第2話
目の前の女性は、どうにも浮世離れした容姿をしていた。
しなやかな手足、整った目鼻立ち、切れ長の眦、美しいプラチナブロンドの髪は、よく手入れされていることがひと目でわかる。
彼女は、こちらを見ると目を見開いて、口を開けないようだった、やがて、彼女の唇が少しずつ震え出す。
俺は、とりあえず危機を察する。
彼女は、耳を劈くような悲鳴をあげた。
大勢の足音が聞こえる。
とにかく不味いということはわかる。
「あ、その、お邪魔しました。」
とりあえず頭を下げて、扉を閉める。
こちらが扉を開けるということは、向こうからも開けるのだろう。
つまり、向こうは人の部屋に入ってきた不審者を追うために、誰かしらがこちらへ向かって来ると考えるのが妥当だ。
ドアに椅子を挟む。
家にあったガムテープで、ドアノブをグルグル巻きにする。
とにかく、出来ることを全部やって、生命の危機を回避しようと、俺は全力を尽くした。
5分くらいたったあと、ドアノブがガチャガチャと音を立てだしている。
確実に、この扉に施した対策はなんの役にも立たず、直ぐに破られるだろう。
俺はすぐに厚手の上着を脱いで、丁度よくスニーカーも履いていたし、財布だけ掴んで家を出る。
鍵をしっかりかける。
異世界だかなんだか知らないが、こちらの世界の道理に従えば、あの扉をくぐり抜けた瞬間に、向こう側の不法侵入ということになる。
ましてや、家主は不在、鍵もかかっている。
この状況なら、警察に連絡すれば何とかしてくれるだろう。
我ながら、冴えたやり方である。
映画館へ向かって、適当な映画を見た。
サブスクでいいや、と誰かが言いそうな映画ではあったが、そういうちょっとつまらないくらいの映画を、2000円払って座席に縛り付けられながら見るのが良いんじゃないかというのが、俺の持論である。
その後、適当なファストフードを食べ、公園に寄り、子供がサッカーをしているのを長め、30秒ほどで公園を出る。
8月半ばの外の世界は、成人男性がただ暇を潰すにはあまりに厳しい。
家に、帰ることにする。
もしかしたら、扉を破ったあと、異世界人は一度帰ったかもしれない。
もしかしたら、あの女性はどこかのご令嬢で、あのアパートの俺の部屋から、甲冑を着た男たちが何十人も出てきたりしたかもしれない。
想像すると、少し笑えてくる。
家に近づくにつれて、本能が警戒心を強めているのを感じる。
頭頂部のあたりが、どことなくムズムズしている、
それを一旦無視して、家まで近づいていく。
どうやら、甲冑の騎士たちは居ないようだ。
ひっそりと鍵を開けて、静かにドアを開ける。
あのフローラルな匂いは一切なく、慣れ親しんだ家の匂いがした。
もしかしたら、扉は破られてはいないのだろうか。
一応、靴は脱がずに床に上がる。
扉が見えてくる。
扉の下には、ひしゃげた椅子の破片が散らばっている。
掃除が面倒くさそうだ。
とりあえず、この部屋には誰も居ないようだった。
なにか、物を漁られた感じだってしない。
どうやら先方は礼儀が正しいようだ。
机の上に、手紙が置いてあるのを発見する。
その手紙を手に取る。
見るからに、見た事も無いような文字が書いてある。
異世界の言語と言うやつだろうか。
目を凝らすと、急に身体を気持ちの悪い感覚が襲った。
グラグラと視界が揺れる。
数秒ほどで収まったそれのあと、手紙を再び見れば文字が読めるようになっていた。
手紙にはこう書いてあった。
『我々は、対話を望みます。』
と、それだけが書いてあった。
落ち着いて考える、正直、浮かれている。
スーツに着替えてからノックをした方が良いだろうか。
入学式できたスーツがまだ残っているはずだ。
幸い、午前の色々の結果、この部屋にはエアコンがキンキンに効いている。
多少の厚着はダメージにならない。
これは単に、カッコつけだとかで済む問題でもない。
我々日本人の心情的に、つまりは襟付きの服を着ていた方が気が引き締まるのだから、なんか重要そうな場面にはTシャツでは臨まない方がいいだろう。
どうせなら、どうやら向こうはそこまで粗い人間では無いらしいし、シャワーを浴びることにする。
シャワーを浴びると、不思議と腹が減ってきた。
とにかく適当な飯を有り合わせで作って、スーツに着替える。
スーツの下襟を整えて、鏡の前で表情の練習をする。
これから、俺はとんでもない偉業を成し遂げるのかもしれないと思うと、誰か人に頼ろうという気も起きなかった。
リビングに戻り、扉の前に立つ。
3度、ノックをする。
向こうから、表現通り、とてつもなく安い表現で、とりあえず、鈴の音が鳴るような声が響く。
「どうぞ」
「失礼します。」
少し滑稽な程に、面接的なやり取りのあと、ドアノブに手をかける。
後になって考えれば、まあ時間を指定していない向こうが悪いのだが、急にノックというのはいささか礼儀としては正しくなかったように思う。
この時は浮かれていて、そんなことは露とも知らず、俺はウキウキでドアを開いた。




