4話
「大分上達したな」
星影師匠はそう褒めてくれる。
「……」
嬉しいことは嬉しいが、残念なことに俺はそれを表現することが出来ない。
「動揺無しか……見事だ」
何せ今の俺は修行中。
名付けて明鏡止水。
池に両足を突っ込んで僅かな波すら立てず、一面の鏡となるまでその場を動いていけない修行。
この修行は夢宮学園でもやったことがあったため、楽勝だと考えていた。
しかし、すぐにその甘い考えは粉々に打ち砕かれる。
星影師匠はさらに一つの条件を足した。
そう、水底から五cm足を浮かすという鬼畜な条件を。
「心が乱れているぞ」
星影師匠の叱咤が飛ぶ。
俺や星影師匠を始めとした鬼人は空を飛ぶことが出来る。
科学的に説明は難しいが感覚的に説明すると、己の体を駆け巡る気を自然と一体化させることによって宙に浮く。
水は空気より浮き易いものの、微動すら許されないのは相当骨が折れる。
だが、泣き言など言ってられない。
星影師匠はもっと凄い。
水上で立つカの如く水面すれすれで浮き、波一つ立てないのはもはや脱帽するしかなかった。
「俺ぐらいで満足するな。水に体ごと投げ出しても波紋一つすら立てん猛者がいるぞ」
上には上がいる。
その格言の意味を俺は深く噛み締めたのを覚えている。
「今日はこれまでだな」
夕日の位置を確認した星影師匠はそう呟く。
「っはあ、っはあ」
同時に俺は両手に持っていたコマを投げ出した。
無回転のコマをずっと持ち続ける修行。
遠心力のないコマをキープし続けるなど困難極まりないが星影師匠はそれを要求してきた。
おかげで俺の精神はボロボロ。
一刻でも早く帰って休みたいとまで、考えて溜息を吐く。
家に帰ったら帰ったらであのあの娘達の口げんかに巻き込まれる。
女が三人揃うと姦しいとはよく言ったものだよ。
「聞くが犬神よ、夢月の様子はどうだ?」
「そうですねえ……」
俺は言葉を選ぶ。
「楽しそうですよ、色々な意味で」
少なくとも戸井さんや師匠が傍にいるよりかは。
夢月は俺の家で寝泊りを始めてから昼食時は俺の横にいることが多くなった。
その度に戸井さんは夢月の分も用意するのだが、彼女は箸を付けようとしない。
ニコニコと俺を眺めるだけ。
もしかして戸井さんや星影師匠に対する当てつけではないのかと俺は最近感じ始めた。
「そうか……」
俺の答えに星影師匠は沈黙する。
普段から仮面を付けているので師匠が胸に抱いている感情など俺に読めるはずがなかった。
「犬神、明日の修行は無しとする、体を休め」
「え?」
突然の宣告に俺は戸惑う。
一週間分の予定表にはしっかりと明日も組み込まれていたはずである。
「明後日に召集が掛かった」
召集。
その言葉に俺は身を固くする。
鬼人というのは公的にも私的にも手厚い保護を受けている。
極論、何もしなくても食っていけるがそこまで社会は甘くない。
当然義務も発生する。
暴動やはぐれ鬼人の出現など有事が起きた場合、その地域の近隣の鬼人は解決のために力を貸さなければならなかった。
「どうした、犬神よ」
「いえ、自分は強くなったのかと疑問に思いまして」
俺は自身の懸念を正直に伝える。
星影師匠から薫陶を受けてもう三ヶ月。
大分師匠の課題も大分応えるようになってきたが、正直自分が強くなったという実感がない。
移動速度や腕力等は三か月前とほとんど変わっていなかった。
「犬神よ、強さというのは最大火力で決まるわけではない」
星影師匠はそんな俺に喝を入れる。
「この三ヶ月、俺はお前に“静”を徹底的に叩き込んだ」
「“静”ですか?」
「その通りだ、夢宮学園での訓練を“動”とするなら俺の修行は反対の“静”だ」
例えるなら林に潜むスナイパーのよう。
刹那のチャンスを掴むために永劫に近い時間を伏せて待つ。
「どうやらお前はそちらの方に才があったようだ」
星影師匠曰く、凡才なら一年以上かかっても俺の半分の領域に辿り着けるか微妙とのこと。
「そして、今回の討伐には夢宮学園のエリートが主力だ」
「……」
「何、心配する必要はない。むしろあいつらを見返してやれ」
つい三ヶ月前までは歯牙にもかけられなかった劣等生だった俺。
奴らを驚かせてやれと星影師匠は言外に強いていた。
「師匠のために全力を尽くします」
「俺のためではない。正しくはお前の主である泡沫マリアのためだ」
俺の言葉に師匠はそう訂正を入れることも忘れなかった。
「おはようございます、師匠」
「俺より先に来るか……感心だな」
時刻は午前八時半。
約束の時間より三十分早い。
「(マリアから師匠の性格を聞いておいて良かったよ)」
俺は内心安堵する。
先日マリアから、星影師匠は大抵三十分前に来るという情報を教えてもらった。
なのでその五分前に着くようしたら、ドンピシャリであった。
マリア……ありがとう。
お礼として良い土産があったら買ってくる。
と、俺は心の中でマリアに感謝した。
「その制服の採寸を良く合わせられたな」
黒を基調とした軍服を連想させる制服。
袖口が広く取られており、ボタンもダブル仕様。
ベルトとポケットがこれでもかと思うほど施されて個人的には格好良い。
通気性が優れているせいか真夏に来ても不快感を感じない。
さすが高級品なことはある。
「翡翠のおかげです」
一昨日。
召集のために来ていく制服は決まっており、それを渡された。
しかし、今の俺には聊か大きすぎたので翡翠に袖合わせを頼んだところ、一日で仕上げてくれた。
さすが陽炎家の長女、翡翠。
ご飯と言い掃除と言い裁縫と言い文句の付けようがない。
ちなみにマリアはこのことを手放しで褒めていた。
まあ、マリアからすれば翡翠は世話役にしか思っていないので、ごく自然に褒めることが出来る。
果たしてその認識の違いに翡翠は気付いているのだろうか。
俺はそこに懸念を感じるものの、翡翠が満更そうではなさそうなので突っ込まなかった。
地雷を踏む必要性はどこにもないのである。
「まあ、それはさておき」
星影師匠の声音が鋭くなる。
普段から平坦な音程のせいか、こう怒りを混ぜられると凄味が出る。
ただ、幸いなことにその対象は俺でなくその後ろの人物。
「うんー? 私の顔に何か付いていますかー?」
「何故お前がいる! このバカ娘が!」
星影夢月。
師匠の一人娘がへらへらした表情でその怒声を受け流した。
「もちろん私も鬼人だからですよー」
夢月は訓練を受けていないとはいえれっきとした鬼人である。
なので今回の招集には参加する義務があった。
「お前など来てもお荷物になるだけだ」
師匠の言う通り、ろくな薫陶を受けていない夢月が出しゃばっても団体行動を邪魔するだけに終わる。
「ふーん、なら試してみますかー?」
が、夢月は不敵な笑みを浮かべる。
「私が本当にお荷物なのか調べてみますかー?」
「……」
意外なことに師匠は夢月の挑発に黙り込む。
――もしかして夢月は俺の思っていた以上に強いのか?
思い返せば俺は夢月の実力を見た覚えがない。
ただ、師匠が邪険に扱っていることと毎日遊んでいるという事実から夢月は弱いと思い込んでいた。
「行くぞ、時間が惜しい」
夢月が付いていくことに師匠は許したようだ。
軽い音を立てて空中へ飛ぶ。
「なあ夢月。お前の真の実力はどれぐらいなんだ」
そんな俺の問いかけに対して夢月は人差し指を振りながら。
「女には秘密が多いんですー」
笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。
「……暇だな」
四方八方見渡しても木しか見えない森の奥。
シカやイノシシが現れてもおかしくない場所に俺は一人佇んでいた。
断っておくが俺は意味もなく佇んでいるのではなく、れっきとした任務中。
そう、俺の役目は取り逃がした鬼人がこちらに向かってきたら、それを捕えるというものだった。
「どうしてこんなことに」
俺は一人愚痴る。
原因は夢宮学園の連中。
今回の召集の目的はこの辺りを拠点とするはぐれ鬼人集団の壊滅。
そこで俺は実際の戦闘がどのようなものかを見学する予定だった。
しかし、ここで横槍を入れてきたのが夢宮学園から来た生徒達。
あいつら、俺と大して年が違わないだろうが。
なのに生徒達は俺の様な未熟者を実戦に放り込むわけにはいかないと強硬に主張した。
星影師匠も抗議したものの聞き入れられず、めでたく俺はここで待機となった。
「けど、おかげで彼女と会わずに済んだ」
メリットは夢宮学園から派遣されてきたある生徒と一緒にならずに済んだこと。
顔合わせの際、俺は冷や冷やしたが幸運なことに彼女は俺を覚えていないのか他の学園生と同じく一瞥しただけで終わる。
俺と彼女が別行動になったおかげで彼女が俺のことを思い出すという最悪の事態は避けられた。
「それに別途待機は俺だけではないし」
まあ、このような措置を受けたのは俺だけでないというのもあるし。
他の町や村から来た鬼人達も俺の様な訓練生を連れてきており、彼等も全員前線から外された。
「後で彼等と愚痴り合うか」
この任務が終われば全員集合する。
その際に星影師匠は俺と同じ立場の鬼人と友好を深めておけと忠告していた。
「将来はお前らが連携してこの一帯を護っていくのだからな」
今思い返せばあの気難しい師匠と気安く接している鬼人も何人かいたし。
こうしてここら一帯の秩序は受け継がれていくのだと俺は学んだ。
プルルルルル
「うん?」
三十匹目のシカが通り過ぎたと同時に携帯が鳴る。
表示された名前は――星影夢月。
見知った名前ゆえに俺は警戒感無く電話に出た。
「こんにちはー」
案の定変に間延びした声が俺の耳朶を打つ。
ここでも夢月は俺達の様に排除させられることなく、戦闘に参加している。
本当に、夢月は何者なのだろうか。
「もう終わったのか?」
なので俺は全て終了したのかと聞くが。
「とんでもないー、逆ですよー」
「は?」
「実は今回。事前の情報が間違っていたらしくー、大苦戦。夢宮学園生も何人か重傷ですー」
「うわあ……」
夢宮学園生を含めた鬼人達が下手を打つとは。
参加しなくて良かったと俺は心から安堵した。
「そしてー、何人か取り逃がしてー。康介さんの所へ向かっているんですー」
「え?」
師匠達すら苦戦させた鬼人が俺の方へ向かっている。
その事実に俺は息をするのも忘れる。
「なのでー、彼等を捕えちゃってくださいー」
「おいおい、ちょっと待て! 冗談は止めろ!」
「残念ですけど、真実なんですよねー。だから鬼人としての役目を果たして下さいー。まあ、私を含めた数人がもそちらに向かってますのでー、最悪足止めををお願いしますー」
言うだけ言って電話を切る夢月。
「――いきなりこれかよ」
夢月から齎された最悪の情報に浮足立ったものの、すぐに平静を取り戻す。
この三ヶ月の訓練の賜物だと俺は師匠に感謝する。
「さて、やりますか」
“静”の第一段階。
自然と同化させ、己の気配を消す。
師匠の言葉を思い出した俺はそれを忠実に実行し始めた。
知覚はするが気配を消す。
その矛盾を解決するには己を限りなく薄めることだという。
狭苦しい肉体から解き放ち、森や大地と一体化するような感覚。
俺はこの三ヶ月でその境地に入りかけていた。
――……………………ザッザッザッザ
三体か。
その限りなく薄まった状態で感知する三つの気配。
真っ直ぐこちらへ向かってくる。
――…………ポタポタ…………ザザッザザッザザ
夢月の言う通り、彼等は逃げている途中なのだろう。
気は激しく動揺し、少なくとも一人は無視できない重傷を負っていた。
――……ッハッハッハ……ザザザザ
手負いの状態だが、侮るわけにはいかない。
向こうはベテラン、そして俺は見習い。
実力の差は歴然としている。
ならばどうするか。
答えは簡単。
「ゴフッ!?」
相手が動揺している隙に全てを決めるしかない。
そう結論づけた時にはすでに右手のナイフが一体の鬼人に刺さっていた。
「っ!」
案の定、向こうは驚いている。
その瞬間を狙って俺は返す手でナイフを突き立てる。
このナイフには麻痺性の毒が塗り込められている。
常人だと掠っただけで死んでしまうほどの威力。
まあ、それでも鬼人が相手だと気休め程度にしかならないが、向こうで手傷を負っていたことも手伝い、二体の鬼人はすぐに昏倒した。
「これで残るは一人」
ここまで来るともう気配を隠す必要が無い。
向こうは右半身が焼け爛れている重傷を負っているが、決して油断してはならない。
怪我を負っているが、星影師匠達の包囲網を抜け出した猛者だからだ。
「っ死ね!」
俺の予想通り、基礎能力は遠く及ばない。
一歩で俺の懐に潜り込んでくる。
「甘いんだよ」
だが、俺はそれを予期していたので左へと逃げる。
傷を負って余裕がないせいか気配が駄々漏れ。
次の行動を予測するのは容易である。
「弱者をいたぶる趣味はない」
長引かせて相手に逆転のチャンスを与えたら目も当てられない結果になる。
優位な状況のまま戦闘を終わらせたかった俺は向こうの追撃を軽くかわし、ガラ空きになった右わき腹にナイフの刃を置いた。
「あー、終わったぁ」
「俺さあ、余りに暇だったんで腕立て伏せをしていたよ」
「ねえねえ、この森ってリスがいるのよね」
「青いけど柿が成っていたよ、今度取りに行こう」
見習い鬼人達十数人は集まって口々に語り合う。
俺が捕えたはぐれ鬼人が全部だったらしく、後からやってきた鬼人に手渡して任務終了。
その後全員が集合し、俺達見習いはもう必要ないということで先に解散させてもらっていた。
建前はそうだが、実際は友好を深めるための早期解散。
その証拠に俺達見習いは誰一人として別れず、こうして固まって空を飛んでいた。
「しかしなあ、任務で負傷者が出るなんて」
見習い鬼人の一人が呟く。
「そうそう、集合してびっくりしたよ」
集合場所に集った人数は当初より少ない。
その者達の行方を聞くと、ベテラン達は「治療のため先に帰還させた」と答えた。
「でもなあ、良い気味だと思うぜ」
「そうそう、あんな威張りくさっていた夢宮学園生のほとんどがいなかったんだからな」
「召集された師匠達は全員無事だったわね」
「あいつらはさあ、ガチガチエリートなんだよ」
そして夢宮学園生達に対する陰口へと変わる。
見習い達は自分達をお荷物扱いするだけでは飽き足らず、師匠達を頭ごなしに否定したことが余程腹に据え兼ねていたのだろう。
ここぞとばかりに彼等に対する非難が噴出する。
「うん? 確か犬神だっけ?」
「ああ、そうだよ」
ここで一人の見習い鬼人が俺に目を付ける。
「何か疲れているようだな」
「ちょっとハプニングがあってね」
俺は曖昧に笑って答える。
「逃げ出した鬼人がこちらに向かって来るとは思わなかったよ」
「あ~、確かそんなことを言っていたな」
包囲網が破られ、鬼人が何体か俺の方へ来ているという情報は集合時に伝えられたため周知の事実になっている。
しかし。
「師匠達が間に合ってよかった」
「ホントにな。未遂で済んで良かったな」
ただ、実際と異なってはぐれ鬼人は途中で捕捉され、俺のところまで辿り着かなかったことになっていた。
「目立つのは良くないだろう」
星影師匠の提案に異存はない。
今回はまぐれで勝ったのでそれを俺の普通だと考えられると、疎まれて排斥される、若しくは身の丈に合わない期待をかけられてしまう。
どちらに転んでも面白くはない。
まあ、師匠達上層部は俺の功績だと知っているので後々の評価に出てくるだろうと俺は考えていた。
と、そんなことを考えていたせいか。
「よし、だから打ち上げの幹事はお前な」
「はあ!?」
急きょ開催された親睦会の幹事に俺はなりかけてしまう。
「ちょ、ちょっと待て。何で俺なんだよ?」
そう抵抗するも。
「えー、だって司会が上手そうだし」
「ハプニング大賞だし」
「俺達面倒くさいことやりたくないしね」
「……正直過ぎる感想をありがとう」
特に最後。
それが皆の本音だろう。
このまま俺が幹事になるかと思いきや。
「――じゃあ、俺がしようか?」
一人の見習い鬼人が名乗り出た。
「俺、よく都会に行っていたから良い場所を知っているぞ」
その鬼人曰く、自分は空を早く飛べるのでしょっちゅう都会へ繰り出していたとのこと。
なので都会のことは大抵頭に入っているらしい。
「ふーん、そうかあ」
「だったら任せようかな」
「酒が飲めると良いなあ」
おい、最後の奴。
未成年は禁止だぞ。
「それじゃあ、異論はないな?」
「構わんよ」
顔を向けて聞いてきたので俺は肩を竦めて肯定の意を示す。
俺は皆を纏めるのに向いていないし。
そんなこんなで決まりそうになったその時。
はるか後方からものすごい速さで何かが通り過ぎ、俺達の前で制止する。
「うおっ」
「やばい、聞かれたのか」
「馬鹿言え、そんなことはあり得ない……よな?」
「知らねえよ」
「どうして夢宮学園生が……」
ある見習い鬼人の呟き通り、立ちはだかったのは夢宮学園生。
制服がはためく強風の中でも微動だにしていない。
腕を組み、仁王立ちをしているだけで凄まじい威圧感を放つ彼女の前に俺達は口すら動かすことが出来ずに硬直する。
「げっ」
その沈黙の中で俺は思わず呻き声を出す。
顔が小さいせいか八頭身だと錯覚させる彼女は、一流スーツ店のモデルとして飾られてもおかしくない美形とプロポーションを持っている。
腰まで伸ばした黒光りする髪を一本に纏め、その冷徹な表情の中ただ一点、瞳だけは苛烈な炎を宿した彼女。
「神崎……紅音」
「ご明察、犬神康介君」
ニヤリと。
肉食獣を彷彿させる笑みを紅音は浮かべた。




