#11「迷走する女子力」
#11「迷走する女子力」
【Aパート】
「俺達に」
「ここは」
「全然似合わん」
生島将星、丸井坂慎之介、平津浩二の三人が、平たい目をして順々に言った。
この中二バカトリオが居るのは、最近ネリマの端にオープンした超大型商業施設、マルクスターモールの正面口手前だ。上から見るとドーナツのような形をしており、その規模たるや東京ドーム二つ分の広さである。ターゲットにしている客層はいわゆる「リアルがお充実なさっている方々」なので、少なくとも将星みたいな「二次元が充実なさっている方々」が来るようなところではない。というか、あからさまに来るなと言われているような気もする。
「なあ、やっぱり帰らねぇか?」
浩二がやや不安げに具申してくる。
「俺達が来るようなトコじゃないって。完全にただのお洒落さんが来るところだって。俺達とは住む世界が違う人が来るところだって」
「たしかに。ここは俺達魔界の住民が来るところじゃねーな」
「まーたそんな事を言って」
辟易とする浩二と将星に、慎之介が困り顔をして言った。
「二人揃って、「この夏休み中になんとしても彼女をゲットしたい」とか言ってたから連れてきたってのに」
「いまこの建物を見て、ハードルの高さに心が折れたんだよ」
いま一度、将星は建物の外観と、正面口に出入りする人々の外見などを見比べてみる。少なくとも一人でここに来るような若者はほとんどいないし、子供が来ているにしても親と一緒だし、それ以外はほとんどカップルか夫婦だしで、冴えない中学生男子三人で来ている事自体が恥知らずだと言われているような気分になる。
「時に慎之介君や」
「ん?」
「まさかお前、ここでナンパした女を手籠めにしてミッションコンプリートなんていう真似を俺達にやらせる気じゃあねーよな?」
「そんな突飛な事はしないよ。まずは基本から一つずつ学んでいくとしようか」
「というと?」
「まずは見た目に投資しなさい。清潔感があって、尚且つ見た目から振る舞いの全てにおいてお洒落な男子になるところから始めないと」
「とすると、まずはここで服を買いそろえるのか」
「将星と平津君だったらそれなりにお金は持ってるでしょ?」
「「嫌味な言い方だな」」
将星と浩二は、とりあえず慎之介の尻に蹴りを叩き込んだ。
「……痛いじゃないか」
「うるせぇ。言っておくけどアレだからな? 俺達のお金は俺達が捜査官として立派に働いている成果の一つだからな?」
「決してママンの脛かじって生きてる訳じゃねーんだよ。分かったか」
「はいはい……お?」
慎之介が何かを見つけたらしい。いましがた正面口の自動ドアをくぐって店内に入った女子の一団を目で追っている。
「どした?」
「あれって、うちの同級生の女子じゃない?」
「マジ?」
将星と浩二も慎之介と同じ方向を凝視する。本当だ。あの女子達の後ろ姿に妙な既視感を覚える。
というか、真ん中を歩いている金髪のポニーテールの子ってまさか――
「なあ、あれって星乃じゃね?」
「本当だ。何でこんなところに居るんだろ」
「普通に遊びに来ただけだろ」
「だったら何で白沢さんがいないの?」
「言われてみれば……」
将星と慎之介は同時に顔を見合わせ、お互いにぱちぱちと目を瞬かせる。
「面白そうだし、ちょっと後を追ってみるか」
「そうだね」
「え? 行くの?」
将星と慎之介は示し合わせたかのように踏み出し、戸惑って固まる浩二も二人の後を追って走り出した。
「ホーシーノーちゃーん」
本人確認もせず、将星は躊躇無く星乃と思しき人物に声を掛けた。
彼女を取り囲んでいた女子の一団も同時に足を止め、揃いも揃って何やら道端に散らばった吐瀉物を見るような目をこちらに向けてきた。
まず、星乃が驚いて目を丸くする。
「将星? 何でここにいるの?」
「魔界から敵情視察しに来た」
「は?」
「何でも無い。星乃達はこんなところで何をしてるん?」
「えーっと……」
「あんた達は邪魔だから、どっか行った行った!」
星乃が戸惑っていると、取り巻きの一人が邪険にも片手を振ってこちらをあしらおうとする。怪しい。
「あ、でも、丸井坂君なら良いかなー……なんて」
「え? 僕?」
「そんな人間はこの世の何処にもいない。何故ならいまから抹殺するからだ」
モテ男、オレ、ユルサナイ。
「生島君は黙っててくれる?」
これまた他の女子からブーイングを喰らってしまう。ますますもって怪しい。
「何だか知らないけど丁度いいや。丸井坂君をちょっと借りてくね。生島君と平津君は帰っていいよ」
「何だかやけに俺達に冷たいな……」
「つーか、俺まだ一言も発して無いのに」
たしかに、この扱いは浩二からすればたまったものではないだろうに。
一方、取り巻きの女子連中から引っ張りダコにされていた慎之介はというと。
「ちょ……ま、一体何なの? 将星、助けっ……」
「すまん慎之介。どうやら俺達はお呼びじゃないようだ」
「長年の親友だろう? ちょっとは僕に優しくしてくれても良いんじゃないかな!?」
「あー! そういやQP/に残してきた仕事があったっけなー! なー、平津君!」
「あ……ああ、そうそう。ありましたな、上級捜査官殿! えーっと……何でしたっけ? ザギンでシースー? みたいな?」
「それはただオメーらが寿司食いたいだけだろ!?」
「「生島捜査官、平津捜査官はこれにて退散させていただきまーす!」」
現職(?)と寿司にかこつけて二人は踵を返して入り口まで全速力で疾走するが、
「二人共、待って!」
星乃がいつも通り恐るべき脚力で二人の背後に追いつき、がっしりと肩を掴んで将星と浩二を捕獲する。
「二人共お願い、一緒に来て!」
「帰れって言われた次は一緒に来いって、どんだけ無茶苦茶な要求だよ」
「結局俺達はどうすれば良いの?」
「それは……」
星乃は振り返り、慎之介を捕縛している女子達に潤んだ視線を向けた。
星乃を連れてやってきた同級生の女子は星乃を除いて四人。俗に言うゆるふわウェーブが竹下、茶色のシャギーカットで目元が何となく同僚のとある捜査官と似ているのが三橋、アイラインの引き過ぎで目力が凄いのが板野、ちょっと小太りな体系の子が坂口だ。全員、同学年内のスクールカースト内では上位に位置する連中だ。
星乃と四人の女子連中、そして慎之介が女性向けのお洒落着屋に入っている間、店の外で将星と浩二は竹下から事情を伺っていた。
「あたし達が最近発売したファッション誌の話で盛り上がってたらさ、星乃ちゃんが「女子力を上げるにはどうしたらいいの?」みたいな事をいきなり聞いてきたんだよ。最初は何かな? って思ったんだけど、話を聞いているうちにどんどん可哀想になっちゃって……」
「はあ……」
正直、星乃が人を不幸な気分にさせる話をするとは思えないが。
「それでね、星乃ちゃんのお父さんがすっごいガサツな人らしくてね。小学生の頃なんか、可愛い服を買いたいって言っただけで「色気付きやがって、お前には十年早い」みたいな事を言われたんだって」
「まあ、あの人なら言いそうかな」
将星と宇田川家はそれなりに付き合いもある。星乃の父親がどういう人柄なのかは大体分かっている。
「そのお父さんは思春期真っ盛りの娘の前を平気で裸でうろついたり、女の子らしい趣味を邪険に扱ったりで、とにかく男の子を育てるような振る舞いをしてたんだってさ。生島君だったら分かると思うけど、星乃ちゃんってファッションには無頓着でしょ?」
「まあ、よく洒落っ気の無いラフな格好でいるな」
「しかもいまだってクラスの男子と混じって一緒にはしゃいでるでしょ?」
「昼休みにサッカーとか野球なんぞを嗜んでおられるな。スカートのまま」
「そういうを見てると、さすがに乙女としてどうなのかなーって思うじゃん」
「ぶっちゃけ、もう妊娠出来る年齢ごぼっ!?」
竹下から見事な金的をもらった。超痛い。
「言っておくけど、あんたも原因の一つなんだからね」
「お……俺?」
「そう。星乃ちゃん、言ってたよ? 将星はあたしを女の子として扱ってくれないって」
「それは被害妄想という奴では……?」
もう一回、今度は回し蹴りを顔面にもらった。もう許して欲しい。
「とにかく! 星乃ちゃんを一人前のレディにする為に、あたし達は「宇田川星乃女子力向上委員会」を結成したって話。だから女子力をアップさせるアイテムを買い集める為にここへ来たの。どう? 理解した?」
「…………」
「返事は?」
「やめとけ竹下。もうそいつ死んでるから」
まさかシャレオツなショッピングモールで大の字になる日が来ようとは。
将星は脳震盪をこらえて立ち上がると、覚束ない足取りをそのままに、店の入り口手前から星乃達の様子を覗き見る。
竹下を除く女子三人が各自選んだ服を慎之介の前に突き出し、慎之介はそれに対してやや困り気味で「良いんじゃないかな?」とか「ちょっと派手かも」とか適当に返答している。星乃の服選びだろうに、これでは彼女が女子連中にとっての着せ替え人形に等しい存在に成り下がってしまうではないか。
あと、これは余談だが、時折慎之介がこちらをちらちら見てくるのがうざったい。
「……まあ、女の子らしい服装を学ばせるっていうのは良い事だとは思うけど」
「生島、ちょっと」
浩二がこちらの肩を指でつつき、店の入り口から離れるように促してきた。
こちらの様子に対して頭上に疑問符を浮かべる竹下をその場に放置し、将星と浩二は一番近いエスカレーターの陰まで足を運ぶ。
「何だよ」
「さっき田辺さんから緊急のメールが来た」
「マジかよ。非番の時くらいは大人しくさせてくれ」
「いいから聞け。最近、大阪で風営法を逸脱した風俗店が三つくらい纏めて摘発されたろ。その犯罪に関わってた連中の一味がこの付近に潜伏してるらしい」
「まさか、いままさにこの近くで巣を張ってるとか言わないよな?」
「賢いな。見直したぜ」
「勘弁してくれ」
片方の掌で両目を覆う将星であった。
「要は非番の職員も警戒しろって話だろ? 毎日気が休まらないな」
「人を殺さないだけでも救いはあんだろ。でも、念のため星乃ちゃん達は早いうちに家に帰した方が良いかもな。まだ中学生だし」
「だな。頃合いになったら雄大さんに車を手配してもらおう。そっちの連絡はお前に任せてもいいか?」
「しょうがねーな。あーあ、楽しいお休みが台無しだぜ」
「精々そんなもんだろ。受け入れようぜ」
こうして愚痴ってるあたりで、二人はようやく気付いた。
すぐ後ろで星乃と慎之介、女子の四人が平たい視線でこちらの様子を凝視していた事に。
「……いつから聞いてた?」
「まだ中学生だし、のあたりから」
坂口が嫌味っぽく言った。
「二人で何か隠し事でもしてんの? キモッ」
「仕事の話だから。よく知らんくせして罵ってんじゃねーよ」
「平津、止めとけ」
将星はため息をつきながらやれやれと首を振った。
「とにかく君達には関係無いから。で、次は何処へ行けば良いの?」
「ぶっちゃけあんたらには本当に帰ってもらいたいんだけど」
板野が邪険に言い放つ。
「つーか、仕事なら尚更じゃん」
「そういう訳にもいかないな。理由はよう分からんけど、星乃は俺達についてきて欲しいみたいだし?」
将星と浩二がこの場に同伴しているのも、星乃が女子四人を説得して強引に彼らを引き連れているからに過ぎない。星乃が二人を求めている理由は分からないが、それが彼女の希望なら断る理由も追い出される謂れも無い。
板野が嫌悪の矛先を引くと、彼女を含めた女子連中がぶつくさ言いながら星乃と慎之介を連れて別の店へ移動しようとする。将星と浩二は彼らの後ろを黙ってついていきながら、小声で疑問を言い合った。。
「なあ、生島。何で俺達ってこうも嫌われてるんだろうな」
「普段の行いじゃね?」
「俺達って何かしたっけ?」
「してないね、八百万に誓って」
「じゃあ俺は北欧神話の神々に誓うわ」
本当に何もした覚えが無いどころか、この手の女子共とはあまり関わり合いになろうとは思わないので、自分が悪いなどとは少しも思わないようにしておこう。でなければ、男としての自信をこの先喪失してしまいそうで怖い。
「次はー、ここ!」
立ち止まり、竹下が指差した先を見て、将星はさらに顔をしかめた。
そこは森の中をイメージしたような、女子向けのインテリアグッズが販売されている小さな店だ。なるほど、服を買い揃えた次は部屋の中も変えるつもりらしい。
「ねぇねぇ、将星」
星乃が務めて明るく訊ねてきた。
「将星も何か選んでよ」
「俺が? 言っておくけど、俺にはそういうセンス無いからな?」
「良いから良いから」
頼まれては断るのも無粋な話だ。ここは男を見せなければ。
将星は星乃と並んで店の中に入り、一旦あたりをぐるりと見渡すと、棚の一角に面白そうなアイテムを見つけたのでそれを手に取ってみる。
「……これは」
「お? 何か良いの見つけた?」
「これ」
将星が星乃の目の前に掲げたのは、キノコを細長くしたような形の照明器具だった。
「雪見だったら「おお、まるで●ンコみたいだ」とか言うんだろうなぁ……」
「……………………」
星乃や近くにいた女子連中が殺気立った目でこちらを凝視している。やべぇ、感想に使う言葉のチョイス、しくじっちゃったかも★
「……まあ、雪見ならね」
チン――もといキノコ型の照明器具を棚に戻して咳払いすると、いつの間にか店内を物色していた浩二が唸り声を上げて、将星達の注目を一斉に集めた。
「? どした?」
「見ろよ、これなんか大人の女が部屋に飾ってそうだぜ?」
浩二が掲げてみせたのは、木彫りの小さな女神像だった。中世の画家が描いた絵に出てきそうなふくよかで白い肌の女性をモチーフにしているのだろう。人や部屋を選ぶ代物かもしれないが、たしかにさっきの照明器具と比べたら圧倒的に支持率が高そうな外観をしている。
だが、無粋にもこの品物に対して不服を上げる者達がいた。
「えー? 可愛くなーい」
と、三橋(いままでほとんど喋ってなかった)。
「つーか、乳首丸出しじゃん」
と、板野。気持ちは分かる。
「センス無ーい」
と、竹下。まあ、人を選ぶところがあるからその文句も分からなくはない。
「キモッ」
と、坂口。ていうかお前はもう黙った方が良い。
とにかく、取り巻き女子カルテットによるブーイング一斉掃射が、浩二の精神的ヒットポイントを全損寸前まで追い込んだ。なんてご無体な。
「……平津。泣くなよ」
「どんまい」
「うるせー。泣いてねーやい」
将星と慎之介に慰められ、さらにいじける浩二であった。
これ以降も、彼らは多種多様な店を一時間以上にも渡って巡った。
その時の将星と浩二の行動や言動の酷さは、どうやら女子連中の想像を遥かに上回っていたらしい。
それでは、バカ二人の所業をとくとご覧あれ。
~メガネ店~
「見ろよ平津。ホログラムモニター用の眼鏡に新作が出てるぜ」
「一家に一個は欲しくなるな……」
『……………………』
星乃の女子力を全く考えていないどころか、自分への投資を考えていたり。
~美容サプリ専門店~
「こないだドラッグストアで薬買いに行った時に薬剤師さんと客の話をちらっと聞いたんだけどよ、こんなのを飲んで痩せられる訳ねーじゃんとか言ってたぜ」
「客に対して面と向かってか? すげーな」
「何にしても、星乃達にこういうのは十年早い」
『…………………………………………』
星乃の父親と全く同じ事を言っちゃったり。
~高額化粧品専門店~
「なるほど、中学生の分際で随分とおませさんだこと」
「一個五千円の化粧水って……中学生だったらビ●レとか●専科で充分じゃん。ちょっとは分を弁えろよ」
『………………………………………………………………』
それどころか見下すような感想をかましたり。
~書店(ちょっと前にモザイクだらけになったところ)~
「星乃、見て見てー、良い官能小説見つけてきたー」
「なあなあ皆、BL漫画って女子力に関係あると思う?」
『死ね!』
挙句の果てに、メンバー総員から罵詈雑言の迫撃砲を貰ってしまった。
とにかく、これ以降も言葉で言い表せないくらいには酷い所業を重ねる将星と浩二であった。
「全ッ然駄目じゃん」
猥雑としたフードコートの一角で坂口が管を巻いた。
「やっぱり生島と平津には何もさせるべきじゃないんだって。ていうかお願いだからとっとと帰ってくんない? あんたら、存在するだけでメーワクなんだわ」
「あたしもそれ賛成」
「あたしもー」
「ちょっと皆、そこまで言わなくても……」
「そうだよ。あまり責めたら可哀想だって」
最大の清涼剤である星乃と、四人の中で唯一良心的な竹下が、将星と浩二を擁護する。なんというか、かたじけない。
二人が肩身を狭くして落ち込んでいると、坂口がさらに追い込みをかけてくる。
「だってさー、こいつら行くトコ行くトコで余計な事しかしないんだもん。つーか、生島なんて最初から最後まで女子力馬鹿にしてるとしか思えないし」
「そもそも女子力って何だよ。お前らが納得する基準値がそのまま女子力なのか? お前らを喜ばせる=女子力なのか?」
だとしたら、この世には女子力の確たる基準値が無い事になる。
さらに、将星と浩二には未だに納得しかねる部分があった。
「それから、何で俺達そこまで邪険に扱われなきゃならないの? 俺達、これまで君らに何かした?」
「本当だったら俺達だってお前らみたいなのを好き好んで相手にはしねぇよ」
「それはあたし達も同じだし。つーか、生理的に無理」
「「……………………」」
え? それだけの理由で?
「分からない理屈じゃないぜ~」
本当に突然、女装したセイランがテーブルの真ん中にぽんっと出現する。
「住む世界が違う奴らと積極的に関わろうなんて、普通の人間なら思わないわな」
「セイラン、お前なぁ」
「いーや、セイランの言う通りだ」
浩二が首を縦に振ると、嫌悪感丸出しのまま席を立った。
「やってらんねー。俺、帰る」
「おー、帰れ帰れ」
坂口が蠅を払うように手を振った。さすがにここまで非礼が続くと、浩二よりかは冷静な将星も彼女らには付き合い切れないと判断せざるを得ない。
将星も立ち上がり、憤慨する浩二と一緒に席を離れる。すると、慎之介と星乃まで腰を浮かして、遠ざかる将星達に呼びかけた。
「将星、待って!」
「ごめん星乃。俺はもう疲れたよ」
「平津君、ちょっとは落ち着いて――」
「てめぇはそこのま~ん(死語)共からチヤホヤされてろ! 俺は知らん!」
疲れ切った将星と、怒り心頭の浩二は、やりきれない気分と共にマルクスターモールを後にした。
この騒ぎは当然、周辺の客をざわつかせていた。だが、時間が経つにつれて徐々にさっきまでの喧騒が戻ってくる。
星乃は将星達を責めていた女子達に訊ねる。
「ねぇ、みんな。本当に将星達の事が嫌いなの?」
「……嫌いっつーか」
板野が目を逸らしつつ答える。
「あいつら、自分がQP/の捜査官だからって同級生の皆を子ども扱いして、自分達だけが大人だってアピールしてるみたいじゃん。そこが気に食わないんだよ」
「あの二人はそこまで図々しくないよ」
「じゃあその証拠は?」
「それは……」
正直、星乃には板野の質問に対して正確に答えられる自信が無かった。
たしかに最近の将星と浩二にはそういう節がよく見られる。さっき覗き聞きした会話の内容からもそれらしい成分が含まれていたように思える。
でも、確実に言える事は一つだけあった。
「本当にそうなのかは知らないけど、文化祭のテロがあった時は将星も平津君も本当に危険な相手と戦ってた訳だし……」
「僕もその現場に居合わせたからねぇ」
ちゃっかり場に馴染んでいた慎之介がのほほんと言った。
「将星と平津君が頑張ってなきゃ、僕らまとめて死んでたかもね」
『…………』
唯一彼女らから高評価を得ていた慎之介が言ったからなのか、或いはあの事件が傍から見ても危険だと知った上で、その渦中の混迷を想像したからなのかは知らないが、少なくともここで下手に反論する者は誰一人としていなかった。
代わりに、竹下がおずおずと手を挙げて鶴の一声を放つ。
「……とりあえずさ、今日はもう帰らない? なんかその……気分が、ね」
これには全員、沈黙という形で了承した。
星乃達は自然と席を立ち、とりあえず出口を目指して早足で歩く。さすがにあれだけの事があったので、姦しい女子連中四人ですら一人も声を上げる者はいない。
やがて、マルクスターモールの正面口から離れ、大通りに出ようとしていた。
「チョットチョット、そコのお嬢さン方」
道脇から星乃達に声を掛けてきたのは、紫色の布を被せた小さなテーブルと共に鎮座している四十代くらいの女だった。テーブルクロスと同じ色のフードを被っているので、一見するとくたびれた老齢の魔法使いのようだ。
不審に思いながらも立ち止まる星乃達に、女はしゃがれた声で告げる。
「恋愛成就のおまじないイカガですカ」
「なにこの人、超カタコトなんだけど」
怪しい風体の者を相手にするとはいえ、坂口は坂口で失礼な女だった。
「ていうかこのババア、中国人? 超ウケる」
「関わり合いにならない方が良いって。見るからに怪しいし」
「そうだね、行こう」
慎之介に促され、星乃達は魔術師めいた女の傍から早足で離脱した。
もう五十メートルは歩いただろうか。ここで、星乃のQPが変調をきたした。
「? コメット?」
「ほしのぉ~」
星乃の肩の上に現れたコメットは、何故か全身に淡く赤い光を帯びていた。しかも心なしか、その表情も酩酊しているように見える。
コメットがうわごとのように言った。
「マッチングリンクが成立ぅ~」
「は? ちょっと、コメット!?」
突然異様な発言をしたかと思えば、コメットは星乃の元からふらりと遠ざかっていく。まるで、見えない糸か何かに引っ張られているようだ。
星乃は慎之介や女子連中を置き去りにコメットの後を追って走る。やがてテナントビルが立ち並ぶ人気の無い区画まで来て、コメットはようやく動きを止めた。
どういう訳か、コメットは見覚えの無いQPとべったりひっついていた。
「コメット? そのQPは?」
「よー分からんけど、こいつのユーザーと星乃は相性ばっちりなんだとよー」
「はあ?」
いきなり政府公認の相性診断の結果を告げられ、星乃はさらに唖然とした。
コメットがいま頬ずりをかましているQPは、有り体に言ってホストみたいな恰好をした小人型だ。少なくとも星乃の知り合いにこんな恰好をしたQPを持つユーザーはいないのだが、だとすれば一体誰の――
「お? こいつはまたスゲーのが釣れたな」
後ろから軽薄な声と共に、ホスト然としたQPと似たような格好をした金髪の男が歩み寄ってきた。勿論、星乃の知り合いではない。
「あんた、一体誰――」
「自己紹介はまた後ほど」
男は背広のポケットからグリップ型のQPドライバーを抜き出した。
「マテリアライザー、オン」
「……!」
踏み込み、男はQPドライバーの先端から伸ばした<ブレード>を一閃した。
「ったく、マジやってらんねー」
「お前、さっきからそればっかだな。気持ちは分かるけど」
「だろ? 女の大半ってあんなに下品なモンなのかよ。信じらんね」
さっきからあの女子連中の愚痴と罵倒で盛り上がっていた将星と浩二も、本当に疲れが出てきたせいなのか、歩いている最中にも関わらず瞼が落ちかけていた。気づけば陽は暮れなずんでいる。時計を見なくても時刻が分かってしまいそうだ。
ネリマ駅前の適当なベンチに腰掛け、近くの自販機で買った冷たいコーヒーで喉を癒しつつ、二人は茫洋と道行く人々を見送っていた。
しばらくして、将星から先に口を開く。
「なんだかんだ言って、俺達も妙なところまで来ちまったな」
「そうだなぁ……」
将星が言う「妙なところ」とは、決してこのネリマ駅前ではない。
ついこの前までは普通の中学生だったし、いまもそのつもりではあるのだが、文化祭の日に起きたテロ以来、自分達がとんでもない世界に全身を突っ込んだと痛感してしまった。
表立っては語られないが、将星も浩二もQP絡みの殺人事件の捜査には何度か立ち会っている。死体を直に目にする事もあれば、直接命懸けの戦闘をする事さえあった。
カッコイイ言い方をするなら、ここは所謂、闇の世界だ。でもここは実際、途方も無い暗渠に等しい。故に、汚物塗れの脚で汚水をかき分けて進むのが将星達の仕事だ。
おかげで、いまの自分達が普通なのかがよく分からなくなっている。
「おーい、しょうせーい」
元のアイヌ民族風の格好に戻っていたセイランが、将星の目の前に現れてくるくるとバレリーナみたいに回り始めた。
「シンちゃんからお電話。緊急のタグが付いてるー」
「緊急だあ? どうせ女子共の魔の手から僕を助けてくれーとか言い出すんだろ。んなもんてめぇで何とかしろって」
「カメチョーも凄い慌ててるー」
「……マジで?」
電話を掛けてくる相手が慌てているのは時としてどうでもいいが、電話回線に介するユニットまで緊急を訴えてくるのはあまり見ない例だ。
仕方なく、将星は通話に応じた。ハンズフリーなので、会話の内容は隣の浩二にも聞こえるようになっている。
『あ、やっと通じた。将星、大変だ!』
「本当にヤバいんだったら俺じゃなくて通常の警察を呼べ。俺は知らないから」
『そうじゃなくて! 宇田川さんがっ――!』
「……!?」
「おい、生島!」
二人は即座に悟り、そして後悔した。
やはり、星乃達の傍に最後までいれば良かった、と。
【Bパート】
ここで、過去に起きた事件と、いま起きた事件のすり合わせをしよう。
三日ぐらい前に、大阪で風営法を大きく逸脱した風俗関係者と、その関係者からみかじめ料をせしめていた暴力団組員が一斉に検挙された。
まず、その風俗関係者が営んでいたのは、簡単に言うと風俗店専門のハローワークだ。街中でスカウトした女性と面接し、交渉が成立したら繋がりのある風俗店を紹介し、就職を斡旋するのがその事務所の仕事である。そして紹介した店舗から貰い受けた仲介料の一部をその地域の元締めとなる暴力団関係者にみかじめ料として払い、今後のあらゆる権利を安定させて店を延命させる、という経営システムを構築している。
では、それの何が違法だったか。法に聡い人間だったら指摘したい点なんて星の数程見つけられようもんだが、その中にはQP絡みの厄介事が含まれていた。
そもそも事務所職員の仕事は街中でのスカウトから始まる。だが、職員はただ声を掛けて女を引っ張ろうとしている訳では無かった。
なんと、声を掛けた女性のQPに特殊な細工をして、少し離れたところで息を潜めて待機している別のスカウト役のQPと強制的にマッチングリンクを構築するのだ。マッチングリンクとは要するに恋人同士になれる可能性が高いユーザー同士の相性診断なので、これを受けた女性はまず間違いなくそのスカウト役と何かしら特殊な縁を感じるようになる。それが例え、ハッキングによって生まれた縁だとしても、だ。
そしてスカウト役はあからじめ事務所の社長から仕込まれていた常套句を用いてその女性をホテルなどに連れ込んで、面接や実技研修まがいの行為に及ぶという筋書きだ。
星乃のコメットが引っ掛かったのもまさにそれだ。占い師の格好をした変な女も例の事務所側のハッカーで、大阪から逃げてきた上でネリマを縄張りに活動している別の暴力団に亡命し、ほとんど同じ手口で犯行に及んだのである。
ここまでおさらいとして説明し、新條由香里が嘆息混じりに締めくくった。
「おそらく、大阪で捕まえた暴力団組員の親分と、ここを根城にしている奴らの親分が兄弟杯でも交わしていたんでしょうね。じゃなきゃこの状況は作り出せない訳だし? ところで――」
由香里は上級捜査官の職務室の隅で頭を垂れていた将星と浩二を睨みつけた。
「田辺さんから送られたメールでこの状況を知っていたでしょうに、何で最後まで星乃ちゃんの傍に居てやれなかったのやら」
「「………………」」
独断で星乃の傍から離れたのはさすがに失態だったと、将星と浩二も反省していた。星乃は年不相応に発育が良すぎる美少女なので、よく考えなくてもあの手の連中に狙われる可能性くらいは考えておくべきだったのだ。
問題の星乃は行方不明。目撃者である慎之介の話によると、彼が駆けつけた時には気絶していた星乃が車のトランクに詰められているところだったという。
もう少しこちらが辛抱強ければ、こんな事にはなっていなかった。
「うーい、おっ邪魔―」
こちらの心境を一切無視したように、浩二の直接の上司である田辺が職務室に大股で踏み込んできた。脇にはダブルクリップで綴じられた紙束が抱えられている。
「目撃者の丸井坂君のQPが、星乃ちゃんの逃走に使われた車のナンバーを記録していたらしい。そのナンバーを署の交通課の連中に問い合わせたら、案の定、盗難品だった」
「盗難品って……車が? それともプレート? まさかどっちもだったりして?」
由香里が首を傾げて訊ねるが、田辺の顔は少なくともまともな回答を持っている人間のそれでは無かった。
「……例のナンバーが記載されたプレートは、旧車會の連中が乗り回していた大型二輪の一台からぶっこ抜かれたモンだそうだ」
「暴走族のバイクから奪ったプレートを自動車に? 変な奴らも居たもんね」
「全くだ。で、逃走に使われた車種は黒のエルグランド。事件現場から一番近いオービスから最新の測量データを貰ってきた」
田辺は抱えていた紙束を由香里に手渡した。由香里はしばらく無言で資料を斜め読みすると、小さくため息をついて口を開く。
「なるほど。一台だけ、明らかに速度超過した車が通り過ぎた形跡があると」
「そういう訳だから、署の交通課にパトカーを何台か飛ばしてもらってる。付近をパトロール中のパトカーも動員してるから、後は連中が網に掛かるのを待つだけだ」
「だったらこっちがやる事は決まったわね」
由香里が再び将星と浩二を睨みつける。
「上級捜査官は将星君以外に現場で動かせる人員がいない。奇しくもあなた達二人に責任を取ってもらう形になったわね」
「俺達は何をすれば良いですか?」
「今回は単純な肉体労働だと思って頂戴」
由香里はさらに意地悪に微笑んだ。
●
コメットのGPSは例の女占い師が施した何らかの処置によって封じられている。だからもう誰も助けは来ない。星乃は自分を誘拐した連中からそう聞かされた。本当か嘘かは分からない。
郊外の、いわゆるラブホテルなどと呼ばれる施設に生まれて初めて連れられたかと思えば、ベッドの上に座らされ、星乃は正面の椅子に座るホスト然とした男からいくつかの質疑応答を受けていた。
名前、年齢、出身地、彼氏の有無。それらを答えさせられた後、男はさらにこんな事を訊ねてきた。
「星乃ちゃん、エッチした経験ってある?」
「……………………」
ねーよ。とか気軽に答えられる程、星乃の神経は図太くなかった。
「どうしたの? 答えられない?」
仮に答えたとして、その後の対応は一体どうなるのだろう。
いまの自分は、まさに薄氷を踏むが如く場面に立たされている。ここで受け応えを一つでもミスしたら大変な事になるくらいは薄々理解している。
もし雪見が傍にいてくれたら――
「ちょっと。黙ってばかりじゃ何も進まないよ」
男が苦笑いで促してくる。
騙されるな。この場面では、優しい顔と甘い言葉は銃と弾の関係だ。
「まあ、いきなり連れて来られて混乱するのは分かるけど――」
言い止して、男が左手首のリンクウォッチから発せられた着信に応じる。
「あ? 何だよ、いまイイところ――あ?」
男の顔が曇る。
「……あのアバズレ、このタイミングでしくりやがって。……ああ、分かった。いますぐ移動する。……ん? ああ、例の子も一緒だ。うん……じゃあ、また後で」
話がひと段落したらしい、男が通話を切って、再び星乃に向き直った。
「予定が変わった。いますぐここから移動するから」
「何かあったんですか?」
「それはまた後で」
後でにしても話す気は無いだろうと内心で舌打ちしつつ、星乃はいまの状況をざっと頭の中でおさらいした。
最初の時点でこちらのQPドライバーを取り上げなかったのは、おそらくこの部屋の何処かにマテリアライザーを封じる措置が仕掛けられているからだ。これについては現在どうでもいいので無視しておく。
問題は、さっきの男の会話に登場した「あのアバズレ」についてだ。おそらく、マルクスターモールを出たところで星乃達に声を掛けてきた、あの占い師然とした中国人らしき女の事だろう。彼女が何をしくじったのかは知らないが、そのおかげでこの男はどうやら不利な状況に陥ったらしい。
加えて、すぐ移動するとも言った。すぐここから離れなければ、何かしら拙いのだ。
だったら、星乃がいまとるべき行動は、一つだ。
「ねぇ、お兄さん」
星乃はベッドから立ち上がると、前かがみになって正面の男の顔を覗き込む。
「? どうしたの?」
「さっきの質問に答えてあげる。実はね、まだあたし、処女なんだ」
雪見から得た性に関する情報をひけらかし、男の興味を引いてみる。恥ずかし過ぎて死にたい気分になるが、背に腹は代えられない。
「実はこういうホテルにも、ここでする事にも興味深々なんだよね」
「あ……ああ、そうなの。それは嬉しいんだけど、いますぐここを離れないといけなくてね? あの……分かる?」
「えー? わかんなーい」
敢えてバカっぽく答え、星乃はベッドの上に仰向けに寝転がった。
「あー、なんかすっごいムラムラしてきた」
「星乃ちゃん? いまはそんな場合じゃ」
「だったらすぐ終わらせてよぉ」
「…………」
お、焦ってる。効果覿面か?
「……分かった。じゃあ、味見程度に――」
どうやら好奇心と性欲に負けたらしい。男がこちらの肢体におそるおそる手を伸ばし――
「せいっ」
背筋の力を総動員してベッドから跳ね上がり、伸ばした腕を脚で絡め、全体重を集中させて腕ごと男の全身を強引に床に押さえつけた。いま男は床でうつ伏せになり、極められている片腕どころか全身すらもまともに動かせない状態だ。
ようやく自分が嵌められた事に気付き、男がさらに狼狽する。
「このっ……放せ……!」
「やーだぴょん」
容赦なく力を入れ、肩の関節をごきんと外してやった。
「ぐぎゃああああああああああああああああああっ!?」
「ほれ、もういっちょ」
続いて、脚による拘束を解き、反対側の腕も同じ要領で脱臼させてやる。男がさらに痛々しい悲鳴を上げ、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにする。
もうこれで男は立ち上がれないし、無理矢理立ち上がれたとしても出来る事は無い。外れた肩は警察に逮捕された後、接骨院で嵌め直してもらうと良いだろう。
それにしても、さっきまで散々女子力向上だ何だと言ってたのに、一皮剥けると精々自分なんてこんなものかと思ってしまう。
星乃は男のスラックスのポケットからQPドライバーを抜き出すと、扉の電子ロックを制御していたコンソールのタッチパネルに端子部を押し当ててロックを外し、悲鳴を発し続ける男を無視して部屋からするりと脱出する。いまのは勘で行った操作だが、合っているようで何よりだ。
「コメット、聞こえてる?」
「ばっちりだぜ」
星乃の頭の上で、コメットが尊大にふんぞり返った。
「GPSもマテリアライザーも復活したぜ。ここから先はおれ達の独壇場だ」
「よし。じゃあ、もうちょっと暴れていこうか」
「え? 逃げないのかよ?」
「あの人はやたらここを離れるのを急いでたみたいだった。って事は、多分QP/か警察の手がこっちに伸びてるんだと思う。そろそろあの人の様子を見に仲間の人が来るだろうから、その人達もあたし達で足止めしよう」
「将星だったら、せっかく脱出したんだからさっさと逃げろって言うと思うけど」
「誰があいつの言う事なんか聞くかっての」
星乃は自らのQPドライバーを手元でくるくると弄ぶ。
「さっきの板野さんの言ってる事、何となく分かる気がするんだ。将星は多分、仕事仲間しか信じてない。あたし達の事なんか、精々守られる側としか見てないんだ」
「だからって、無茶して星乃に怪我でもされたら――」
「そのQPの言う通りですぁ」
正面の突き当たりから、彼はいきなり姿を見せた。
金魚鉢の中の様子をモチーフにした白い着物を着た痩身の若い男だ。目は糸のように細い。右手には既に、マテリアライザーの<ブレード>を伸ばしたグリップ型のQPドライバーが握られている。
「お嬢さん。怪我ぁしねぇうちに大人しく付いてきてくれやしませんかねぇ?」
「……嫌だと言ったら?」
「腕づくで連れていくまでよ」
男はQPドライバーを正眼に構えた。
「あっしは水月。連中のボディガードだと思ってくれて構わねぇ」
「ボディガードって言うなら、部屋の中に居なかったのは失敗だったね」
「生憎、あっしには他人の情事を覗き見する趣味が無いもんで」
「……なるほど」
星乃は小さく一呼吸を置いて、腰を低く落とした。
「コメット。マテリアライザー、オン」
「本当にやる気か?」
「どのみちこの人をやり過ごさないと逃げられすらしない」
「同感だ」
コメットが応じ、星乃のQPドライバーから<ブレード>を伸ばす。
水月とかいう男が、怪しげに口の端を吊り上げ、
「いざ、尋常に」
疾駆。疾風の如く星乃の間合いに入り、刃を一閃。星乃は受け太刀し、後退しながら水月の追撃をかわし、いなしていく。
水月の太刀は、速さも然ることながら、とにかく一回一回が鋭い。太刀を浴びてしまえば即死なのは前提として、水月の場合は可能な限り相手を苦しませないように振るわれる必殺剣なのかもしれない。空井春樹の重たい斬撃とはまるで正反対だ。
でも、反応は出来ている。このまま回避と防御に専念すれば、少なくともこのホテルを出るまでに致命傷を受ける事はない。
「コメット!」
「あいよ!」
星乃の<ブレード>から夥しい電撃が発生し、水月との間に挿し込まれる。水月が一旦追いすがるのを止めて立ち止まっているその隙に、星乃は背後の非常口から外に出て、屋上に繋がる非常用の階段を駆け昇る。
コメットが血相を変えて訊ねてきた。
「お、おい!? 降りなくて良いのかよ!」
「屋内だと動き辛いから、広いところに出てあの人を迎え撃つ!」
「本気であいつを倒す気なのかよ!」
「そうだよ。将星をぎゃふんと言わせてやる!」
「何バカな事言ってんだ、別にケンカしてる訳じゃなしに!」
「うるさい!」
自らの相棒の言葉に耳を貸せないくらい、星乃は焦っていた。
将星はこれから先、ずっと自分を護られる側の人間だと思い込むだろう。それは星乃にとって、女の子として見てもらえないより屈辱的だった。
小学五年生。将星は自らの手で父親を殺害してしまって以降、同級生から親殺しとしていじめを――迫害を受けていた。
机の損壊や落書きは当たり前。集団リンチなんて日常茶飯事。当時から彼と仲良くしていた星乃は、その時からずっとそんな彼を護っていた。
それがいまはどうだろう。生意気にも丸っきり立場が逆転してしまっている。
だから、星乃の中に渦巻いていた自尊心が、最近揺らぎ始めているのだ。
「将星に弱いなんて、もう思われたくない!」
「…………」
この時ばかりは、当時を知るコメットも黙り込まざるを得なかった。
やがて星乃は屋上に出て、すぐ後に水月も上がってきた。
再び水月と対峙し、星乃はQPドライバーを八双に構える。
「なるほど、不退転の覚悟って奴ですかぃ」
水月がからかうように言った。
「いまどき珍しい、まるで武士みたいな嬢ちゃんですわ」
「そうやって笑ってれば良いさ。あたしはもう、誰にも負けない!」
「良いでござんしょう」
水月が表情から余裕を引っ込め、疾駆。二人は再び間近で斬り結ぶ。
彼の技はさっきの一合でもう見切っている。あとは体と心で、いかに相手との差を広げるかだ。
水月の刃を下に叩き、ようやく彼の上体に隙が生まれる。
――ここだ。逆袈裟の一閃を、奴の胸に刻み込め!
「甘い」
傷が刻まれたのは、QPドライバーを握っていた星乃の右腕だった。あまりにも一瞬の事で、いま何が起きたのか、理解が全く追いつかなかった。
手から零したQPドライバーが屋上の床を一回跳ねて転がる。
星乃は一旦後ろに飛んで距離を作り、ぱっくりと割れた皮膚から泉の如く湧き上がった血を見下ろして目を剥いた。
「どうして……もうあいつの剣は見切ったのに!」
「そこが甘いと言っている」
水月の口調からは、これまでの陽気がなりを潜めていた。
「屋内だと太刀筋が限定されて防ぎ易いが、その条件は自分も同じ事。だから相手に自分と同じアドバンテージを与える事になろうとも、屋外に出て自分の剣筋を通しやすくするという選択をした。どうやらおめぇさんは速さに自信があるらしいし、実際にはその通りだった。では、その何がいけなかったのか」
彼は<ブレード>の切っ先を星乃に向ける。
「答えは単純。それは単に、あっしの速さがおめぇさんの速さを上回っただけの事」
「いままで手加減してたっていうの……?」
「お嬢さん相手に本気を出すのも大人気ない。あっしは自分で思うより謙虚な性質らしい」
「……!」
星乃は生まれて初めて、屈辱を屈辱で上塗りされてしまった感覚を味わった。
自分は将星や空井春樹でもない相手に負けたのか――
「まだだ!」
怒号を上げたのは、QPドライバーの上に現れたコメットだった。
「まだ左腕が残ってる。星乃、おれを拾え!」
「でも……」
「さっきまで将星を見返してやるって言ってた奴が、なんて情けない! それでも、このコメット様の相棒か!? おれは弱い男をお前の相手に認めるつもりは無いけど、弱い主をユーザーだって認める気も無いからな!」
「…………」
遠くもなく、近くもない距離で叫び続けるコメットを、星乃は潤んだ眼差しで眺め、ややあって落ちているQPドライバーを拾いに歩き出す。
ありがとう、コメット。あなたのおかげで、焦りも迷いも吹き飛んだ。
強くある為に必要な条件なんて、本当の意味では分からないけど、それでも!
「それでも、諦めちゃいけないんだ」
QPドライバーを左手で拾い上げ、再び水月に向き直った。
「いま諦めたら、あたしはそんなあたしを許せなくて、自分で自分を嗤っちゃいそうだから」
「……あっしはどうやら、おめぇさんを勘違いしていたらしい」
水月はもう、星乃を「お嬢ちゃん」だのと侮る気は無くなったようだ。
「名前、聞いておこうか」
「あたしは……宇田川星乃」
「おれは星乃の相棒、コメットだ」
コメットは腕を組んで偉そうに名乗り、再びQPドライバーに潜り込んで黄色く輝く<ブレード>を伸ばす。
水月は自らのQPドライバーを掲げて、名乗りを上げた。
「あっしの名はもう教えた。なら、あっしの相棒を紹介しやしょうかね」
彼のQPドライバーから伸びていた<ブレード>の切っ先が変容し、まるで龍の頭みたいな形になる。
水の流れを彷彿とされる刀身の揺らぎを見て、星乃は息を呑んだ。
「……水の龍――って事は」
「そう。こいつはレジェンド型QP、四聖獣の一角、セイリュウ」
四聖獣という事は、慎之介のゲンブ――もといカメチョーと同じ部類のQPか。
水月は<ブレード>を元の形に戻し、刃を正眼に構える。
「さあ、これが三合目、最後の大一番よ」
「……来い!」
再び駆け出し、二人は激しく互いの剣を振りかざし、刃をぶつけ合った。
水月の<ブレード>から散布される水が床を水浸しにして、星乃と水月の全身を徐々に濡らしていく。右腕の傷口に水が染みて痛むが、いまは無視しておく。
ここでコメットのパーソナルコードを使えば二人まとめて感電死する。なら、やはり勝負を決めるのは純粋な斬撃による致命傷のみだ。
右腕が使えない? それが何だ。相手との力の差に関わらず、実際の戦闘にハンデはつきものだ。戦いとは元来、不平等の産物なのだから。
単純な押し付けと暴力の応酬。これが戦いだ。
将星を――QP/の面々を見ているうちに、星乃はその論理を悟っていた。
「ぁあぁぁあああっ!」
腹の底から叫び、斬撃一閃。水月が盾として構えた<ブレード>を打撃し、彼の全身を大きくのけぞらせる。
さらに縦一閃。水月が間一髪でかわす。
「ぉおおおおおおおおお!」
水月が足を踏ん張らせ、弾き出されるように前へ。さっきの星乃と同じように、全身全霊を懸けた一閃を彼女の<ブレード>に見舞った。
軽量な星乃がいとも簡単に弾かれ、仰向けに倒される。
すぐに立ち上がろうとするが、思うように体が動かない。
「くそっ……!」
「これで終わりですわ」
水月が歩み寄りながら言った。
「失血量も既に限界。これ以上戦ったら、冗談抜きでぽっくり逝きますぜ」
「それでも……あたしはっ」
「おめぇさんはよう頑張った」
星乃の間合いに入り、水月が瞑目する。
「正直な話、先が楽しみな奴ほど斬るのは惜しい」
「まだっ……まだ負けて……」
「さっきから思ってたが、何がお前さんをそうさせる?」
「……簡単な話だよ」
星乃は痛みに打ち勝ち、無理矢理立ち上がった。
「好きな人がいるから、負けたくないの。ただ、それだけ」
「……そうかぃ」
水月が目の前で水気滴る刃を振り上げる。
まだ体は動く。いまから来る一撃だって、凌いだらすぐに反撃に転じてやる。
星乃がそうやって逆襲の算段を立てていると、
「!」
水月の<ブレード>から、極々小さな爆発が起きた。おそらく、銃弾か何かが着弾したのだろう。
「……おい」
非常階段の入り口付近に鎮座していた給水タンクの陰から姿を現し、生島将星は銃型のQPドライバーを突き出しながら水月に訊ねた。
「何してんだ、テメー」
「……お前さん、QP/の捜査官ですかぃ」
「そうだ。さっき俺の部下達が地上でお前らの仲間を車ごと全員取り押さえた。あと、コメットに変な細工をした例の女も任意で引っ張った」
よく耳を澄ましてみれば、地上から小さな喧騒が聞こえてくる。やれ大人しくしろだの、やれ宇田川星乃は何処だだの。あとは、救急車のサイレンが聞こえるくらいか。
何にしろ、どうやら将星は大勢の主力捜査官を率いてここへやってきたらしい。
「お前にもう逃げる術は無い。いますぐQPドライバーを捨てて投稿しろ……とか言ってみたけど嘘だから。一回言ってみたかっただけだから」
こんな時まで、何を呑気に冗談を吐いているのやら。
やっぱり、将星はいつまで経ってもこういう奴なんだ。
「本当に捨てるなよ? 一応警察なんで無抵抗の人間をそのままぶっ殺すのは何かと拙いんで」
「要はあっしを殺しに来たと」
「どうかな。俺の気まぐれ次第さ。でも……」
将星はちらりと星乃を見遣り、すぐ水月に視線を戻した。
「そいつの片腕をやった分だけの報いを受けてもらう」
「将星、待って!」
星乃は腕を押さえながら叫んだ。
「まだあたしは戦える! こいつだってあたしがすぐに――」
「だったらまず、その腕を何とかしろ」
将星は上級捜査官の制服である青いロングコートの懐から、少し前に見た覚えのある小瓶を取り出し、星乃に投げ渡した。
液体止血剤だ。かつて腹を刺された星乃の延命処置に使われた薬剤である。
「お前だったそいつの使い方くらい分かるだろ。戦いたいならそいつで止血してからにした方がいい。そのくらいの時間は稼いでやる」
将星は銃をホルスターに仕舞い、両手にグリップ型のQPドライバーを一個ずつ握り込んだ。
「もっとも、止血するまでに終わってるかもだけどな」
「随分と舐められたもんで」
水月が腰を落とし、前に出した左足の裏で床を踏みにじる。
「真剣勝負に水を差す無粋な輩に負ける程、あっしは落ちぶれちゃあいない」
「そうかよ」
湖水の揺らぎみたいな静けさで呟き、将星はQPドライバーから水色の<ブレード>を伸ばし、猪突猛進の勢いで駆け出した。
剣を盾にして待ち構える水月に右の一閃。受け太刀されると、左の一太刀。身を引いてかわされると、さらに追いの連続攻撃。
二人の太刀捌きはほぼ互角だ。さすがは生島将星、日下部芳一から剣の手解きを受けただけの事がある。
「なるほど、打ち込みは激烈」
水月が将星の剣を弾き、軽々と頭上に跳躍して一回転、彼の背後に降り立ち、後頭部を狙って水平の太刀を繰り出す。
将星は右の<ブレード>を背面に回して水月の太刀を凌ぎ、振り返り様に鎬を叩いてお互いの間合いを外す。
「反応は上々!」
水月が完璧なタイミングで踏み込み、懐に入るも、将星は駆け出しつつ身を屈めて水月の足首に自らの足を引っ掛ける。
水月があわや転倒かと思われたところで咄嗟に身を前に投げ込んで、床に肩から落ちて転がり、その勢いを利用して素早く立ち上がる。
「体捌きは、あっしと互角と言ってやってもいい」
「シフト・バランサー」
茶化す相手を無視して、将星は自身の専用QPドライバー――<フロンティアバトルシステム>の戦闘形態を変更、左のグリップから<ブレード>を引っ込め、代わりに六角形の<シールド>を出現させる。
二人が再び刃を交える。この様子を眺め、星乃は呟いた。
「……駄目だな、やっぱり」
将星は強い。いや、強くなった。認めざるを得ない。
たくさんの危機を経て、たくさんの仲間を得て、将星は着々と力をつけた。それは単純な戦闘技術ではない。人間として、捜査官として、彼は自分なんかより多くの大切なものを獲得していったのだ。
前々から、心の何処かで頼りにはしていた。
兼ねてより、自分と彼は対等のつもりでいた。
なのに、何であたしは、彼を一時でも見下してしまったのだろう――?
「<バウンサー>」
<シールド>に触れた水月の体が吹き飛ばされると、将星はすかさず両手のグリップ型をホルスターに仕舞い、両手に嵌められていた黒いグローブ型QPドライバーの掌から大量のシャボン玉を宙に飛ばす。
シャボン玉の中にそれぞれ、三つの青い光の粒が生成される。
「<シフト・シューター>、<バブルブリンガー>!」
将星の手近に浮いていたシャボン玉のいくつかが破裂し、内包されていた三つの粒が青い流星となって水月に向かって気持ちよく伸びる。
体勢を立て直した水月が、細い瞼を限界まで見開いた。
「舐めるな!」
激昂し、駆け出しつつ、水月は驚くべき芸当をやってのけた。
なんと、いくつかのレーザーをかわしながら、回避しきれなかった分のレーザーを全て<ブレード>で叩き落としたのだ。
「セイラン。残りも全弾発射だ」
「りょうかーい」
指令通り、浮いていたシャボン玉が全て破裂し、全ての弾丸とレーザーが水月に集中砲火を浴びせる。
それでも水月は疾駆しながら射線から逃れ、必要とあらば再び<ブレード>で弾き、やがて将星の間合いに入ろうとしていた。
「<シフト・アタッカー>」
再びグリップ型の二刀流に変更。正面から飛び掛かってくる水月に、将星は正面から突っ込んだ。
二人が交差し、互いの刃が一閃される。
得物を取り落としたのは、水月だった。
「くっ……!」
水月の右腕が、星乃と同じ斬り傷を負っていた。おそらくこれは、将星なりの意趣返しだろう。
水月が振り返り、残った左腕で将星に後ろから掴みかかろうとする。
「ぉおおおおおおおおおおおおっ!」
「……やれ、平津」
将星が何かを合図した途端、水月が急にぴたりと動きを止めて痙攣し、しばらくして膝からくずれおち、前のめりに倒れ込む。
水月が立ち上がろうとして力むが、どうやら上手くいかなかったらしい。ただ将星を忌々しく見上げて訊ねた。
「いまのは……っ」
「ライフル型QPドライバーによるアウトレンジからの長距離狙撃だ。安心しろ、いまお前に打ち込んだのはただの麻酔弾だ。命に関わるようなものじゃない」
将星は懐から手錠を取り出し、水月の両手を素早く後ろ手に拘束した。
「一九〇五時、確保」
将星の宣告でようやく気付いたが、もう空はすっかりと暮れている。これが一日の間に起きた出来事だという実感が湧かなかったので、何処かの段階で時間間隔が狂っていたのかもしれない。
将星はリンクウォッチで通話回線を繋いだ。
「ご苦労さん。ナイスショットだ」
『てめぇ、後で何か奢れよ。いまのスナイピング、超大変だったんだからな!?』
「はいはい。お前はすぐその場から撤収しろ。後始末は全部田辺さんにやってもらう」
『了解。交信終了』
いまの相手は声から察するに平津浩二だろう。何処から撃ったか知らないが、アウトレンジから正確に戦闘機動中のターゲットをスナイプしてみせたのだから、雄大程ではないが飛び道具の扱いに関しては群を抜いている方だと言える。
「おめぇさん、最初からスナイパーをあの場に配置してやがったな……?」
水月が覇気も無く訊ねる。
「おめぇさんには戦いに賭ける矜持や意地ってモンはねぇのか?」
「卑怯者だって言いたいならそれで結構。俺は勝ちたい訳じゃないからな」
「何だと?」
「いいか、よく聞け。平和の二文字にクソを垂れるバカ共を取り締まるのが俺の仕事だ。お前ら犯罪者の流儀に付き合う方が、卑怯者より恥知らずってもんさ」
「…………」
水月はそれ以降、何も喋らなかった。
星乃が一連の会話を見守り、膝をついて座り込むと、将星が目の前で片膝をつき、こちらと視線の高さを合わせて向き合った。
いま、あたしはどういう顔をすれば良いのだろう。
勝手な真似をして、将星を心配させて、あたしは――
「星乃」
将星が安心したように言った。
「怪我、大丈夫か?」
「……うん」
右腕の傷はとっくのとうに止血が済んでいる。本当だったら将星が<バブルブリンガー>を発動する段階で加勢出来たのだが、彼の戦いぶりが荒すぎて巻き込まれたら敵わないと思い、結局はこの場でただ見守っているだけとなってしまった。
「それにしても、ナイスファイトだったよ」
「え?」
将星が口にしたのは、意外にも労いの言葉だった。
「俺が来るまでよく持ちこたえたな。おかげで逃げ足の速い連中を一網打尽に出来たし、そこの着物野郎を確実に仕留める算段が立てられた。奴らめ、手を出す相手は慎重に選ぶべきだったな。ざまぁみろってんだ」
「……………………」
驚いた事に、将星はこちらを心配する素振りを全く見せていなかった。
正直言って、複雑な心境である。
「? 星乃、どうかしたか? ぼけーっとしちゃって」
「……将星はあたしの事をどう思ってるの?」
「はい?」
「最近の将星はあたし達を子供扱いしてる。自分と同い年のくせに、一足早く就職したからって変に偉そうにして……ちょっと前までは護られる側だった癖に。そうかと思ったら、今度は全く心配する素振りも見せてくれないし……」
「…………」
「あたしは将星が何を考えているのか、もう分からないよ」
自分が一番知りたかった事をストレートに訊くと、将星は少し戸惑い、慎重に言葉を選ぶようにして答えた。
「……ちょっと前まで護られる側だったのに、とか言ってたな」
将星は星乃の頬に片手を添えた。
「いまだって、俺は護られてるよ」
「え?」
これはまた、意外過ぎる返答だった。
「星乃だけじゃない。雪見にも、慎之介にも、QP/の皆にも、俺は護られてる。これまでだって沢山助けてもらったからな。それに、お前がいなきゃ、いまの俺はここにはいなかった。お前がくれた強さがなきゃ、俺はあの時立ち直れなかったと思う」
「……!」
将星はまだ、あの時の事を覚えていたらしい。それが分かっただけでも、いまの星乃にとっては充分過ぎる答えだった。
「帰ろう。お前の親父さん、すっげぇ心配してたぞ」
「……うん」
しばらくして、主力捜査官と救急隊員が何人か屋上に立ち入り、拘束された水月を担架に乗せていそいそと運び込んだ。
将星と星乃が帰りのパトカーに乗った頃には、雲から月が顔を覗かせていた。
●
「この間は災難だったな」
将星の前の自宅があった通りを歩いている最中、将星の隣に並んでいた私服姿の日下部芳一がからかうように言った。
「せっかくの休暇を台無しにされたって聞いたぞ」
「まあ……あれは俺の自業自得なところもありますし」
「星乃の怪我の具合はどうだ?」
「洒落にならん回復力ですよ。たったの三日で傷が跡形も無く消えていた」
「若いって良いな」
「若さ関係無いんじゃないんすかね?」
「お前は星乃を化け物扱いでもしてるのか?」
「いや……」
言葉を詰まらせ、将星は考え直す。
星乃はただ運動神経と身体能力が優れているだけの少女ではない。その脚力はたまに乗用車以上のスピードを叩き出し、誰の手解きを受けている訳でもないのに戦闘能力が非常に高い。経験さえ身に付ければ、もしかしたら芳一すら超え兼ねない可能性も浮上するだろう。勿論、星乃が何でそんな化け物じみた力を有しているのかは、長い付き合いである将星を以てしても未だに理解していない。
よく考えたら、あれだけ一緒にいた間柄なのに、自分は星乃の事をあまり知らないのかもしれない。
「そういえば、これはあくまで又聞きなんだが」
芳一が素知らぬ顔で語る。
「白沢雪見の父親も、店で使うリキュールを揃えに星乃の酒屋に時たまやってくるそうだ。彼が星乃の親父さん……これから俺達が向かう店の主と世間話した時の内容だ」
「はあ……」
又聞きというか、又聞きの又聞きである。
「星乃が雪見と喫茶店で話していたらしいな。『将星はバカのくせに根っこのところがよく分からん』とかなんとか。正直、俺もそう思う」
「俺、そんなにミステリアスな存在ですか?」
「お前はよく理論武装するからな。あと、誰に対してもああ言っておけば問題ないとか、別にここは気を遣わんでも良い場面だから何を言っても構わんだろうとか、そういう打算が見え見えだ。そりゃ、誰から見ても胡散臭く見えるだろう」
「将星はうさんくさーい。ぷんぷーん」
「…………」
セイランが将星の目の前で鼻をつまんで飛び回っている。軽く腹が立ったので、とりあえず手の甲でセイランを頭上に弾き上げた。まるで、蠅を払うように。
「あーれー」
「……全く、油断も隙も無い奴め」
「そう邪険に扱ってやるな。お前の傍に一番近くいたセイランの方が、お前の本質をよく分かっているんだろうからな」
「…………」
自分がそこまで闇の深い奴だとは思っちゃいないが、人からそう言われるのだから、もしかしたら本当の話なのかもしれない。
話していたら、いつの間にか星乃の実家である小さな居酒屋に到着する。入り口であるガラス戸は昔ながらの手動式だ。
「お、日下部の旦那……と、将星君じゃねぇか!」
店の奥の棚で陳列作業をしていた店主が、嬉々としてこちらに歩み寄ってきた。彼と反対方向で同じ作業をしていた星乃も、将星の来店に目を丸くする。
店主、宇田川白秋が将星の肩をばしばしと叩く。
「毎度うちの娘がとんだ面倒をかけて申し訳ない。こないだもお前さんのおかげで助かったぜ。いずれ何かで礼をしたいモンだが……」
「その分は日下部さんにでもツケといてください。長官や雄大さんが本部の談話室で首を長くして上々の酒を待ってる事ですし」
「オーライだ。さ、日下部の旦那。今日の銘柄を」
「ふむ、拝見させていただこう」
おっさん二人がよく分からんラベルが巻かれた酒瓶の棚に移動すると、作業を終えたのか、星乃が小走りで駆け寄って来た。
彼女はやや照れくさそうに挨拶する。
「……おっす」
「よう。もう仕事に出て大丈夫なのかよ」
「へっちゃらだよ、こんぐらい」
星乃が完全修復した右腕を見せてくる。
「それより、珍しいね、将星も一緒に来るなんて」
「荷物運びのついでに、お前に言い忘れた事があってさ」
「何?」
「こないだの女子力向上なんちゃらの件だけど……」
将星は目を逸らしつつ言った。
「変わる気持ちってのは大事かもしれないけど、本当に自分がそうしたい時以外はただの無茶かなって」
「? なにそれ?」
「あー……つまり、だ」
将星は赤面しつつ答える。
「無理矢理女子力を上げようとしなくったって、星乃はそのままの方がずっと可愛いって話だ」
「!!?」
聞き慣れない事を口にされて驚いたのか、星乃が将星以上に真っ赤っ赤になる。
「ばっ……急に何言っちゃってんの!? ばっかじゃないの!?」
「うるへー! お前が慣れない真似をしてるのを見てたら苛々したんだよ!」
「何で将星が苛々すんのさ!」
「何でもいいが、店の中で騒ぐなよー」
白秋が芳一と共に、にやにやしながら茶化してくる。酒の銘柄について何かを話していたと思ったら、いつの間に覗き聞きしてたんだか。
芳一がこれまた白々しく言った。
「生島。酒の選定に少し時間が掛かりそうだから、二人で適当に外を歩き回って夕涼みでもしてたらどうだ? ヒートアップしてるなら丁度良いだろう」
「日下部さん……あんたさては楽しんでますね?」
「もういい!」
星乃がさらに不機嫌になり、店の奥に引っ込んでしまった。何がいけなかったのか、将星には一切分からなかった。
「まあ、難しい年頃ですからな」
セイランが手近な酒樽の上で、ジジイくさくコメントした。
「女の子は、将星が思った以上に大変な生き物さね」
「お前は何でこう……先天的に偉そうなんだろうな」
自分の事を棚に上げ、将星はさらに落胆した。
エプロン姿のまま台所に引っ込んで、星乃は将星の言葉を頭の中で何度も反芻して、ただの独り言を呟いてみた。
「……あー、ほんと、油断も隙も無い奴だな」
口にしてみて、生島将星とはまさにそういう人物だと、星乃は改めて認識した。
一見隙だらけに見えてそうでもないようで、ちょっとこっちが油断してるとすぐに虚をついてくる。これは戦闘行為における将星の基本戦術でもある。
そして、あれが彼の天性でもある。
現に、いきなり虚をつかれ、星乃は殺されかかっている。
「どうしよう。明日から、どういう顔をして会えば良いんだろう」
「いつも通りで良いんじゃね?」
急に頭の上に現れたコメットが普通に答えてくる。
「だってあいつ、そのままの星乃が良いって言ったんだろ? だったら素のままで振舞えば良いだろうが。その方が、あいつも喜ぶだろうし」
「……意外とまともな事を言えるんだ」
「失敬な! せっかくQPらしくしようと思ってたところを……」
「はいはい。ありがとね」
星乃は素直に礼を言い、コメットを掌に乗せて立ち上がった。
この時、星乃はいつもの星乃に戻っていた。
#11 「迷走する女子力」 おわり
 




