日本への帰還
さすがに昨日の今日だ、忘れるわけがない。
部屋の入口、開けっ放しになっていた扉の所に立つ空色の女性の姿を見て俺は思わず声を上げていた。
「セラス局長!?」
俺の言葉に、セラス局長は先日と同じ柔らかい笑みをその美しい顔に浮かべる。
「下にいらした方に、村雨さんも代表さんもこちらにいると伺いまして」
「え、ちょっとまって、ユキノ・セラス博士?」
あ、ナナオさんが当惑してる。というかその反応は顔を知っているのか。
「セラス博士が何故こんな所に!?」
「先日局の職員がこちらにご連絡させて頂いた際に、村雨さんの機体の確認に伺わせて欲しいとお伝えしたと思いますが……」
「いや、それは聞いてましたけど……え? え?」
ナナオさんの頭に?がめっちゃ浮かんでる感じがする。まぁ普通は職員が来ると思うし、ましてや現人神なんて呼ばれる有名人の局長が来るとは思わないよな。
「私の目で直接確認したかったのと、別件で用事がありましたので私が直接伺わせていただきました。……都合が悪かったでしょうか?」
「いえそんなことは決して!? ハンガーの方へご案内いたします!」
そう言って慌てて部屋を出ていくナナオさん。この人がここまで慌てるのは珍しいが、セラス局長がそれだけの人という事だろう。
そのセラス局長は、部屋を出て行き姿が見えなくなったナナオさんに少しだけお待ちくださいと声を掛けてから俺の方に向き直った。
「村雨さん」
「あ、はい」
思わず姿勢を正してしまう俺にセラス局長は微笑みと共に告げた。
「機体の方の確認が完了しましたら、日本の方へ向かわせて頂こうと思います。ですので帰還の用意をしておいてください」
「え」
「準備の方が完了いたしましたので。ご都合が悪いようでしたら日程は再調整いたしますがどうでしょうか?」
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それから2時間後。
俺は、地球の空気の中に立っていた。といっても屋内だ、風も吹いていないし、アキツ側との違いは感じない。窓は締め切られ家財も何もない殺風景な場所。
尾瀬さん宅の転送部屋だった。
何度も何度も利用させてもらっている場所だ。毎週末に行きと帰りで利用している見慣れた光景。
そう、見慣れた光景なんだが……その中に、見慣れない姿があった。俺はそちらに視線を向けると、その相手は視線に気づいて笑みを浮かべながら語り掛けてくる。
「こちらに来るのも久しぶりですね」
「……日本側に来た事があるんですか?」
「勿論」
空色の髪を持つ女性はそう言って頷く。
ユキノ・セラス論理解析局局長。今俺の横には彼女が立っていた。
彼女が突然(解析局の人間が来る、ということ自体は連絡があったらしいが)エルネストの事務所に現れてから一時間後。とりあえず言われるままに着替えた俺は機体の確認(何を確認したかはよくわからん)を終えたという彼女に連れられて事務所を出た。
そこから彼女の乗ってきた車に揺られて数十分余り。俺は彼女にただ従い、気づけば日本帰還である。だが……
「それで、そろそろどうするのかを話してもらえるんですかね」
この家自体にも来たことがあるのか、慣れた感じで部屋を出てすたすたと歩いて行く彼女の後を追いながら問いかける。
そう、ここに至るまで彼女は俺に対して詳細を何も説明してくれていない。車の中で一度聞いたが後で話しますと言われ、そのままここまでたどり着いてしまった。
「こっちに来てからで悪いんですけど、単純に新しい家や戸籍を用意するという話だったら……」
リビングの中に入りなにやら探していたセラス局長は、俺の言葉にこちらを振り向くと微笑みを浮かべたまま首を振る。
「そういう方法を取る事も可能ですが、貴女はそういう事は望まれないと思いまして」
「まぁ……その通りです」
「ですので、別の方法を取ります。向こう側で説明できなくてすみません、あまり人に聞かれるわけにはいかない手法となりますので」
そういいながら彼女が歩き出したので、俺も慌ててついていく。しかし人に聞かれるわけにはいかない方法ってなんだ? ヤバイことじゃないだろうな。
「こちら、村雨さんのですね?」
差し出された物を見ると、それは財布とスマホ、そして鍵だった。全て先日尾瀬さんに預けておいたものだった。
「昨日、尾瀬さんの方に連絡しまして。こちらの方に来ることと同時に場所を聞いておきましたので」
受け取ってスマホを確認するといくつかメッセージが入っていた。多分会社の同僚だろう、俺普段あまり病欠しないのにもう3日目だからな……。
確認は後でいいかと思い俺は受け取った私物をズボンのポケットに仕舞おうとして……自分が今している恰好に気づく。
今の俺の格好は、例のロリータワンピースだった。人前に出て歩き回れる服がこれしかなかったので仕方ない。本当はもっと動きやすい服を用意したかったが昨日の今日だから仕方ない。本来なら間違いなく忙しいであろう目の前の女性に、服が欲しいから途中で服屋に寄ってもらえますかとは、俺にはとても言えなかった。
……えーっと、どうするかなこれ。ずっと手で持っているわけにはいかないし。
俺が手に持った私物をどうしようかと悩んでいると、セラス局長が腰を落として顔を覗き込んでくる。
「どうされましたか?」
「いや、服にポケットもないしカバンもないからどうしようかなと」
「とりあえず私の方で預かりましょうか」
そう言って彼女は腕に持ったカバンを持ち上げる。
「そうですね、お願いします」
別れる時に忘れないようにしないとなと思いつつ私物3点を渡すと、彼女はそれらをカバンにしまい込みつつ
こちらに対して聞いてくる。
「そういえばですが、顔写真付きの身分証明書とかありますか?」
「運転免許証だけですね、それが何か?」
俺は海外に行く機会もなかったからパスポートもないし、うちの会社は入館用のICカードはあるがそちらも写真はついていない。
「お預かりしていいでしょうか? そのままだと身分証として使えないと思いますので」
そりゃ外見全然変わってるし、なんなら性別も変わってるしな。
「でも、今こっちの免許証ICチップ入ってますけど」
「そちらの方含めて対応いたしますので大丈夫ですよ。それとこれは後程でも構わないのですが、情報を書き換えておいた方がいいものを纏めておいてください」
情報……書き換え?
「ええと、どういうことですか?」
「公的な物などに関しては、性別情報がそのままでは今後不都合が起きるでしょう。ですのでできうる限り対応いたします」
「それは一体どうやって……」
「企業秘密です」
相変わらず柔和に見えて、だが明らかに圧を感じる笑みをセラス局長は向けてきた。え、合法? 合法な方法なの? 知らないうちに犯罪に関与させられてない?
……いや、そもそもどんな方法を取ってもらったところでデータ改ざんする以上違法か。だったら深く追求するのはやめておこう。下手すると”知りすぎた以上は消えてもらうしかありません”になりそうな気もするし。それにそれよりももっと気になる事がある。
「わかりました、そちらの方はお任せします。ですがデータの方を何とかしても、この姿では他の人間に私と認識はしてもらえないのであまり意味は……」
「大丈夫ですよ」
俺の彼女に、相変わらずの笑みを浮かべたまま彼女は答えた。
「人の認識も書き換えいたしますので」




