無人島を買ったので、建国してみた
魔王を辞めて日本に帰ってきた俺を待っていたのは、失効した運転免許と、取り壊された実家だった。
異世界で二十年。
こちらでも、きっちり二十年。
苦労の末に次元の壁を破ったというのに、最初に泊まったのは駅前のネットカフェである。
「ご職業は?」
「魔王を少々」
「無職ですね」
帰還三日目にして、人間社会の厳しさを知った。
別に、日本を征服したいわけではない。
向こうでは毎週勇者が来た。部下の四天王は仲が悪かった。停戦会議は百八十時間続いた。もう誰かの上に立つのはこりごりだ。
海の見える家で、釣った魚を焼いて食う。
残りの人生は、それでいい。
そうして俺は、島を買った。
◇
「念のため確認しますが、本当にこちらで?」
仲介人が、地図の端を指した。
南洋の小国、ルアナ共和国。その首都から船で二日。草もろくに生えない岩の塊が、俺の購入した島だった。
淡水なし。港なし。通信圏外。
おまけに旧時代の条約のせいで隣国との係争まで抱えている。
「売買代金に加え、共和国の対外債務を肩代わりいただけるなら、議会は主権放棄にも同意すると」
「じゃあ、それもお願いします」
「……国家の話ですが」
「隣人に家の壁の色を指図されるのは嫌なので」
代金には、異世界から持ち帰った竜の寝床の金塊を充てた。
鑑定やら出所の説明やらで半年かかった。魔王時代より書類を書いた気がする。
そして本日。
俺、黒瀬真央は、ようやく自分だけの土地に立っていた。
「風が強いな」
波しぶきが顔にかかる。見渡す限り灰色の岩。
だが、日当たりはいい。
俺は岩の上にスマホを固定した。
日本で世話になった定食屋の娘に、「島買ったんなら配信しなよ」と勧められたのである。通信は海底ケーブルのある方角へ魔力を伸ばして、どうにかした。
配信タイトルは『無人島に引っ越しました』。
視聴者、三人。
《ほんとに買ってて草》
《おじさん顔近い》
《そこ住めるの?》
「これから住めるようにする。まず水回りだな」
俺は岩盤を指で叩いた。
「〈地脈掌握〉」
島が震えた。
岩が割れ、地下から澄んだ水が噴き上がる。ついでに水路を掘り、貯水池を作り、余った熱で風呂を沸かす。
《え?》
《???》
《編集? 生配信だよな?》
「塩分を抜いて、雑菌を殺して……よし、飲める」
一口飲む。悪くない。
「次は家か」
俺が手を上げると、岩山がほどけた。
石材が宙を流れ、柱となり、壁となる。十分後には、海を望む白亜の城が完成していた。
しまった。
長年の癖で、謁見の間まで作ってしまった。
「一人暮らしには広いな」
《広いとかいう問題か?》
《いま来た。何のゲーム?》
《洗面所作るテンションで世界遺産建てんな》
視聴者数が、八千人になっていた。
◇
「畑も欲しいな」
城の裏に土を敷き、持参したトマトの苗を植える。
成長促進をかけると、茎がぐんぐん伸びた。赤い実が鈴なりになる。
一つかじった。
「うまい」
《この能力で最初にやるの家庭菜園なの好き》
《肥料は?》
「魔力」
《参考にならねえ》
ここで、画面に色付きのコメントが流れた。
《五千円 電気はどうしてるんですか?》
「金? これ、俺にくれるのか?」
驚いた。
異世界では、金を払って魔王に質問する者などいなかった。大抵、剣を持って答えを要求してきた。
「ありがとう。電気はこれからだ」
俺は倉庫代わりの異空間から、拳大の魔石を取り出した。
「こいつから少しずつ力を取り出す」
《何年くらい持つ?》
「家だけなら、二千年くらい」
《電力会社終了のお知らせ》
《その石をしまえ。相場が壊れる》
視聴者、十二万人。
なぜか英語のコメントが急に増えたので、翻訳魔法を配信に乗せた。
《待って、今から全部母国語で聞こえる》
《字幕じゃないぞ》
《うちの婆ちゃんがテレビ消してこれ見てる》
みんな暇なのだろうか。
「さて。生活できそうだし、建国するか」
コメント欄が止まった。
正確には、一瞬止まってから読めない速さで流れ始めた。
《建国?》
《建築の次に建国すな》
《クラフトの解放条件どうなってんだ》
俺は売買契約書と、共和国議会の承認書を見せた。
「土地だけじゃない。主権も譲ってもらってる。面倒な手続きは弁護士に頼んだ」
《そこはちゃんとやるんだ》
《武力より先に法務を整える魔王》
「なんで魔王って分かった?」
《えっ》
しまった。
◇
隠しても仕方がないので、異世界で魔王をやっていたと説明した。
証拠に角を出すと、画面いっぱいに草が生えた。
《本物www》
《魔王、帰還後に移住系配信者になる》
《勇者は?》
「三代目とは、たまに文通してる」
《倒してないの?》
「最後は一緒に税制改革した」
《急に世知辛い》
国名を聞かれたので、黒瀬王国と答えた。
国民一名。俺。
国家予算は残りの金塊。
主要産業は、今のところトマトだ。
「国是は、飯を食って、よく寝る」
《移住希望》
《もう日本語話せるので採用してください》
《週休何日?》
「働く必要がある日に働けばいいだろう」
《陛下!!》
《我が王!!》
そのとき、沖で船の汽笛が鳴った。
灰色の艦艇が三隻。
拡声器から、硬い声が響く。
『こちらはガルド共和国海軍。本海域は我が国の管轄下にある。直ちに作業を中止し、臨検を受け入れよ』
ああ。係争相手か。
仲介人が言っていた。売り手のルアナ共和国が困るたびに軍艦を出し、漁場や資源の権益を要求してくる国らしい。
《やばくね?》
《逃げろ》
《配信切れ!》
「少し待ってくれ。話してくる」
俺は海へ歩いた。
足の下で水面が固まる。
艦上が騒がしくなった。何かがこちらを向く。
『止まれ! それ以上接近するな!』
「では、そちらから来てくれ」
指を曲げた。
三隻の軍艦が、海面から一メートル浮いた。
スクリューが、空しく空をかく。
《は?》
《拿捕がクレーンゲーム》
《軍艦って浮くけど、そうじゃない》
俺は艦橋と同じ高さまで上がり、窓越しに艦長らしき男へ声をかけた。
「今、家を建てたところなんだ。砲を向けないでほしい」
「き、貴様……何者だ」
「隣に越してきた黒瀬です」
引っ越しの挨拶を忘れていた。
採れたばかりのトマトを一箱、甲板に置く。
「これ、よかったら皆さんで」
「……」
「あと、次からは事前に連絡を。いきなり大声を出されると驚く」
艦長は何度も頷いた。
話の分かる人で助かった。
三隻を沖に戻すと、すごい勢いで帰っていった。
スマホを見た。
視聴者、三百二十万人。
《世界よ、これがご近所付き合いだ》
《トマトもらった艦長、一生食べられなさそう》
《速報出てるぞ。各国が緊急会見》
◇
日が暮れた。
俺は城のテラスで魚を焼いていた。
国交樹立の打診が十七件。取材依頼は数え切れない。移住希望者の登録フォームは、作ってもいないのに偽物が出た。
例の定食屋の娘からも連絡が来た。
『何やってんの、おじさん』
俺にも分からない。
「今日はこの辺で終わる。明日は桟橋を作って、釣りでもするよ」
《絶対見る》
《陛下、国民募集いつですか》
《今日会社辞めていい?》
「辞めるな。まだトイレが一個しかない」
城の部屋は百もあるのに、完全に忘れていた。
配信を切ろうとしたとき、背後の空間が裂けた。
懐かしい黒い鎧。
額の二本角。
元四天王筆頭のリゼが、片膝をついていた。
「陛下。ようやく見つけました」
「どうしてここが分かった」
「勇者殿が、陛下の配信を見つけられまして」
あいつ、次元を越えてネットを見ているのか。
「新国家を興されたと聞き、旧臣一同、移住の準備を」
「一同?」
「まずは八千名ほど」
俺は焼き魚を置いた。
スマホを持ち直す。
「……すまん。明日の釣りは中止だ」
《草》
《まだ増えるのかよ》
《明日は何するんですか陛下》
海風に揺れるトマト畑を見て、俺は深く息を吐いた。
「下水道を作る」
その夜、世界で最も視聴された動画は、魔王による土木作業員の募集配信だった。




