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伯爵令嬢ローラの秘めやかな趣味  作者: 丹空 舞


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13/14

2

 

 *


 幕が閉じたあと、ローラはしばらくハンカチで目頭を押さえていた。


「ああ、美しすぎましたわ! あのオリヴィエの優雅な微笑みは超次元でした」


 そういうローラの隣で、エドガーはぽつりと感想を言う。


「見応えのある劇でしたね」


 とても義務的だ。

 ローラはそれで我にかえった。


 正確には、この哀れな警官と喋る余裕が無かったのだ。

 そこで、ローラはコホンと咳払いした。


「エドガー様とおっしゃいましたね。お住まいはどちらです? 我が家はラーヌ河沿いの街道をずっと走った先にありますの。方向が同じでしたら、ぜひどうぞ」


「いや、僕はイヴァー街の方向のアパルトマンなのですよ」


「それなら途中までは同じですね。どうぞ、私の馬車にのってらして。これは本当はルール違反なのですけれど……今日のオリヴィエが美し過ぎましたから、特別です」


 理由が理由になっていないのだが、とにかくローラはエドガーを連れて劇場を出た。

 待ち構えていた従者のルシアンは、お嬢様の連れて来た殿方に意外な顔をしていた。


「こちらの殿方は?」

「エドガー様です。警察をされているのですって。途中までご一緒するわ。丁重にお迎えして」


 ぺこりと頭を下げたエドガーを見て、ルシアンは戸惑いながらも、臨機応変に馬車を走らせてくれた。

 街灯の数がまばらになり、地面も少し荒れてきた。



「さて、エドガー様。もう既に貴方様は私の出自について、検討がついているでしょう」


「ええ。馬車の文様で分かりました。まさかあのような名家のご令嬢だったとは」


「まあ。伝統的なだけの旧家ですわ」


「困りました。僕には菫の妖精に渡せるだけの対価がありません」


「いいえ、貴方様の名刺で構いませんわ」


「僕の?」


「はい。私、警察官のお知り合いなんてこれまでいなかったのですもの」


「ご令嬢にとっては面白い話はありませんよ。血なまぐさいだけで」


「いいえ、いいんです。何かありましたらお力添えになってください」


「こんなものでよければ、もちろん。どうぞ、ちょうどここにあります。まあ、警察なんかと関わり合いにならないことが一番良いですけどね」


「エドガー様は、この事件の犯人が知りたいのですか?」


「ええ、まあそうですね。奥方の言う通り暴漢が入って来たのか、いや、そんなことはないと警察官として揺れ動いてしまって。確信が持てないでいたので、早く吹っ切りたかったのです」


「犯人は……」




 ローラはエドガーの瞳をじっと見つめた。




「おりませんわ」


「いない」


「ええ。血圧の問題でしょうね」


「……そうですね」




 エドガーはほっとした様子で息を吐いた。




「きっと、誰かにそう言って欲しかったんです。腕っ節の強くてかっとなる性格の男でしたが、僕にとっては初めてできた後輩だったんです。僕なりにかわいがっていました。それがあんなことになってしまって、ふっきれなかったんです。だけど、あなたが導いてくれました。今日、貴方に出会えて本当に幸運でした」



 ローラは黙って聞いていた。

 ガタンッと馬車がひとつ揺れて、停まった。




「ああ、もうこんな所ですか。ありがとうございます。ここからは歩いて帰れます。どうも、助かりました」


「いえいえ。ご一緒できて光栄でしたわ」


「こちらこそ。もし、何か困ったことがあればいつでもご連絡ください」


「ええ。では、よい夜を」


「はい。さようなら。よい夜を」







 馬車は走り出した。

 コトコト、コトコト。

 夜のとばりが、令嬢と従者と馬を包んでいく。


 静かな夜だった。




 ローラたちが屋敷に戻り、ルシアンが馬の毛を梳いてやっているとき、夜着の上にガウンを羽織ったローラがやってきた。




「どうなさいましたか」


「ルシアン、どうして機嫌が悪いの」


「機嫌が悪くなどありませんよ」


「嘘だわ。帰り道一言だって話さなかったじゃない」


「余韻を台無しにしてはいけないと思いまして」


「オリヴィエの初舞台は最高だったわ。だからといって貴方に冷たくされるいわれはないと思うわ」


「いいえ、そういうことではなく」


「だったら何?」


「ですから――! あのエドガーという男が、お嬢様と戻って来たでしょう。楽しく馬車でも話されておられましたよね。その余韻を壊してはいけないという私なりの配慮です」


「まあ、ルシアン! 貴方って、結構やきもちやきなのね」


「っな」


「ねえ、どうして私が夜着に着替えてまで、はしたなく厩にまで出てきたと思う? ルシアンと話したいからよ」




 ほんの数秒、ルシアンとローラはあたたかい夜の芝生の上で見つめ合った。




「エドガー警部には言ってないことがあるの。ルシアン、貴方は口が固いでしょう。私はね、警察でも裁判官でもないから、何の権限もないの。これから言うことはただの独り言よ」


「どうして馬の世話をしている私の横に来てわざわざ独り言をされるのですか」


「そりゃあ、ルシアン。もちろん、その方が楽しいからに決まってるじゃない」




 ルシアンは馬用のブラシを片手に、大きく長いため息をついた。

 いつもこのお嬢様は、こちらの都合などひとつも考えやしない。



 ローラはルシアンの隣で馬小屋の柵に腰掛け、つらつらとエドガーから聞いた話をした。


 ルシアンはローラに自分の上着をかけてやった。

 どうせこのお嬢様は、2階のバルコニーからするすると抜け出してここまで来たのに違いないのだ。

 無駄な身体能力を活かすのはいいかげんやめて欲しい。


 ローラは生き生きとして、ルシアンの目の前に人差し指を立てた。


「いい? キーワードは『汝殺すなかれ』よ。どうして奥方はそう言ったのか。そこに全てが示されているわ。ねえ、貴方はどう思う?」



 こうなったお嬢様は止められない。

 ルシアンは諦めて、話に付き合うことにした。



「聖典の一節なのでしょう。心筋梗塞がおきて旦那は亡くなってしまった。奥方は、ショックのあまり暴漢が入ったという妄想を信じ、さらにはその妄想の相手に対して『汝殺すなかれ』と説いて祈っている。まさに悲劇ですね」


「エドガー警部もそう思っていたわ。でもね、レディは男には気付かない言葉に気付くことがあるのよ」


「レディならこんな時間に夜着で厩にいないで、ご自分の部屋でおとなしく寝ていて頂きたいのですが」



 ローラは華麗に無視を決め込んだ。



「ねえ、ルシアン。おかしいと思わない? 外出した既婚の身持ちのよい女性が、本当にたくさんの男性に言い寄られるかしら。いくら美人だとしても、牧師と浮気だなんて、ありえるかしら?」


「まあ、浮気するとすれば、そりゃ異教徒でしょうね」


「そうよ。敬虔な女性はそんなこと思いもしないはずだわ。もしかして、愛妻家と思っていたのは夫本人だけで、当の愛妻自身はそう感じていなかった、としたらどうかしら?」


「待ってくださいよ、お嬢様。そんな不穏なこと」


「仮に、一組のカップルが結婚したとしましょう。男は女を愛し過ぎるあまり、異常に束縛するようになった。外出を制限し、それでも浮気を疑い、さらには力でねじ伏せることもあった」


「まさか」


「夫婦の名の下に、誘いは次第に強要になっていく。妻は耐え続けた。けれど、あまりに続く出口のない仕打ちに密かに祈るようになった。その祈りは形を変え、殺意となった」


 ルシアンは真顔になった。

 ローラは歌でも歌うように告げる。


「そして、ある日、転機が訪れた。寝室で寝ている最中、夫が苦しみ始めた。妻は、『何もしなかった』。薬を飲ませることも、医者を呼ぶでもなく、ただ『寝ているふりをしていた』。彼女しか知らないのよ、罪に問えるはずもないわ。罪でさえない。男はただ苦しみ、そのまま亡くなっただけ。心臓発作でね」


 ルシアンは既に馬のブラッシングをする手も止めて、お嬢様のぷらぷら動いている靴先を見つめていた。


 ローラは続ける。


「彼女が動こうとも、動くまいとも、結果は変わらなかったのかもしれないわ。だけどほら、意図は見つかる。ベッドサイドには凶器どころか『何も無かった』のよ。もしも介抱するとしたら、薬やら水差しやら、何かがあるはずだわ。何も無いというのは、介抱する時間が無かったが、その気が無かったかのどちらかよ。それどころか、妻は『暴漢が入って来た』とさえ証言している。人間は不都合な真実があると、自然と他人の目を逸らそうとするわ。その夜寝室に入って来たのは暴漢ではなく、起こるべくして起こされた病だった。少しずつ蓄積された、不健康という名の病」


「そんなばかな……」


「『汝殺すなかれ』 これは聖典の一節よ。では汝とは誰ぞや? それは奥方ご自身のことなのよ。宗教では不殺生が基本だわ。殺してはならない。ええ、奥方はその通りに戒律を守ったわ。彼女がしたことは、ただ『夫の大好きな料理を毎日用意して』『ぐっすりと眠った』ということだけ」




 ローラはぴょんと柵から降りて、馬の鼻先を撫でた。

 ブフッと嬉しそうに顔をすりよせる馬の頬を、ローラは撫でてやった。




「なんてね。そんな想像をしただけ。冗談よ」


「お嬢様、そこまでお話になって冗談とは。それこそ冗談が過ぎます」


「そう思う? やっぱりルシアンだと何でも話せるのよね」


「嬉しくありませんよ……ああ、また後味の悪い話を聞いてしまった」


「夫婦の自慢は鵜呑みにするものじゃないわね。人はいくらでも都合良く真実を見栄や嘘で上塗りして話せるのよ。職場での態度がどれだけ良くても、家でどんな顔をしているかなんて分からないわ。私、結婚なんてしたくないのよ。こういう話ばかり聞いているからかしら」


「……私はお嬢様は早くご結婚なさった方がよろしいと思っておりますよ」


「ルシアンみたいな人だったら考えるわ」



 ローラはじっとルシアンの鼻梁を見つめていた。

 本当に春の妖精のようだ。

 ルシアンはあきれたようにため息をついて、馬を小屋に入れた。


 この信じられないくらい頭がまわるのに、夜に部屋を抜け出すというとんでもなく頭の悪い行動をとるお嬢様をどのように教育すればいいのか、見当がつかなかった。



「風邪をひく前に戻りますよ」


 と言われて、ローラは小さくはなをすすった。



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