邂逅を積む列車
この列車、いい夢見れるんですよ。
――そんな触れこみだった気がする。
「――して、今の夢は一体なんなんだい」
私は通りかかった車掌に尋ねる。車掌は帽子を目深にかぶり、その目許は隠れていてよく見えない。
「それは列車という概念に捉われた人々の記憶にございます。列車に乗り、そこで思いを馳せる。その人々の妄執ともいうべき記憶は概念的装置である列車に刻まれ、次の搭乗者に夢として幻影を見せるのです。それは確かにそこにあった事実であり、当事者たちの希望なのです」
車掌はやたら芝居がかった口調で演説を始めた。彼が言うには、私が成り行きで乗ったこの列車は人々の記憶を投影する機械なのだと。目的地に着くまでの長い時間の中で、こうした夢を見ることができるのだそうだ。
「心に思いを持つ者は記憶を提供し、心に空白があるものは記憶を見るのです。見る記憶に関してはその人にとって最も有意義であるモノが選ばれるそうなので、大事にご覧なさってくださいね」
私は車掌に軽く感謝を述べると、彼は去っていった。
なるほど、この世界の列車とはこのようなものなのか。数多の世界を渡っているが、こういう特殊めいた乗り物はそうそうに無かった。ならば今一度その夢を見てもよいだろう。
「次は、川崎。川崎でございます」
駅のアナウンスと共に、私は再び目をつむった。
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「竃の下の灰まで、とはよく言ったものですわ」
私は車窓から覗く景色が変わらず曇天であることに嫌気がさし、自らの荷を手元に解いていた。
荷と言っても小さな風呂敷一枚。中に入っているものと言えば少しばかりの銭と櫛と手鏡、そして一通の封筒だけであった。
これだけは目的地に着いてから開けなさいと旦那に厳命されていた。いえ、“元”旦那でしたわね。
私たちは、仲睦まじい夫婦として周囲からも羨まれていた。決して裕福と言えなかったけれども、それでも二人でいればどこへでも行けると信じて疑わなかった。
けれど元旦那はあの事があって以来、口をきいてもくれなくなったのだ。そしておもむろに暴力をふるいだす始末。それでも私は必死に耐えた。
私は自身の腹をさする。本来もう一つの命が芽生えていただろうこの胎にはもう何も残ってはいない。夫婦で話し合うことも無くなって二月が過ぎた頃、突然出て行けとつまみ出された。
「それで結局何もかもを奪われて、故郷へ帰れだなんていわれても、親に何て申し開けばよいのかしら」
辛うじて持ってこれたのはこれだけ。結納の時に送った箪笥は、今も彼が使っているのでしょう。思うところはあるけれども、一時は愛し合った身。
「決して恨んだりは致しませんよ」
届くとは思っていないが、ぽつりとそう溢した。私は、自分の髪が乱れていることに気づき、手鏡を取り出す。
ああ、醜い顔。目は腫れぼったく、頬はやつれて。いつからこの顔で外を歩いていたのかしら。急に恥ずかしくなった私は櫛を取り出し、せめて髪だけはと取り繕う。
幾分かマシになったが、この目許だけが未だ気にくわぬ。
涙なんて子と共に流れ切ったのだから、こんな涙袋なんて要らないだろうに。
「終点、米子。米子駅です」
遂に目的地へと着いた。私は駅構内からそそくさと出ると、近くのベンチへと座る。彼が唯一手渡してきた封筒を開けるためだ。
一体彼は最後に何を伝えたかったのか。封を開け、中の手紙を取り出す。手紙は二枚あった。
「親愛なる妻へ
はじめに、こんな形でしか物事が言えない私をどうか許してほしい。そして今までの態度についても謝りたい。
最初は私たちも良い夫婦でいられたよな。それこそ大金があったって手に入れられない幸せだった。だからこそ、貴女との子が一層楽しみで仕方なかったんだ。
ついに子が出来たと、貴女から教えられたときは舞い上がったものさ。男か、女か?いやしかし私にはどちらでも素晴らしい天からの贈り物に見えたのだ。
けれどそれは一時でしかなかった。ある日家事をしていた貴女が突然倒れて、股下から大量の血が流れて。医者を急いで呼んだけれども、胎の子は助からなかった。
その日からだ。貴女が壊れたのは。
目を覚ました貴女は、子の報せを聞くと大いにむせび泣いたよな。私も泣いた。けれどきっと、私よりも貴女のほうが悲しみが深かったのだろう。数日も飯を食わなくなった。
無意識なのだろうが、貴女は倒れた時にいた台所を忌避している。それどころか、この家すら忌み嫌っているのではないか?
なんとかして粥を作り、貴女に食べさせたが、それがどうやら逆効果だった。貴女はまるで殴られたと言わんばかりに私をきつく睨んできたのだ。その変わり様に私は耐えられなくなった。
これ以上、こんな貴女を見て居られない。それに貴女も、私とこの家にいるとさらに壊れていってしまう。だからこそ、私は故郷へ帰れと言ったのだ。そこでしばらく養生してほしい。
幸い医者からは、まだ子が出来ると聞かされている。私が、そして貴女の心が落ち着いた時、私は再び貴女を迎えに行こう。それまでしばしの間、休むといい。
私は貴女と縁を切るつもりは毛頭ない。ゆめゆめ忘れないでおくれ」
手紙に一つ染みが出来た。それはだんだんと数を増やしていった。
空を仰げば、そこかしこに雨粒が降ってきていた。
今走ればあまり濡れずに家まで着けるだろう。しかし、私は走り出さず、ゆっくりと歩を進めた。
走ったところで間に合うまい。だって私のところだけなぜか大雨なのだから。
握りしめた手紙はびっしょりと濡れていた。
これ以上濡らすまいと、私は封等に手紙を仕舞おうとするがどうやら何かに突っかかる。
なんともう一枚何かが入っていたようだ。
私はそれを取り出して見せる。手紙ではない、細長い券のようなもの。そこに記載された文字を読み上げる。
「ゲヘナチケット……?」
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「ゲヘナチケットってなんだよおおおおおおお」
私は目を覚ました。どうやら駅は川崎についていたらしい。
最後の最後で時代風景に合わないモノが出て来たわ!びっくりした!
なんだよゲヘナチケットって!
怒りに任せて拳を握った私はそこでくしゃりと音が聞こえたのを耳にする。
音のなる左手をゆっくり開くと、そこには一枚の紙きれ。ゲヘナチケットだった。
「なんだよ、これ……」
手にしたゲヘナチケットは、なぜかしっとりとしていた。