夜道を一人歩くユージン、絡まれる
「ユージン、一緒にお風呂はいろっか♪」
ミズホが満面の笑みで俺にそう言った。
断った。
後期リーグ戦、第7戦前夜。俺達は本拠のあるカーマインではなく、別の六大都市のひとつフジワラへ来ていた。明日の試合がこの都市に近い場所で行われる為だ。
フジワラは6大都市の中でも、中央統括区域を挟んで反対側に位置する都市でカーマインからの距離はアルスツゥーラに続いて二番目に遠く、移動時間にするとゆうに5時間は超えてしまう。流石にその距離を試合当日に移動するのは厳しいため(特にCランクの試合は早めの時間に行われる事が多いため)この辺りの都市近郊で試合が行われる時は前日入りして一泊するのが基本だった。
俺はこの前日入りの日程は嫌いじゃない。特にこのフジワラの場合は楽しみにしているくらいだ。
というのもこのフジワラ、観光地的な場所として"和風"の場所が多数あるのだ。勿論都市の大部分は近代化されておりカーマイン等他都市と変わらぬ景色となっているが、例えば金沢の長町武家屋敷跡のように昔ながらの景色がそのまま残っている場所が存在する。
そう、昔ながらのだ。転移技術が確立された後に日本を模して造られたものではない。フジワラの和風な景色は、転移技術が確立される前に日本を模して造られたもので、きちんと歴史を積み重ねている。
何故そのようなものが存在するかというと、これはフジワラという都市が産まれた理由が関係する。
フジワラは、およそ500年ほど前に日本から村単位で漂流した、日本人の彷徨い人達が作った集落を核として発展し産まれた都市だ。なんでも当時は比較的小規模の漂流が多発しており、その中でも特に多かった日本人の漂流の総人数は十年前後で数百人に上ったそうだ。その者たちが村を作り、そこに人が集まり、やがて大きな街となった。新しく増える住人達の住居もその村の技術者が造り、さらにその技術を伝承していったためそんな日本的な街並みが造られたとされている。
そんな当時の建物の一部が今もこのフジワラには残っており、それがこの都市の特色のある光景として観光地になっているわけである。
俺は社会人になってから割とすぐにこっちの世界にやってきて、それ以降休みの日はほぼこちらの世界にやってきてしまっているので、日本側での旅行の記憶は殆どない。そんななかでこのフジワラへの遠征は、ゆっくり観光して回っている時間はないにしろちょっとした旅行気分を味合わせてくれるので宿を離れちょこちょこ散策することにしている。今もそうだった。チームが貸し切りで宿泊している旅館から離れ、俺は旅館の浴衣姿で古い木造建築の並ぶ街並みをのんびりと歩いていた。尤も今は散策というよりは風呂からの帰路についているところだが。
なんで、旅館の風呂にはいらずわざわざ外の風呂まで出張ったかというと、大浴場しかない旅館の風呂でどっちに入ればいいか困ったためだ。うん、男風呂か女風呂かね。
いや、男風呂はない。さすがにない。この外見で男風呂入ったら大問題だ。じゃあ女風呂に入るかというと悩みどころである。エルネストに女性がいないならまぁ貸し切り状態でいいんだが、ミズホやナナオさんをはじめとして同行しているスタッフに女性は何人かいる。それでも時間をずらして入ればよかったんだが、あんな事を言ってきたミズホがいると入浴中に突入されそうな気がしてイマイチ安心できない。
向こうにこっちの裸を見られるのは別にいい、同性だ。だが向こうの裸を見るのはよろしくない、気がする。ミズホは「同性だし気にしなくていいんじゃない?」というが俺の意識は完全に男だし、同じ湯舟の中に全裸の美女がいるのはどう考えても落ち着かない。自分の体で見慣れてるでしょとは言われるが、それとは話が違うのだ。確かに見ただけでどうにかなるということはないにしろ、少なくとものんびりとはできない気がする。
ということでちょっと宿の人に聞いたところ、少し離れた所にこの時間なら(空いていれば)貸し切り出来る小さな風呂屋があると聞いてそこを利用にいっていたわけだ。広さは旅館の浴場とは比べ物にならなかったが、おかげさまでのんびりすることが出来た。そして今は夜風に当たりながらのんびりと旅館へ向かっているというわけだ。
この辺り、観光地ではあるが各施設の入場時間はもう過ぎている為、人影もほとんどない。ゼロではないため時たますれ違う人間はいるが、髪を結い上げて伊達メガネも掛けているのでこの薄暗い中で俺がユージンであることに気づかれることもまずないだろう。いざ気づかれてもそもそも人がいないから囲まれる心配もない。いいなぁ、このままもうちょっと遠くまで散策しようかなぁなどと思わないでもないが、さすがに風呂上りにこの格好で長々と散策は湯冷めしそうだからやめとくか。
明日は試合……それも今期で恐らく一番重要な試合だし、調子に乗って体調を崩したりしたらシャレにならんしな。とっとと帰るか。
まっすぐ帰れば後数100m程度の距離だ、すぐにたどり着く。戻って旅館の中でのんびりするか、と街並みを眺めていた視線を正面に戻すと、向かい側から人が一人歩いてきていた。20代くらいの若い男は特にこちらに反応することもなくだんだんと距離を詰め──
あれ、立ち止まった。
めっちゃこっち見てる。
うわこっち来た! 気づかれたか!?
「この世界から出ていけ!!」
……は?
その男は俺の目の前にやってくると、突然そんな風に怒鳴りつけてきた。
「あの、いきなり何を……」
「貴様らは貴様らの世界に帰れ日本人! この世界を汚すな!」
はぁーーーーー?
唐突過ぎるし、初対面の人間に随分と失礼な口ぶりだ。いや、俺を日本人と言っているんだから向こうは一方的にこっちのことを知っている感じか。でこの口ぶり……日本人アンチさんですか。
この世界の住人は基本的に異世界の住人に対して寛容だ。なにせそこら中に異世界から流れ着いてこの世界に定住した種族がいるし、現代でも日常的ではないにしろそういった事象は起きてそれを受け入れている。だからこそ俺達のように異世界からやってきて精霊機装のプレイヤーとして参加するような人間もいるわけだ。
だが、どこにだって例外は存在する。自分達の世界の本来の住人ではない存在を毛嫌いする連中だ。そしてこういった連中は特にこちら側に定住するわけでもなく気軽にやってきて、精霊機装のプレイヤーという選ばれたポジションに着く日本人を目の敵にしてくる。こいつもそういった類の人間の一人だろう。
というか近くに来て気づいたが、男は大きく目を見開いて憤怒で顔を大きく歪めていた。……おかしくないか? いままでもアンチに絡まれたことはあるし、それこそ最近ではガウルという同じ精霊使いにも絡まれたが流石にここまで酷いのは見たことないぞ? こちらを睨みつけてくるその瞳は血走っていて、正直ただ通りすがっただけで向けられる顔じゃない。
これ、本当にヤバイやつなんじゃないか……? この男に対して恐怖感が湧いてくる。
「あの、人違いでは……?」
「貴様の事は知っているぞユージン! 嘘をついて逃れようという姑息な真似をしようとしても無駄だ!」
後ずさる俺に男は唾をまき散らす勢いでそう怒鳴ると、こちらの腕を乱暴につかんできた。
「つっ……!」
かなり強い力で細い手首を握られその痛みに俺は顔を顰める。
「今すぐ俺が向こう側に送り返してやるっ、こいっ!」
強い勢いで引っ張られ、つんのめりそうになる俺を意にも介さずそのまま引っ張る男。頭の理解がようやっと追いついてきた俺がとりあえず振り払わないと思った瞬間、唐突に引っ張る力が消えた。
いや男が足を止めたのだ。自分の正面に現れた人影に遮られて。




