2話
「ふう……」
この辺りで一番大きい道に着陸した俺は息を吐く。
「荷物があるせいか少し疲れたな」
右手には畳一枚分の大きさを誇るキャリアバッグ。
鋼鉄製のため重さも軽く五十kgを超えているだろう。
それを片手に数百キロ近い距離を飛んできたんだ。
休みを挟んだものの、息が上がってしまった。
「帰ってきたんだな」
俺は周りを見渡しながら呟く。
土で舗装された道路。
木造建築の家々。
そして遠くにある田んぼと畑の群。
間違えるはずもない。
俺が産まれ、育ってきた故郷そのものだった。
「あの……」
感慨に浸っていた俺を現実に引き戻すのは控えめな声音声。
「ああ、翡翠か」
俺は振り向きざま苦笑する。
勝気な瞳にショートカットの髪。
Tシャツにズボンと動きやすい服装に身を固めているのは陽炎翡翠。
チワワを連想させる無害な雰囲気を漂わせている
「大分待ちました」
……俺は時間通り来たはずだが?
そう口答えしようと思ったが止めておく。
翡翠は人見知りな性格をしており、知らない人間には下手に出るものが馴染みの者には強く出る。
特に俺に関してだと絶対に非を認めず、確たる証拠があっても黒だと言い切っていた。
その経験を知っている俺は肩を竦め「悪い、お土産を買うのに手間取っていた」と、謝りながらキャリアバッグを持ち上げた。
「次からは気を付けてね」
俺の言葉に翡翠は納得したようだ。
満足そうな笑みが広がった。
「「……」」
ジャリジャリと。
俺も翡翠も話す方ではないので、しばらく砂利を踏みしめる足音がだけが響く。
昔はこの大通りだけでなく全ての路地にコンクリートが敷かれてあったそうだが、今は見る影もない。
資源の減少による維持費の暴騰によって修復できず、放置されたから。
この大通りにはもう存在しないが、小さな路地だとあちらこちらにコンクリートの破片が散見出来た。
「……聞かないんだな」
しばらくその間が続いた俺はそう切り出す。
「俺が夢宮学園を退学したこと。理由を聞かないんだな」
俺は夢宮学園を退学した。
鬼人養成機関――夢宮学園。
その学園には鬼人の中でもある素質を持った者だけが入学し、その力の使い方を学ぶ場所である。
そして、俺はその学園を退学した。
理由は簡単。
ついていけなくなったからだ。
夢宮学園の方針に俺の身心は極度に疲弊してしまい、故郷へ帰らざるを得なくなった。
「康介は言いたくないの?」
「……悪い」
翡翠の言葉に俺は俯く。
夢宮学園退学。
しかも誰もが羨むエリート校からの脱落ゆえに俺の中でまだ整理が付いていない。
「私としては真っ先に問い詰める予定だったけど」
翡翠は前を向いたまま続ける。
「今の康介を見ると、そんな気が失せちゃいました」
「そっか」
俺は空を見上げる。
俺が実家の前まで飛ばず、大通りに着陸したのは翡翠の命令によるものだった。
翡翠曰く、まず私に顔を見せて、とのこと。
どうやら翡翠は俺に励ます予定だったらしい。
しかし、今の俺の状態からそれは適切でないと判断し、共に寄り添うことにチェンジした。
「翡翠、ありがとな」
「幼馴染だから当然」
俺の感謝の言葉を翡翠はどう受け取ったのだろう。
今の俺の位置からだと翡翠の表情は分からなかった。
「あー、お兄ちゃんだ」
大通りを歩いているとかけられる子供達の声。
五、六人ほどの子供が俺と翡翠の周りに集まる。
「わー、でっかい鞄、僕も持ち上げられるかなあ」
どうやら子供達は俺が抱えている鞄に興味があるようだ。
まあ、この町にいれば畳一畳ほどの大きさがあるバッグなんてお目にかかれないからな。
子供達の興奮も当然と言えば当然か。
「こらこら、康介を困らせたら駄目」
ペタペタとバッグを触っていた子供達に翡翠は忠告する。
「はあーい」
自然豊かな場所で育ったせいかここの子供達は年長者の言うことを素直に聞く。
夢宮学園がある都会とはずいぶん違うなと思う。
「ねえねえ、僕もいつかお兄ちゃんの様に力持ちになれるかなあ?」
最初に声を上げた男の子がそう聞いてくる。
「僕も“鬼人”の遺伝子が定着していれば空を飛べるのかなあ?」
「……」
男の子の純粋な視線に俺はどう答えて迷う。
鬼人になるには胎児期にある遺伝子を注入することである。
ただ、必ずしも成功するわけじゃない。
母体も胎児も危険に晒すだけでなく、遺伝子が定着したか否かが判別できる時期は第二次性徴期前後なのである。
「止めと――」
「そうね、もし健に鬼人の適正があれば康介のように一人で都会に行けるわよ」
俺の言葉を遮るようにして翡翠が言葉を紡ぐ。
「ホント? 一人でどこでも行けるの?」
健と呼ばれた男の子は目を輝かせる。
この弥生町は森に囲まれているせいか交通手段が酷く限られている。
エネルギー文明を支えていた車や電車が希少となった今、別の町や都市へ行くには空を飛べる鬼人の存在が最も効率が良かった。
「わー、楽しみだなあ」
男の子のはしゃぎように翡翠は目を細めてから。
「別の町に行きたいの?」
「うん!」
翡翠の問いかけに男の子は良い返事をしたので翡翠は頷きながら。
「じゃあ今度お父さんとお母さんに頼んで都会に連れて行ってもらえるよう頼んでみたらどうかしら?」
「えー? 無理だよ。だって二人とも『そんなお金無い』って言うもん」
鬼人を利用するとその分金がかかる。
大人なら払えるだろうが、子供だと厳しい金額だった。
「大丈夫よ、だって今日から康介がいるのだから」
と、ここで翡翠は俺の肩を叩く。
「康介だったら多少融通してもらえる、ね?」
「あ~、まあな」
断ったら後々面倒なことになる。
そう判断した俺は翡翠の言葉に乗っかった。
「康介が良いって言ったのだから、今日帰ったらお父さんお母さんに聞いてあげなさい」
「「「「はあーい」」」」
と、翡翠はそう話を締めくくった。
「……両親か」
子供達が去っていく様子を眺めながら俺はポツリと漏らす。
「両親って何なのだろうな」
実は俺。
両親の顔を知らない。
物心がついた時、俺は母の両親に育てられていた。
母は鬼人の遺伝子を注入した影響で俺が生まれると同時に亡くなったと聞いている。
父は元から誰なのか分からない。
祖父曰く、母は何処からか子種を拾ってきたそうだが、福祉環境が整っていないため祖父家族はとてもじゃないが子供を育てる経済的力が無い。
だが、公的機関から鬼人の遺伝子を注入した子供を育てる場合、補助金が出るとのこと。
だから母を危険を承知で鬼人の遺伝子を注入し、それで得た補助金で俺を育てたと祖父は言っていた。
「……康介」
「ああ、すまん翡翠。気にするな」
翡翠が何とも言えない神妙な顔をしていたことに気付いた俺は慌てて手を振る。
「呟いてみただけだ、深い意味はないから心配しなくて良い」
これは本心から言っている。
この重大な事実は祖父が死の床についた際に伝えてきた。
その時すでに祖母は逝っていたため事実上遺言である。
親戚も存在せず、己も臨終間近のせいか包み隠さず話してくれた。
俺は怒りや憎しみ、その他全てを含めた感情を全てぶつけたため、何も思う所はなかった。
「まあ、康介は気にしていないのなら良いけど」
翡翠は納得してくれたようだ。
声のトーンを少し抑えて締めた。
「まあ、何となく分かっていたけどな」
久しぶりに実家の姿を見た俺はそう漏らす。
「一年も空けてたらこうなるか」
木造式二階建ての住宅。
そして瓦の屋根という一般的な造りの我が家だが、しばらく空けていたこともあり、庭中を雑草が繁茂し、蔦が壁に巻き付いていた。
「中はマシだと良いなあ」
外はともかく中は閉め切っていたため多少はマシだろう……と、考えていた時期がありました。
「キャー! ゴキブリ!」
玄関を開けた途端飛び出してきた黒い塊に翡翠は悲鳴を上げる。
翡翠よ、ゴキブリだけではないぞ、ネズミもいるんだぞ。
まさかたった一年でここまで汚れるとは。
自然の浸食力に俺は感嘆を禁じえなかった。
「凄まじいな」
玄関から続く廊下には至る所にネズミのふん、そして天井にはクモの巣。
これで暗ければ立派なお化け屋敷の完成である。
鬼人は抵抗力が高いので住もうと思えば住めるが、それをやると翡翠は俺を一生軽蔑する。
数少ない同期を失いたくなかった俺は「まずは掃除だな」と呟き、バッグから掃除用具を取り出した。
「翡翠、お前は手伝うのか?」
ステッキに使い捨て雑巾を嵌めながら俺は問う。
「手伝ってくれると後でお茶とお菓子を御馳走するんだけどな」
「……康介、それはギャグで言ってんの?」
翡翠は呆れたように溜息を吐きながら。
「私がここまで同行した時点で察して」
「いや、もちろん分かっていたよ」
俺は苦笑しながら。
「俺としてはもっと上手い返しを期待してたんだけどな」
俺の目を見開かせるような機転の利いた言葉を待っていた俺。
「そういうことは腹黒のマリア(マリア)に頼んで」
持ってきたスリッパを履きながら翡翠は続けて。
「あいつなら康介の満足するような答えを出してくれるわよ」
「いや、マリアは遠慮しておく。あいつの冗談は冗談で済ましてくれんし、何より」
俺は肩を竦める。
「泡沫マリア(うたかたまりあ)はこの弥生町の地主の娘だぞ? お嬢様に掃除をさせたら俺はこの町におれんわ」
「アハハ、そうかも」
俺の言葉に翡翠は愉快そうに笑った。
「ふう……」
俺は干したばかりの布団に体を預ける。
まだ消毒が完全でなかったのか少しカビ臭いものの、鬼人である俺には関係ない。
この程度で病気になるほど弱くない。
「翡翠には感謝だな」
俺はテーブルが置いてある部屋の方に視線を向けてそう呟く。
陽炎翡翠。
彼女は家の掃除を手伝ってくれたばかりか夕食までも作ってくれた。
さすが八人家族の長女だけある。
家事炊事はお手の物であった。
「さてと、電気でもつけるか」
俺はそう呟くと体を起こし、スイッチに手を掛ける。
電源は太陽光。
今日一日晴れだったからずっと点けていても大丈夫だな。
ソーラーパネルによる自家発電は珍しいものでも何でもなく、一般家庭ならどこにでもある。
以前、化石エネルギーの減少によって火力発電がおぼつかなくなった際に注目されたのが太陽や風といった自然エネルギー。
学園や工場といった大規模施設の電力を賄うには心もとないが、家一軒ぐらいの電力なら十分補えていた。
冷えかけの料理を電子レンジに入れてご飯をよそおうとしたその時、図ったようにスマフォが震える。
「……一体何だよ」
すっかり食事モードに入っていた俺は愚痴りながらスマフォを手に取る。
どんな聖人であろうと食事を中断されたら邪険になるだろうと勝手な思い込み持ちながらそれを除いた俺だが、表示された番号を確認して度肝を抜かれた。
“泡沫マリア”
スマフォにはハッキリとそう示されてあった。
「あら、さすが早いわね」
「人を呼んでおいて驚かないでほしいですね、お嬢様」
「あら、康介君そんな堅苦しい呼称なんて結構よ。それに陽炎家の娘と話すぐらいのフランクさで接して頂戴」
「期待に応えられそうにありませんが」
「当主の娘としてでの命令です」
「……分かった」
俺を呼び出した人物――泡沫マリアの部屋で俺は眉間を抑えた。
泡沫マリアは弥生町の誰もが認めるお嬢様である。
腰まで伸ばしたストレートロングヘアーに染み一つない白磁の肌。
楚々とした佇まいも含め、人というより人形と表現した方がしっくりくる。
「ウフフ、怒らない怒らない」
お嬢様らしく、一流の教養を身に付けているせいか何をするにでも絵になっていた。
「相変わらず本性を隠すのが上手いな」
が、見た目に騙されてはいけない。
マリアは幼い頃から専門の教育係から帝王学を学び、かつ都会で開かれる多くのパーティーに出席してきた。
腹黒さや強かさはこの町内だと敵う者はいないというのが俺や翡翠の意見である。
「で、夕飯を食べ掛けた俺を呼び付けた理由は何だ?」
マリアは苦手なため早く切り上げようと話題を急かす。
「慌てない慌てない、まだまだ時間はたっぷりあるのよ」
「……俺は一刻も早く帰って飯を食いたいのだが」
今でさえ腹がグーグー鳴っているのだぞ?
「せっかちさんね。まあ、今回は康介の意図を汲んであげましょうか」
マリアは譲歩する姿勢を見せるが、引け目を感じるつもりはない。
何故なら、向こうが有無を言わさず呼び寄せた時点で俺は大きなアドバンテージがあるはずなのだ。
「私の用件は簡単よ。康介君、貴方が夢宮学園を退学になったことでドブネズミがカンカンよ」
「うわあ……」
先程までの警戒心は何処へやら。
それ以上に衝撃を受けた事実に俺は頭を抱える。
「そうだ、ドブネズミの存在がいたのを忘れていた」
ドブネズミとはマリアの父、そして泡沫家の当主である。
泡沫家がこの弥生町を牛耳っていることから鑑みると、俺やマリアの様な悪口は禁句なのだが、俺達どころか弥生町の村人は構わず罵倒する。
何せドブネズミ。
俺にとっては褒めるべき点がどこにもない。
権力を手に入れることしか興味無く、そのためには娘であるマリアを差し出すことすら厭わない。
ヒステリックにキーキーと喚くためさっさと消えて欲しいのが俺の密かな願いである。
「このままだと康介君はロクな目に遭わないわ」
「例えば?」
「そうね、以前参加した来客に対するわび状を書けとか、他の学園へ転学しろとか、最悪この町から追い出されるわ」
「……それは嫌だな」
知らず、俺の顔が引き攣る。
何故俺がそんなことをしなければならない?
腹立たしいのは、全てがドブネズミの面子に関わること。
やってもやらなくても俺に対する影響がほとんどなかった。
「マリア。お前、クーデターを起こさないか」
軽く冗談交じりに提案してみる。
「多分誰も反対しないと思うぞ?」
片や評判最悪のドブネズミ。
片や町の宝として持て囃されているマリア。
どちらが相応しいかは明らかである。
「そうね、それも悪くないわね」
「うん?」
冗談で言ったつもりなのだが、意外とマリアが乗り気なので驚く俺。
「けど残念。今の私は武力が足りないのよ」
ここでいう武力とは鬼人の数である。
何せ鬼人を止めるのは同じ鬼人しかいないため、支配者は自己防衛のために鬼人が必須。
さらに文明崩壊の影響で中央集権型統治が不可能となった現在。
治安維持にしても侵略にしても鬼人の存在が必要不可欠だった。
「向こうは何十人、そしてこちらは康介君一人。質も量も負けているわね」
「待て、勝手に組み込むな」
サラっと言うので聞き逃しそうになるがしっかりと反論する。
「出来れば俺は一般村人として過ごしたい」
「出来ると思う?」
「何事も無ければな」
実は俺。
文章を書くのが得意だったため、俺のブログでは結構な数のユーザーが訪れていた。
広告収入で結構美味しい思いをさせてもらったのを覚えている。
出版直前までいったものの、俺に鬼人の特性が現われたため取り消しとなりブログも閉鎖した。
一年以上たっているためリピートユーザーの数が心配だが、まあ大丈夫だろう。
そして実家が農家なので農業と小説の両立を視野に入れている。
「康介君、常識的に考えなさい。腐っても鯛、退学したけどあくまで鬼人。最も成長余地がある今の時期で鍛えないでどうするの?」
「いや、俺は鬼人を極めるつもりはないのだが」
もう鬼人はこりごり。
普通の暮らしがしたい。
「だからそれが許されるのかと聞いているの」
マリアの声に苛立ちが含まれ始めている。
うーん、これ以上引っ張るとややこしいことになるな。
「このままだと俺は村八分に遭ってしまうんだな」
気分転換を図るために俺は話を戻す。
案の定、マリアの眉間から皺が消えた。
「そうそう。私としてはそれを何とかしたいわけ」
「で、その方法がマリアの庇護下に入ることということか」
「察しが良くて助かるわあ」
マリアは顔を綻ばせる。
マリアは自分の思い通りに事が運ぶことに喜びを感じるタイプなのである。
「まだ俺が村八分に遭うと決まったわけではないだろう」
マリアの庇護下に入ると宣言したが、肝心のドブネズミの用件が厳重注意だったのなら笑えない。
「康介君の不安も分かるわ」
マリアは手をポンと叩く。
「康介君を呼んだのは私の計画を前もって知ってほしかったからなのよ」
マリア曰く、明日の裁断の前で俺を自身が責任を持って引き取ると明言するとのこと。
「嫌だったら声を上げて断っても良いわよ」
「なるほどな」
マリアとしては出来る限りイレギュラーを減らしたい。
特に俺の言動はあらゆる要素の中で最も不確定なので釘を刺しにきたということか。
「マリアの言いたいことは理解した」
俺は頷く。
「この話は俺の内に留めておこう」
「そうね、何事も無ければそれに越したことはないし」
マリアはそう締め括る。
この根回しの良さ。
カエルの子はカエルと言うべきか。
「何か失礼なことを考えなかった?」
「いや、何も」
マリアが厳しい視線を向けてきたので俺は涼しい顔で首を振る。
癇癪の短さもドブネズミと似ているな。
早急に直しておかないと後々苦労するぞ。
俺はそんなことを内に秘めながらこの場を後にした。
「はあ……」
空を飛んで帰る最中、俺はため息を禁じえない。
弥生町を去るか、それともマリアのお抱え鬼人として町に残るか。
「しんどいな」
嫌過ぎる二択を齎した分不相応な力に俺は嘆いた。