3話
泡沫家は江戸時代からこの弥生町を治めていた土地豪族。
歴史ある家なせいか妙な慣習に拘るキライがある。
恐らく俺が置かれている状況もそのせいだろう。
「さて、犬神康介よ。申し開きがあるなら話せい」
砂利が敷き詰められた庭に俺を正座で座らせ、泡沫家の当主――泡沫一心は代官様とばかりに部屋の中でふんぞり返っている。
一体どこの時代劇だよ?
ドブネズミは肩を大きく主張した武士の服に身を通し、その横に座るマリアも姫の衣装を着こんでいる。
何かもう、打ち首獄門とか言い出しそうだな。
……実際言われたらシャレにならないが。
「貴様は我が弥生町の誇りを傷つけ、周囲の信頼を失墜させた。何か意見があるのなら申してみい」
「……何もありませぬ」
「ほう、苦渋の表情を浮かべているのは脚に食い込む砂利が原因であろう。だがな、わしは慈悲など与えん、それは貴様に対する罰なのだからな」
あんたの芝居に付き合うのが苦痛なんだよ。
ドブネズミに内心そう突っ込む。
鬼人が砂利程度の苦行で音を上げると思うか?
夢宮学園名物、針山登山を甘く見るなよ。
「よろしい。何もなしというなら裁決を言い渡そう。弥生町に泥を塗ったお前は除名処分とする、三日以内にこの町から立ち去れ。断っておくが抒情酌量の余地などないぞ」
もう判決かよ。
時代劇なら在任が沈黙している理由を聞き、そしてやむにやまれる事情があったとして温情判決を下すのが定番だろうが。
「――お待ち下さいご当主、何も除名処分まで行わなくともよろしいではありませぬか」
と、ここでマリアがドブネズミに嘆願する。
「犬神康介は落伍したとはいえまだ十七、未来ある若者の道を閉ざすのは賢明なる当主のすることではありませぬ」
「むう……」
マリアの言葉に一理あるのかドブネズミは考え込む。
「ご当主、無理を承知でお願い申しあげます。犬神康介を私に下さらんか?」
「こいつをか?」
「はい、こいつです。犬神康介を私に下さい」
こいつ呼ばわりとするな、とか無粋な突っ込みはしない。
それぐらいの節度は弁えている。
「……一つ試そう」
ドブネズミが尤もらしく口を開く。
全然似合わないと思ったのは全員の共通する思いだろう。
「星影原理……おるか?」
「――ここに」
空間から現われ出たと錯覚するほど静かに泡沫家の専属鬼人が出現する。
もう初夏ということもあり、他の鬼人も含めた全員が薄手の服装の中、その男のみが全身を黒衣と手袋を装着し、仮面で顔を隠すという徹底さ。
以前から微動だにしなかった佇まいといい、異次元の恐怖を俺に与える鬼人。
鬼人と呼ぶより忍という呼称が似合っていた。
「こいつと少し手合わせしてやれ」
「御意」
他の者は星影がただ頷いただけに見えただろう。
それほどまでに星影の呟きは鬼人のみ聞こえる音量だった。
「っく!」
ゆえに鬼人である俺は反応が遅れてしまう。
音に集中する余り、視界が御留守になってしまい気が付けば拳が眼前一杯に迫って来ていた。
「ほう、そこから避けるか」
咄嗟に拳を回避した俺は後ろへ飛んで距離を取る。
「生憎と若いんでね」
総合力はともかく反射神経には自信がある。
「これぐらい避けなければ夢宮学園生の名が廃るさ」
「良い言葉だ」
俺の空威勢に星影はクツクツと喉を鳴らす。
「では、もっと早くいくぞ」
「げっ」
虚勢など張るんじゃなかった。
そう後悔する間もなく更なる攻撃が俺を襲う。
あっという間に距離を詰められる。
星影の右足の砂利が僅かにヘコむ。
急いで右腕を掲げ、次の瞬間に衝撃が走る。
息つく間もない。
上半身が反る。
体を左にずらして突きを避ける。
避けた所にまた蹴り。
拳。
突。
蹴。
「何も、出来ない」
何とか反撃の糸口を掴みたいが、現実にはそれをさせてくれない。
一撃一撃が重い上に速い。
あっという間に腕の感覚が無くなった。
「不味いな」
己の不利を悟った俺は後ろへ大きく跳躍する。
追撃を喰らうかと懸念したものの、それは杞憂に終わってくれる。
星影は俺の後を追わず、観察するように俺を注視していた。
「なんじゃあいつは、カメみたいに」
余裕が生まれたせいか、ドブネズミの批判が聞こえる。
「マリア、お前の目も曇っておるのお、あんな奴に入れ込むなぞ」
「……」
ドブネズミの言葉にマリアはどう返して良いのか分からず俯いて黙り込んだ。
「あのドブネズミめ」
マリアが困っている様子を見た俺は知らず悪態を付く。
断っておくが、俺とマリアとの繋がりなどほとんどない。
昨日の件を含めても片手で数えるほどしか会っていない希薄な関係。
マリアにとっては俺など都合の良い駒でしかないのだろう。
今回の件も俺に利を見いだしたから肩入れした程度。
俺が鬼人でなければ見向きもしないだろう。
しかし、本心はどうあれ俺をこの町に留まれるチャンスをくれた。
その期待ぐらいは応えておくか。
そう結論づけた俺は拳を握って星影の元へ跳ぶ。
「猛牛の様だな」
星影はカウンターを狙うが俺はそれをさせない。
御留守になっていた足を狙って蹴り上げる。
「っ」
ここで初めて星影は狼狽の色を見せた。
その隙を見逃さず、俺は右手を鞭のようにしならせる。
「当たると思うか」
その大仰な動作は当然ながら避けられる、が。
「ああ、当たるよ!」
「っ!?」
星影が驚くのも無理はない。
タップリと距離を取って避けたはずなのに、俺の手の先から気弾が飛び出した。
予備動作なしの攻撃は予想外だったのだろう。
星影の脇腹に直撃し、奴は庭の端まで吹っ飛んだ。
これが俺の切り札。
名付けて虚無からの刺客。
エネルギー弾を飛ばすといった遠距離攻撃を行う際、気配が一時的に膨れ上がったりと必ず予兆がある。
攻撃が読まれやすいため一対一では忌避されがちな遠距離攻撃なのだが、俺はその前動作を限りなく短く出来る。
前動作が短いというアドバンテージを持つがゆえに俺はあの夢宮学園で一年間過ごすことが出来た。
「見事だな」
「ダメージはなしかい」
が、やはり欠点はあり、速い分ダメージは低い。
渾身の威力を込めたはずなのに、一歩でこちらにやってきた星影はほとんどダメージを受けた様子はなかった。
「父上、如何でしょうか」
ここまで動向を見守ってきたマリアがドブネズミにお伺いを立てる。
「あの星影から一本を取ったことは称賛に値します。彼は磨かれぬ原石、鍛えれば必ず光り輝きましょう」
「ふーむ」
ドブネズミは再度沈黙する。
五分ほど熟考の後、出た答え。
「星影原理」
「はっ」
「星影、この青二才を鍛えてやってくれぬか」
ドブネズミはマリアの言葉に一理あると考えたようだ。
マリアの面目を守れて安心する俺。
「承知しました。しかし、ご当主、一つ提案があります」
「何じゃ? 言うてみい」
ドブネズミに急かされた星影から出た言葉が。
「一発は一発です」
「え?」
呆けるのもつかの間。
いつの間にか星影は俺の懐に潜り込み、神速ともいえる突きを俺の鳩尾へたたき込んだ。
あまりの痛さに俺は跪き、そのまま意識を失う。
「康介君!」
最期にマリアの悲痛な叫びが聞こえたような気がするが、多分気のせいだろうな。
あいつに人のことを気遣う心なんてないし。
表面張力という事象がある。
それは液体で満たされた器に固体を入れると、その表面が僅かに浮き出ること。
その原理は知っていた。
だが、それを応用した修行を実践する日が来るなんて思いもしなかった。
「犬神よ、そのまま動くな」
星影師匠はそう俺に命令する。
表面張力によって浮き出た器が三つ――右手、左手そして頭部に乗せられた俺。
平常心を保つための修行。
滅茶苦茶きつい。
しかもつい先程まで俺の両手両足に重りを付け、星影師匠と組み手をしていたこともあり、俺の体は悲鳴を上げている。
始めたばかりなのにもう腕は痙攣しかけ、体中の細胞が空気を欲していた。
「っ」
僅かに呼吸が乱れる。
それだけの動作で液体はフルフルと揺れて器からこぼれそうになる。
……不味い。
時間にしてまだ一分も経っていないのにもう限界が来た。
腕が本気で攣りそうだ。
「己と対話しろ」
俺の内心の焦りを読み取ったのか星影師匠がそう口を開く。
「心臓の鼓動、血液の流れ、気の循環――今、自分がどのような状態なのか確かめてみろ」
星影師匠の言葉を聞いた俺は目を瞑る。
体が何を訴えているのか。
気は昂っているのか。
良いも悪いも、弱音も強気も両方の声に耳を傾けてみる。
すると周囲の雑音が消える。
疲れも何も感じなくなる。
今、自分が何をしているのか。
それすらもどうでも良くなり、そして。
「五分か」
「え?」
いつの間にか俺は地面へ倒れ伏していた。
当然ながら三つの器は全て地へ投げ出されている。
「……」
あれほど集中したのにたった五分しか持たなかった。
その事実に自己嫌悪していると。
「お前が膝を付くまで液体は微動だにしなかった。あのような終わり方は体が限界を超えたがゆえに起こった事象だ。誇れるこそすれ恥じる必要はどこにもない」
星影師匠は淡々と感情を交えず言葉を紡ぐ。
どうやらフォローしているらしい。
声に抑揚がないので全然分からなかった。
「そろそろ昼時だな」
太陽の位置を確認した星影師匠は午前の修行をここで切り上げる。
「犬神はしばらく腕をよく揉んでおけ。でないと箸すら握れんぞ」
星影師匠の言葉に俺は現在の状況に気付く。
確かに俺の体――特に腕が面白い状態になっている。
重りを付けた状態でのランニング、反復横とび、そして組み手といったメニューをこなして息も絶え絶えになっている状態での制止。
どれだけ力を込めても腕は全く動こうとしなかった。
「……どうやって揉めと?」
両腕は壊滅状態。
腕を上げることはおろか、指先すら動かない。
立ち上がろうとしたが、全身の疲労はそれすら拒む。
膝に体重をかけた途端ガクリと力が抜け、頭から地面へ突っ込んでしまった。
「あららー、途方に暮れていますねー」
と、ここで俺の顔が影にかかる。
「うん?」
俺は首だけを動かしてそちらを見る。
まず目に入ったのがローファーに白いニーソックス。
視線を上げていくとふともも、青いスカートといった順番に見えてくる。
「わっ、覗かないで下さいよー」
そしてスカートの中の白いレースが覗きかけた瞬間、強烈な衝撃が頭を揺さぶった。
「あ、すいません。つい反射的に」
「……そうか」
どうやら立っている人物が俺の頭を蹴ったらしい。
鬼人で良かったと俺は心から安堵した。
気を取り直して俺は視線を上に上げる。
「ボロボロですねー」
前かがみになってスカートの端を抑え、空いた手で髪をかき上げている少女。
大きな目が特徴の小柄な少女、というのが第一印象。
栗色の髪をショートカットに纏め、あどけない顔をしている様子から年齢は多分俺より下。
どこかの学校の制服らしく、白いセーラー服に青いスカートと一般的な女子高生のようであった。
「こんにちは、ヘンタイさん」
「不可抗力だ、断固抗議する」
恥じらいや嫌悪の色はなく、ニパッと笑いながらそう軽口を叩く少女。
その響きに不穏なものが混じっていなかったがゆえに俺も普段通りの態度で文句を口にした。
俺は地面にうつぶせになり、少女は立っている。
このままでは対等な話が出来ないとして立ち上がろうと体中に力を込めると。
「大丈夫大丈夫、動かないで下さいー」
張りのある声でそう制止する。
「私が運びますからー」
「え?」
俺が驚くのもつかの間、次の瞬間には体が持ち上がり、少女の背に負ぶさっていた。
少女の髪から漂うレモンの香りが俺の鼻孔を擽り、俺の心拍数を激しく上昇させたことを追記しておこう。
「鼻息がくすぐったいです、やはりヘンタイさんですねー」
「……ずいぶん俺を軽々と運ぶんだな」
図星をさされた俺は話題の転換を図るため別の話を口にする。
「もしかして君も鬼人なのか?」
その少女の体は小柄で華奢。
なのに一般平均ほどある俺を鼻息混じりで担ぐ少女は鬼人の可能性が高い。
「その通りです、犬神康介さん」
案の定少女は認め、そして。
「私は星影夢月、星影原理の娘です」
「はあ!?」
予想斜め上の、驚天動地の事実を口にした。
結婚を認めてもらうために訪れた婿の心境と表現するべきだろうか。
星影師匠とその娘と共にいる俺は胃がキリキリ痛い。
「……」
「(ニコニコ)」
星影師匠は並べられた食事に手を付けずに沈黙を貫いているし、夢月は食事そっちのけで俺を見ている。
今すぐ逃げ出したい。
特にあの出来事を夢月に暴露されたら俺は師匠に殺されるかもしれない。
全然気が休まらなかった。
「顔は合格ですね」
「ぶっ」
夢月のおもむろな台詞に俺は思わず噴き出す。
「性格に少し難ありですが、わざわざ家に戻った甲斐はあったようです」
俺をまじまじと見つめての論評。
頼むから止めて欲しい。
特に前者。
性格云々について掘り下げられたら俺は生きる可能性が限りなく低くなってしまう。
「あのー、師匠?」
場の空気に耐え切れなかった俺は恐る恐る口を開く。
「娘さんはどの高校に通っているのでしょうか?」
俺としては軽い気持ちで聞いた。
しかし、現実というのは俺の予想を軽々と飛び越える。
「通っとらん」
星影師匠は不機嫌な眼つきで夢月を睨みながら。
「こいつは進学せんかった。だからあちこちで遊び呆けておるわ」
「え? でも娘さんは制服を着ていますよね?」
その問いかけに応えたのは渦中の夢月。
彼女は笑いながら。
「ああ、これはコスプレですよ」
「は?」
「だからコスプレ。この制服がある高校なんて実在しません」
ヒラヒラとセーラー服を仰ぎながら述べる夢月。
なるほど。
道理で装飾が派手かと思った。
夢月の着ている制服は現実よりも漫画かアニメの方が合っていたからな。
「私、制服マニアなんです」
夢月は嬉しそうに語る。
「夢宮学園の制服も持っていますよ、もちろん改造バージョンも」
「……そうか」
夢月の言葉に複雑な心境になる俺。
退学を宣告された時のことを思い出すため、夢宮学園に関わる事柄はまだ避けたかった。
「学校にも通わん、鬼人として訓練も受けん。この親不孝者が」
「アハハハハ、良いですよー。私も産んでくれなんて頼んでいませんしー」
売り言葉に買い言葉。
父と娘の間に不穏な気配が立ち込める。
「それじゃー、私はまた遊んできますねー」
夢月は立ち上がる。
置かれた食事にはほとんど手を付けていない。
「晴美さんー? 後始末をよろしくー」
そう言い残して夢月は空に浮き、そのまま屋敷を出て行った。
少し後に世話役と思わしき割烹着の女性が現れる。
「戸井、よい」
食事を下げようとしたがそれを星影師匠が止める。
「残りは全てこの犬神が食べる」
「え?」
突然振られて驚く俺。
午前中の修行によって食欲が著しく減退している現在。
二人前など不可能である。
「あの、自分はお腹が一杯で――」
「食べられるよな?」
「……ご飯は下げて下さい」
白米さえなければ何とか胃に収まるだろう。
俺はそう自分を信じて目の前の分を急いで食べ、夢月の食事に取りかかった。
自宅。
「うう……」
ソファに倒れ込んだ俺はそのまま動かなくなる。
「星影師匠、容赦無さ過ぎだろう」
午前中は肉体を限界まで酷使させ、午後は精神を極限まで虐め抜く。
ちょっとでも気を抜くと厳しい叱責。
練習量だけで言えば夢宮学園にいた頃より上なのではと思う。
「ボロボロ」
俺を気遣うようにかけられる声。
「翡翠か」
やれやれと云わんばかりに首を振り、腰に手をあてた翡翠が俺を見下ろすように立っていた。
「お風呂、沸かしたわ」
「いつも済まんな」
俺は疲弊し切った体に喝を入れて起き上がる。
「それじゃあ、私はご飯の準備をするから」
翡翠はそう言い残して台所へと消えて行った。
翡翠は俺の身の回りの世話をしてくれる。
誤解のないよう言っておくが、俺も翡翠も希望したのではない。
あのマリアが翡翠の一家の陽炎家に俺の世話をするよう命じたからである。
「見習いとはいえ鬼人は鬼人。世話役は必要でしょ?」
とはマリアの言葉。
世話役云々に関しては俺も密かに憧れていたため異論はないものの、まさか幼馴染である翡翠がやるとは予想外だった。
幼馴染である翡翠は例えて言うなら母親の様な存在。
良くも悪くもお互いを知り過ぎているため逆に困っている。
「……どうせなら従順な世話役をよこせば良いものを」
出来れば星影師匠の世話役の様な甲斐甲斐しい戸井さんが理想。
翡翠だとやることなすこと全て決められるので息が詰まる。
マリアの人選に俺は愚痴を呟くと。
「何か言った?」
「いえ、何も」
翡翠がきつい目で俺を睨んできた。
とにかく風呂に入って汗を流そう。
俺はそう自分に納得させ、すごすごと浴場へと向かった。
「はーい、こんばんはー♪」
「夢月……相変わらず神出鬼没だな」
風呂から上がった俺を待ち受けていたのは食卓に座る翡翠と、俺に向かって手を振る夢月の存在だった。
「康介、夢月ちゃんが待っているから早く席に着いて」
翡翠はそう俺を急かす。
翡翠と夢月は仲が良い。
夢月は天然の誑し性質らしく、あっという間に翡翠の警戒心を無くし内に入り込んだ。
今では唯一無二の親友となっている。
「うーん、さすが翡翠さん。美味しいです」
「そう、それは良かった」
一見すると仲睦まじい姉妹だった。
「夢月は自分の家で飯を食えよ」
だが、俺はあえてきつく言い含める。
決して翡翠との仲を嫉妬したわけではない。
ただ、師匠の娘が自宅で飯を食わず、他人の家でお世話になっているのは不味いと判断しただけだ。
「えー? 私翡翠さんのご飯を食べたいんだけどなー?」
「俺が戸井さんに怒られるんだが」
師匠の世話役である戸井さんは夢月のことを我が子の様に心配している。
表には出さないものの、昼食が微妙に不味くなるので俺としては地味に痛い。
「あんな奴どうでも良いじゃないですかー。好きなだけ吠えさせましょうよー」
「おいおい……」
夢月の口から出た辛辣な言葉に俺は眉間を揉む。
薄々感じていたが星影家には相当込み入った事情があるらしい。
それが何なのか気になるものの、中途半端に首を突っ込むと大火傷必死なので黙っておこう。
「ご飯ぐらい別に良いと思う」
ここで翡翠が夢月の味方をする。
「夢月ちゃんもちゃんと家に連絡しているんだし」
「さすが翡翠さんですー」
俺が発言する間もなく夢月が乗っかる。
「ついでに泊めて欲しいんで――」
「それは駄目よ、夢月ちゃん」
ニコニコと。
翡翠は素晴らしい笑顔で釘を刺す。
実は翡翠。
貞操観念が強いらしく、最後の一線は守る。
「ぶー、お固いですねー」
夢月は翡翠の頑固さを知っているので渋々ながら手を引く。
「けれどー、私諦めませんよー」
が、夢月はどうしても自宅から離れたいようだ。
正直止めて欲しい。
戸井さんと翡翠との板挟みになっている俺は頭を悩ませる。
何か妙案はないだろうか。
そんなことを考えていると。
「いるかしら、康介君」
測ったかのようなタイミングでマリアが玄関のチャイムを鳴らした。
「……あいつはエスパーか?」
呆れた心境で俺は席を立って玄関に向かう。
何故こんな夜遅くに、とかいう質問をしても無意味。
ゆえに俺は何の警戒心もなくドアを開ける。
「御機嫌よう、康介君」
以前会った時とほとんど変わりない。
いや、髪が少し伸びたか。
いずれにせよ面影や性格に大層な変化はなかった。
「マリア、相談があるんだが」
こういうのは同性であるマリアに任せれば良いだろう。
少なくとも俺だと手に余る。
「ん~、それは後で良いかしら?」
「は?」
俺が間抜けな声を出すのも束の間。
「はーい、荷物を運んでねー」
「って!? ちょっと待て!」
屈強な人間がマリアの後ろからゾロゾロと。
しかも全員が何かしら大きな荷物を背負っている。
「一体何なのよ!」
突然響いた足音に翡翠も驚いたのだろう。
目を丸くして食堂から顔を出す。
「私、しばらくここでお世話になるわ」
「「はあ!?」」
マリア曰く、度重なるお見合いの話にキレたらしい。
で、訪れた相手に対して無茶苦茶をしたところ、運悪くドブネズミのお得意様だった。
メンツを潰され、怒りの収まらないドブネズミはマリアに対してしばらく家の敷居を踏むなと宣告したらしい。
「まさかあんなに怒るとはねえ、予想外だったわ」
当のマリアは至って涼しい顔。
レストランで頼んだ新メニューが不味かった程度しか感じていない。
この図太い神経に俺はため息を吐くしかなかった。
「で、康介君。相談って何?」
「いや、もう良い」
俺は首を振る。
家出したマリアに夢月の家庭内事情を相談するのはおかしいだろう。
結局は自分の力で解決かと頭が痛くなった矢先。
「実は私ー、ここに住みたいんですよー」
予想通りと言うべきか夢月が暴露しやがった。
「まあ、それはそれは」
案の定、マリアは頬に両手を添えて喜ぶ。
「構わないわよ夢月ちゃん。ずっとこの家にいなさい」
「はい! ありがとうございます!」
手を取り合って喜ぶマリアと夢月だが、この家は俺のものだということを失念していないか?
「康介君、雇い主がお願いしているんだからもちろん大丈夫よね?」
……何を言っても無駄だったな。
「ちょっと待って!」
ここで翡翠が仁王立ちで吠える。
「夢月ちゃんは百歩譲って認めるわ。けど、泡沫マリア! あんたは駄目!」
翡翠はマリアのことを嫌悪している。
翡翠は普段から上の者に対して反感を抱いているのに加え、俺を無理に派閥に加え、あまつさえ翡翠自身の勝手な処遇。
翡翠の中ではマリアの好感度は最低だった。
「あらあら、酷いわぁ」
が、翡翠はそうだからといってマリアが翡翠を嫌っているわけではない。
「翡翠は住む家が無くて路頭に迷っている者に対して容赦無く追い出す血も涙もない人間なのよね」
シクシクとマリアは袖で目を隠す。
かけても良い。
絶対マリアは裏で笑っている。
「え? いや、そこまでとは言っていないけど……」
翡翠は心まで悪人になり切れない。
相手がちょっと弱みを見せると途端におろおろし出す。
「じゃあ、良いわね」
「何その二択? おかしい!?」
翡翠は激昂するがマリアはお構いなし、鼻歌を歌いながら翡翠に近づきそして。
「(援助金、減らすわよ)」
「~」
町の実力者の娘だという肩書でしか出来ない技を容赦無く繰り出すマリア。
翡翠は怒りで顔を真っ赤にするが、実際やられると陽炎家が貧困の極みに陥るので反抗できない。
「何で反対しないの!」
「殴っても良いが後が面倒から服は藪くなよ」
その怒りの代償は俺へぶつけることで解消させた。
まあ、俺は鬼人だしね。
一般人の翡翠の攻撃など全然痛くない。
しばらく俺を当たっていた翡翠は疲れたのかその手を止める。
「決めた」
肩で息をしていた翡翠はその瞳に決意の炎を秘めて。
「私もここに住む!」
「……そうか」
ある意味予想通り。
肉体的にも精神的に疲れ果てた俺は考えることを止めて自室へ避難する。
「じゃあ私はあの部屋で」
「マリアさんがそこならー、私はここですー」
「泡沫さん! 夢月ちゃん! 勝手に決めないの!」
部屋割りについては各自で決めてくれ。




