第2話 私と彼の日常
突然のことだけど、私の惚気を聞いてね。
私には生涯をかけて愛しぬくと決めた、素敵な彼氏君がいる。
今は私の隣で、すやすやと寝息を立てて眠っている。
昨日は珍しく私より先に起きていて驚いたけど、普段のさく君はとっても寝起きが悪い。
そんな彼の寝顔を眺めるのが、毎朝の楽しみ。
ちらりとデジタル時計を見やれば、時刻は六時四十九分を示している。
あと一分もすれば、さく君を起こす時間になる。
その前に、日課をこなさないと。
彼の頬に、そっと私の唇を落とす。
うん、これで今日もいい一日になりそう。
「さく君、起きて。朝だよー?」
小声でささやきながら、軽く肩を揺さぶる。
それにしても、さく君の身体はは女の子みたいに華奢で、少し心配になる。
どうやら、吸血鬼になってから身体の成長が止まってしまったらしく、いくら食べさせてもダメらしい。
「んー、ぅ……」
彼の手が、何かを探すように宙をさまよう。
少しして私の体を見つけると、軽く抱き寄せられる。
本人は無意識でやっているらしく、教えたら添い寝してくれなくなりそうで、秘密にしている。
安心したようにまた寝息を立て始めたので、さく君の頭を撫でつつ堪能する。
わざわざ七時の十分前に起こしているのは、この時間を確保するためだ。
欠片ほどに残った理性で現在時刻を確認すると、七時を三分ほど過ぎていた。
非常に名残惜しく感じながらも、今度はきちんとさく君の目を覚まさせる。
「ん~、うぅ……。ぐぐ、ぅあ……」
さく君は呻きを上げて、身を捩じらせじたばたとしながら、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
まだ完全に覚醒しきってなく、半目でこちらを見つめる姿も愛おしい。
「ぉはよ~、ゆづきさん。おこしてくれてありがと……」
「おはよう、さく君。今度はねぼすけさんだね。今日も好きだよ」
「うん、ぼくもすき……」
こんな調子で、二日ぶりの寝起きさく君を摂取していたら遅刻しそうになってしまった。
でも仕方ないことだよね、さく君がこんなに可愛いんだから。
___
二日目の教室は三つの勢力にわかれ、控えめな話声が聞こえてくる。
勇気をもって新たな関係を築く者、去年の知り合いと絡みにいく者、一人静かに過ごす者。
最も、HRギリギリで入室した結月たちはそのどれにも該当しなかったが。
始業式の翌日で、教科書の配布は今日行うため、本格的な授業は明日からになる。
一、二限の内容はオリエンテーション。
新学期は自己紹介から始まるのがテンプレである。
席順に進んでいくため、二番目に結月、その次に朔が自己紹介を行う。
「……えっと、僕は八宵朔と言います。異質な席順に疑問がある人が多いと思うので、説明しておきたいと思います」
「僕は生まれつき日光アレルギーで、肌が日の光に弱いです。なので、学校に相談して窓側から席を離してもらっています」
「この体質が原因で、迷惑をかけてしまうことがあるかもしれませんが、一年間、よろしくお願いします」
以上が私の可愛いさく君の自己紹介だ。
最後の方の困り眉がなんともチャーミングで、思わずときめいてしまった。
それにしても、さく君の声を聴いていると、胸がぽかぽかしてくる。
……毎朝の目覚ましをさく君の声にしたら、QOLが天元突破かもしれない!
さておき、彼は日光アレルギーと説明したけど、本当は吸血鬼としての体質だということは、私だけが知っている。
私にとってそれは大した問題ではないけど、余計な騒動は起こさないに越したことはない。
それに、吸血鬼のさく君をお世話するために合法的にくっ付いたりできるのは、私だけの特権だから。
なんてあれやこれやと考えていたら、いつの間にか自己紹介の時間が終わっていた。
教壇に教師の姿が見えないと思ったら、職員室に配布物を取りに行っているらしい。
帰ってくるまでは自由にしてていいとのことで、さく君と甘い蜜月を過ごす。
……そのつもりだったのに。
「えっと、綺さん。今いいかな?」
「あたしたち、綺さんとお話したいなぁー、って……」
知らない女子生徒二人に絡まれてしまった。
そういえば以前さく君に、『興味ない相手でも、クラスメイトの子くらいは冷たくあしらわないであげてほしいな』と言われていたな。
ここは私のことを大切に思ってくれているさく君に免じて、特別に受け答えしてあげよう。
「そっか、私のところに来てくれてありがとう。まずは二人の名前を教えてほしいな」
「えっと、あの、私は……」
「あ、あたしはですね……」
ちゃんと耳は傾けていたつもりだったけど、いまいち頭に入ってこなかった。
それより、今さく君はどうしているんだろう。
横目で確認すると、隣の席の男子生徒と会話していた。
……ずるい。
本当は私がさく君とお話していたはずだったのに。
男子生徒には恨みを込めて邪念を送っておいたが、さく君の可愛い横顔を拝めたから少し優しくしてあげた。
「はい、生徒諸君。一旦お喋りは中断だ。私の話を聞いてもらうぞ。」
がらがらと教室の扉を引き、先生と思わしき人物が入室する。
一瞬で空気が静まり返って、ただ靴と床が触れる音だけが響く。
いや、先生なのは服装からして確かなんだけど、疑ってしまったのは理由がある。
見た目のイメージと声が、まったく一致しなかった。
外見は背が小さく、両サイドに小さなおさげを携えた小動物系。
しかしその声は、女教官のような凛と強かな声音で、強烈なギャップを放っている。
驚きに目を丸くして固まっていると、後ろから背中をつつかれる。
「澄川先生だよ。……一応、朝から教室にいたんだけど」
小声でさく君に教えてもらう。
朝はずっとさく君のことを考えていたから、すっかり意識から外れていた。
「さて、先ほども名乗ったが念のためだ」
「私は澄川純香。キミたちの担任を務めさせてもらう。担当教科は英語だ」
「今からプリントを配布する。なに、簡単なアンケートだ。残りの時間までに提出してくれ」
そう言い澄先生がプリントの配布を始める。
前の生徒からプリントを受け取り、自分の文を確保して後ろのさく君に残りを手渡す。
そしてそのプリントのデザインに、本日二度目の驚きを奪われる。
かわいらしい丸文字に、手書きのくまさんのイラストが描かれている。
しかし、レイアウトは論文のように丁寧な構成で、内容が単に『先生に生徒のことを教えてね!』というだけなことに、なかなか気づけなかった。
何とか気を取り直すも、自己紹介は昔から苦手で、毎度手が止まってしまう。
多趣味な姉とは違い、私はあまり物事に熱量を持つタイプの人間じゃない。
ふうむ、どうしたものか。
そうこうと熟考していたらチャイムが聞こえてきたので、適当に記入して提出することになった。
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三限の教科書配布が済み、今日の日程はこれで終了。
高校からは生徒用ロッカーが用意されているため、重い荷物を背負って帰らなくてよくなった。
時刻は十一頃で、お昼ご飯には少し早いが、近くのファストフード店に来ている。
「結月さんは何にするの?」
セルフオーダーキオスクで注文を選んでいると、視界の斜め下からさく君がのぞき込んでくる。
私の無駄に高い身長も、常に彼の上目遣いが見れると考えれば、とてつもない利点だ。
「私は期間限定のご当地バーガーセットで、ポテトさんを特大サイズにするつもりだよ」
「前からずっと気になってたんだけど、結月さんは本当に食べたものが胃袋に行ってるの?」
「うーん、私、無駄な脂肪はつかないタイプだから」
「吸血鬼じゃあるまいし……」
さく君によると、吸血鬼になってから髪や爪、身長が伸びなくなったらしい。
おそらく身体の成長が吸血鬼になったタイミング止まっていて、老いなくなった可能性がある。
将来的に、私だけがよぼよぼのおばあちゃんになっちゃうの、嫌だな……。
「僕はこの期間限定スムージーにしようかな。桃味のほう」
私がちょっとおセンチメンタルになっている間に、さく君は注文を決めたらしい。
それにしても。
「さく君って小食過ぎない?もっと食べたほうが……」
「ん~、もともと一日二食で満足だったし、今は体質的にもあまり食事する気にならないんだよね」
「そっか、それなら……仕方ないね」
彼が吸血鬼になってしまったのは私に原因があるから、それ以上はもう何も言えない。
吸血鬼の彼にとって、人間の一生はあまりに短いかもしれない。
それでも私は、人生の全てを彼のために使うと、そう決めたから。
「結月さん、窓際の席に並んで座れそうだから、先に場所取りにいってくるね」
「うん、よろしく頼むよ」
一品だけのため、さく君のスムージーは直ぐに提供された。
ほどなくして私のオーダーも取りそろえられ、先に着席している彼のもとに向かう。
窓際とのことで日光が心配だったが、きちんとブラインドが下げられていて安心する。
そしてストローを軽く咥えているさく君の横顔に、少し見惚れる。
同時に、彼の唇を我が物とするストローに妬けてくる。
それは、私だけの特権なのに。
「ね、私も1口味わっていいかな?」
「うん、勿論いいよ。どう、んむぅ!?」
こちらに差し出してきたスムージーを除けて、彼を一口味わう。
間接キス程度で済ませたりなんかしない。
幸いにもブラインドのお陰で、他人にさく君の表情を見せないで済む。
火照ることはなくとも、期待と多幸感を含んだ少し蕩けた彼の顔。
私が一番好きなさく君の表情。
「美味しいよ、さく君」
「そ、れは、スムージーの、こと?」
「どうでしょう。美味しいと感じたのが本当に桃の味だけか、帰ってから試したいな?」
「…………あぅ」
遂にはこちらを見ていられなくなって、彼が視線を大きく逸らす。
……想像、しちゃったんだ?
腕を伸ばして、彼の頬を撫でる。
表面はひんやりと冷たいけれど、きっと胸の内は火傷するほど熱くなってるんだろうな。
可愛い、愛しい、愛らしい。
好き、大好き。
──愛してる。
___
食後の帰り道、私たちは一言も交わさなかった。
だって、言葉なんていらないんだ。
心の内で繋がっているから、何時だって。
私が彼を想えば、彼も私を想ってる。
彼が私を想うとき、私も彼のことを想うんだ。
未だ散りゆく桜も、空を翔る小鳥たちも、沈みゆこうとする太陽も、私たちの世界には入ってこない。
半径五十五センチの、日の当たらない場所。
私にとって、この日傘の中が世界の全てだ。
「今日はご飯とお風呂、早めに済ませちゃおっか」
宣言通り、帰宅後は簡易的な食事とシャワーだけで済ませ、二人で寝室に向かう。
心の内でこれはルールだから、さく君の為だから、なんて必要のない言い訳をする。
本当は、一刻でも早く彼に求めてほしいだけなのに。
「さく君、我慢しなくていいから、おいで?」
さく君と出会ってから、自分の知らない一面がどんどん出てくる。
私がこんなにも卑怯ではしたなくて、愛情深い女だったなんて。
でも、そんな私も好きになってほしいな。
ぎゅっと、彼の腕が私の背に回る。
理性と本能がせめぎ合って、彼の瞬きが増える。
ちろりと、私の首筋が舐められる。
そして、長く鋭く、血を吸うために成長した犬歯が、私の身体に入ってくる。
痛みはほとんどなく、彼の唾液の性質で寧ろ快感が増してくる。
一生懸命に血を吸い出す姿が、あまりにも愛おしい。
さく君にだったら、私の全てを捧げたって、いい。
体内の血が減っていき、軽い貧血感がしてくる。
するとそれを察知したのか、彼が吸血をやめる。
前に貧血で倒れた時、この世の終わりを見たかのような顔で心配されてしまったことがある。
さく君の心の平穏の為にも、今日はこれで終わりにするしかない。
ああ、早く明日になればいいのに。
朔の食事が済んだが、二人は抱擁を説くことはなかった。
乱れた衣服を整えることもなく、溢れる多幸感に身を委ねる。
そのまま横になった二人は、意識を深く、深く沈めていった。




