8話
「ぐ……うう」
「立て、犬神」
足に力が入らなくなるほど疲労した俺に師匠は冷酷な声音で叱咤する。
「まだ修行は終わっていないぞ」
「し、師匠……しかし」
「言い訳するな」
俺の決死の訴えを師匠は一蹴する。
理不尽の様に見えるが、ある面から見ると仕方ない。
何せ今の俺は第二学年の見込みがあるか検査していたから。
第二学年。
それは神崎の様に己の気を炎や風といった事象に変化させ、自在に操る。
戦闘という一点においては第一学年より第二学年の方が遥かに優れていた。
だがしかし、そこに至るまでの道のりは果てしなく厳しい。
「単なる鬼人は戦闘以外でも用途がある。だが、第二学年は戦闘に特化した化け物――鬼そのものになり切らなければならん」
鬼に人の情は要らない。
ゆえに第二学年へと進化するためには慈悲や情けを切り捨て、残酷となる必要がある。
非情になり切った鬼人=第二学年という構図。
つまり鬼人ならば誰にでもなれる気質はあるのだが、実際はそう簡単でない。
追い詰められた時、人はようやく自身の本性を現す。そしてその本性に情があるのならば鬼人は第二学年に、どれだけ才能があろうと進化出来なかった。
「弱音が吐けるのだからまだ余裕が残っている。さあ、早く起きろ」
今、俺は自身を徹底的に追い詰め、己の本性を曝け出そうとしている。
だが、常軌を逸した修行の前に俺は冗談抜きで死にかけた――何十回も。
どうして俺がこんな目に遭っているか。
その理由は簡単、神崎の教官である星影輪廻教官が師匠に強く要請したからだった。
「私が教育した猪娘こと神崎紅音は第二学年への道を歩んでいる。なのに原理の薫陶を受けている犬神康介は適性検査すら受けていない。原理よ、これは非常におかしくないか?」
師匠と相対して開口一番その台詞。
子を授かっている夫婦同士の会話で無い。
「最前線で戦うお前と一地域防衛の俺を同列に捉えるな。それ以上に俺は狂った運命を引き継ぎたくない」
星影師匠の言う運命とは師匠と教官との確執。
正確には星影師匠と世話役の戸井晴美、妻の星影輪廻にその間に出来た夢月と幻月。
俺を鍛え、第二学年へと進化させることによって師匠達と同じ道を歩んでしまうことを懸念していた、が。
「どの道死んでしまっては元も子もないだろう。原理は犬神康介の亡骸を拝みたいのか?」
辛辣な輪廻教官の言葉に星影師匠は動いた。
その日から俺を第二学年へと適正があるかどうか調べるため、地獄の修行が始まった。
「まだくたばるの早いぞ!」
どうやら気絶していたようだ。
「……申し訳ありません」
俺は全身全霊の力を込めて立ち上がる。
「では……再開します」
「うむ」
俺は歯を食いしばって立ち上がる。
と、同時に動き出す幾つもの影。
俺の修行のために輪廻教官が貸し出した鬼人達である。
当然エリートであるため容赦など微塵もない。
「……が……あ」
案の定、立ったら立ったらで集中攻撃を喰らい、俺はまたも地面に突っ伏した。
「今日はここまでだ」
混濁した意識の中で師匠はそう宣言する。
「また明日頼む」
「「「「……」」」」
師匠の言葉に夢宮学園所属の鬼人達が一斉に頷き、そして消えて行った。
「ボロボロだな、犬神よ」
「……」
声など出す気力もなかった俺は口をパクパクと動かす。
「よい、このまま休息していろ」
そう声をかけた師匠はどっかりと俺の横に腰を下ろした。
「大分ましになってきたな」
師匠は水筒に入っている水を俺にぶっかけながら褒める。
「最初は一瞬で終わっていたが最近は三十分、しかも今日は一人撃退したではないか」
「何の慰めにもなりませんよ」
水分で息を吹き返した俺は続ける。
「十体の中での一体。しかも偶然の賜物です、あの時鬼人が左に避けてくれたから成功しました」
「何を言っている。俺が一体を倒すまで一年は掛かったぞ」
「……」
「お前は天才だ、犬神康介」
師匠は手に持った水筒で己の喉を癒す。
「夢宮学園きっての天才だと自惚れていた俺だが、その名声は返上せねばならん。しかし、だからこそ懸念もある」
「僕と神崎が師匠そして教官と同じ道を辿るということですか?」
「ああ、そうだ」
師匠は頷いた後、徐に口を開き。
「犬神、お前は陽炎翡翠を愛しているか?」
「ブフっ!?」
予想外の質問に俺は思わず吹き出した。
「い、一体何の話ですか!?」
「言葉通りの意味だ。犬神は泡沫マリアと陽炎翡翠――どちらか一方しか選べないのならどちらを選ぶ?」
「……」
究極の二択に俺は硬直する。
泡沫マリアは俺の主だ。
俺が鬼人である限りマリアを命に代えても守らなければならない。
それが鬼人としての矜持であり俺は鬼人だと胸を張って誇れる根拠でもある。
だが、それが翡翠と引き換えになると思考が止まる。
俺にとって翡翠は物心ついた時から一緒にいた。
だから翡翠は俺の傍にいるのが当然だったし、翡翠もまた同じこと。
永遠の別れなど考えたこともない。
考えたくない。
もし翡翠がいない世界に俺が置かれた場合、俺は俺である自信がない。
鬼人として存在するためには主である泡沫マリアの存在が必要不可欠。
犬神康介として生きるためには陽炎翡翠なしでは不可能。
「……」
本当に不甲斐無いが、師匠の質問に対して俺は沈黙で返した。
両方とも俺にとってなくてはならない存在だからだ。
「そうだ、それで良い」
が、師匠は我が意を得たとばかりに頷く。
「意地の悪い質問をして悪かったな。次が本題だ、もし神崎紅音と陽炎翡翠。お前はどっちの傍にいたい?」
「答えるまでもありません。陽炎翡翠です」
俺は即座に答える。
「どうしてだ? 神崎と共にいれば強さが手に入るぞ、それこそ“鬼”の如くな」
「必要ありません」
この弥生町を守れるだけの力があれば俺は十分。
それ以上の力を求めても空しく、そして何より新たな厄介を引き寄せる。
ならば端から求めない方が無難だった。
「クックックック。犬神よ、お前は本当に俺の若い頃とそっくりだなあ」
俺の答えを聞いた師匠は肩を震わせて笑う。
「俺もお前と同じ意見だった。本音を言えば永久煉華なんぞと関係を持ちたくなかった。しかし、それは時代が許さなかった」
星影師匠の時代は夢宮家を始めとした各財閥の拡張期。
それゆえに“力”が最も求められていた。
師匠が英雄が籍を入れたのは国の意向。
当時は例え鬼人といえども選択肢はない独裁体制。
反抗すれば消される時代である。
「よく煉華様――」
「教官だ」
「……教官が師匠と共にいることを望みましたね?」
俺はつっかえながらも言葉を口にする。
「当時から戦乙女として脚光を浴びていた教官に惹かれた鬼人も多かったでしょう。非常にもったいないと思われますが」
あの英雄との番ならば弥生町の様な片田舎でなくもっと大都市の、それこそ東京や神奈川の一等地の守衛隊ぐらいの地位に就けただろう。
「犬神は神崎が迫ってくればどうする?」
「逃げます」
「それと同じだ。変なトラブルなど俺には御免だったし、何より晴美が弥生町から離れることを拒んだ」
「……」
師匠の苦悩は痛いほど分かる。
もし翡翠が弥生町にずっと住みたいと訴えれば俺はその願いを受け入れる自信がある。
理由とか理屈とかで測れる類のものじゃない。
本能が翡翠と別れて悲しませることを拒んでいた。
「話が逸れたな」
師匠はそう咳払いをして語りを元に戻す。
「夢宮学園の訓練時代からあいつは何故か俺にご執心のようだった。そして俺が隠居しても情熱は一向に衰えず、何に付けても俺を指名して戦場へ引きずって行った」
「しかし、それにしてはあまり師匠の名声が轟いていませんが」
「俺の能力上、俺は影に徹する役割が多かったし、何より名声に興味がなかった。だから全部あいつの功績にした」
「それはそれは……教官も大層怒ったでしょう」
他人の称賛を自分が受けるなどあの潔い神崎なら激怒する。
「その通りだ。しかし、それは俺と組む上で最低限のルールだ」
他人の、それも己が認める人物の功績が自らのモノとなる。
更に師匠が役立たずと非難されるのは噴飯ものだろう。
そして教官は師匠に対して益々愛憎を募らせていったということか。
「運命というのは非情なものよ」
師匠は遠くを見ながら呟く。
「そこまでして愛した晴美は二度も流産し、しかもそれが原因で二度と子供が産めない病弱な身体となった。今となっては想像も出来んが、晴美は誰に対してでも物おじしないじゃじゃ馬娘だったんだぞ」
戸井さんのことを語る師匠は嬉しそうだ、しかし、次にはその瞳を暗くさせて。
「そして愛情など全く抱いていなかった永久煉華は二人も生み、そして未だ健在だ」
師匠は悲しいのだろう。
何故戸井晴美でなく、永久煉華との間に子を成したのか。
何故戸井晴美は体を壊してしまったのか。
どうしようもない事実に師匠は今も苦しんでいた。
「こ、康介!? 大丈夫!?」
玄関先で倒れた俺を見た翡翠はひどく狼狽する。
「翡翠か……」
俺はのろのろと顔を上げ、翡翠のエプロン姿を確認すると同時に。
「お休み」
そのまま意識をフェードアウトさせようとしたが。
「寝るなー!!」
頭がキンキンする高音が俺の耳朶を打った。
「ご飯はともかくお風呂は済ませて頂戴! 貴方、臭うわよ!」
言われて初めて気付いた。
第二学年の適性検査が行われている間、俺は家に戻るどころか森から出た覚えがなかった。
風呂なんて高尚な代物があるわけがなく、川で汗を流す程度。
悪臭を放って当然だろう。
「……頑張る」
家の中を臭くするのは俺にとっても不本意な所。
ゆえに俺は最後の力を振り絞って浴室へ向かった。
風呂に入ると体の疲れも取れるという話は本当だったらしい。
湯船に浸かった俺の体は腹が鳴る程度にまで回復した。
「おーい! 翡翠ー!」
俺の浴室から叫ぶ。
「ご飯は出来ているかー!」
「もうそろそろよー!」
俺の叫びに答える翡翠。
すっかり気分を良くした俺は鼻歌を歌いながら立ちあがった。
「……お前ら、何故いる?」
食堂兼リビングに辿り着いた俺は憮然とした表情を作る。
「あら、意外と元気そうね」
「康介さーん! 今日は御馳走ですよー!」
翡翠が向こう側で鍋の調理をしているのは問題ない。
だが、何故二人がいる?
「マリア、そして夢月。何故ここにいる?」
そう、泡沫マリアと星影夢月が当然とばかりにちゃぶ台の端で陣取っていた。
「何故って……康介君の快気祝い」
マリアは霜降り肉の塊をぶら下げながらそうのたまい。
「あの地獄からの生還です。土産話も聞きたいですしねー」
松茸や白菜といった高級野菜の切った束を夢月が見せびらかしてきた。
「はあ……もう良い」
今日はドブネズミの誕生日だろうがとか、あれだけのことがあって夢月はよく俺の家に来れるなと呆れと感嘆が俺の心を支配し、さらに体の疲労も手伝って俺はこれ以上の突っ込みを止める。
早く飯を食ってすぐ寝よう。
と、俺はそんなことを考えている内に――
「だから康介! まだ寝ない!」
「おお!」
翡翠の一喝によって俺は現実へと帰還した。
うーむ。
風呂場で意識を失ったといい、今回の俺は相当疲れているな。
「では、手を合わせましょう」
「「「いただきます」」」
手を合わせて唱和した俺はそんなことを考えた。
「で、康介さん。第二学年にはなれたんですか?」
「夢月、その疑問は俺がここに戻った時点で分かり切っているだろう」
俺は翡翠に夢月の正体がばれないようそう言葉を濁す。
「ほら、これだ」
俺は一枚の紙切れを夢月へ渡す。
“犬神康介を鬼人第二学年の一員であることを認める 夢宮学園学園長――夢宮雄一郎”
そして俺のポケットにはその賞状と共に貰った一枚のカードがある。
これは特権の証であり、これさえ翳せば大抵の公共機関はフリーパス、そして夢宮家の権力が及ぶ範囲であれば大抵のことは融通が効く夢のカードである。
「わあ! すごいです康介さん」
「夢月に言われてもな」
瞳を輝かせる夢月に対して俺は皮肉気に。
「俺より先にこのカードを持っているだろうが」
実は夢月も第二学年である。
なので褒められても白々しさが抜けないと感じるが。
「何言ってるんですか。仲間が増えるのは嬉しいことですよ」
「おいちょっと待て。何時から俺はお前の仲間になった?」
「細かいことは気にしないで下さいよー」
聞き逃せない言葉に俺は詰問するが夢月は明確に答えようとしない。
「絶対に俺を巻き込むなよ。俺にも拒否権がある」
暖簾に腕押しをしている気分に陥った俺はとりあえずそう釘を刺しておいた。
「けど、不思議ですねー。何で夢宮学園をリタイアした康介さんが第二学年へ進化できたのか」
「星影師匠のおかげだな」
俺は過去を思い出すように遠い眼をしながら。
「師匠がいなければ俺はここまでこれなかったな」
何故夢宮学園での修業を今回は耐えきったと問われれば、それしかないだろう。
陽に陰に。
様々な形で俺を導き、支えてくれたおかげで俺は過去を超えることが出来た。
「師匠には頭が上がらない」
俺をフッと笑う。
「だから夢月。俺の前で師匠を馬鹿にするなよ?」
今の俺なら多分手が出ると思うからな。
「うーん、まあ承りましたー」
夢月は不承不承ながら受諾する。
「けどー、私の境遇も理解して下さいねー?」
夢月は時代によって翻弄され、相当歪んだ道を歩んできた。
夢月の背後を鑑みると師匠や教官に対する憎悪も理解できるが。
「まあ、その時は殴り合えば問題ないな」
「うわっ、暴力反対ー」
俺の提案に夢月は両手で己を抱きしめてイヤイヤした。
「で、康介君。第二学年となった康介君は何を扱えるの?」
マリアがそう尋ねる。
「第二学年って個人によって使える属性が違うのでしょう? 参考までに教えて欲しいんだけどなあ」
マリアはニコニコと。
底の見えない笑みを浮かべながら問いかける。
そんなマリアの態度に俺は唇の端を歪めながら。
「それは主としての命か、それともマリア自身の願いか?」
逆に質問で返した。
ここでもし前者ならば俺は黙秘や虚言を行えない。
主に逆らう従者がいない様に、鬼人である俺は主の意を反することが出来なかった、が。
「後者よ」
「じゃあ答えない」
マリア個人の願いなら断ることが出来る。
「教えない理由を聞いても良いかしら?」
「お前は性格が悪いからな、喜ばせるようなことをしたくない」
「アハハ、正直でよろしい」
俺の率直な意見にマリアは不機嫌になるどころかカラカラと笑った。
「康介……」
「安心しろ翡翠、俺は俺だ。絶対に変わらん」
俺がどのような立場になろうとも。
翡翠が俺が変わったと絶望しようとも。
俺は絶対に俺であり続ける。
そう思いを込めて翡翠に力強く宣言したつもりだが。
「お鍋……クタクタになったちゃった」
「「「あ……」」」
大分話し込んでいたらしい。
煮え切った鍋の中身の惨状を確認した俺達全員は間抜けな声を上げた。