39 紫氷竜の迷宮④
紫氷竜の迷宮に挑み始めてから一ヵ月半以上。
ようやくこの迷宮の最奥に俺達は近付きつつあった。
この迷宮の最深層は四十三階層であると言われている。
そこにはこの迷宮の迷宮主である──紫氷竜が待ち受けているはずだ。
『吹雪が……止んだ?』
「バルくん、上を見て!」
三十九階層と四十階層を繋ぐ階段。
その踊り場を出ると唐突に吹雪が止んでしまった。
ティアに促され彼女の指し示す頭上を見上げてみると、踊り場の頭上から吹雪が噴き出していた事が分かる。つまり、この迷宮で散々俺達を苦しめてきた吹雪は最深層から噴き出してきた訳ではなかったのだ。
……妙だな。
もしもそれが正しいと言うならこの吹雪の発生源。
この踊り場の頭上には一体何があるんだろうか?
何故かそれがとても気になってしまった。
『確かめてみるか……』
「え?確かめるって何を?」
『この上に何があるかだよ。ここで少し待っていてくれ』
「えっ? ちょっと?! 」
八王竜の外套から竜の翼を顕現し頭上へと飛翔していく。
竜の翼はその見た目に相応しい推進力をもって視界が真っ白になるほどの猛吹雪を掻き分けて俺を天高く運んでいく。しかし、このままではあまりにも視界が悪く先を見通す事が難しい。猛吹雪の向こう側に万が一予期せぬ何かがあった場合危機を察知する事が難しい状況だ。
俺は竜の翼を広げ飛びつつも腰に吊るした魔法の袋からあるものを取り出す。
「紫星石の杖」だ。これも迷宮の石箱から産出されたものではなく第二十一階層で休息を取る際に俺が作った聖遺物だ。聖遺物とは本来過去の偉人や聖人の残した遺物を指すが、魔法の変わりに奇跡で不思議な力を発揮する道具の事もそう呼称される場合がある。俺は本来こういった物品を生み出す職人ではない。魔法の使い手が必ずしも魔道具を作れないのと同様で奇跡を使えるからといって聖遺物を作り出せるとは限らないわけだ。
だが、そんな俺でも自分の奇跡の発動をほんの少し補助する程度の聖遺物なら作成する事が可能だ。
奇跡を主体とした戦闘は俺としては避けたいところだが、今後中規模以上の迷宮へ挑む際にはこういうものをひとつ持っておくのもありかもしれないと一応作成しておいた。
紫星石の杖はダイモスの迷宮で戦った放浪個体のゴーレムから手に入れた紫星石を素材にした単純な杖だ。第三夢幻迷宮で幸運剣や神秘盾を保存する為に使われていた強力な聖水に漬けた状態で数日間かけて作成した。美しい紫色の石杖の表面には金色の未解文字がびっしりと走っている。俺が作ったので当然<識別>によってその性能は測る事が出来ないけど、俺の意図通り作成出来ているなら奇跡と魔法の発動速度と威力をある程度底上げしてくれるはずだ。
「慈悲深き我らが主よ、苦難の道を歩む我らへ導きの光を与えたまえ」
杖を正面に構え、奇跡を希う。
俺の体内を巡る聖気が杖を介して奇跡を顕現する。
「<救済への道>」
目の前を覆い尽くす猛吹雪の壁を奇跡の光が縦に割いた。
その割れ目は時を経ると共に広がっていき、俺の視界が徐々に回復していく。
「おっと、ここからは横か」
どうやら思いの他高く飛んできていたようで、天井が既に近付いていた。
しかし、そこが吹雪の元となっていた訳ではない様で天井近くに空いている横穴の方からこの吹雪は吹き荒れているようだ。
杖を魔法の袋に仕舞い、代わりに腰に垂れ下げていたランタンを手に持ち横穴を進んでいく。
そこからしばらく進んでいくと、開けた大部屋が広がっていた。
部屋の広さは不明だ。
俺は身体強化・猫によって暗闇でも常人より優れた視力を持っているが、それでもランタンひとつで照らし出せる範囲などたかが知れている。部屋の中全てをここから見通すのは難しそうだ。
床や壁の材質はこれまでの迷宮と変わりなくブロック状の氷によって形成されているようだ。
壁はともかく床は見通せないが足から伝わる感覚がこれまでの道中と変わりないのでそう認識した。
吹雪の発生源はここにある気がする。特にそれを考察する材料などは無いが、そんな予感がしている。
いつまでも部屋を前にして横穴に留まっていても仕方がない。
大部屋に一歩一歩踏み出し吹雪に逆らいつつも雪に足跡を刻んで──うおっ、めちゃくちゃ深い。
八王竜の外套を元に戻し地に足つけて探索をしようと試みたが予想以上の深さの雪がここには降り積もっているようだ。足を雪上に置いた瞬間にぐぐぐっと足が思いっきり沈み込んでしまった。
足元の魔力を爆発させて雪の中から脱出。
そしてこの迷宮で学んだ技のひとつ、足裏に魔力を纏わせ雪上に足を……無理だな。雪が柔らか過ぎて全身鎧を着た俺の体重までは誤魔化しきれないようだ。諦めて八王竜の外套を竜の翼に変え飛行しながら奥地へ向かう事にした。
吹雪に逆らいつつも奥へ奥へ。
俺の予想より遙かにこの大部屋は広いようで中々目的地へ辿り着く事が出来ない。
救済への道の効果が途絶え、視界は再び白に包まれた。
(もうそろそろな気がするんだけどなあ)
猛吹雪は最早とんでもない威力になっていた。
俺の様にフルフェイスの兜でも被っていなければ前を向く事さえ困難に思える。
アウロラの全身鎧は魔法に対しても強い耐性を持つ為に中身の俺は無事だが、並の魔道具ではこの猛吹雪に伴なう寒気で探索を断念してしまうかもしれない。
(ん?それなりに強い呪いの気配がするぞ)
前方から強い呪いの気配が近付いてきた。
移動している事から推察するに未知の魔物か?
猛吹雪の向こうから現われたのは大きな骨の竜。
そしてそれに跨る巨人の鎧騎士だ。
共に凄まじい大きさで民家の二階から三階にも及びそうなほどの体高をしている。
骨竜は民家の三階から四階にも及びそうな程の凄まじい体高をしていて、山のような巨躯を誇る巨龍とは比較にならないが、生前は余程大きく育つ竜種の中のひとつに属していた事が窺える。
その骨身は高級な赤ワインの様にやや黒の強いワインレッドの骨で出来ていて、眼窩にはその骨身に負けない不気味な赤黒い眼光が光っている。
それに跨る巨人としか思えない体躯の鎧騎士は無骨な灰色の全身鎧を纏っている。
大きさは先ほどの竜に跨れるほどの大きさな為、まるで自分が小人にでもなってしまったかのような錯覚を覚えさせられた。その手に握るのは巨大なメイスで、俺からすればちょっとした家屋の煙突にも等しいだけの長大で強力そうな一品だ。赤く輝く魔法石と思われる素材をふんだんに使われたそのメイスは、先端に不気味なコブが泡の様に広がっていて危険な破壊力を秘めていそうだ。
普通の冒険者なら絶望するような状況かもしれない。
だが、鎧騎士はともかく骨竜はアンデッドだ。
不死者の身で俺と戦うとどうなるか、その身を持って知るがいい!
ランタンを腰に引っ掛け魔法の袋から紫星石の杖を取り出す。
凄まじい速さで骨竜と巨人騎士がこちらに迫る。
俺を轢き殺そうと試みた骨竜の足元を潜り抜けていく。
右足、回避成功。
足を畳んでの押し潰しは事前に察知して脇腹の方から──そのメイスは予想外だ、盾で受ける。
骨竜の轢き殺しを回避した所で頭上から凄まじい速度で巨大なメイスを叩き込まれる。
背に吊るした神秘盾を投げつけ、空中に固定、そのメイスを受け切る。
八王竜の外套から生まれた翼によって弾丸の様に加速し距離を空ける。
視界はどこまでも果てしなく悪いが、呪いの気配は視界を越えて俺に相手の位置を知らせてくれている。
稼いだ時間で骨竜を屠る為の奇跡を希う。不死者にとって奇跡は最大の弱点だ。一撃で決める。
「慈悲深き我らが主よ」
詠唱を始める俺の方へ骨竜達が近付いてくるのが分かる。
この視界の効かない中でも彼らには俺を察知する為の何かが存在しているようだ。
「行き場を無くし、彷徨える魂に救いの手を」
グオオオオオオオオオオオという凄まじい咆哮と共に骨竜が眼前に迫る。
敵意に染まったその赤い眼光を鋭く瞬かせつつ、奇跡の発動を阻止しようとこちらにその巨腕を突き刺そうと構えたが──もう時間切れだ。
「<非情な葬送>」
右手に構えた杖先から一条の光が溢れ骨竜と、ついでに鎧騎士を刺し貫く。
未練を残し、生を憎む不死者の魂をその事情も思いも全て意に介さず灰燼に帰す。
情無き光の奇跡が骨竜の魂を焼き尽くす。その効果は明らかで苦悶の叫びをあげる事も出来ずに前のめりにその巨体を雪に沈めた。その眼窩には先ほどまでの灼熱のような赤い光は無く、ただただ空虚な窪みが空いているだけとなった。
問題はここからだ。
骨竜は不死者である為奇跡で一方的に倒す事が出来た。
だがその背に跨る鎧騎士は俺の素の実力で戦わなければいけない。
杖を袋へ。
神秘盾を手元に。
空いた右手で背から流星を一気に引き抜く。
シャランっという鞘走る音が吹き荒れる吹雪の風音に包まれた大部屋で不自然に響いた。
鎧騎士は動かない。落竜した際に打ち所でも悪かったのだろうか?
油断大敵。今の俺はこの広大な迷宮でひとり孤立している。ひとつの失敗で容易に命を落とす。
心を戒め、剣を構えつつゆっくり飛行し鎧騎士に近付いていく。
猛吹雪の中でゆっくり飛行するのは実は高速で飛行するよりも難しい。
だが、この迷宮に想いの外長く滞在した事によって俺はその技術をしっかりと身につけていた。
心臓の鼓動が鳴り響く。このいつ戦いが始まるか分からない状況は独特な緊張感を生んでいた。
恐れを押さえつけ巨人に近付いていく、死闘の開始はもう間もなくだ……。
散々警戒して近付いてみたが、鎧騎士が動く事は無かった。
大分長い時間様子を窺ったが動き出す事は無く、不審に思い鎧の中を覗いてみると完全に空洞だった。
……元々鎧騎士には自我など無く、骨竜が本体で鎧騎士はその能力か何かで動いていたのか。
それとも、骨竜同様に不死者。例えば首無し騎士の魔物として有名なデュラハンやリビングアーマーに類する魔物だったのかもしれない。よくよく思い返してみれば非情な葬送は鎧騎士にも直撃していたのでそれで一緒に葬られた可能性もあった。
ともあれ、厄介な魔物二体をそれなりの時間をかけて魔法の袋に収納した。
魔石や素材については冒険者ギルドに帰ってから任せてしまおう。
(雑魚ばかりだな、大昔に屍霊術士でも住み着いていたのか)
四メートルほどの無駄にデカイだけの死霊を聖気を弾丸として放って消滅させる。
これは奇跡ではなく、魔力でいう所の足元で爆発させたり瞬間的に身体の部位に纏わせ力を向上させるのと同じ。聖気運用の小技のひとつだ。この大部屋に現われる程度の雑魚相手ならこれだけで充分通用した。
(結構大きな魔石を落とすな、アリア達を待たせていなければここで稼ぐのもありだったか)
死霊は素材を落とさなかった。
当たり前だ。そもそも普通の人間なら目視出来ないような霊体で構成されている。
むしろ何故葬ると魔石を落とすのかが謎なくらいだが、都合がいいのでそういうものなのだと理解しておく。流星の力によって今の俺は死霊を目視する事が可能だった。そんなものが無くても魔物と呼べるレベルの死霊には独特の気配がある為、視覚に頼らずともその所在を把握する事が可能なんだけど。見えた方がより距離感を掴みやすいので便利といえば便利で、今なら死霊だけが出現する迷宮など一人でも制覇可能なのではと思えてしまうほどの手応えを感じている。
死霊の落とす魔石はかなりデカイ。
直径1メートルにも及ぶ巨大さだ。
普段死霊など足元にも及ばない強さの魔物を狩ってもここまで大きな魔石は出ない。
魔石というのは大きさが全てではないのだが、やはり大きい物ほど価値がつく事が多い傾向がある。
俺は死霊がもっと狩れないかと期待しつつも大事にその魔石を魔法の袋にしまった。
(ふぅ、やっと辿り着いたか)
大部屋の最奥にそれはあった。
この氷壁に囲まれた迷宮の中では異質な石造りの不思議な祭壇。
その上に置かれた奇妙な氷の固まり。そこからこの猛吹雪は発生していたようだ。
祭壇を挟むかのように二対の巨大な骨竜。
その二匹の竜は先ほど見かけた骨竜と違いやや小柄で翼や四肢がない代わりに尾ひれのようなものがついていた。俺は直接見たことが無いが水竜と呼ばれる竜の亜種がこのような身体の作りをしていると資料で読んだ覚えがある。雪の中を泳ぎながら襲い掛かってくる為、やや奇跡が当て辛かったので、流星に聖気を纏わせ叩き切った。速さもさほどでもなかったので手こずり様も無かった、死霊以上通常の魔物未満ぐらいか。
「うおっ」
骨竜を片付け祭壇に近付くと八王竜の外套の裏側から何かが飛び出してきた。
何事かと思い周囲を見回してみると、妖精ちゃん達が祭壇の上の氷の塊に向かって何かを叩き付けようとしていた。外套の裏に貼り付いてここまでついて来ていたみたいだ。妖精の気配というのは非常に希薄な為色々知覚が強化されているはずの俺でも視界内にいないと中々気付く事が出来ない。ノイズの多いこの迷宮なら尚の事困難、ほぼ不可能と言ってもいいぐらいだ。
……木の枝で作られた柄に木の実が先端に付けられた、ハンマー?
随分と可愛らしい、子供の工作で作られたかのような見た目のハンマーを氷の塊に振り下ろそうと試みている。しかし、猛吹雪に流されて氷塊に近付けずぴゅーっと時折飛ばされそうになっている。
「やれやれ、何がしたいんだか」
飛ばされていく妖精ちゃんニ匹を支配魔術悪霊の手で手元に呼び寄せる。
きょとんとしている銀髪妖精ちゃんと対照的に金髪妖精ちゃんは氷塊をその細く小さい人差し指で指し示し「つれてって!」と意思表示をしてくる。元々そのつもりだったので可愛らしい二匹の妖精を両手で掬いつつ祭壇へ近付いていった。
「何か、中に入っているな」
祭壇に近付き氷塊を観察する。
氷塊は占い師の使う水晶玉程度の大きさだ。
それほど大きな代物でもない。
氷塊はそれほど透度が無く、その中身の全てを見通す事が難しかったが……小さな指の様なものが見えている事、妖精ちゃん達の反応からしてお仲間が中に入っているのかもしれない。
「ほら、それで叩くんだろ?」
妖精ちゃんたちを飛ばされないように抑えてあげた。
これで先ほど当てられなかったハンマーを当てられるだろう。
妖精の不思議なハンマー、その効力の程を見せてもらおうか。
こっつん。
銀髪妖精ちゃんの木の実ハンマーが可愛らしいふんわりとした軌跡を描いて氷塊に打ち据えられた。
その効力は妖精ちゃんの見た目から想像した通りの非常に弱々しいものでヒビどころか表面すら削れていない。そこからこっつんこっつん何度か打ち据えるも何の変化もない。もしかしてそのハンマーって見た目通りの性能で妖精の秘術とか神秘的な力とか一切無し?!
力尽きた銀髪妖精ちゃんはぐてーっと俺の手の平の中で力尽きた。
その様は日差しに負けた猫科の獣のような情けなさで、一種の駄目可愛さを内包していた。
まあ、何がしたいのかは大体分かったので俺がどうにかするか。
魔法の袋から一本のナイフを取り出す。
水とかげの迷宮で手に入れた石箱産魔道具「マリアの魔石殺し」である。
本来は魔道具を作る際に魔石を加工する為のナイフだが、今回の様に硬い物を精密に削りたい場合はこれが役に立つはずだ。ナイフに魔力を込めると刃の周囲に薄っすらと魔法の刃が生まれた。後はこれで氷塊を削ればいいだろう。
それから数分かけて氷塊を削り取っていった。
すると、中には中々綺麗な見た目をした妖精が入っている。
しかも何故か死んでいない。封印する為の魔道具だったのだろうか?
魔石殺しのナイフはその地味な見た目に反して凶悪な切れ味なので、封印された妖精の肌に触れないようやや余裕を持って削りだされている。問題はここからどうやって削るかだな。
すると、この瞬間を待っていたんだとでも言いたげなキリっとした表情で、銀髪妖精ちゃんが何らかの魔法を行使した。魔力を感知したので魔法を使った事までは分かったが、何の魔法を使ったのかまでは分からなかった。削り出された封印妖精を蝕んでいた最後の氷が、一瞬にして水と化してしまった。
「最初からそれをやれよ」とか言っては駄目なのだろうか?
言葉の通じない相手。
しかも使った魔法自体も理解出来ないものだったので、俺は口を結んで様子を窺った。




