。


 すぐに彼女の視線は俺から外されてダオロに向けられた。


「王が俺たちを捨てた! それが、それだけが唯一不変の事実だ」


 男の吐き出すような主張に彼女の姿勢は揺るがない。むしろうっすらと口角を上げて面白そうにぼろぼろの男を見ている。


「言いたいことはそれだけか」

「……それだけだ、それだけの事さえわかっていればあとはどうでもいい」


 ダオロは立ち上がり頭を振ると砂埃が舞い落ちた。忌々しげに女を睨み口内の物を吐き出す。


「俺たちがあんたに従う理由はねえ!」


 再び地を蹴ったダオロとそれを余裕で受け止める美女に思わず本音が漏れてしまう。


「これはいつまで続けるつもりなのか」


 答えなど期待していない独り言だ。


「本当に申し訳ありません」


 答えたのは司代王だった。いつのまにか近くまで寄っていたらしい。


「ダオロが大変なご迷惑をおかけしました。日を改めて謝罪をさせてください。ーー大司教閣下にもお詫び申し上げます。せっかくおいでいただいたのにこの様な無様を見せ付ける形となり、己の不徳を恥じ入るばかりです」

「貴女のせいではありませんよ、司代。アレの気持ちもわからなくもない。ーー龍王陛下がこの地を離れて数百年、さらに一度もこの地に戻る事なくお隠れになって十年。守り待ち続けた方にしてみれば詰りたくもなるでしょう」


 意外にも柔らかい眼差しがダオロに向けられる。その眼差しは次に司代王にも向けられた。


「貴女も辛かったでしょう、ファラ。あの方とは私が話をしましょう。貴女達では少々荷が勝ちすぎる。少しお説教をしておきましょう」


 ジークラウドの労いの言葉に司代王ファラはしばらくの間きつく瞼を閉じた。そして膝を地に付け頭を下げる。いわゆる土下座の体勢だ。


 獣人族特有の恭順を示す態度だ。


 ジークラウドはそれ以上何も言う事なく俺に視線を寄越した。


「しばらく宿で待機していて下さい。落ち着けば人を送りますので。くれぐれも宿から出ないように」


 色々訊きたいことはあるがここは一度引いた方がいいだろう。場の混乱を治めるためにも部外者はいない方がいい。ーーまあ、完全なる部外者とも言えないのが辛いところだが。


 それでも百合奈さんの身の安全のために俺は宿に戻る事に決めた。

今後の更新について、活動報告を書きました。

よろしければご覧ください。

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