九話 灰色の感情
黒霧福音、彼女は僕にそう言って店を出た。
あの人言う事が正しければ亜矢さんが明日来る。
そのことに期待と嬉しさで胸がいっぱいだった。
良かった。僕はやっぱり亜矢さんが好きだ。
時が過ぎるのは早いもので気付けば亜矢さんが来る日になっていた。
「亜矢さんまだかなぁ。」
僕は仕事中にも関わらず、ぼそっと独り言を言った。
「彼女に思いふけるのは良いが、仕事サボったら怒るかんな。」
神崎さんはそんな僕の様子を見て声をかけてくれる。
「あ、はい!すみません。」
僕は神崎さんの言葉で我に返り、仕事を一生懸命に頑張った。
仕事に夢中になった僕。
亜矢さんの事を思い出すころはもう夕方の4時だった。
「まだ来ないのか?彼女。」
神崎さんは心配そうにそう言ってくれる。
「まだ来ないみたいですね。心配してくださってありがとうございます。」
「お前、顔死んでんぞ。本当に好きなんだな。その女の子の事。」
「はい!」
僕の元気な返事に神崎さんは一瞬驚いて、その後に微笑んだ。
そんな中入店のチャイムが鳴る
「いらっしゃいませ。」
僕はこれこそ亜矢さんだと期待を込め、頭を上げる。
僕の目の前に居たのは―――。
黒霧福音だった。
「亜矢お姉ちゃんは来ましたか?弓弦君。」
その人はこちらをあざ笑うかの様にそう言った。
「大変申し訳ありません。お客様に関することは口にできませんので。」
僕はキッパリそう言った。
迷惑なクレーマーの対応マニュアル道理だ。
「へぇ…。じゃあこんなことされても平気なわけ?」
その人はそう言ってその唇を僕に重ねてきた。
「んっ!!」
僕は後ろに花の棚があるせいで抵抗できず、この人の思うがままにされる。
「んっ…。んっ。」
静寂な空気の中僕達は店の隅でキスを交わしている。
嫌だ。僕には亜矢さんがいる。
初めて恋をした大好きな人。
それなのに。それなのに!
僕はこの人に好き勝手されている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
ほんとに僕は嫌なのか?
そんな中その時は訪れた。
「弓弦君…。」
聞き覚えのある声が聞こえる。
大好きで愛おしい声だ。
その人の姿を見て僕の目は見開き、そして熱い液体で潤った。
その人は亜矢さんの声を聞いて口を離す。
「ほら。弓弦君。君は私の運命の人なんだよ。」
僕はただ立ちすくむことしか出来なかった。
理由は分からない。
いや。認めたくないのだろう。
現実から目を離したいのだ。
この状況を見られたことに対しての絶望から逃げたくて。
「亜矢さん…。違うんだ。これは…。」
ダメだ。声が出ない。
「弓弦君…。ねぇ…。弓弦君…?」
亜矢さんは声を震わせて僕の名前をひたすら言った。
「ね、言ったでしょ?お姉ちゃん。弓弦君は私の運命の人なんだから。もうこれ以上近付かないで。」
福音はそう言って今にでも泣きそうな亜矢の耳元でそう囁く。
「じゃ、あとは別れ話でも楽しんで!じゃあねん。」
福音はそう言って店を出た。
「弓弦君は…。ごめん…なさい…。」
亜矢さんはそう涙を流しながらそう言った。
僕は何も声をかけれなかった。
どうやってもいい訳はできないし、何をどう言えばいいのか分からない。
二人に沈黙が続く。
いや。沈黙しているのは僕だけだ。
亜矢さんは肩を震わせながら泣いている。
あぁ。何だろう。この気持ちは。
どうしようもないモヤモヤが体の内側に広がって、尚且つ重りが体を覆い僕に重力をかけているような、そんな感じだ。
「おーい弓弦~いるか~?」
店の奥の方から神崎さんの声が聞こえる。
亜矢さんはその声を聞いて、店を出ようと外に走り出した。
「待って!!」
亜矢さんの行動を見て、僕は声を出した。
その瞬間から全部のモヤモヤから一気に解放されたようなそんな気分になった。
それはどうやら僕の涙腺の門も解放したらしく僕の目からは大粒の涙が溢れ出てきた。
亜矢さんはそんな僕を見てそっと抱きしめに来てくれた。
その温もりがあまりにも優しいから、僕はまた泣いてしまったんだ。
「お話はまた、今度ゆっくりしよ。私からも福音に色々聞くから。」
亜矢さんはそう言って僕の頭を数回撫でて店を出て行った。
残るのは虚しさと涙で顔がぐしゃぐしゃになった僕だけだ。
「お、弓弦こんなところにいたか…。って、ええ!!なに泣いてんだよ!大丈夫か!?」
神崎さんは泣いてる僕に気付いて駆け寄ってくれる。
亜矢さんが店を出たから僕の記憶は曖昧だけど、神崎さんは壊れた僕を休憩室まで運んで、毛布をかぶせてくれてコーヒーを淹れてくれた。
その神崎さんの温かさは覚えている。
「亜矢さん…。」
僕はひとりそう呟いた。
いや、自分に言い聞かせたかったのだ。
僕は亜矢さんが好きだと。
でも。
どうしても忘れられないんだ。
あの人と、唇を重ねた時間を。
この時の僕の心臓はこれまでにないくらい鼓動を刻んでいた。
その鼓動はなぜ起こるのか弓弦自身も分らなかった。
だから弓弦は自分に言い聞かせた。
僕は亜矢さんが好きだと。
「弓弦君…。お姉ちゃん、ごめんね。」
川辺で一人の少女はひたすらに泣いていた。
容姿は似れど姉とは違う金色の髪の毛をなびかせながら。