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第十三話:嵐の夜、四十の灯火

 その日の朝、空の色がおかしかった。


 ミレーユが厨房に入ったとき、ドーラはいつもの朝食準備ではなく、保存食の棚卸しをしていた。干し肉、堅焼きパン、瓶詰めの果実、塩漬けの野菜。それらを木箱に詰め直しながら、ドーラは窓の外を一度だけ見た。


「来るね」


 それだけ言って、作業に戻った。


 点呼の時間、リリアは40人のメイドを前に、いつもより2つだけ多く指示を出した。


「本日午後から大型の魔嵐が到達する見込みです。ファルーシェの結界分析で、到達時刻は午後4時、持続時間は最大12時間と予測されています」


 リリアの声は、いつもと変わらなかった。静かで、正確で、一切の動揺がない。


「各部門は嵐時対応手順に移行してください。『王の安全マニュアル』Ver.20.3、第11章に準拠。——以上です」


 40人の白いエプロンが、一斉に動き出した。



 午前中は、準備の時間だった。


 技術部門のリィナは北棟の工房から出ず、王宮全域の魔導照明と暖房系統の負荷テストを行っていた。嵐の際、外部からの魔力供給が不安定になる。照明が落ちれば廊下が暗闘に沈み、暖房が止まれば幼い皇子皇女の体調に関わる。リィナは全253基の照明管と、47系統の暖房回路を1つずつ確認し、予備の結晶管を通常の3倍——78本——用意した。


「魔嵐の規模次第では、地下の主結晶炉に切り替える必要がある」


 リィナは部下の竜族技師に指示を出しながら、結晶管の箱を廊下に並べていった。どの廊下のどの照明が落ちても、30秒以内に交換できる配置だ。


 地下3層の結界制御室では、ファルーシェが解析台に張りついていた。北東区画の0.3の変動は、先週から0.5に上昇している。季節要因だけでは説明できない数値だ。ファルーシェは嵐による魔力波の干渉を計算し、結界が最も薄くなる時間帯を特定していた。午後7時から午後9時の2時間。その間、結界の出力を通常の1.2倍まで手動で引き上げる必要がある。


「リリア長官」


 ファルーシェが地下から伝声管で報告を上げた。


「午後7時から9時の間、北東区画の結界出力を手動で強化します。その間、私はこの部屋を離れません」


 伝声管の向こうから、リリアの声が返った。


「了解しました。夕食はドーラに届けさせます。——無理はしないように」

「無理の定義が長官と私では異なりますので、その点はご容赦ください」


 ファルーシェらしい返答だった。伝声管の向こうで、リリアが小さく息をついた気配があった。




 午後2時、風が変わった。


 窓の外の木々が一方向に傾き始め、空が鉛色に変わった。ミレーユは情報部門の執務室でネルと共に、嵐に備えた外部情報の整理をしていた。


「魔嵐のとき、城下町から避難民が出る場合がある。渉外部門に情報を回しておいて」


 ネルは平時と変わらない口調で指示を出したが、目は窓の外を注視していた。嵐そのものではなく、嵐に紛れて動く者がいないかを見ている。


「ネル班長。嵐を利用した侵入の前例は——」

「ある。5年前に1回。あのときは内衛班が外壁で対処した。今回の規模なら、念のためシェイドにも連絡を入れてある」


 ネルの右手が、無意識に右耳の裏の傷跡に触れた。ミレーユはそれを見逃さなかったが、何も言わなかった。情報部門で学んだことの1つ——見たことのすべてを口にしてはいけない。


 午後3時、渉外部門のラシェルが東棟の来賓室を巡回し、滞在中の小規模な商人団に嵐の説明を行った。獣人族の商人たちは魔嵐に慣れているが、人間の随行員は顔色が悪い。ラシェルは獣人族には彼らの作法で、人間には穏やかな言葉で、それぞれに安心を伝えた。


 養育部門のセレナは、子どもたちを東棟2階の大広間に集めていた。嵐の夜、幼い子どもたちが各自の部屋に散らばっていては対応が遅れる。ライオス皇子は不満そうに腕を組んでいたが、シズクに「合理的な判断です、ライオス兄さん」と言われて渋々従った。マリンは窓の外の雲の動きを観察し、「風速の変化から推測すると、4時12分頃に到達する」と呟いていた。




 午後4時8分。嵐が来た。


 マリンの予測から4分の誤差。だが、その4分は想定より早い到達を意味していた。


 最初に変化が起きたのは照明だった。東棟3階の廊下で、魔導照明が2基同時に明滅した。リィナが配置した技術班の部下が27秒で結晶管を交換し、光が戻った。


 次に風だ。西棟の窓枠が軋み始め、隙間から冷たい風が吹き込んだ。生活部門のメイド3人が毛布と目張り用の布を持って走り、窓を塞いだ。ドーラが厨房から出てきて「窓枠の木が膨張してる、リィナに伝えろ」と怒鳴り、伝声管が繋がった。


 地下3層では、ファルーシェの予測通り、結界の数値が揺れ始めた。北東区画の出力が0.7まで低下。ファルーシェは手動で出力を引き上げ、1.2倍を維持した。解析台の前から一歩も動かず、青白い魔力の光が彼女の銀髪を照らしていた。


 内衛班は戦闘配置に移行した。フェンリアとアクアリーヌが東棟上層の王族区画に張りつき、テラナとソルニアが地上階の出入口を固めた。ルナリスは闇の感知能力で外壁全域を走査し、ウィンドラは嵐の風に紛れる異常な気配を探っていた。


 6人の配置は、12年間変わらない。嵐が来るたびに同じ位置に立ち、同じ任務を果たす。




 午後6時。嵐が最も激しくなった時間帯。


 王宮全体の照明が一瞬、同時に落ちた。


 暗闇が、すべてを包んだ。


 ミレーユは情報部門の執務室で書類を整理していた手を止めた。窓の外は完全な闇。室内も、一切の光がない。心臓が跳ねた。だが、ネルの声が暗闇の中で聞こえた。


「動くな。15秒待て」


 15秒。その間、何が起きていたか。


 地下3層で、ファルーシェが結界出力の維持と照明系統の魔力配分を瞬時に切り分けた。結界を落とすわけにはいかない。照明は一時的に犠牲にする——その判断を、2秒で下した。


 北棟の工房で、リィナが主結晶炉への切り替えスイッチを押した。予備系統が起動するまでの時間、8秒。その8秒間に、リィナは技術班の部下3人に伝声管で指示を飛ばし、優先復旧区画を指定した。王族区画、厨房、結界制御室。その順番だ。


 12秒目に、王族区画の照明が戻った。

 14秒目に、厨房と結界制御室が復旧した。

 15秒目に、廊下の照明が順次点灯し始めた。


 ネルが言った15秒は、経験から割り出した数字だった。




 暗闘の15秒間に、もう1つの出来事があった。


 ルナリスの闇感知が、外壁の東側に反応を捉えた。嵐に紛れた微かな魔力反応。ルナリスは即座にウィンドラに合図を送り、ウィンドラが風の探査を放った。


 結果——野生の魔獣が2頭、嵐に追われて外壁に接近していた。敵意のある侵入者ではない。だが、結界が薄くなった区画から内側に入り込む可能性があった。ルナリスとウィンドラの2人で外壁の外側に回り、魔獣を山の方向へ追い返した。嵐の暴風の中での作業だった。2人とも、ずぶ濡れで戻ってきた。


 報告は、フェンリアを通じてリリアに上がった。


「外壁東側、魔獣2頭。排除完了。結界への損傷なし」


 リリアは頷いた。それだけだった。




 午後9時を過ぎた頃、嵐の勢いが弱まり始めた。


 ファルーシェが結界の手動強化を解除し、通常出力に戻した。リィナが主結晶炉から通常系統への切り替えを完了し、全照明が安定した。ドーラが温かいスープを大鍋で炊き、各持ち場に配った。セレナが子どもたちを大広間から各自の部屋に送り届け、アルテミス皇女に子守歌を歌った。


 ラシェルが来賓室の商人団に嵐の終息を伝え、ネルが情報部門の記録をまとめた。


 1つずつ、日常が戻っていく。


 午後11時。嵐が完全に去った。




 ミレーユは、リリアの夜間巡回に同行することを許された。


 この夜だけの特例だった。リリアは何も言わず、ただミレーユが後ろをついてくることを黙認した。


 東棟上層で、フェンリアとアクアリーヌが夜勤を続けていた。リリアは2人に声をかけた。


「お疲れさまでした。異常は?」

「なし。いつも通りです」


 フェンリアの声は疲れていたが、目は鋭いままだった。


 厨房では、ドーラがかまどの火を落とし、明日の仕込みを終えていた。


「スープ、行き渡りましたか」

「全員に届けた。ファルーシェのところにも、ちゃんと温かいうちに持っていったよ」


 地下3層では、ファルーシェが解析台の前で結界の最終確認を行っていた。空になったスープ皿が脇に置かれていた。


「お疲れさまです、ファルーシェ」

「お疲れさまです、長官。結界は正常値に復帰しています。明朝、精密測定を実施しますわ」


 リリアは頷き、ファルーシェの肩に軽く手を置いた。言葉はなかった。だが、ファルーシェの背筋がわずかに緩んだ。




 巡回を終え、リリアは中庭に面した回廊で足を止めた。


 嵐が去った夜空に、星が戻り始めていた。濡れた石畳が星の光を反射し、回廊が仄かに輝いていた。


 ミレーユはリリアの隣に立ち、同じ空を見上げた。


「長官」

「なんですか?」

「今夜、全員が無事でした」


 リリアは少し間を置いて、答えた。


「ええ。——でも、それは当然のことではありません」


 振り返らないまま、リリアは続けた。


「照明が落ちた15秒間、あなたは何を考えていましたか」


 ミレーユは正直に答えた。


「怖かったです。でも、ネル班長が15秒と言ったので——15秒だけ待とう、と」

「それでいいんです。自分の持ち場で、自分にできることをする。嵐の夜に1人で全てを守れる人間はいません。40人が、それぞれの場所で、それぞれの灯火を守る。それが——」


 リリアの視線が、王宮の窓に点々と灯る魔導照明を辿った。


「それが、この隊の形です」


 ミレーユは頷いた。声が出なかった。泣いていたわけではない。ただ、この場所にいることの意味が、嵐の夜を経て初めて身体の中まで届いた気がした。


 リリアは踵を返し、自室へ向かった。その背中を見送りながら、ミレーユは思った。


 40の灯火。その1つに、自分もなれているだろうか。


 まだわからない。でも、今夜は——少なくとも今夜は、消えなかった。




 自室に戻り、日記を開いた。


『嵐が来た。照明が落ちた。15秒間の暗闇。でも、王宮は沈まなかった。40人が、それぞれの場所で灯りを守ったから』

『私はまだ、ほんの小さな灯火だ。でも、消えなかった。今夜は、消えなかった』


 ペンを置き、窓の外を見た。嵐の後の空は、驚くほど澄んでいた。



【第十四話:誰も知らない休日 につづく】


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