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第2話 国民が八千人増えるので、まずトイレを作ります

「八千名って、全員来る気なのか?」


 焼き魚が冷めていく。

 俺の前では、元四天王筆頭のリゼが、黒い鎧を鳴らして頷いた。


「先遣隊です」

「後続がいる言い方はやめろ」


 スマホの向こうで、コメントが流れる。


《先遣隊で八千w》

《国民一人の国に団体予約》

《トイレ一個だぞ。戦争になる》


 最後の指摘は正しい。

 俺は魔王時代、城の便所が三日使えなくなっただけで、種族間の対立が再燃するところを見ている。


 平和は意外と細い管で支えられている。


「移住は待て。水と寝床と便所が先だ」

「承知しました。では、待機中の者たちに伝えます」


 リゼが背後の裂け目を広げた。


 向こう側に、広場が見えた。


 荷車。

 山積みの木箱。

 毛布にくるまった子供。

 そして、地平線まで続いていそうな人、人、人。


 先頭の牛頭の男が、俺に気づいて手を振った。


「陛下ァ! 鍋、持ってきましたァ!」


 炊き出し担当のゴルドだ。

 相変わらず声がでかい。


「閉じろ」

「陛下?」

「期待に満ちた目をいったん閉じろ」


《もう引っ越し当日じゃねえか》

《鍋持参は強い》

《追い返しにくい順に並んでる》


 俺は額を押さえた。


「……今日は代表者だけ通せ。五人までだ」

「では、各種族の代表を」

「土木と衛生に詳しいやつを優先しろ」


     ◇


 翌朝、配信タイトルを変えた。


『下水道を作ります。経験者募集』


 開始一分で、視聴者が十万人を超えた。


《昨日の魔王だ》

《本当に下水道回で草》

《元自治体職員です》

《設備屋です。図面あります?》


「ない。今から作る」


《一番怖い回答》


 城の前に石の机を出す。

 俺の隣にはリゼ、その向かいには小柄な老人が座っていた。髭を三つ編みにし、膝には使い込まれた金槌を置いている。


 元魔王城の工匠長、ドワーフのバルドだ。


「陛下。確認ですが、また地下牢へ全部流す方式ですかな」

「人聞きの悪い言い方をするな。地下の浄化施設だ」

「あれを最初に地下牢として発注したのは陛下です」


《前科がある》

《図面ない理由わかった》


 地面に島の立体模型を作った。

 中央に城。東に船着き場の予定地。南側に平らな土地がある。


「この南側を住宅地にする。飲み水の貯水池は高台。汚水は西に集めて処理する」

「西は風上ですな」

「……東にする」

「船着き場ですな」

「ちょっと待て」


 コメント欄の流れが速くなった。


《先に配置決めよう》

《八千人なら町ひとつ作る規模だぞ》

《魔王様、便所から逆算して国作ってる》


 そう言われても、城なら何度も建てたが、町を一から作った経験はない。

 魔王城の周囲には、いつの間にか勝手に家が増えていたのだ。


 あれは部下が仕事をしていたのか。


 今さら感謝が湧いてきた。


「詳しい人、頼む。水をどれだけ使うかも分からん」


 俺が頭を下げると、コメントが少し落ち着いた。


《住民の内訳は?》

《人間と同じ基準でいいのか?》


「リゼ、名簿」

「こちらに」


 渡された紙を読む。


 角持族、二千百。

 獣人族、三千二百。

 ドワーフ、九百。

 その他――。


「待て。この大型種四十って」

「山巨人の皆様です」

「身長は」

「平均六メートルほど」


 俺は住宅予定地に並べた模型を、いったん全部平らに戻した。


《設計やり直しw》

《まず人間の町という前提を捨てよう》

《便器の耐荷重から会議だ》


     ◇


 結局、午前中は聞き取りで終わった。


 獣人は一括りにできない。夜に活動する種族もいれば、嗅覚が鋭く、他人の家の料理の匂いで眠れない種族もいる。

 ドワーフは寝床より先に工房を欲しがる。

 山巨人は外でも寝られると言ったが、それを前提に家を省くのは違う気がした。


「陛下がお決めになれば、皆、従いますが」


 リゼが言った。


「住んでから困るのは俺じゃないからな」


 模型の住宅地をいくつかに分け、道を広く取る。

 全部を一度に完成させるのはやめた。まずは百人。実際に暮らしてもらい、不具合を直してから広げる。


 その方針を伝えると、バルドが嬉しそうに髭を撫でた。


「ようやく陛下も、試しに一つ作るということを覚えられましたな」

「昔からやっていただろ」

「空飛ぶ要塞を三つまとめて墜落させた件は」

「今、その話は必要か?」


《詳しく》

《切り抜き確定》

《失敗談が国宝級》


 俺は模型の端に、小さな処理施設を置いた。


「汚水はここで分ける。固形物を回収し、水は浄化する。魔法陣は二系統。片方を止めても点検できるようにする」

「今度は中に入れる大きさでお願いしますぞ」

「分かってる」

「前のは儂がつかえましてな」

「分かってるから」


 コメント欄では、俺よりバルドの支持が高まりつつあった。


     ◇


 午後、ようやく工事を始めた。


 地面に手をつき、魔力を流す。

 白い線が地表を走り、道路の輪郭を描いた。


「〈地脈掌握〉」


 岩盤が低く唸る。

 区画ごとに土地が均され、土の下に管を通す空間が開いていく。


《おおおお》

《ここまで三時間、施工十秒》

《会議は魔法でも短縮できないのか》


 できるなら、俺が知りたい。


 バルドが溝を覗き込み、勾配を確認する。

 合図を待って管を成形し、継ぎ目に補強を入れた。点検口も忘れない。


 最後に、高台の水槽から水を流す。


 透明な水が管を走り、予定どおり処理施設へ届いた。


「よし」


 俺が立ち上がった瞬間、背後で噴水が上がった。


 城の二階からだった。


 正確には、俺の寝室の窓である。


「……バルド」

「城の配管は、どちらに繋がっておりますかな」

「たぶん、今のやつ」

「止めてくだされ」


《陛下の寝室、洗浄開始》

《ちゃんと試運転してよかった》

《世界一高い失敗動画》


 水を止めた。


 リゼが無言で城へ飛んでいく。

 しばらくして、濡れた枕を抱えて戻ってきた。


「陛下。今夜は別室をご用意します」

「百部屋あってよかったな」

「はい」


 その優しい返事が、少し痛かった。


     ◇


 夕方、最初の百人を迎え入れた。


 完成したのは、仮設住宅二十棟と共同炊事場、それに浴場。

 便所は体格に合わせて三種類。バルドが一つずつ扉を開け、真剣な顔で頷いていた。


 移住者は、荷物より先に俺の前へ集まった。


 自然と膝をつこうとするので、止める。


「挨拶は後でいい。先に家を見てくれ。困るところがあったら、今のうちに直す」


 誰も動かない。


 獣人の女が、胸に抱いた荷物をぎゅっと握った。


「……本当に、住んでよいのですか」

「そのために作った」

「こちらには、まだ何も納めておりませんが」

「今日来たばかりだろう」


 女の陰から、小さな子供が顔を出した。

 尖った耳の片方に、古い包帯が巻かれている。


「お水、毎日出る?」


「ああ」


「並ばなくても?」


 俺は、返事をする前にリゼを見た。


 彼女は目を伏せた。


 向こうの事情は、まだ詳しく聞いていない。

 俺がいなくなってから何があったのか。八千人が、なぜ荷造りを済ませていたのか。


 聞かなければならないことが増えた。


 俺は子供を水道の前へ連れていき、蛇口をひねった。


「出しっぱなしにはするなよ。使う分だけだ」

「うん」


 小さな両手が水を受ける。

 一口飲んで、子供は母親を振り返った。


「冷たい!」


 女が何度も頭を下げた。


 スマホから、短い通知音が鳴る。


《よかったなあ》

《水道見て泣くとは思わなかった》

《陛下、枕くらい買ってやるよ》


 枕の件は忘れてほしい。


     ◇


 夜、共同炊事場からスープの匂いが漂ってきた。


 ゴルドが持参した大鍋は、百人分を作っても余裕があった。八千人の先遣隊に合わせて選んだらしい。


 俺は器を受け取り、波止場予定地の岩に腰を下ろした。


 家々の窓に灯りがある。

 昨日まで、俺の城しかなかった島だ。


「騒がしくなったな」

「申し訳ありません」


 隣に立つリゼへ、首を振る。


「苦情じゃない」


 スープには、うちのトマトが入っていた。

 少し酸っぱい。そういえば昼飯を食っていなかった。


「リゼ。向こうで何があった」


 彼女が口を開きかけたとき、スマホが鳴った。


 日本の番号だった。


「はい、黒瀬です」


『夜分に失礼いたします。日本国外務省の者です』


 俺は背筋を伸ばした。

 役所からの電話は苦手だ。帰還後の手続きで、すっかり癖になっている。


『まず、現地の状況について確認と協議をお願いしたく――』


「移住の話ですか?」


『いえ』


「観光はまだ無理ですよ。宿がないので」


『いえ、あの』


 相手が咳払いした。


『異世界に、日本人の方はほかにもいらっしゃいますか』


 俺はリゼを見た。

 リゼも俺を見た。


 勇者。

 あいつは確か、埼玉出身だった。


「……一人、心当たりがあります」


『ぜひ、お話を伺えれば』


 その瞬間、目の前の空間に細い裂け目が開いた。

 中から手紙が一枚、俺の膝へ落ちる。


 見慣れた、勇者の字。


『配信見た。俺も帰りたい。あとパスポートないけど、嫁と子供二人連れていける?』


 俺はしばらく、その紙を見つめた。


「すみません」


『はい』


「家族の入国についても、相談していいですか」


 隣でリゼが、明日の工事予定表を静かに裏返した。

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