城塞都市イルージ
はじめまして。
本作をお読みいただきありがとうございます。
世界観重視のハイファンタジーです。長い旅の始まりですが、ゆっくりと広がる物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
イルージは、タラサの遺跡群のやや南にあるクリュージ川中流域最大の都市国家である。
クリュージ川の支流に囲まれた南岸の丘陵地にある天然の要害で、ここ200年ほどは戦火にさらされていない。
北寄りの冷たい風が強く吹き始めた真夜中過ぎ、イルージ北側のクールゥ門の扉が大きく叩かれた。
この時間に訪れる者など、ほとんどいない。
門を守る三人の神政官――レキシミリードたちは、瞬時に緊張を高めた。
彼らの中指にはめられた透き通った青色の指輪――”ストーン”が淡い青に輝き始める。それらに呼応するように、城壁の各所に埋め込まれた白い石もまた、静かに光を帯びた。
門の中腹に設けられた物見から、一人が光を放つ。
白い光が門前の闇を切り裂いた。
そこにいたのは、一人の長身の青年だった。
装甲獣キリルの革で作られた外套をまとい、腰には黄金の長剣を下げている。柄には双盤獣の彫刻が施され、その目に埋め込まれた深い青の宝石は、わずかに光を帯びている。
傍らには、三エスタほどの哺乳獣。
光の中で、青年は静かに顔を上げる。
「ただ今戻りました。キリムです。開門願います。」
その声は、夜の空気を震わせることなく、しかし確かに届いた。
――キリム。
レキシミリードたちは緊張を解き、所々に大きな焦げ目がある神鋼石の城門が開かれる。
彼がイルージへと足を踏み入れたとき、それまでの荒涼とした景色が一変した。
街は眠りについてなかった。
南北に伸びる通りには、夜であるにも関わらず灯りが絶えない。人々のざわめきが絶えぬこの都市は、不夜城と呼ばれている。
だがその喧騒も、彼の姿を認めた瞬間に変わった。
「キリムさんだ……!」
「無事に戻ってきたのか!」
人々は足を止め、驚きと安堵を隠しきれないまま、古代の神々の彫像のように端正な顔立ちのその青年を見つめる。
ここ数ヶ月、キャラバンの往来は途絶えていた。
北方で何かが起きている――そのことだけは、誰もが感じていた。
キリムは微かに笑みを浮かべ、声をかけてくる人々に応じながら、中央へと歩を進めていく。
やがて第二城門を抜け、白い獣舎にミュルを預けると、小型の哺乳獣ケッティルに跨り、塔の方角へと向かった。
ほどなくして、二人の若者が近づいてくる。
「ご無事で戻られましたな。都市間の往来が容易ではなかったと聞き、とても心配しておりました。」
低く力強い声の主は、筋肉質な長身の彫りの深い青年だった。
その隣で、やや紫がかった青い瞳の少女のような透明感のある小柄な青年が微笑む。
「キリム、やっと会えましたね。三年ぶりでしょうか。」
涼やかな声だった。
「ゼルナ、久しぶりです。ユンタスも元気そうで何よりだ。」
キリムはゼルナに軽く頭を下げ、穏やかに応じる。
「北方のギャリスやフォローザで何かが起きていると聞きました。南部連合――エピナスの招集でしょうか。」
その言葉に、ゼルナの表情がわずかに変わった。
「その件であなたを待っていました。エティルーダの塔でエルダーたちはずっと話し合っています。」
ゼルナは背後にそびえる白い塔を指し示す。
その光は、夜の中で異様なほど静かに輝いていた。
キリムはその塔を見上げる。
そして、ふと口を開いた。
「タラサで、スカードルに遭遇しました。」
空気が、わずかに軋んだ。
「……スカードル?」
ユンタスの声がわずかに震える。
「クリュージ川北岸まで出てきているのは初めて見ました。あの辺りまで南下しているということは――」
キリムはそこで言葉を切る。
ゼルナは静かに頷いた。
「北は、すでに限界に近いのかもしれません。」
重い静寂が落ちる。
「タリデューサ隘路より北の情報は断片的です。状況を把握するには、軍を動かす必要があります。」
ゼルナの声音は穏やかだったが、その奥にある緊張は隠せていなかった。
「“会議”が開かれます。私たちは向かわなければなりません。」
そして、まっすぐにキリムを見る。
「来てくれますね。」
その問いに、キリムはわずかに笑みを浮かべた。
答えは、すでに決まっていた。
キリムのその微かな笑みに対し、ゼルナは何も言わなかった。
ただ――
その視線は、彼ではなく、腰に下げられた剣へと向けられている。
深い青の宝石。
その奥で、わずかに揺らぐ光。
「……やはり」
誰にも聞こえないほどの声で、ゼルナは呟く。
それが何を意味するのか、キリムはまだ知らない。
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