1. ビジネス婚
セシル・オルコット伯爵令嬢は神妙な面持ちの父に呼び出された。
「セシル、君に結婚の申し込みが来ている。相手は地方にいる……グランヴィル伯爵家の当主なんだが」
「急なお話ですね……。ですがお父様、失礼を承知で申し上げますと、我が家の領地は一年前の水害被害で大きな借金を抱え、財政が非常に苦しい状況です。そんなオルコット家に嫁入りを申し込んで、相手方にどのようなメリットがあるのでしょうか……」
不思議そうに尋ねるセシルに、父は気まずそうに両手を組み、言葉を濁しながら答えた。
「先月、隣国の王太子殿下が来賓された際の晩餐会があっただろう。セシル、お前はそこで両陛下と殿下の通訳を務めていたな。相手方はその姿をご覧になっていたそうなのだ。なんでも、これからグランヴィル伯爵家は隣国との貿易に力を入れるらしく、ぜひその高い語学力を我が家で活かしてほしいと……。それから、我が家の借金についても打診があってな。……すべて伯爵家で肩代わりすると仰ってくださっている」
(なるほど...ビジネス婚ということね)
父の話を聞いて、セシルは深く納得した。
相手方が実家の借金を全額返済してくれる代わりに、自分は隣国貿易における通訳や翻訳官として労働を提供する――そういう契約なのだと。
本来であれば、セシルはすでに婚約者が決まっていてもおかしくない年頃だ。しかし一年前の水害以降は婚約者探しどころではなく、夜会に顔を出すことすら控えていた。幸いにも現在、セシルに決まったお相手はいない。これから本格的に相手を探したとしても、膨大な借金を抱えた伯爵家を理由に遠ざけられるのが関の山だろう。
(私にとっても、これ以上のチャンスなんて絶対に巡ってこないわ)
セシルは吹っ切れたように、晴れやかな笑みを浮かべた。
「お父様、ぜひそのお話をお受けいたしますわ! 我が家の危機を救える上に、嫁ぎ先で自分の能力を活かせるなんて、願ってもないお話です」
「セシル……すまない。オルコット家の借金返済のために、お前を身代わりのように差し出すことになってしまって……。もし向こうで辛いことがあったら、遠慮なく手紙を書くんだぞ」
申し訳なさそうに眉をひそめる父の心配をよそに、セシルは心の中で力強く拳を握りしめた。
(よし……! 借金を返してもらう分、働いて成果を出してみせるわよ……!)
こうしてセシルは、並々ならぬ決意とともにグランヴィル伯爵家へと嫁ぐのだった。
◇
グランヴィル伯爵家から迎えの馬車に乗り、王都から二時間ほどの場所にある伯爵家のお屋敷についた。
敷地に入ると、屋敷の前には手入れが行き届いた花いっぱいの庭園が広がっていた。
(うわぁ……バラがすごく綺麗に咲いているわ。お屋敷のテラスから見渡したら、きっと素敵でしょうね)
見知らぬ土地への輿入れで不安に思っていた心も、美しい庭園を目にすると少し和らぎ、ここでの生活が楽しみになってきた。
重厚な扉をくぐりお屋敷に入ると、出迎えてくれたメイドや執事の奥から、一人の青年がこちらへ向かってきた。
「長旅の方、ご苦労さま。私はアルフレッド・グランヴィル。現在ここの当主をしている、君の婚約者だ」
アルフレッドは洗練された動作で挨拶をすると、セシルの手を取り、その甲へそっと口づけを落とした。
(この方が、私の結婚相手……)
自分と同世代とは思えないほど凛とした雰囲気を纏った、整った顔立ちの男性だった。身のこなしには一切の隙がなく、若くして当主となった格厳と、気品が滲み出ていた。 セシルは緊張を悟られぬよう、ドレスの裾を少し持ち上げて優雅にお辞儀をした。
「初めまして、セシル・オルコットと申します。不束者ですが、今日からよろしくお願いします」
セシルが顔を上げると、アルフレッドは何か言いたげにわずかに眉をひそめたが、すぐに穏やかな表情へと戻った。
「今日は疲れていると思うから部屋でゆっくり休むといい。メイドに案内させよう。食事の時にまた屋敷のことや明日以降の話をしよう。僕は仕事に戻るので、ではまた」
そう言うと、アルフレッドは颯爽と執務室の方へ去っていった。
(なるほど……仕事熱心な御方なのね)
案内された自室に入ると、そこは想像以上に素晴らしい部屋だった。
天蓋付きの大きなベッドに、お茶用のテーブルセット。それとは別に広々とした勉強用のデスクと書棚があり、棚にはセシルの好みにぴったりの、花をモチーフにしたインテリアが飾られていた。
「セシル様、後ほどお茶とお菓子をお持ちいたしますね。それまでごゆっくりお寛ぎください。……あちらの部屋の隅にございます箱は、当主様からの贈り物でございます。どうぞご確認くださいませ」
メイドの言葉に従い、セシルが部屋の隅に目を向けると、そこには豪華なギフトボックスが山積みになっていた。
メイドが退出したあと、セシルは宝探しのような心地で部屋を探索した。
棚を開けると、繊細な花をモチーフにしたアクセサリーや髪飾りが整然と並べられている。さらに山積みの箱を開けてみると、上質な生地で仕立てられたドレスや帽子、手袋といった服飾品が惜しげもなく入っていた。
(……すごわ、どれも私の好みにぴったり……!)
あまりにも自分の趣味に合いすぎているラインナップに、思わず頬が緩んでしまう。
実家の借金を返済するため、手持ちのドレスやアクセサリーの大部分を手放していたセシルにとって、この贈り物は涙が出るほどありがたいものだった。
(でも、どうして私の趣味をこんなに知っているのかしら……? )
ふと不思議に思ったものの、セシルはすぐに「お父様から私の好みを事前に聞いていてくださったのね」と自己完結した。こんな細やかな気配りまでしてくれるなんて、なんて仕事の早いお方なのだろう。
(こんなに良くしていただいたのだから、今夜の食事の際にお礼を言わなくちゃ)
セシルはメイドが運んできてくれた温かいお茶で一息つくと、実家から持ってきた本をめくりながら穏やかな時間を過ごした。
◇
その日の夜、アルフレッドとの食事の席で、セシルはさっそく贈り物について切り出した。
「アルフレッド様、お部屋にありました、たくさんの贈り物、本当にありがとうございました。……その、どれも私の好みにぴったりで、とても嬉しかったです。まるで私の趣味をご存知だったかのようですが……父からお聞きになったのですか?」
問いかけられた瞬間、アルフレッドはカトラリーを動かす手を止め、わずかに沈黙した。
「……ああ、君の父上からだ。もし他にも生活で必要なものがあれば何でも言ってくれ。すぐに用意させる」
それだけ短く答えると、彼は再び食事に目を落としてしまった。
(事前に好みを調べて用意してくださるなんて……ものすごい気遣いのできるお方なのね)
仕事熱心な厳格な方と思いきや、案外細やかな優しさを持つ彼に、セシルは感心してしまった。
「――それで、明日からの君のスケジュールについてなのだが」
アルフレッドはナプキンで口元を拭うと、真剣な眼差しでセシルを見つめた。
「到着早々申し訳ないが、私の仕事の手伝いをしてほしい。君は以前、王家で通訳を務めたことがあると聞いている。当家はこれから隣国との貿易をさらに拡大する予定でね。その契約書の確認や、資料作成のサポートをお願いしたいんだ」
待ってましたとばかりに、セシルの瞳が輝く。
「畏まりました、アルフレッド様! 私の語学力でどこまでお力になれるか不安ですが、お役に立てるよう全力で頑張らせていただきますわ!」
(よし、借金の分もしっかり働くわよ!)
気合い十分に拳を握りしめるセシルの熱量に、当のアルフレッドは一瞬ポカンと呆気にとられるのだった。
全5話+SSの短期連載、毎日20時更新予定です。




