3話
王子様との交際を円滑にする為に、中立派の筆頭であるヴァリス公爵へとご挨拶に行くことになったのが昨日のこと。
今朝からスフィさんに丁寧にお化粧をしてもらい、着ていくドレスを熱心に選ばれ着付けされ、持っていく着替え等もすでに準備されていて、完全武装で王子様を待ち構えます。待ってる間もスフィさんは休まずに、きっちり貴族の淑女らしい所作を私に再教育してくださいました。
我が家の頼りになる家令なスフィさんの指導のもと、十分な準備をして王子様の来訪を歓迎したのですが、やってきた王子様のお言葉で予定外の展開に。
「なぜそんな大荷物を? 遠出の用事でもできたのか?」
詳しくお聞きすると、今日から二人でヴァリス公爵領への小旅行かと思いきや、ちょうど公爵様は王都の邸宅にいらっしゃるらしく、本日向かう先は王都のヴァリス公爵邸だったようです。
私以上に気合の入っているスフィさんに感化され、ヴァリス公爵領への小旅行に密かに嬉しさ多めに緊張していたのですが……。
もうすぐ王子様は、サクライス王国で成人扱いの15歳になられます。大人となり、正式に第一王子と成られる場であるご自身の生誕祭の準備に、とてもお忙しいのです。そんなお忙しい王子様が王都を離れて小旅行とかしませんよね。冷静に考えれば小旅行とかありえませんよね。
イザベラ様が王子様のことを浮かれ過ぎだと注意しておりましたが、両想いになった現在、王子様に負けず劣らず私も相当浮かれているようです。
小旅行だと楽しみにしてしまっていた勘違いから、恥ずかしくて赤面するばかりだった私と荷物を見て、優秀な王子様は事態を察してくださったらしく、朗らかな笑顔と共にお言葉をくださいました。
「いつか必ず、二人で一緒にどこか旅行に行こう。ミリアリアが一緒ならきっと楽しいだろうな」
そのお言葉に『はい』と返事をすることもできずに、ますます顔を赤くして俯く私。心からそう思ってくださっているとわかる自然な声音で言われてしまい、勘違いした恥ずかしさとは別の恥ずかしさで赤面してしまいます。
「行き先をしっかり伝えなくてすまなかった。イザベラの言う通り、ミリアリアと一緒に居られると思い浮かれて伝え忘れたようだ」
「あ、いえ……」
「ん、では改めて、リートバイトの姫君。私と共にヴァリス公のもとへと向かってくださいますか?」
恋に浮かれて返事も上手くできずに赤くなる私に向かい、そっと手を差し伸べてくださる王子様。彼の手の上にゆっくり自分の手を乗せると、優しく馬車へとエスコートしてくださいます。
王族用の豪奢な馬車へと乗り込み手を離そうとしたのですが、いつもと違い対面に座らずに隣に座った王子様がギュッと手を握ってきます。反射的に王子様の顔を見たら、にっこり笑いかけられました。
笑顔の意味を数秒して悟った私は、離そうとしていた手をそのままに笑顔を返します。頬の赤みはさらに増し、胸の鼓動が跳ね上がり、それでも必死に平静を装うのは貴族の子女の務めでしょうか。
手を繋いだまま、ガコンと揺れて動き出す馬車の中。言葉を交わさずに静かだけれど温かな雰囲気で、私たちを乗せた馬車はヴァリス公爵邸へと進んでいきました。
勘違いから始まったヴァリス公爵との面会日。リートバイト邸を出発した馬車は何事もなく平穏無事にヴァリス公爵邸にたどり着き、そのまますぐに公爵様と面会できると思ったら、予想外の試練が立ち塞がります。
「ようこそいらっしゃいました。レグルス殿下。それにリートバイト家のミリアリア様」
私達を出迎えてくださった美しい女性が、恭しく歓迎の意を示してくださいました。が、恭しかったのはそこまでで、すぐさま態度を崩し砕けた口調で王子様に話しかけます。
「それじゃ、レグルスは帰っていいわよ。ミリアリアさんを連れてきてくれてありがとう」
発言の意味をすぐに理解できず、王子様と私はポカンとしてしまいます。今王子様は帰れって言われたような? 聞き間違いでしょうか? 混乱する私の横で王子様はいち早く正気に戻り、女性を問いただしました。
「ウェルシア殿、今日は私とミリアリアの二人で公爵に会うと伝えたはずだが?」
「そうね~、そう聞いてるけど、それってレグルスの都合でしょう? こっちにはこっちの都合があるのよ」
王子様の問いただしにも涼しい顔で答える女性。本来ならば彼女の態度は、サクライス王国の王子に対して間違いなく不敬です。けれど王子様がおっしゃった名前を聞いて、その態度にも納得がいってしまいました。
ウェルシアと呼ばれた金色の長髪に青い瞳を持つ女性。過去にお会いしたことはございませんが、噂で聞いたことはございます。ヴァリス公爵家のある方の噂を。
サクライス王国を始めとした周辺国家で広まっている、女神フィリア様を奉ずるフィリア教。その中で最高位に位置する、女神の力を借りた魔法が使えるという姫巫女。
現在の姫巫女は、蒼月の姫巫女と呼ばれるヴァリス公爵家の長女。その方の名はウェルシア・マール・ルテラ・レ・ヴァリス。
彼女が王子様に対して気軽に話すのもわかります。すでにウェルシア様は成人なされていて、さらには王位継承権も持っておられるお方です。年上としてだけではなく、王位継承権を持つ先達でもあるわけです。
王家の血が入っている公爵家の長女なので王位継承権を持ち、尚且つ周辺国家に影響力があるフィリア教の姫巫女という立場の方。私からすればまさしく雲の上の存在。
姫巫女という響きは神秘的で、一介の貴族の少女である私にとって噂の中だけの夢のような存在。そのような方に出会えたのは、喜ぶべきことなのでしょうか。
「レグルス~、今日はミリアリアさんだけが面会ってことになってるの。いい加減諦めなさいな~」
「理由も聞かずに、そうですかと引き下がれるはずがないでしょう。ウェルシア殿」
「しつこいと嫌われるわよ~。ミリアリアさんに~」
笑顔だけどちょっと怒っている王子様を相手に、ざっくばらんにからかい調子で話しかけるさまを見て、抱いていた姫巫女のイメージが崩壊していきます。神秘さ溢れる巫女というより、親しみやすい近所のお姉さんのような?
血筋的に近しいからか金髪に青い瞳の美形同士のお二人が言い合っているのは、まるで姉弟のようです。言い合っていても仲良しに見えるのが、少しだけ羨ましいです。
「はぁ、理由を言わないと帰ってくれない?」
「当然でしょう。二人揃ってヴァリス公に会う予定だったのが、私だけ帰れと言われて帰れるはずがないでしょう」
「まぁそうよねぇ。仕方ないか」
そんな風に傍観者としてお二人を見ていたのですが、突如話の矛先が私に向かってくる羽目に。言われてみれば当然で、貴族として行うべきことを行っていなかった報いとして。
「あんまり言いたくないんだけどさ。ミリアリアさん、っていうかリートバイト家は3年前から中立派に所属してたでしょ?」
「ん? そうなのか?」
「あ、はい。王都で屋敷を購入するのにヴァリス公のお世話になったので、中立派に所属することになったと、父から聞いています」
二人に見られて問われ、即座にお答えしました。
私の返事を聞いて、ウェルシア様が言いにくそうに要点を教えてくださいます。
「そういう訳で、中立派筆頭のうちは3年前からリートバイト家の後見だったわけ。それが急にリートバイト家っていうか、ミリアリアさん個人の後見人にコルベール家のイザベラがなったじゃない?」
ウェルシア様の言葉を聞いてすぐに王子様が「あっ」と声を零し、困ったような表情で私を見たまま固まりました。
王子様に遅れて、ウェルシア様の言葉の意味を理解していくうちに、私もまずいという気持ちがじわじわ心中を占めていきます。
元日本人だから貴族としての感覚がわからない。中身は庶民だから政治関係に興味を持たない。平々凡々とした自分のままの自分で生きてきたツケが、今まさに身に降りかかっている実感が。
ウェルシア様のおっしゃりたいことを確認の意味も込めて、ゆっくりと口に出しました。
「つまり中立派に所属するリートバイト伯爵家の者として私が、自身の後見人に貴族派のイザベラ様がなった経緯を、ヴァリス公爵家に説明に伺うべきだった、と……」
我が意を得たりと、ウェルシア様がにっこり微笑みかけてくださいました。
王子様と私が恋仲なのは、貴族の間では公然の秘密となっています。ですが公然とはいえ秘密は秘密。公に認められたものではなく、胸を張って世間に公表できる段階ではございません。
なので今日の私達の要件は中立派筆頭であり、大貴族であるヴァリス公爵に王子様と二人でご挨拶に来たという実績作り。ありていに言えば、私達の交際を周りに認めてもらう根回しでしょう。
ウェルシア様の笑顔が物語っております。交際云々の根回しの前に貴族としての筋を通しなさい、と。
帰れと言われた理由に反論ができないのか、王子様は黙って私の両手を握り不安そうなお顔をします。私ごとき小娘が、大貴族であるヴァリス公爵に一人で会わねばならないのを心配してくださっているのですね。
優しい彼に向かって私は笑顔を浮かべます。内心で感じる重圧や不安を押し込めた、強がりではない希望を込めた笑顔を。
「大丈夫ですよ。レグルス殿下。公爵様に、しっかりと事のあらましを説明してきます」
「だが……」
「これは貴族として私が果たすべきだった責務です」
リートバイト家ではなく、貴族派のイザベラ様が後見になったのは私個人。ならばヴァリス公爵家への説明責任を果たすのは、お父様ではなく私自身。当たり前にやるべきだったことを、やる時がきたのです。
後見となってくださったイザベラ様のため。何よりも目の前で不安そうになさっている王子様のためにも、私は為すべきことを成さねばなりません。だって、私は決めたのですから。
「これからも殿下と共に居る為に、今日は私一人で頑張らせてくださいませんか?」
愛しい人の横に立ち、これからも一緒に居ようと、王子様のプロポーズを受け入れた時に決めたのです。どこか気持ちの上で距離を置いていた貴族社会。そこに踏み出す覚悟は疾うに決めていたのです。
「ミリアリア……」
私の決意を聞いた王子様は、厳しかった表情から険が取れていきます。今度は不安から一転して、彼の柔らかな笑顔と繋がる手のひらから、親愛と信頼を強く感じます。
私を信じる王子様に対して、私も想いを伝えようと見つめ返していると。
「いつまで見つめ合ってる気なのかな~? 貴方達が相思相愛なのはよ~くわかるんだけど、うちの家に挨拶するってだけで、今生の別れのような寸劇をされてもねぇ。脅すような態度をとったのは私だけどさ~」
ウェルシア様の声には、多分に呆れが含まれておりました。
王子様と別れ公爵様の待つお部屋へと向かう道すがら、ウェルシア様は案内ついでに色々なお話をしてくださいました。
ヴァリス公爵様は、初夏にあった誘拐事件の内情を知っていて、イザベラ様が後見人となった詳細も知っているとか。だからその件について釈明等はしなくてよいそうです。
そもそもイザベラ様が後見人になったのも、彼女が主催する茶会のメンバーだった延長と考えられていて、表立って騒ぎ立てる要素にはならないんだとか。サクライス王国の貴族社会では、淑女の茶会と表の派閥は別物という考え方があるからでしょう。
だとしたら、どうして王子様を帰したのでしょう?
そう聞いたら言葉を濁されました。代わりに王子様のお話を聞かせてくれたので、ごまかされたとわかりつつ話に乗ると、思いのほか嬉しいお話が聞けました。
ウェルシア様が王子様に気安く話していた理由。それは王子様がウェルシア様の弟子だからだとか。女神の力を借りた回復の魔法を使えることで有名な、姫巫女であるウェルシア様に最近弟子入りしたそうです。
なんでも誘拐事件の時に私の怪我を治せなかったのを悔やみ、回復魔法が得意と言われているウェルシア様の所に押しかけて指導を求めたのだそうで。
とても熱心に学ぶ姿勢は素晴らしく、最初はしぶしぶだったけれど、そのうち真面目に魔法を教えるようになったらしいです。
しかし姫巫女の魔法は特殊なのと、王子様に回復魔法の才能がないっぽいので、まったく上達の見込みはないのよね~と笑って仰られました。
ウェルシア様に釣られ、つい私も笑ってしまいます。王子様の努力が上手くいかないのを笑うのは失礼なのですが、それ以上に喜びが勝ってしまったのです。好きでいてくれる。愛されている。その証明ともいうべきお話を聞いて嬉しくないはずがありません。
王子様の影の努力の話が終わった頃合いで、ウェルシア様が立派な扉の前で立ち止まりました。
「さて、さっきの質問。なんでレグルスだけを帰したかの答えを教えてあげるわね。なんとなくわかってるでしょうけど、レグルス抜きで貴女に会いたいって人が居るからよ」
扉の取っ手に手をかけながら、ウェルシア様が先の疑問の返答をくださいました。もしかして~と思っていた内容の一つであったので、聞いた私は驚かずに受け止めます。
ヴァリス公爵様が私を見定めるために待っていらっしゃるのですね。正直に言えば、急に一人ぼっちで試されると思うと不安も緊張もございます。回れ右して帰りたいです。
けれど王子様の影の努力の話を聞いて温かく、いえ、むしろ熱くなった想いが私に真っ直ぐ前を向かせます。ヴァリス公爵様との面会。上手くこなす自信はさっぱりございませんが、それでも乗り切ってやろうと渦巻く情熱。
「えっと、あ~、やる気がありそうでいいわね。でも、ごめんね。頑張って」
扉を開きながらウェルシア様が謝り、ん? と疑問に思うも考えるほどの時間もなく開かれた扉の先を促され、足を前に出し入室します。すると室内には二人の男性が。一人はヴァリス公爵様であると思いますが、もう一方はどなたでしょう?
その答えは横に並んだウェルシア様が、見事な礼をしつつ教えてくださいました。
「お待たせいたしました。陛下」
陛下、と聞いて咄嗟には理解できませんでした。公式の場で見たことはございますが、遠目でしか知らない御方なのですから。
陛下と呼ばれた方は重厚な雰囲気を放ちつつ、静かに、ですがよく通る重い声音で話しかけてきました。
「ご苦労だった、ウェルシア。そしてよく来た。歓迎するぞ、リートバイトの娘よ」
レグルス王子の父親にして、サクライス王国のトップであらせられる、国王陛下がいらっしゃいました。




