◆機械仕掛け人の手
公園を抜けて次に入り込んだのは、日の出ている間だけ活気づく、マルシェの通りだ。この通りは日暮れの後、人間たちがごっそり姿を消し、人通りはどの道よりも少なくなる。夜、仕事へ向かう時は、いつもこの道を使っていた。
だが、街の外へ逃げ出せる門――今向かっている方向から、最も近いのは、パティナの森に続く東門だ――へ達するには、この街の大動脈とも言える大通りを抜けなければならない。
マルシェの通りを勢いよく走り抜け、大通りへ飛び出した。しかし人の気はない。普段なら日が暮れてしばらくしても人の姿は多くあるが、今日は人影が少ない。むしろ、少なすぎるぐらいだ。人狼が街の中にいるというビラが配られたせいで、外出を控えている人間が多いのか、それとも。
「!」
追われることなくそのまま街を抜け出せることを願ったが、やはりそう上手くはいかなかった。
人狼を追う追っ手の姿が見当たらなかったのは、そこまでだった。
「いたぞ!」
「おい! しかも二匹だ! 二匹いる!」
前方で松明の火がいくつも燃え盛っている。見張りをしていたのだろう人間が、道を走ってくる二頭の狼の姿を視認すると、周りの者に伝えるために大声で叫んだ。
そこにいたのは、先ほどの広場の群衆とは別の集団だ。こちらは大通りの道を塞ぐようにバーケードを作り、検問所めいたものを作り上げていた。無闇に人狼を追い掛け回すのではなく、こちらの人間たちは計画的に追い詰めようという魂胆らしい。
人狼発見の声を聞きつけて、わらわらと人間が集まってくる。バリケードを乗り越えて、人間たちが武器を片手に雄叫びをあげながら、こちらへと向かってくる。
「正面突破は……」
「無理だな」
ロクトとパティナは前方からやってくる無数の人間を見て、足の向きを九十度切り替えて、またもや大通りの脇道に逃げ込んだ。
しかしこちらの道へ逃げ込んだところで、逃れられるのは一時のことだろう。道幅は狭くなり、追い詰められる危険性は高くなる。すなわち、これは一時しのぎだ。道は入り組んでいるので、奥へ行けば行くほど大通りから離れることになり、目的の出口にたどり着くのは難しくなる。
バリケードを迂回して、外へ抜け出す門へ続く大通りに戻る道を選ぶことが必要だ。二人は、走る順番を交代した。街の道を知るロクトが先行する。
道を走っていると、煌びやかなキャンディショップがあった。その隣には縦に長い大きなアパートがあって、ふと上を見上げると、青い窓扉を開けた人間の子どもが顔を覗かせて、狼を見つめていた。好奇と興味の瞳はキラキラと輝いて、面白い見世物でも見ているようだった。
ふと見れば、他にも道を挟むように立った建物の窓から、顔を覗かせている人間の姿がいくつも見受けられた。目に抱えられた感情は嫌悪や恐怖の篭った蔑みだけでなく、、好奇や興味も多かった。彼らは、“観客”として、この夜の捕物を眺めている。観客たちは、様々な思いを視線に乗せ、階上から熱心に視線を注ぎ落としていた。
パティナもロクトも、その目から送られるいろいろなメッセージには気付かないフリをして、ただ一心に街を駆けていた。
「あっちだ!」
前方から人間の声が聞こえるたび、道を切り替えて先へ進んだ。そろそろ先ほど道を塞いでいたバリケードを迂回することは出来たはずなので、もう一度大通りへ出てもいい頃合だろう。だが、ロクトは危機感を抱いていた。
バリケードを築いた人間たちの数。やはり、人狼を追い掛け回す人間は、公園に集まったよりも、数がいることが分かった。この様子だと、バリケードは他にも設けられているはずだ。バリケードで道を塞ぎ、大量の追手を放って、時間をかけて追い詰める。物量で押し切られて、いずれは挟み撃ちにされてしまうかもしれない。
先ほどパティナが起こしたような、逃げ出す隙を得られるような混乱を起こすことは、もう出来ないと見ておいた方がいい。次に追い詰められたら、それが最期と思っておくのが良いだろう。
「人狼だ!」
人間が叫ぶ。道を切り替えると、今度は後ろからも怒号が聞こえた。
「……」
見慣れぬ街を走るパティナは、黙ってロクトの後を追いかけながら、大量の人間たちの気配が背後にあるのを感じ続けていた。このままでは、いずれ追い詰められるだろう。その時、戦う覚悟は出来ている。
「そっちだ!」
「捕まえろ!」
声が聞こえて飛び込んだ次の路地では、右からも左からも人間の声がした。まだ距離はあるが、すでに挟まれている状態だ。後ろへ戻ろうと振り返ると、パティナが首を左右に振った。今まで逃げてきた道にも、人間たちが詰めかけている。つまり、四方を完全に挟まれた。
多数の足音が狭い路地にこだまし、群衆の怒れる声が夜の街に響く。
万事休す。
ロクトが歯を食いしばったその時、路地の上方から、ひとつ、声がした。
「ロクトさん!」
顔を上げると、四階建ての建物の上に、欠けた月を背景に立つシルエットがあった。屋根の上に立つ影は、少年の影。
フェックは今日も、トレードマークの赤いニット帽をかぶっていた。
「こっちです!」
少年は手を振って、茫然とするロクトに再び呼びかけると、屋根に掛けられ、路地にぶら下がった縄はしごを指差した。
指示されるよりも前に、瞬く間に人の姿に戻ったパティナとロクトは順番にはしごを上り、急いで屋上へと上った。屋根の上は斜めになっていて、レンガの瓦のせいで足場は悪い。だがこれで、下からは見えなくなった。
ロクトは路地に下ろされたはしごを回収すると、屋根の上でぽつんと突っ立っているフェックを振り返った。
「どうして……こんなところに?」
回収を終えた縄はしごをまとめ、屋根の上に置いた。人間たちの声が聞こえてくる。彼らはもう、すぐそこまで追いついてきていた。屋根の上に登っていなければ、姿を認められ、挟み撃ちにあっていたことだろう。
「それが……ですね……」
二人の大人の視線を浴びながら、フェックは恥ずかしそうに、自分の身に起こったことを簡潔に話した。
ネイビーのスーツを着た、紺色の髪の毛をオールバックにした男が、街の図書館から出てきたフェックに声をかけてきたこと。そしてその男に、フェックがロクトと友人であるかどうかを尋ねられたこと。もし友人なのなら、今晩この場所――屋根の上――で、しばらく待つように言われたこと。
言われた通りにここへ来ると、屋根上へ登るための、縄はしごがかけられていた。
信じられないかもしれませんが事実です、フェックは頭をかいた。
「暇を潰して待ってたら、お二人の姿が見えたので、呼んでみました」
フェックがちらっとパティナを見、すぐに視線を外して「本当に来るとはなぁ」と小さな声で呟いた。
人間たちが靴で石畳をばたばた叩きながら、建物の下を走っていく。見上げればすぐ、屋根の上に人狼たちを見つけられることには気付かない。
下を走って行った人間たちが、路地の反対側から走ってきた他の人間たちと合流した。挟み撃ちにして、追い詰めたはずの人狼が見当たらないことを喚きながら、「まだ近くにいるはずだ」と再び散開する。建物の中に逃げ込んだことも考慮してか、幾人かは建物の扉を叩いている。
「その男はロクトの知り合いか?」
人間たちがいなくなったのを見越して、パティナはロクトに尋ねた。少年の言う“男”のことだ。彼女はフェックから少し距離をとって、やりにくそうな顔をしていた。
ロクトは「たぶん」と頷いた。
“男”とは、多分――というよりも間違いなく、ブローカーのことだ。フェックは彼に指示されてここに来て、人狼二人が通りかかるのを待っていたのだ。
もしもフェックの待っていた場所がここではなかったら、二人は屋根の上に掬い上げられず、今頃人間たちに取り囲まれていただろう。
普通なら、こんな奇跡めいた救出劇は、有り得ない。
だが、あのブローカーが関わっていると考えると、ロクトはこれがただの“偶然”だと、“奇跡”だと、思えなかった。
何故、ロクトが追いかけられると分かっていた? 何故、この場所にいればロクトを救えると分かった? そんな疑問は、彼の前では意味を持たない。
どんなタネがあるのかは不明だ。ただ分かるのは、例え全てが偶然であろうと、その全てが彼の思い通りだろう、ということ。こんな無茶苦茶な救出劇も、彼ならやってのけても不思議ではない、と、以前彼に頭の中を読み取られたことを思い出しながら、ため息をついた。
「あ、そうだ……その人から、ロクトさんに会ったらメッセージを伝えるよう、言われています」
「メッセージ?」
「『うまくやれよ』、だそうです」
メッセージの意味を、ロクトには理解出来た。 そして、やっぱり苦手だ、と思う。
そもそも彼が何故、間接的とは言え、こうして自分たちを助けたのか、理解出来なかった。理由を尋ねても、あの男はきっと「気まぐれだ」と答えて、ニヒルに笑うだけだっただろう。だがそのメッセージを聞いて、少しだけ、彼の考えが理解出来た気がする。
ロクトは苦笑して、気まぐれでお節介なあのニヒルな男に、心の中でそっと感謝の意を表した。うまくやるよ、と、ちらっとパティナを見やる。パティナはロクトの視線に気付くと、怪訝そうに首をかしげた。
「じゃあ……そろそろ、行ってください」
役目を終えた、とばかりに、フェックが口を開いた。
屋根の上に登ることも、あくまで一時しのぎだ。下の路地からここが見えないと言っても、誰かが屋根の上の存在を見つける可能性があるのだから、安全とは言えない。
ロクトは少年に向き直り、少しだけ腰を屈めて、ここまで来てくれた彼に視線を合わせた。
「フェック、何から何までありがとう。君がいなければ彼女を救えなかったし、君がいなければ僕らは捕まっていただろう」
ロクトは言った。少年は額にかかっていた赤いニット帽を少しだけ引っ張り上げ、笑顔で頷いた。
「とんでもないです、ロクトさん。僕こそ、あなたに感謝しなきゃ。ほんとうに……! あなたのおかげで、僕は……!」
人間の少年は、無言で差し出された人狼の手を、小さな手で握り返した。
その瞳にも、その手のひらにも。何一つ、彼らの間に、隔たりはなかった。素の感覚が、素の感情が、彼の手からひしひしと伝わってくる。
初めてきちんとした会話を交わした一ヶ月前よりも、ずっと成長した少年の笑顔に、ロクトは確かに、温かな気持ちを覚えた。
「君なら大丈夫だ。どんなことがあっても、乗り越えられる」
目を覗き込んで、本心に思ったことを、そのままに伝える。
人間に対して、嘘を混ぜずに向き合えたのは、彼が初めてかもしれない。ロクトは、自然と微笑んだ。
「ありがとう、ございます、ほんとうに……!」
少年は、その目にきらきらしたものを浮かべ、それを隠すようにもう一度、深く頷いた。
機械仕掛けのアレでも、それがブローカーという男。
次話ロクト編「ライハーク」は、明日公開です!
もう最後です。ロクトとパティナはどうなるのかなぁ。




