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冷たい夜風が、俺達の間を吹き抜けていく。近くの林からバサバサと翼をはためかせる音が聞こえてきたかと思うと、漆黒の鳥が一羽、場にそぐわない賑やかな鳴き声と共に飛び立っていった。そして再度訪れる、痛いくらいの沈黙。普段は騒がしいアリーテもしんみりとした面持ちで、何かを察したように口を噤んでいた。重苦しい空気を破り、俺は静かに口を開く。
「あの、全滅って事は……」
「ここへ来る道中、強大な力を秘めた魔物に出くわしてな」
顔を悲痛に歪めながら、セイーヌはポツリポツリと語り出す。
「一人、また一人とやられ……最後まで生き残っていた団長も私を庇い、怪物と差し違えて死んでいった」
私だけ、生き恥を曝しているようなものさ。そう自虐気味に洩らした彼女に、俺は掛ける言葉を見つけられなかった。人生経験のない俺が、彼女を励ます事すら、おこがましいように感じられたのだ。
しかし。
「そんな……恥なんかじゃないですよっ!」
いつも空気を読まない見習い天使が、深くうなだれて沈みこんでいる彼女へ、訴えかけるように声を張り上げる。俺は唖然として隣を向いた。セイーヌもまた顔を上げ、発言の主を見つめる。二人から注目を浴びているにも関わらず、アリーテは緊張感を欠片も感じさせない調子で、しかし悲しげな表情を浮かべ、
「騎士団の人達が亡くなられたのは、セイーヌさんにとって、確かに辛い事だと思います……でも、生きてる事が恥だなんて、そんな事は絶対に無いです! セイーヌさんを庇った団長さんだって、セイーヌさんが生きててくれて良かったって、心から思ってる筈ですっ!」
「アリーテ……」
正直、今の俺には、彼女の発した言葉が正しいものなのか判断出来なかった。アリーテが一生懸命励まそうとしていたのは十分に伝わったのだが、その意気込みが空回りして、逆にセイーヌを傷つけてはいないかと、それが本当に心配だったのだ。恐る恐る、俺は物言わぬ騎士の方へと視線を移す。彼女は唇を強く結び、何か思い詰めているような面持ちだった。きっと胸の内で、アリーテが口にした文章について思い悩んでいるのだろう。
やがて、セイーヌの口元に湛えられた僅かな微笑みが、彼女の抱くどのような気持ちを表していたか、俺には分からない。ただ、彼女は、
「有り難う、アリーテ殿」
と、深く穏やかな声色で天使へと話しかけた。
「私自身、色々と投げやりな気分になっていた事におかげで気づけた。感謝する」
「いえいえ、そんな大した事は……」
二人の会話を聞き、俺は内心でホッと安堵の息をつく。ハッキリとは分からないが、セイーヌの様子を観察するに、悪い方にはさほど影響していないように思えた。
「そういえば、セイーヌさん。お腹は減ってないんですか?」
「ん、いや。助けてもらった上、そこまでお世話になるわけにはいかな……」
皆まで話し終える前に、セイーヌの腹がグゥと盛大に鳴る。たちまち、彼女の端正な顔が羞恥心からか真っ赤に染まり、アリーテは真っ先に吹き出した。一方、俺は堪えきれない分の笑みを洩らしつつ、
「そんな、気になさらないでいいですよ。今から準備しますから、ちょっと待ってて下さい。料理とか慣れてないので、大した物は出せないですけど」
再び食事の用意をするのに、さほど時間はかからなかった。粥の入った椀を、セイーヌは感謝の言葉と共に受け取る。よほどお腹が空いていたのだろう。最初こそ行儀よくスプーンを丁寧に扱い、料理をゆっくり口へ運んでいたものの、次第に食事のペースは上がり、終いにはかき込むような食べ方になっていた。
十分と経たないうち、鍋の中身は空っぽになる。取りあえず腹ごしらえを済ませたところで、
「そういえば、まだ聞いてませんでしたけど」
と、少し膨れ上がったお腹をさすりながら、アリーテが口を開いた。
「セイーヌさんはどうして、ここまで来てたんですかっ?」
「ああ、それは」
女騎士が語るところによると、たとえ自分一人になったとしても、彼女は任務を遂行するつもりらしい。だから、ネメラ山を目指して歩いていたのだという。話が終わった後、アリーテはパアッと顔を輝かせ、
「それなら、私達と一緒にいきませんか!?」
彼女の言葉を受け、セイーヌは戸惑ったように、
「……良いのか?」
と呟くように言い、俺の方を向く。全く異存がない俺もまた、大きく首を縦に振った。
「目的地も目指す理由もほぼ同じですし、人が多い方が心強いです。セイーヌさんさえ良ければ」
俺とアリーテの意見を聞いたセイーヌは腕組みをして考え込んだが、やがて肩の力を抜き、
「それなら、しばらく共に行動させてもらおう」
嬉しい返答に、俺とアリーテは自然と顔を見合わせ、そして彼女に向き直ると、
「わーいっ! 大歓迎ですよっ!」
「セイーヌさん、これからよろしくお願いします」
「ユート殿にアリーテ殿、こちらこそよろしく頼む」
「あ、まだまだ聞き忘れてた事がありました」
と、急に手をポンと叩いた天使は、無邪気な声で騎士にこう訊ねる。
「結局あれは、バナナの皮で転んでただけだったんですか?」
「そ、それは……」
――美女が恥ずかしがると、絵になるなぁ。
頬をこれ以上なく紅潮させているセイーヌを目にしながら、俺は心の中で呟いたのだった。




