第57話 2歩後ろの行列
【リツ視点】
入学して244日目の休日。寮の玄関を出ると、僕の後ろに行列ができていた。
1年生の女の子たちだ。20人くらいいる。いちばん前は、いつもどおり2歩後ろのイルゼさん。そこから3mあけて、1年生が1人。そのまた2歩後ろにもう1人。全員が同じ間をあけて、1列に並んでいる。
「イルゼさん。これ、何の列ですか」
「……私にも、分かりかねます」
イルゼさんは前を向いたまま答えた。今朝、獅子の印の手紙を読んでから、少しだけ考えごとの顔をしている。何の手紙か聞いたら「業務の件でございます」とだけ返ってきた。
今日は王都の西の辻へ行く。1年生のウルリケさんの家が、号外の写しを売る店なのだ。見てみたいと言ったら、ウルリケさんが「さあさあ、いつでもどうぞ!」と案内を買って出てくれた。ヴィオラさんとユッタさんも一緒だ。3人とも、先週友達になったばかりだった。
門を出ると、行列もついてきた。
*
大通りの角で右に曲がった。
振り返ると、列の先頭の子は僕が曲がった石畳までまっすぐ歩いてきて、直角に曲がった。2人目も同じ石畳で曲がる。3人目も、4人目も。
前世のゲームで見た歩き方だ。勇者が歩くと、仲間が1列になって後ろをついてくる。勇者が曲がった場所で、全員がきっちり曲がる。
ためしに、その場で小さく1周してみた。
列も1周した。石畳の上に、20人ぶんの小さな輪ができた。何人かが目を回してよろけた。
「すごい。ちゃんとパーティだ」
言ってから、少しだけさびしくなった。ゲームの仲間は後ろをついてくるだけで、話しかけてはこなかったのだ。
「ウルリケさん。この列のこと、何か知ってますか」
ウルリケさんは一度目をそらしてから、背筋を伸ばした。
「第15号の2! 『護衛官、御無礼 殿方の2歩後ろに立つ者こそ、殿方の最初の友にして、殿方に勝つ唯一の淑女』!」
本物の第15号は、見出しだけの号外だった。その空いた本文の欄を、写し屋さんが勝手に埋めたらしい。
「その写しが1年生の寮で回ってて。2歩後ろに立てば、殿方のいちばんの友になれるって」
「……うちの棚にもあります。いちばんの売れ筋です」
つまり、こういうことだ。みんな僕の2歩後ろに立ちたい。でもそこにはイルゼさんがいる。だから、イルゼさんの後ろの3mの線の外に立つ。その子の2歩後ろに、また次の子が立つ。
2歩後ろの取り合いが、そのまま行列になっていた。
*
次の角を曲がったときだった。
ユッタさんが干し魚をくわえたまま、すっと僕のすぐ後ろに入ってきた。僕とイルゼさんのあいだ、1歩後ろだ。
「ここ、空いてたよ」
「ユッタさん、そこはっ……」
ヴィオラさんが言いかけた。空いてはいる。でも、そこはみんなが遠慮して空けている場所なのだ。
1年生の列が、ざわっと揺れた。後ろでイルゼさんの手袋の革がきゅっと鳴る。
ヴィオラさんの顔に「ずるい」と出た。続けて「わたしも」と出た。ヴィオラさんは反対側から1歩後ろに入ろうとして、ユッタさんと肩をぶつけた。
列の20人がいっせいに1歩前に出かけて、止まった。
これはもう行列じゃない。渋滞だ。
「並ぶなら、電車にしましょう」
「でんしゃ?」
ヴィオラさんの顔に大きく「?」が出た。
「縄の輪に入って、1列で歩く遊びです。いちばん前が運転士で、いちばん後ろが車掌さん」
縄はユッタさんが持っていた。網を繕うための縄で、港の子はいつも腰に巻いているそうだ。ほどくと30mくらいある。両端を結んで、大きな輪にした。
「縄の内側は、通達第1項の線の内側とみなします。殿方の友のみ、と解します」
列の最後尾からハンネローレさんの声が飛んできた。規則集を開いている。
つまり、まだ友達じゃない1年生は乗れない。
前世の病室の窓からは線路が見えた。朝も夜も、電車が何十本も通っていく。乗っている人の顔は見えない。みんな、どこかへ行く途中だった。
今日は僕が運転士だ。先頭で縄を持つ。後ろにヴィオラさん、ウルリケさん、ユッタさん。いちばん後ろで縄を持つ車掌は、イルゼさんにお願いした。
「僕は館の外では走れないので、この電車は各駅停車です。……出発、進行!」
縄がぴんと張った。
縄の外では、乗れなかった1年生が2歩ずつ間をあけて、同じ速さで歩いている。電車の横に、もう1本の行列ができていた。
結局、行列だった。
*
電車は乗客を乗せるものだ。
大通りのパン屋の前で、同じ組のズザンネさんが店先から顔を出した。
「……殿方。寝癖が、左に」
「ありがとうございます。乗りますか」
ズザンネさんはパンの籠を抱えたまま縄をくぐった。
角を曲がるたびに乗客が増えた。改正の日に友達になった王都の人たちだ。みんな「乗ります」と小さく言って縄をくぐってくる。
広場の手前で、小さな子が走ってきた。
「りつどの、のせて!」
「どうぞ!」
整理券1番の子が縄をくぐる。噴水の縁で、お母さんが静かに倒れた。いつもどおりだ。
赤い乗合馬車が横に並んだ。御者台のマルタさんが「3倍!」と叫ぶ。名前を呼んで手を振ると、マルタさんは手綱を振って角を曲がっていった。ひと回りしてくるらしい。乗客ごと。
電車といえば、車内放送だ。僕は鼻をつまんで声を出した。
「次は〜、婚姻院前〜。婚姻院前〜」
通りの空気が止まった。
八百屋の前の淑女が、手に持っていた蕪を落とした。蕪が石畳を転がっていく。拾おうとした隣の淑女は、拾わずにそのまま座りこんだ。向かいの店先でも、通りの端でも、淑女たちが次々に膝を折っていく。
縄の中でも、ズザンネさんがパンの籠を抱えたまましゃがみこんだ。ウルリケさんは「ご、号外……!」と言ったきり口をぱくぱくさせている。ヴィオラさんの顔には、大きな字で「婚姻院」と出ていた。
「あれ。みなさん、どうしました?」
誰も答えなかった。
僕は駅の名前を言っただけだ。みんな、たぶん歩き疲れたのだと思う。今日は少し日差しが強い。
婚姻院の2階の窓が開いて、クラリッサさんが顔を出した。眼鏡が大きくずれていた。
「……乗車いたします。念のためです」
クラリッサさんは判子の箱を抱えて駆け降りてきて、縄の中に入った。
*
縄の中は20人になっていた。
振り返ると、いちばん後ろのイルゼさんが遠い。20人ぶん向こうで、縄の端を持ってまっすぐ立っている。
2歩後ろにいないイルゼさんを見るのは変な感じだった。
広場の噴水のまわりで、僕はもう1つ思いついた。
「縄の外のみなさんは、上り線にしましょう。電車は右回り、上り線は左回りです。すれ違うときは、手を振るんです」
病室の窓から手を振ると、ときどき運転士さんが振り返してくれた。あれがうれしかった。
1周目。1年生は誰も手を振らなかった。平静の顔で、まっすぐ前を見て通り過ぎていく。
2周目。僕のほうから手を振った。
上り線の先頭の子がその場で固まった。後ろの子がその背中にぶつかる。その後ろの子もぶつかる。上り線が5人ぶん、玉突きで止まった。
先頭の子は真っ赤な顔で、手袋の手を胸の高さまで上げた。
「い、1年A組、ミリアムです!」
名乗りながら振っていた。次の子も同じことをした。
「1年B組、ゼルマと申します!」
「同じくB組、ヤスミン!」
3周目には、名乗る声と車内放送がまざった。4周目が終わるころ、手を振って名乗った1年生は12人になっていた。
顔と名前と、思い出1つ。それがそろえば友達になれる。僕の決まりは、1年生もみんな知っている。
上り線のいちばん後ろを歩くハンネローレさんは、手を振らなかった。すれ違うとき、監察日誌をほんの少し持ち上げただけだ。
あれも、たぶん手を振ったうちに入る。
*
西の辻へ向かう最後の大通りで、僕は電車を止めた。
「運転士、交代です。イルゼさん、前をお願いします」
イルゼさんが、20人ぶん向こうで固まった。
「……私は、前を歩いたことがございません」
「さっきからずっと、後ろからみんなを見てくれてたので。今度は前を見る番です」
車掌はクラリッサさんが引き受けてくれた。
イルゼさんが縄の前に立つ。僕はその2歩後ろに入った。いつもと逆だ。
「イルゼさん、出発の合図を」
イルゼさんはしばらく黙っていた。それから、小さな声で言った。
「……出発、進行」
通りの淑女が、また座りこんだ。今度は僕のせいじゃない。縄の中では、ユッタさんが干し魚を2匹いっぺんに口に入れていた。
イルゼさんの背中はまっすぐだった。何も言わない。でも肩のあたりに、いろんなことが出ている気がした。
前世の漫画では、無口でかっこいい人は背中で語る。
「イルゼさん、背中で語ってますね」
イルゼさんの足が、1歩だけもつれた。縄がぐんと揺れて、後ろの20人がそろってつんのめる。
返事はなかった。耳が赤かった。
西日が正面から来て、イルゼさんの影が後ろへ長く伸びている。2歩後ろだと、どうしても踏んでしまう。避けようとしたら縄が絡まって、ヴィオラさんの顔に「たのしい」と出た。
*
ウルリケさんの店は、本当に紙しかなかった。
壁も棚も写しで埋まっている。いちばん目立つ棚に、さっきの第15号の2が並んでいた。見出しの下に本文がびっしり書きこんである。
イルゼさんは開いた扉の外に立っている。
「……これ、ちょっとだけ本当なんですよね」
「本当なんですか!」
「イルゼさんは最初の友達ですし。僕、イルゼさんに負けましたし」
ウルリケさんの頭の中で、見出しが1枚立ち上がる音がした。
扉の外で、ひゅっと風を切る音がした。
イルゼさんが素振りを始めていた。剣は抜かずに、手だけで。僕は店を出て、横で数えた。
「……198、199、200。イルゼさん、200回です」
イルゼさんの手は止まらなかった。
「私の数えでは、まだ151回でございます」
49回、どこかへ行ってしまったらしい。
*
帰り道は、もう夕方だった。
縄を巻いているユッタさんのそばに、上り線の12人が3mあけて並んでいる。
先頭の子がおずおずと手を挙げた。最初に名乗ったミリアムさんだ。友達になるまで、名前は頭の中でだけ呼ぶ。
「あの。思い出は、そろいましたでしょうか」
顔は分かる。名前は、すれ違うときに名乗ってくれた。思い出は、今日の電車だ。
「そろいました」
12人がそろって息を止めた。
学園の門の前では、学園長が待っていた。
「学園長。申請書の山から、この人たちの分をお願いできますか」
学園長は12人の顔を順に見てから学園長室へ戻っていった。少しして、封筒を12通持って出てくる。
「名前、まだ言ってないです」
「顔で分かります。46年、生徒の顔を覚えるのが仕事ですので」
全部、合っていた。
クラリッサさんが門柱の前で判子を構える。僕は1枚ずつ申請書を受け取って、名前を呼んだ。
「ミリアムさん」
161人目。
「ゼルマさん。ヤスミンさん」
12人目で、172人になった。
星の印を押し終えると、ユッタさんが巻いた縄をもう一度ほどいた。
「門から寮まで、乗ってく?」
12人が縄をくぐった。新しい乗客で、縄の輪はぎゅうぎゅうになった。
「終点まで、あと少しです。……出発、進行!」
*
寮の玄関で、電車は解散した。
振り返ると、2歩後ろにイルゼさんがいた。
今日いちばん近い場所だった。
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【イルゼ視点】
東部警備隊、元隊長。専属護衛官。殿方の、最初の友。イルゼ。
本日、私は先頭を歩いた。
殿方の、2歩前である。
*
今朝、陛下より書状を賜った。
『最終報は受理せぬ。続けよ。注記もである。 エルフリーデ』
最終報と書いたのは私である。書き上げてから42日、報告書は書いていない。報告することがなかったのではない。報告する先がなかったのである。
受理されていなかった。まだ続いている、ということである。
書状を胸当ての内側にしまって、玄関を出た。行列ができていた。
*
2歩は、間合いである。
剣を抜き、1歩で殿方の前に出られる距離。騎士学校でそう教わり、隊長になってからは部下にそう教えた。親しさの間合いではない。
……ないはずである。
古い恋歌に『影踏み』という歌がある。「殿方の影を踏まぬよう、2歩うしろを生涯歩む」。妻となる者の心得を歌ったものだ。
20名の1年生は、その位置を目指して私の後ろに並んだのだ。
落ち着け、イルゼ。2歩後ろは職務上の位置である。妻の位置ではない。男性保護法第21条により、護衛官は守る殿方の妻にはなれない。だからここは妻の位置ではない。
理屈は正しい。正しいはずなのに、ユッタ殿が殿方の1歩後ろに入ったとき、手袋の革が鳴った。
私の手である。私が鳴らした。
平静の型その1。4つ数えて吸い、4つ数えて吐く。
吐き終える前に、殿方が振り返られた。
「並ぶなら、電車にしましょう」
でんしゃというものが何かは分からない。だが私は、最後尾に回された。
*
乗客が増えるたびに、殿方の背中が遠くなった。パン屋の娘。整理券1番の子。王都の淑女たち。クラリッサ殿。20人目が縄をくぐったとき、殿方の背中は頭2つぶんしか見えなかった。
近い、と言ったのは私である。42日前の扉越しのしりとりで。
「2歩後ろは、近い、ということでございます」
20人ぶん後ろから見ると、分かることがある。2歩後ろも20人ぶん後ろも、同じ「後ろ」なのだ。
殿方がこの国に来てから250日。私は殿方の後ろにしか立ったことがない。横に立ったことは一度もない。
2歩という距離を、初めて遠いと思った。
報告書には書かない。
*
殿方が「次は、婚姻院前」とおっしゃった。縄の中でも何人かがしゃがみこんだ。
落ち着け、イルゼ。駅の名前である。遊びの中の、ただの駅である。
分かっているのに、膝が勝手に半分折れた。
護衛官は婚姻院に用がない。膝を折る理由はない。ないのに折れた。半分で止めたのは騎士の意地である。クラリッサ殿の眼鏡がこちらを向いていた気がする。
*
前を歩いたことはない。
見張りは後ろから見るものである。前に立てば、見えるのは通りと西日だけだ。殿方のお姿は見えない。代わりに、背中を見られている。
「……出発、進行」
言わされた。通りの淑女が座りこんだ。今度は私のせいである。
「イルゼさん、背中で語ってますね」
足がもつれた。
背中で語っている。何をだ。私の背中は何を語っている。
落ち着け、イルゼ。騎士の背中が語るのは、敵に背を向けぬ覚悟だけである。それ以外のものは出ないように鍛えてきた。
……出ていたのか。殿方に見えるほど。
何が出ていたのかは知らない。知るのが怖いので黙っていた。耳が熱かった。
西日が正面にある。私の影は後ろへ長く伸びている。
殿方が私の影を踏んでおられた。
何度も。避けようとして、縄に絡まりながら。
落ち着け、イルゼ。恋歌に、殿方が淑女の影を踏む節はない。妻が殿方の影を踏まぬ歌はあっても逆はない。逆はないということは前例がない。前例がないということは——
ない。3度考えたがない。ただの影である。
ただの影なのに、背中が熱い。
*
西の辻の店の中で、殿方がおっしゃった。扉は開いていた。
「イルゼさんは最初の友達ですし。僕、イルゼさんに負けましたし」
聞こえた。全部聞こえた。
最初の友達。殿方が他の者の前でそうおっしゃった。号外の写しの、売れ筋の棚の前で。
気がつくと、素振りを始めていた。
殿方は横で数えておられた。殿方の声が200と言ったとき、私の頭の中ではまだ151であった。
50回目で「最初の友達」が頭の中でもう一度鳴ったのである。数が1に戻っていた。
*
夜、寮の部屋で、42日ぶりに報告書を書いた。
報告書(第10報)
件名:殿方の休日の外出について
報告者:専属護衛官 イルゼ
1.殿方、王都西の辻の号外写し店へ。1年B組ウルリケ殿の家である。
2.道中、1年生の淑女20名が殿方の後ろに列をなす。号外第15号の写しにある「2歩後ろ」を求めてのこと。(※写しは、本紙より本文が多い)
3.殿方の発案により、でんしゃごっこを行う。縄の輪の内は友に限る。うんてんしは殿方、しゃしょうは当職。
4.殿方、「次は、婚姻院前」と述べる。通りの淑女14名が座りこむ。
5.うんてんし交代。当職が先頭に立ち、「出発、進行」と述べる。(※殿方の指示による)
6.当職の影、殿方に踏まれる。該当条文なし。(※恋歌にも該当なし)
7.帰路、1年生12名、殿方の友となる。
備考1:本人は「りちぎのりつ」を自称。(※自称)(※本人談)(※要検証)(※検証結果:律儀ではない。ただし誠実ではある)(※再検証結果:さらに、友達思いである)(※先輩としては、要検証)
備考2:婚約者は6名。変わらず。
備考3:殿方の友は、172名(殿方3名を含む)。
4の「14名」に、当職の膝の分は入れなかった。
先輩としては、要検証。
1年生を泣かせずに行列をでんしゃに変え、「のぼりせん」まで作った。手を振らせて名乗らせた。先輩としては上出来であろう。
だが、うんてんしを護衛官に譲る先輩というものを私は聞いたことがない。
検証が要る。
*
報告書を封じたところで、学園長に呼ばれた。
学園長室の机の上に、書状が1通あった。角がきっちりそろっている。
男性保護局より 王立セレスタ学園長殿
件名:護衛官の監察について(予告)
1.殿方の外出の増加に伴い、護衛官の運用を見直す。
2.ついては年度末に、護衛官と護衛対象の関係について監察を行う。(男性保護法第21条)
3.詳細は、追って通知する。
男性保護局長 ヒルデガルト
読み終えて、書状を机に戻した。角はそろえたままにした。
「予告です」
学園長は胸のポケットの印を、指で1回だけ叩いた。
「まだ、何も起きていません」
「……承知いたしました」
年度末は、今から300日以上先である。
まだ起きていないことは、報告書には書けない。
*
夜の廊下で、リツ様の部屋の扉の前に座って剣の手入れを始めた。
布で刃を拭く。今夜は、いつもより少しだけ念入りに拭いた。
今夜の手紙は、ログイン223日目だそうだ。扉の向こうから声がした。
「イルゼさん。今日の電車、また乗りましょうね」
「……次は、しゃしょうでお願いいたします」
「運転士も似合ってましたよ。背中が」
布が刃の上で止まった。
落ち着け、イルゼ。背中が似合うとはどういうことか。考えるな。考えたらまた数が1に戻る。
「しゃしょうで、ございます」
扉の向こうで、リツ様が笑った。
刃に映った自分の顔を見る。何も出ていなかった。
耳だけが、まだ赤かった。
明日も、リツ様の2歩後ろに立つ。
影を踏まぬ距離で。
……今日は、踏まれた。




