ありがとう、捨ててくれて
レイラは、これ以上付き合っていられない、とリベリアのことをスルーして、さっさと教室に戻っていく。
戻っていく途中で、保健室の先生やリベリアの担任らしき教師、その他にも教師が走ってどこかに向かっているのが見えた。
ああ、どうせリベリアのところに行っているんだろうな、と思ったが、それで終わり。
今までのレイラだったら自分も改めて引き返していただろうが、そんなことはしないと決めているから、真っすぐ前を向いて、背筋を伸ばして歩いていった。
そうして一日の授業が終わったレイラは、いそいそと職員室に向かっていった。
目的はたった一つ。
家から出るために、短期間でも良いから卒業までは学生寮に移ることの許可を貰いに行くためだ。
卒業まであまり時間はないものの、寮が満室だとは聞いたことが無いし、寮住まいの友人に確認しても『多分空いてると思うよー』と言われた。また、何かあったら協力もするからね、と言ってもらえたことだし、レイラは少しだけ安心した。
が、実際に聞いてみないことには安心していても何も始まらないので、こうして職員室に向かっている、というわけである。
「失礼しまーす……」
別に悪いことをしているわけではないのだが、何となく職員室に入る時に小声になってしまう。レイラもドアを開けてから室内を確認しつつ、少し小さめの声で入室すれば、レイラの担任がぱっと笑顔で迎えてくれた。
「どうしましたか、レイラさん」
おっとりした男性教師は、生徒からの人気も高い。
声を荒げて怒っている姿などほぼ見たことがないが、静かに怒るのでレイラのクラスは色々な意味でしっかりと統率が取れている。
「先生、すみません。少し相談が……」
「ああ、進路相談ですか?」
「それもあるんですが、それは別日に……。あのですね」
あはは、と笑いつつもレイラはきちんと状況を伝える。
以前は、家のために高等科を卒業すればすぐに結婚をして当主として業務を執り行っていくようにしていたが、今は違っていること。
婚約者の交代までは告げず、あくまで以前のような進路にはならない旨だけをおかしくならないように伝え、卒業をしてからは自分が今得意なことを活かした仕事をしようとしていること。
そのためにも勉強の時間を無駄にしたくないと考えており、家からの通学の時間すら惜しいこと。もし寮に空きがあるなら短期間でも良いから、住まわせてほしい、ということ。
「……なるほど、ねぇ」
「……駄目、でしょうか」
「まず一つ、寮には空きがあります。それはわたしも把握しているので間違いありません、ですが……」
「は、はい……」
「入寮時の書類には、ご両親どちらかのサインが必要になります。あなたはまだ未成年なのですからね」
「あ……」
そうだった、とレイラはちょっとだけ頭を抱えてしまった。
今自分は未成年だから、何をするにも親の許可というものが必要になってきてしまうことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「(ぬかった……いやでも、うまくやれば……)」
一つの考えにたどり着いたレイラは、ぐっと拳を握って担任に向かって頭を下げる。
「大丈夫です。だから、入寮に手続きについての書類をください!」
「……無理は、しないでくださいね」
寮費もかかるだろうが、レイラは普段からあまりお金を大量に使う、ということはしない。
両親から定期的に貰っているお小遣いもあるし、最悪の場合は何か私物を売り払ってからお金にしてやるんだ……! と固く決意した。
無駄遣いをしないで、コツコツお金を貯めてきていたことが幸いした、と思いつつ、書類を受け取った。
そこには実際の寮費が記載されていたが、レイラが住むのはあくまで卒業までの数か月間。記載があるのは年単位だし、小さく注意書きで『短期間の入寮に関しては、月割りの計算になります』というものまである。
この学園の懐の広さに感謝、ということに加えて、リベリアの性格も思う存分利用させてもらった上で、家を出よう。
そう決めているレイラは、書類を受け取ってから足取り軽く帰宅したのだった。
――案の定、両親が帰ってきて早々に、リベリアは泣きついていた。
部屋の外からはわんわんと泣きわめく声が聞こえてきているし、レイラの部屋に向かってきている足音も二人分、聞こえている。
ああきっとそのうちに『お待ちください!』とか『待ってください!』という使用人の叫びも聞こえるのだろうな、と思っていたら案の定だった。まるで台本があるかのようにレイラが想像している言葉が聞こえてきてしまい、思わずため息を吐いてしまう。
「……とことんまで予想通りすぎて笑えてきちゃうわね……」
そう呟いた矢先、レイラの部屋の扉が遠慮なく開かれる。
ドアを壊さんばかりに開き、ずんずんとレイラに近寄ってきて、立ち上がろうとしていたレイラの髪を思いきり掴んだかと思えば、オルドーは勢いに任せてレイラを容赦なく突き飛ばしてしまった。
「……っ!」
「何のつもりだ、レイラ! 貴様…………リベリアの気持ちを少しは考えろ! 聞けば、クラス全員でリベリアを取り囲んで笑い者にしたそうではないか!」
「悪魔! 人の心がないの!?」
そこまで言うか、とよろめきながら立ち上がったレイラは、髪を直して、冷めた目をオルドーへと向けた。
謝るかと思っていたのに、レイラの反応は平坦そのもので、思わずオルドーとグレースは怯んでしまう。そこに、レイラがすっと書類を差し出した。
「では、悪魔は家を出て行きます。ここにサインを」
「はぁ!?」
「何を言っているの! いいこと、あなたはねぇ!」
「私の婚約者はリベリアのものになったので、いっそこの家ごとあげます。私は学校を卒業したら、自分の力で生きていけるようにしますので、ここにサインをくださいませ」
「……貸せ!」
レイラの手から書類をひったくったオルドーは、ざっと中身を確認する。
入寮に関しての書類か、と確認をしてから、ずんずんとレイラの机に近付いてからペンを勝手に使用してサインをした。
「最後の情けだ、お前が出て行くときに多少なりとも金はやる。だから、もうここには近付くな! お前がいることで、可愛いリベリアの喘息が悪化する! 疫病神!!」
「そうですか、では私は荷造りが終わり次第出て行きます」
「フン! さっさとしろよ!」
「お、お父さま!」
そこまでしなくても、と言おうとしたリベリアだが、すべては自分の発言が招いた結果である。
ちょっと叱ってほしかっただけなのに、まさかここまで叱り飛ばしてくれるだなんて思っていなかった。更に、レイラがこの家を出て行くだなんて、一体学年最後のテストは誰を頼れば良いの!? と内心でリベリアは叫ぶが、答えなど誰もくれるはずがない。
「リベリア、安心しろ! ここは将来、ジェレミーくんが使う部屋にすればいい!」
「……へ?」
一応、オルドーは覚えていたらしい。
ジェレミーが、公爵家の跡取りではないということを。
勿論、これはグレースも覚えていることではあるが、リベリアだけ知らなかったようだ。
そもそも、レイラのことを気に入っていた公爵夫人が『結婚したら当家においでなさい』と目をかけてくれていた、ということ。
婚約者がレイラではなくなる=ジェレミーは公爵家から出て行かなければいけない、ということはリベリアは考えていなかったらしいのだ。
「……待って、ジェレミー様が公爵家を……」
「ジェレミー様のお兄さまが次期公爵なんだから、リベリアがジェレミー様と結婚したとしても公爵家の親戚になるだけで、公爵の妻とかじゃないわよ?」
「…………へ?」
「私が婚約者だったから、公爵家に残り続けられるかもしれない可能性が大きかっただけ。そうじゃないなら、グレッタ様がそんなこと許すわけないじゃない。公爵家の親戚になるんだから、相応のマナーが求められるようになる。……そうですわよね、お父さま?」
「ああ、そうだ! だがきっとリベリアなら大丈夫だ!」
がっはっは、と豪快に笑っているオルドーは、きっとリベリア可愛さで気が付いていないのだろう。少しだけ気が付いているらしいグレースが顔色を悪くしているが、口を挟めないままでオロオロしている。
そんな母の姿を見て『ざまあみろ』とレイラは思い、サインしてもらった入寮に関しての書類は大切にカバンに入れた。
そして、こっそりとポケットに手を入れて、忍ばせていた魔石に触れる。
「(……言質はとった。何かあればこれが証拠になる)」
レイラが、グレッタにとんでもなく可愛がられていた理由の一つが、これ。
『とてつもなく精密な魔力コントロールができる』こと、である。
そして、この理由によってレイラ自身も罹患していた喘息を克服したことを、彼女の両親は覚えてないのだ。
医者にも『レイラお嬢様は、己の力でこの病を克服いたしました! 何と素晴らしいお方なのでしょう!』と言われていたのに。しかもその医者は現在もリベリアの主治医である、あの医者だというのに。
何もかも、都合の良いことや聞こえの良い言葉だけしか取り入れないレイラとリベリアの両親は、自らの手で宝物を手放してしまったのだ。
――この瞬間に。




