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◇物々交換





 手紙のやり取りをすることは、決して嫌いではなかった。だが文字を延々と読み続けるのは、正直苦痛だった。

 だから、いくら妹のような存在であるシャナルルが書いて寄越した手紙といっても、正直なところ、あの膨大な文字の量には毎度目眩がしたし、それを最後まで読み切るのが辛いのはいつものことだった。少なくとも、あの文字の洪水を、一度に読み切れたことは一度もない。

 シャナルルからの手紙。長らくそれはパティナにとって、「かわいい妹分の頼り」であり、「頭痛を引き起こす源」だった。

 しかし、青の世界から帰還して読んだ、あの手紙を読んでから、パティナが持つシャナルルの手紙についての考えは、今までとは違ったものになっていた。

 あの手紙があったから、ロクトに自分の身に起きたことを、全て伝える覚悟が出来たのだ。

 そうして全てを話し終えたパティナは、ロクトと真に友人になることが出来た。

 シャナルルの手紙がなければ、きっと違う結果が訪れていただろう。全てはあの手紙のおかげだ、パティナはシャナルルのことを、今一度誇りに思った。

 それに今度はいつもよりもずっと早く、手紙を書く事に決めた。




「お体の調子はいかがですか?」


 洞穴の外で作業をしていると、聞き慣れた声が聞こえた。訪ねてきたリサキの顔を見たとき、思わず口が緩んだ。


「なんで笑うんですか」

「いや、別に」


 今日のリサキは例の巨大なリュックを背負っていた。

 大きなリュックの色はくすんだ緑色。よく使い込まれているが、生地は厚手で丈夫だ。肩に食い込むリュックのベルトを見るに、重量は相当なもののはずだが、リサキは涼しい顔をして背負っている。これも人狼の為せる技、というわけだ。

 リサキがこのリュックを背負ってきたということは、物々交換の始まりの合図である。心なしか、いつもよりもリュックが大きく見える気がする。

 リサキはてきぱきとした手つきで早速荷物を解き始めた。

 交換の品々が広げられるのは、洞穴の外だ。パティナもリサキが物々交換の用意を始めるのを見計らって、自分が交換したいものを用意する。

 人間の武器、あの狩人たちから取り上げた、弩やナイフが今回のメインの交換材料だ。他にも、以前に獲ったデアディーアの干し肉や、今朝釣り上げた川魚などの生モノもある。

 パティナの用意が終わっても、リサキはまだ荷物解きを続けていた。この調子だとまだ時間はかかりそうだ。



 リサキが荷物を広げる様子を眺めながら、パティナは思い切って口を開いた。リサキには、言っておかなければならないことがある。


「あんたが、私を助けてくれたんだってな」


 リサキは前屈みに体を二つに折りながら、大きなリュックの中に上半身を突っ込んでいた。様々なガラクタを引っ張り出す手を緩めないまま、中から返事が聞こえてくる。リュックの中で喋っているせいで、声は曇って聞こえた。


「僕は薬を作っただけですよ」


 僕がしたのはそれだけです、とリサキは言うが、それが謙遜なのか、事実なのか。どちらにせよ自分を救おうと尽力してくれたことに変わりはないだろう。


「ロクトが……奴が、あんたのことを言っていたよ」


 郵便屋さんがいなかったらもうダメだったかもしれない、大真面目な顔で息をつく彼の言葉が思い出される。


「ロクトさんが頑張ったんですよ」

「でもあいつ、『僕は何もしていないから』だって」


 謙遜ですよ、リサキがひょっこりとリュックの中から顔を出して、ニッと歯を見せて笑う。

 洞穴の前は、今やひとつの立派な市場になっていた。見ず知らずのガラクタや、意味不明な物体、ちょっといじれば役に立ちそうな物が、地面を埋め尽くすようにぞろぞろ並んで壮観だ。パティナは早速、並んだ物品を物色し始めた。


「僕はホントに、薬を作っただけですからね」


 ここにロクトがいれば、彼もきっと謙遜することだろう。少しぐらい自分の手柄にすればいいのに、と呆れる。それからわざとらしく咳払いすると、目は合わせないように、口を開いた。


「何にせよ……アレだ……あんたにも、感謝してるってことだ。ありがとう、助かった」


 言い終えてから、ちらりと目線をリサキに向ける。するとリサキは、まるで幽霊でも見るような顔で、パティナのことを見ていた。瞳孔が開いて、顔は青ざめて真っ青だった。


「なんだ」


 固まったリサキの不審な目。居心地が悪く、思わず身じろぎする。


「パティナさん……なんか変わりましたね」


 真剣に言った後、リサキの口はニマニマと緩んだ。茶化しているのか、真面目に言っているのかは分からない。だがその反応を見てから、急に頭が熱くなる。カッとするような居た堪れなさが急激に込み上げてきて、パティナは慌てて洞穴の中に逃げ込んだ。


「ほら、やっぱり」、リサキはパティナが顔を赤くしたのを見て、嬉しそうに笑った。




「そうですよ……これを、交換できる日を……楽しみにしていたんです……」


 物々交換を始める。

 この前見せた弩を手に取ったリサキは、今にも頬ずりしそうな勢いで、使い込まれた弩を、食い入るように眺めている。

 パティナが前回物々交換をしたのは、ロクトと出逢った満月の夜よりも、もう少し前のことだ。既に数週間は時が経っているので、物々交換はご無沙汰だった。

 そして時間が空いた分、並んでいる交換の商品も大きく品揃えを変えている。


「なんでも……持って行ってください」


 愛おしそうに弩を見つめるリサキの目の奥には、普段見せる快活さとは違う、尋常ではない炎煌々と怪しく灯っている。声も猫撫で声で、まるで別人のようだ。弩を手の上でこねくり回しながら、細部の構造まで舐め回すように視線を注ぐその姿には、最早狂気さえ感じられた。

 あまりにも幸せそうなので、声をかけずに放っておくことにして、言われた通りに好きな商品を選ぶことにする。これだけたくさんのモノがあると、言葉通り、選び放題というわけだ。

 古い木製の弓は使い込まれていて年季が入っている。星の形をした黒い種は、どんな植物の種だろう? 何かの動物の青っぽい黒の毛皮は、鞣されて綺麗に整っている。瓶詰めにされた臓物は、気力回復のために食べられるラビィホーンの臓物だろう。こまごました紋章のワッペンの詰まる古びた缶は、蓋がとれかけている。これを交換するのは損だ。その他にも諸々、面白そうなものはたくさんある。

 中でも一際目を引いたのが、球状のガラスが土台に引っ付いた、重量のありそうな置物だった。球状のガラスの中は、たっぷりの水が詰まっていて、その水中には小さな家の模型が沈んでいた。さらに球型の水底には、得体の知れない無数の白い粉末が積もっているのが分かる。

 ゆっくり手に取ってみると、ずしっと手のひらの上に重みが乗りかかってきた。その動きの際に起きた、緩やかな反動により、置物の中の得体の知れない白い粉が、球状のガラスの中に舞い上がった。

 白い粉は、水中下での重力を浴びながら、ひらひらゆっくりと優美な動きで舞い散り、ガラス球の中の家の模型に、優しく振り積もった。赤い屋根の家に、白が覆い被さる。

見たことのない光景だった。この白い粉はなんだろう? パティナは見入るように、そっと目を細めた。


「スノードームって言うんですよ」


 いつの間にか夢の世界から帰還していたリサキが、自慢するように言った。


「スノードーム?」

「ええ」


 リサキの説明によると、この『スノードーム』は、ここよりもずっと寒い地方で降る“雪”と呼ばれるものにより出来上がる、美しい光景を模したもの、らしい。スノードームの中でちらちらひらひら舞い降りる白い粉の様子は、本物の雪が降る様にそっくりなのだという。


「パティナさんは、雪を見たことがないんでしたっけ」

「ああ、寒い地方には行ってないからな」

「雪は綺麗ですよ」


 膝の上に置いた弩の上で手を組み合わせながら、リサキは目を閉じた。積もった雪は足が取られて動きにくく、素肌に触れれば飛び上がるほど冷たい。だが一度雪の降り積もる光景を見れば、凍える冷気など些細なことに感じられるほど、美しい光景に魅せられるだろう、とリサキは言った。その光景は、白銀の世界と呼ばれるらしい。

 白銀の世界は想像を絶する寒さの世界で、体毛に覆われず素肌がむき出しになった人間の姿では、酷い目に遭うそうだ。少なくとも雪の世界で人の姿をとる際は、厚着をしなければ凍え死んでしまうらしい。狼の姿ならば、比較的外気の影響を受けにくいとは言え、それでも十分過ぎるほど寒い、とも。

 リサキの説明を聞きながら、パティナは心を決めた。


「これにするよ」


 一つ目の交換物品は、スノードームに。

 雪を見たことはないが、かなり気に入った。白い粉がちらちら舞い散るのは綺麗だし、風景の一部を切り取ったような置物に、素直に感心した。

 スノードームを受け取りながら、パティナは口に出さず、ひとつ、良い考えをこっそりと思い浮かべていた。

 これを、彼へ渡そう。釣り道具をたくさん貸してくれたお返し、という名目で。お返しをする理由は、それ以外にもいくらでもあるが、今回はそれだ。

 これをプレゼントすると決めただけで、自然と口元が緩む。ガラスの中に広がった雪の世界は、何故だか彼によく似合うような気がする。



「ああ、そうそう……」


 たっぷりの時間をかけて物々交換を楽しんでいる途中、パティナは思い出したように声をあげた。


「シャナに、私が感謝してたと伝えてくれ」

「お嬢様に?」

「ああ」


 ロクトにすべてを話そうと思えたのは、彼女の手紙のおかげだ。

 シャナルルがどこまで考えてあの手紙を書いたのかはさておき、彼女にはきちんと感謝を伝えたい。文面上だけでなく、こうしてリサキを通して伝えれば、多少は重みも増すだろう。出来るなら実際に会って言葉を伝えたいが、それは出来そうもない。


「シャナのおかげで良いことがあった、ってな」


 リサキが可笑しそうに笑った。


「『パティナさんが貴方にお礼を言ってました』……なんて聞けば、きっとお嬢様はお喜びになられるでしょうねぇ。それも、狂ったように」


 次の手紙はきっと質問攻めですよ、リサキの浮かべていた笑みが、いつの間にか、意地悪なものに変わっている。

 つらつらつらつらと並ぶ文字群、文字が書き込まれて真っ黒の便箋――そう遠くないうちにやってくる彼女からの質問攻めの手紙が容易に想像出来て、パティナは思わず苦い顔をした。







 平和だ。

 次話ロクト編「少年のそれから」は、続けて公開中です。

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