第二の〇〇〇〇
掴んでいた男の手の力も同時に弱まったことに気づいた俺は、慌てて男の手を振り払うと距離を取る。
すると男の前の人影が、俺を守るかのように奴と俺の間に体を差し入れた。
それは栗色の髪の男だった。こちらに背を向けた形になっているので顔は見えないが、非常に立派な体格をしている。身長は恐らく180cm以上、その体はみただけで鍛えこまれているとわかるくらいがっしりとしていた。
「お前、今何をしていた」
威圧的な低めの声が、その男から発せられる。その相手は背後の俺ではなく当然俺に絡んできていた男の方だ。先程迄狂気を感じるくらいだったその男は、浴びせられたその言葉に
「うっ、えっ、あっ……」
俺へと向けた態度がまるで幻か何かだったかのように一変した様子となった。
まるで──そう、二重人格者で人格が切り替わったかのようだ。狂気じみた気配は消え、その代わりに動揺がその表情全体に広がっている。口から発せられる言葉はどもり、まともな言葉が発せられない。ただこちらを見る時だけ、さっきほどではないものの怒りなり憎悪なりを感じさせる視線を向けてくる。
「……ちっ」
「あ、おいこら待て!」
男は何度かきょろきょろと俺と、俺を守るように立つもう一人の男の間で視線を泳がせると、小さな舌打ちと共に身を翻した。栗色の髪の男はそれを留めようと手を伸ばしたが一歩遅く、男は全速力で逃げ出していく。栗色の男はそれを追う気はないようで、一つため息を吐くとこちらに向き直った。
「無事でしたか!」
「あっ、はい。特に怪我はないです。助けて頂いてありがとうございます」
先程の威圧的な声とは一変して心配げに声をきた男性に、俺はぺこりと頭を下げる。
……なんかこないだと似たような状況だな、これ。ただ今回は前回と違い唐突すぎたのと、相手の様子がおかしかったのもあって自分自身での対応が出来てなかったので本当に助かった。というか即反応できなかったのが情けない。筋力は前の体のままなんだから、振り払おうと思えば振り払えたはずだ。
ともあれ、彼のお陰で危機はさった。俺は下げていた頭をゆっくりと上げると、自分の事を救ってくれた相手の顔を見上げる。
……あれ?
男性の年の頃は20代後半くらい。彫りが深く精悍な顔立ちで、イスファさんのようなイケメンではないがこういったタイプが好きな女性は結構いるだろうなと純粋に思うその顔には、だが見覚えがあった。ていうかこの流れデジャヴを感じる。相手は前回と同じように知人ではなく、だがその顔は何度も見たことがある相手。
「ヴォルク・ラムサスさん?」
「ユージンたん、私の事をご存じで!?」
「たん?」
「失礼、噛みました」
「はぁ……」
変な呼ばれ方をした気がしたがそれは置いといて。どうやら正面に立つ長身の男はやはり予想通りの相手だったらしい。
ヴォルク・ラムサス。"荒れ狂う弾丸"の通称を持ち、個人としての実力ならSランクに匹敵するといわれるAランクチーム”ロンバルディア”所属精霊使いだ。
というか、こっちの事知ってるのか。気づかれない方がいいかなと思わず猫被った態度をとったけど、気づかれてるならその必要がないな。
「俺の事もご存知なんですね」
何故か先程俺が顔を上げた後から微妙にこっちから視線を外したままのラムサスさんが、そのままの状態で頷く。
「勿論ですとも。ところで……」
「はい?」
「その……失礼ですが浴衣の方が乱れてます」
「へ?」
間抜けな声を上げて自分の胸元に視線を向けると、胸元の合わせが乱れてしまっていた。見えてしまっているわけではないが、少し際どい状態になっている。先程アイツの腕を払った時に大きく腕を動かしたのでその時だろうか?
「えっと……ありがとうございます」
どう答えようか悩んだ上でとりあえず礼をいいながら胸元を直すと、彼は背けていた視線を戻しその精悍な顔と不釣り合いな、だが愛嬌を感じられる笑みを浮かべる。
「助けに入れてよかった。後をつけてきておいてよかったです」
「そうですね、本当に……?」
ん?
ちょっとまって、今なんかおかしなキーワードがあった気がするんだけど。
ええと、
「後をつけてきて……?」
俺が呟いた言葉に、彼がはっとした表情になる。そしてそのまま彼をじっと見つめたままにしていると、彼は観念したようで申し訳なさそうな声でいいながら頭を下げた。といっても身長差が大きいので俺は相変わらず彼の顔を見上げた形になっているのだが。
「すみません、貸風呂の所から出てくるところを見かけて……その後距離を置いて追っかけてきてました」
ええと、つまり?
「ストーカーーーーーーーーーーーーーー!」
「あっ違います違います大声を出さないで!」
ラムサス氏は慌てて俺の方へ手を伸ばそうとし、だがその手を途中でビタッと止めるとわちゃわちゃと迷うように手を左右に動かす。その動きと慌てた表情が初めて犬に触る子供みたいに見えて、思わず吹き出しそうになった。
その少し間抜けに見える挙動のおかげで、ちょっと頭も落ち着いた。幸いというかなんというか周囲には誰もおらず、今の俺の声を聴きつけて誰かがやってくる気配もない。彼は身元もはっきりしていて俺に対する害意も特にみえないし、騒ぎになって人が集まってくるとそれこそ面倒な事になりそうなので、騒ぐのはやめておこう。もし何かしてきたらその時に騒げばいいし。
「で、何が違うんですか?」
とりあえず言い訳を聞いてやろうとそう問いかけると、彼はポリポリと頭を掻きつつ答える。
「いやだってたまたま出先で推しを見かけたら、後をつけちゃうでしょ?」
「いやつけねえよ……え、推し?」
「はい、私ユージンちゃん推しです」
この年位の相手にちゃん呼びされると、なんか本当にこっちが幼くなった気分になるな……いやそうではなく。
「推し? 何が?」
「ファンです! 応援してます!」
俺のファン? A級のラムサスさんが? まてこの流れ──そういうことだな?
俺は確認のため、一つの質問を彼に投げかける。
「えっと……ちなみにいつから俺のファンなんですか?」
「エニシングの放送で一目ぼれしました!」
ロ リ コ ン じ ゃ ね ぇ か。
いや、さすがにそれだけでその判定は早急か。だったら、
「どんなところにですか?」
「その艶やかな長く黒い髪、穢れの無い陶磁器のような白く細いおてて、幼さの中にも少し大人びたところを感じる顔立ち、少女がその時の流れのわずかの間だけ見せるからこそどこか儚さも感じる成長途中を感じさせる体つき……とにかく総合して全てです!」
よし、ロリコンだな?
ていうか何なの精霊使い、そんなに知り合い多くないのになんでその中に二人もロリコン発生してるの? しかも一人はモデル兼任、一人は実力者でどっちも知名度高いんだけど。
頭を抱えたくなる気分になりつつも、俺は事実を叩きつける事にする。
「あのですね、ナリはこんなですけども、中身は24歳の男ですからね?」
「気にしません! むしろ24歳でその外見とか完璧です」
あああどこぞのモデルの女と完全に同種だこの人!
「あと元男というのもアクセントになるかと」
なってたまるか。
「ええと、お巡りさんは……」
「ストップストップ! 安心してください、推しには基本近寄らないで遠くから眺める主義なんで!今回は緊急事態だったのでご容赦頂けると……」
「いや同じ精霊使いなんだし、格としてはそっちが上なんで普通に話しかけてくださいよ……というか後をつけるのはマジでやめてください、本当に怖いんで」
「話しかけてもいいんですか!?」
「むしろなんでダメと思うんですか……あとさっきから正直すぎません?」
「推しに嘘をつくのは大罪なので……」
「そっすか」
これ以上この話題を続けると疲れそうなのでこの件を考えるのはもうやめる。話を切り替えよう。
「とにかく、今回は助かりました。日本人嫌いに絡まれたことは今までもありましたけど、あれだけ酷いのは初めてだったんで」
「それなんですが、しばらく注意してもらった方がいいかもしれません」
「というと」
「さっきの奴ほど酷いわけではないですが、ここ最近日本人精霊使いがああいった輩に絡まれる事が増えています。聞いただけでも、ヨコミネ、クラシキ、ウリュウ、カザマツリが絡まれたらしく」
「へぇ……?」
初耳だった。横峯、倉敷はAランク、風祭はSランク。ウリュウは秋葉ちゃん。B1ランクの秋葉ちゃんも含めて知名度が高い選手だ。通常アンチはこういった選手を影で叩くことはあっても表立って絡んだりはしない。知名度が高いということはファンも多いので、そんな事をしたら総叩きを受けるためだ。だから連中は俺みたいな知名度や人気の低い俺に絡んできていたハズだが……
「きっかけは分かりませんが、どうも連中の行動が過激化してきている気がします。ユージンちゃんもしばらくは一人歩きは避けた方がいいかと」
「それは……ご忠告ありがとうございます」
確かに、さっきみたいな奴にまた絡まれるのは勘弁願いたい。幸い俺達日本人が日常生活をおくるのはこちら側ではないし、最近の俺の場合はそもそも出歩くことを少なくしているので支障はない。
「とりあえず今日の所はお送りしましょう、先程の奴が戻ってきたら厄介ですし。ユージンちゃんの奇麗なお肌に傷とかつけられたら大事ですからね!」
ありがたいけど、ちゃん呼びとかあと露骨に体の事表現してくるのとかゾワゾワしてきてキモさを感じるからやめてくれないかな……




