第1話:嵐の前のみかんと、手裏剣の風
秋の終わり。レギュラーシーズンが幕を閉じ、すっかり冷え込み始めた東京の夕暮れ時。
神田にある銭形家のお茶の間には、どこか穏やかで、しかしほんの少しだけ賑やかな空気が流れていた。
「……たく、豹馬のやつは。シーズンが終わったと思ったら、また恭子叔母さんのとこへ飛んで行きやがって」
居卓で湯気の立つ緑茶をすすりながら、長男の龍馬が苦笑交じりに呟く。警察官らしいキリッとした面立ちを崩し、こたつに足を突っ込んでいる。
その向かいでは、母の恵子が微笑みながら、みかんの皮を丁寧にむいていた。
「いいじゃないの。豹馬にとっちゃ、佐吉郎叔父さんの道場は第二の実家みたいなものだしね。それに……来年の三月には、あの『ドリームチャンピオンシリーズ』が控えているんだから」
「ドリームチャンピオンシリーズ、ねぇ……。まさか世界中のバケモノを集めたDWAなんてチームと、7戦4勝のガチンコ勝負をやることになるとはな」
テレビのニュース番組では、ちょうど「荒武者ジャパン」の選手選考と、DWA(夢の世界連合)のドリームチーム結成についての話題が報じられていた。
こたつの上座では、祖父の平五郎が老眼鏡を鼻に引っかけ、新聞のクロスワードパズルに夢中になっている。
「平五郎さん、あまり目を使いすぎると疲れますよ」
祖母の桜子がお茶の湯呑みをそっと差し出すと、平五郎は「ふん」と鼻を鳴らした。
「なに、野球だのなんだの言ったって、わしにはちっとも分からん。投げて打って走るだけだろ。……まあ、豹馬のやつが怪我なく帰ってくればそれでいい」
「ふふ、おじいちゃんったら。本当は昨日も豹馬の登板試合のハイライト、こっそり録画して見ていたくせに」
「む! 恵子さん、余計なことを言うな!」
照れ隠しに咳払いをする平五郎の姿に、お茶の間がドッと温かい笑いに包まれる。
殉職した父・平馬の遺影が、どこか満足そうにその家族の団らんを見守っていた。
◇
――ところ変わって、都内郊外にひっそりと佇む「猿飛忍者道場」。
ピンと張り詰めた冬の空気の中、凛とした静寂を切り裂く乾いた音が響き渡っていた。
――シュッ、ドスッ!!
「……甘い!」
甲高い声とともに、鋭い風切り音が道場内を駆け抜ける。
的に突き刺さった手裏剣のすぐ脇を掠め、もう一枚の手裏剣が寸分の狂いもなく中央を射抜いた。
「おいおい、おはな! 容赦ねえな! 俺の顔の横をかすめたぞ!」
「何言ってるのよ豹馬! この程度の風圧、ジャガーボールを投げる時の手首の捻りに比べたら大したことないでしょ!」
小柄な体躯にボーイッシュな髪を揺らし、お茶目に笑うのは従妹の猿飛英恵だ。普段の可愛らしい笑顔とは裏腹に、その身のこなしはまさに「くノ一」そのもの。今大会では荒武者ジャパンの正ショートとして、神速の守備でチームを支えることになっている。
「へっ、言ってくれるじゃねえか。俺の『ジャガーボール』と『銭形ツーシーム』をナメてもらっちゃ困るぜ!」
汗を拭いながらニッと笑う銭形豹馬。角刈りにニキビ面、昔ながらのべらんめえ口調。現代っ子でありながら昭和の熱血投手を思わせる男だ。
「豹馬、英恵。そこまでだ」
道場の一角から静かな、しかし重厚な声が響いた。英恵の父であり、道場主の猿飛佐吉郎だ。
無口で厳格な師範の言葉に、二人は即座に姿勢を正す。
「豹馬。お前の投法――サイドスローからの変化球は、腕の振りだけで投げようとすればメジャーの怪物打者たちに見破られる。手裏剣を投げる時のように、全身の軸と指先の微細な感覚を一致させよ」
「……へい、叔父さん! 分かってやす!」
豹馬にとって、佐吉郎は亡き父に代わる良き理解者であり、自慢の魔球を生み出すきっかけをくれた大恩人だ。
そこへ、道場の引き戸がガラリと開き、明るい声が飛び込んできた。
「はいはい、二人ともお疲れ様! 温かいお汁粉作ったから、上がって食べなさい!」
「わーい! お母様のお汁粉!」
「叔母ちゃん、助かるぜ! 腹が減って目が回りそうだったんだ!」
英恵の母である恭子が盆に載せて運んできたのは、湯気が立つ甘いお汁粉。英恵と豹馬は顔を見合わせると、我先にと道場の床を蹴って上がりこんだ。
「ちょっと豹馬、順番守りなさいよ!」
「早い者勝ちだろ、おはな! ショートを守るなら俺より早く動いてみせな!」
「言ったわねー!」
キャッキャと騒ぐ二人を、佐吉郎と恭子が微笑ましく見つめる。
「三月の『ドリームチャンピオンシリーズ』……相手は世界のバケモノ揃いだって聞いたけど、大丈夫かしらねぇ」
「なに、案ずることはない。あいつらの野球には、伝統と執念が宿っておる」
お汁粉を頬張りながら、豹馬は道場の神棚を見上げた。
東京ドームと京セラドーム大阪を舞台に繰り広げられる、最大7戦4勝のガチンコ世界決戦。
DWAの超強力打線、そしてまだ見ぬ世界の強豪たち――。
「待ってろよ、DWAのバケモノども……。この銭形豹馬のジャガーボールで、まとめてキリキリ舞いにさせてやるぜ!」
昭和気質の異端サイドスローと、神速のくノ一ショート。
二人の熱き冬の特訓が、いよいよ加速していくのだった。
(第2話へ続く)




