5話
「去りなさい」
神崎は俺から視線を閉ざさずそう言い放つ。
対象は俺で無く、その後ろに控えている見習い鬼人達である。
夢宮学園からやってきたエリート鬼人。
その肩書きに加え、本人から発するプレッシャーによって腰砕けになったのだろう。
名残惜しそうな視線を俺に向けた彼等はそのまま飛んで行った。
「よく俺のことを覚えていたな」
二人きりとなった俺は問う。
「トップクラスの実力を持つ神崎が劣等生の俺のことなど覚えるはずなどないが」
「犬神君、最初の組み手を覚えている?」
「組み手か……」
俺は記憶を掘り返す。
夢宮学園に入学し、その初授業として行われた模擬戦。
三人目の相手で負けるという普通の結果に終わったためあまり覚えていない。
まてよ。
最初の相手は誰だったっけ?
「そう、私とだったのよ」
確かそんなことがあったような気がする。
「しかし、よく覚えていたな。神崎の後の活躍からすると忘れても良いものだが」
神崎は最初こそ勝ったり負けたりを繰り返していたものの、二学期からは順調に成績を伸ばし、三学期が始まる頃には誰と戦おうと常にトップだった。
「そうね、私も会った最初は犬神君のことを完全に忘れていたわ」
「そのまま忘れていれば良かったのに」
「何か言った?」
「いや、何も」
「……相変わらず無気力ね。まあ、良いわ」
神崎は首を振って頭を切り替える。
「犬神君が逃した三人を捕えた時、何か記憶に引っ掛かったのよ。私は貴方を知っている。けど、何故なのか具体的に思い出せない。奥歯にものが挟まったような不快感があったわ」
神崎はしゃべるごとに高揚していく。
不味いと俺の頭は警告を始める。
「そしてその時星影夢月の呟きが耳に入ったわ。そう、犬神君は元夢宮学園生だという呟きをね」
「あいつ……余計なことを」
どうして夢月は事態をややこしくするのか。
召集の件を含め、今度出会ったらじっくりと話し合う必要がある。
「完全に思い出した私はこうして貴方を追いかけてきたわけ」
「そうか、それは良かった」
俺は適当に相槌を打つ。
出来ればここで別れたい。
「さてと、犬神君。私と貴方が戦ったのはあの一戦だけよ。つまり私は負け越しているわけ。ちなみに私は負けるのが大嫌い。勝ち逃げなんて絶対許さない」
「……」
ヤバイ。
体中から嫌な汗が噴き出してくる。
「か、神崎。エリートのお前が劣等生を敵視するなんておかしくないか?」
表現は悪いが、夢宮学園はエリートの集団なのだから俺の様な落伍者を視界に納める必要はない。
小石に躓いた程度の苦い思い出として残してくれれば俺は嬉しい。
が、そんな俺の嘆願など叶うはずが無く神崎は体を揺らしながら。
「何言ってんのよ犬神君。私は平等主義者、敵対者に貴賎など関係ないわ」
そう呟くと同時に神崎の姿が消える。
「散華」
「っ!」
俺は反射的に両手をクロスさせた。
次の瞬間、凄まじい衝撃が俺を襲い遥か後方へと体が流れる。
「さあ、犬神君。私を楽しませて頂戴ね!」
神崎の獰猛な笑みが嫌に印象的だった。
「天元!」
上空から襲ってきたかかと落としを避けるため俺は下方向へ逃げる。
急激なGが体を襲うが文句など言っている暇はない。
「つるべ落とし」
「そう何度も喰らうか――掌破!」
追撃の足を交わした俺はお土産に掌底を置く。
その一撃がカウンターとなり、神崎の動きが一瞬止まった。
この手を逃すわけがない。
「ザクロ!」
無防備な腹部に回し蹴りを叩きこむ。
遠心力を付けたその威力は鬼人をも吹っ飛ばす力も持つ、が。
「甘いわよ、古刹!」
神崎は俺の足を掴み、そして膝を破壊しようと肘を高く上げる。
「やらせるか!」
俺はぎゅるりと体を回転させて拘束を解き、神崎の二の腕に一発をお見舞いして距離を取った。
「ウフフフフ……アーッハッハッハッハッハ!」
脇腹をさすりながら高笑いを始める神崎。
「この感触、あばらが二、三本いったわね」
「それにしては嬉しそうだな」
鬼人だから一日で元に戻るとはいえ損傷は損傷。
痛みは通常の人と変わりない。
なのに神崎の顔に浮かんでいるのは怒りでも苦痛でも無い、喜色。
攻撃を受けたことが嬉しくて仕方ないようだ。
「上の学年ならともかくまさか同期とここまで戦えるなんてね」
「まだ手合わせ程度だが」
「同期は最初の一撃もしくは次の手で終わっていたからね」
「……」
同期が不甲斐無さ過ぎたのか、それとも俺が強くなったのか。
「貴方が強いのよ」
褒めているらしいが、残念ながら今の俺には全然嬉しくない。
今の実力が夢宮学園の在籍時にあったのなら良かったのに。
「力なんてそんなものよ。必要な時に、必要なだけ力や運があったのなら誰も泣くことないし、絶望することも嘆くこともないわ」
「哲学的だな」
まさか神崎から観念論が聞けるとは。
新鮮な驚きである。
「だってねえ、敵がいなくなって力の振るい様が無くなると考えてしまうのよ」
強すぎるが故の葛藤。
神崎も神崎で悩みがあったらしい。
「さてと、犬神君。次のステージに行きましょうか」
「次のステージ?」
俺の疑問に神崎は鷹揚に頷く。
「そう、犬神君。こういうのはご存じ?」
「っ、気弾か!」
圧縮された気弾が俺を襲う。
「あぶなっ」
ギリギリの所でかわす俺。
以前から薄々勘付いていたが神崎の攻撃はあらゆる意味で速い。
星影師匠の下で鍛えられていなければあっという間に終わっていた。
「断っておくが今の俺にそんな技は使えないぞ」
気弾を始めとした遠距離攻撃は相当な鍛錬を必要とする。
星影師匠から教えてもらっていないので、使用など不可能だった。
「何言ってんの、これは前座よ」
神崎は八重歯を見せて笑う。
「犬神君、貴方が撃退したはぐれ鬼人の中に火傷を負った者がいなかったっけ?」
「ああ、いたな」
俺は肯定の意を示す。
「右半身が火ぶくれに覆われていた酷い火傷だった」
あれは表面で済まず、真皮まで届いている。
常人ならまず死亡、鬼人でさえ後遺症が残る可能性がある程の深い火傷だった。
「あれ、やったの私」
「え?」
神崎のカミングアウトに俺は瞬きをする。
神崎がどうやって?
俺は混乱する。
いや、ちょっと待て。
そもそも鬼人にあれほどダメージを与えるのなら想像を絶する火炎放射器が必要となる。
それこそ鋼を液化でなく気化させるような程の高熱が。
「あえて説明するのなら、この気を変化させるらしいのよ。そして私は自分の気を炎へ変化させた」
同時に神崎の体が炎に包まれる。
離れている俺でさえ感じるほどの熱気。
「これが出来る鬼人をこう呼ぶらしいわ――第二学年と」
鬼人第二学年。
鬼を超えた鬼。
その名の通り、今の俺には到底敵いそうにない。
「凄まじく嫌な予感がするのだが」
相手が強すぎる――そんな言い訳が神崎に通用するとは思えない。
案の定、神崎はニッコリと微笑みながら。
「安心して、それなりの手加減はするから」
と、全然笑えない条件を付けてきた。
「っぐ!」
炎を纏った蹴り技を俺は辛うじて避ける。
が、やはりというか髪の毛が僅かに焦げた。
「あれが当たったら笑えないな」
その攻撃だけで分かる。
直撃すれば一生後に残る火傷を負う。
「ほらほらほらほら! どんどんいくわよ!」
俺の冷や汗など知ったこっちゃないとばかりに攻撃を続ける神崎。
気が興奮しているのか、何も無い状態に比べても威力や速さが増している。
蹴り。
薙ぎ払い。
炎弾。
炎を付加させた攻撃が次々と俺に襲いかかってきた。
「へえ、よく捌けるわね」
唯一の救いは神崎の攻撃が読み易いということか。
当初こそ炎の脅威に身が竦んでいたものの、今はその恐怖が和らぎある程度冷静に行動できた。
「神崎、確認するが鬼人同士の戦闘はご法度だぞ」
神崎の猛攻を掻い潜り、距離を取った俺はそう忠告する。
「あんた、何今頃言ってんの?」
神崎は下らないとばかりに鼻で笑う。
「本当にその気ならもっと早く忠告して――ああ、そういうことね」
俺に説教を垂れていた神崎だが途中で得心したように頷く。
「犬神君、もう攻略できるんだ」
「賭けに近いがな」
神崎は猛獣の様な笑みを浮かべてくるが、俺は流されず淡々と答える。
「へえ、面白いわね。だったら見せてみなさいよ!」
そう咆哮を挙げた神崎は俺に向かって突進してきた。
「……女性の顔を殴るのは嫌なんだが仕方ない」
俺は覚悟を決め、右こぶしを顔の位置まで上げる。
「瞬こ――」
「破砕!」
己の全気を込めた右手で神崎の腕を跳ね飛ばし、そのまま掌底を叩きこむ。
「が、あ……」
俺は右腕を抑えて背を丸める。
気を纏わせていたとはいえ、炎の直撃を受けた右腕の感覚はほぼ無くなっていた。
「賭けは成功だな」
だが、右腕を犠牲にした甲斐はあった。
脳しんとうを起こしたのだろう。
神崎は焦点の合っていない目で落下していく。
「って、不味い!」
いくら鬼人とは言えどこの高さか落ちればただでは済まない。
夢宮学園のエリートである神崎が負傷したとなれば当然俺まで責任が問われる。
最悪の事態を回避するため俺は急いで向かおうとするが幸いなことに一迅の影が神崎を攫う。
神崎をお姫様だっこする影の正体は。
「お見事でーす犬神さん」
場に似合わない間の抜けた声で制止をかけるのは星影夢月。
正体不明の星影師匠の娘である。
「入りたてとはいえど、第二学年の神崎さんに勝っちゃうなんてねー」
「凄いのか?」
俺の正直な感想としては始めの第一学年の方が手に汗握った。
第二学年の神崎は力に振り回されていた印象があり、慣れてしまえば簡単に対処出来ていた。
「アハハハハハハー、簡単に仰いますねー、さすが“天才”ですー」
「褒められても全然嬉しくない」
俺は肩を竦める。
「早い所この右腕を治療したい」
神崎の熱傷によって感覚を失った右腕。
しばらく使い物にならないことは明白だった。
「さてとー、犬神さんはー、どうしますー?」
「何がだ?」
俺の心情をあえて無視したのか夢月は無邪気な笑みを向ける。
「もしー、希望するのならー、第二学年の成り方を教えてあげますよー?」
「成れるのか?」
「はいー、夢宮学園再入学することですー」
「う……」
夢宮学園。
トラウマワードに俺の体は硬直する。
「過去は過去ですー。犬神さんは百%間違いなく第二学年へなれますー」
夢月なりの褒め言葉なのだろうか。
ただ、悲しいことに全然俺の心に響いてこない。
「で、どうしますー」
夢月は笑顔で聞く。
「夢宮学園に戻りますかー?」
幸か不幸か今の俺は夢宮学園でやっていくだけの実力を持っている。
しかも第二学年へと変貌出来るほどの力を。
鬼人の誰もが羨む第二学年。
そのブランドに俺は考え込む。
「夢月、俺は――」
十分に考えた末、出た答えが。
「康介! いい加減起きなさい!」
翡翠の怒声と共に意識が覚醒する。
「今日は召集日でしょ! 遅れちゃ駄目なのよ!」
「分かってる分かってる」
寝ぼけ眼をこすりながら俺は右手で布団を払いのける。
夢月が持ちかけた夢宮学園再入学の誘い。
その誘いを俺は――断った。