君は手にはいらない2
イーゴリの震えた声は、僅かに上ずり違和感が包んだ。
ボリスは改めて彼を見る。
14歳の細くて痩せこけた少年は、もうそこにはいない。
騎士として申し分無いほどの、鍛え上げられた筋肉質な体躯を身につけ、顔立ちは驚くほど精悍になっていた。
花形の騎兵の騎士として昇格したのは3年も前のことだ。
イーゴリはその頭の良さに加え、戦場では一騎で戦況を変えるほどの優れた力のある騎士へと成長したことで、騎士団でも確かな存在を放っている。
幹部候補と言っても差し障りのない青年に、ヴェーラの将来を口にされてすぐに勘づいた。
「…将来とは?」
ボリスは聞き返した。
彼はわざと確信に触れず、イーゴリからの言葉を促した。
その目はいつもの穏やかな色を宿していない。
イーゴリの心を見透かすかのように静かに射抜き、逃さないと正面から見つめてくる。
なぜそんな厳しい目をするのか…
イーゴリは分からなかった。
ボリスの何処か冷たい眼差しに、喉が渇いて張り付いた。
「…俺は、ヴェーラを特別に思っています」
長いこと親密で、兄妹のように共に生活をしてヴェーラと居た。
しかし、兄妹のようにはもういられない。
ボリスは、薄々イーゴリの気持ちにきづいていることだろう。
ヴェーラへの思いは、曖昧な表現だけで終わらすような生半可な気持ちではない。
何も言わずに見つめる父のボリスに、さらに言葉を紡いだ。
「この、護符に誓いました…この国と、ヴェーラを護ると」
イーゴリの胸に去来する。あの日、14歳の頃の何も持っていなかったちっぽけな少年だった頃に見た星空の下のことを。
生まれて初めてだった。
心の底からうれしいと感じた、誓いの護符。
何の価値もない人間だと思っていた自分の存在を、見返りもなく肯定されたのだ。
ボリスもヴェーラも、イーゴリにとって唯一無二の家族だった。
そして、これからは…
「俺は……」
胸に宿した女神の護符を握りしめ、はっきりと言った。
「ヴェーラを…愛しています」
かすれた声が紡いだ言葉は、あまりにか細かった。
※
心臓の高鳴りが身体を包み込み、イーゴリは長い沈黙の中にいた。
ボリスの顔を正面から見ることはできない。
ヴェーラに告白したわけではない。
しかし、それよりも先にボリスに気持ちを明かした理由があった。
イーゴリの告白には、続きがあったからだ。
「…ヴェーラと、結婚させて下さい」
閉じていた目を震えながら開ける。
薄暗い執務室は、小さなランプの淡い光がボリスの横顔を照らしている。
イーゴリは、ボリスのいつもの柔和に笑う顔を思い浮かべていた。
しかし、顔の前で手を組む彼の顔を見た瞬間…ーー
その、あまりにも無感情な射抜く瞳の色に息を呑んだ。
いや、ずっとボリスはイーゴリからの話を聞いている間その目を保っていた。
拒絶…とは違う。
だが、イーゴリの告白を手放しに喜ぶ様子とはあまりにも異なる。
それが、しばしイーゴリを混乱させた。
祝福されると…
そう思っていた。
「…そうか。お前は…ヴェーラが…」
ボリスの低くてよく通る声は、どこか独り言のようだった。
何かを噛み締め、そのまま飲み込む。
拒絶される沈黙が場を包んだ。
「…ヴェーラの為に、どこまでできる?」
馬鹿みたいに、そのまま幸せな未来が待っていると思っていた
…俺のお気楽な頭の中。
問われた言葉が、あまりに想定と違いすぎたせいで何も返答が浮かばなかった。
どこまで…?
努めて冷静な頭で答えるため、振り返ってこちらに微笑むヴェーラの姿が脳裏をよぎったがすぐに打ち消した。
ヴェーラに見返りなんて求めることはない。上限付きの思いや条件などない。
「…どこまで…とは?」
逆に問いただした。
無機質なボリスの瞳から視線を逸らさず、あえて正面から合わせた。
試すような問いをする。それは、普段のボリスからすると実にらしくなかった。
二人は睨み合うような視線を交わし合いながら、お互いに少しも引かなかった。
「ヴェーラに対して…どこまで身を削れるかなんて、考える前に答えは出ています。
どこまでも…です」
上限など無いと言い切った途端、ボリスが「だろうな」と、被せるように言ってきた。
「…じゃあ、生涯をかけて…あの子のそばに居てくれ。どんなカタチでも…な」
君は手にはいらない
決して
それを、思い知らされる事情が…
ボリスの口から語られ始めた。




