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女性はとつとつと語り始めた。
「ご相談というのは、ヨウムのことなのです」
「ヨウム?」
「珍しい鳥なのです。人間の言葉を真似るのです。50年は生きる長生きの鳥なのです。私はある資産家の豪邸に勤めています。が、最近、旦那様が急死なさったのです。鳥の愛好家だった旦那様は、ずっとこのヨウムのことを心配されていて、何かあったときは頼むと奥様や私たちに伝えられていたのです。ですが」
女性の顔にかげりができた。
「遺産を相続する段になって、若奥様はお怒りになられました。少な過ぎると」
「あら、他に相続される方がいらっしゃったのですか」
「いいえ、全く。でも、それをきっかけに奥様は約束を破ってしまわれたのです。奥様は後妻なのですが、まだお若く……その……旦那様が亡くなってから、何日もしないうちに、若い男を何人も連れ込んで、気分を変えるのだと庭や屋敷の壁をいっせいに作り替え始めました。家具はそのままで、打ち壊すだけ打ち壊す。こんなはずじゃないわと使用人にヒステリーを起こす。もうむちゃくちゃです。旦那様の飼っていたヨウムも、きもちわるいと言って逃がそうとしたのです」
「まあ」
「けれど、メスのヨウムは残って、いつまでたっても飛ぼうとしないのです。旦那様の口癖や、お好きだった歌も、そっくりそのまま声にするのです。奥様は、気持ち悪いから殺してしまってと私に命じられました」
残酷なことをさせるものだ。
「その場では承知しましたが、どうしてもできなくて……思わず、そのまま自分の家に連れ帰って、奥様には殺したと嘘をつきました。私はこれからどうすればいいのでしょう。旦那様には、もしも何かあったときにはヨウムに不足がないようにお世話をしますから、ご安心下さいといつも伝えていました。あんなに愛情深く世話をされていた旦那様やヨウムのことを思うと、不憫で仕方ないのです」
「あなたが飼えば良いのではないの?」
「ですが、ヨウムは声が大きくて、ずっと喋るのです。それに寂しがり屋なのです。私もずっと働いているので、家にいません。傾き書けたおんぼろアパートでは、そもそも飼育は難しいのです。ヨウムは歌も歌いますし」
「どんな歌を?」
「何でも。旦那様が好きだった昔の歌も、童謡も」
それでは苦情がきてもおかしくない。
「旦那様にお子さんは?」
「いません。ずっと独身でした。人間は誰も信用できないという方で」
「そうですね。ヨウムや旦那様のことで、何か変わったことや、あなたが気になったことはありますか」
「いえ、でも、一つだけ。とっても賢いのに、ある歌だけは間違って覚えているんですよ。ずっと。私が直そうとしても、変えなくて。旦那様に言うと、それはそれでいいのだと」
「直すことはできるのですか?」
「ヨウムは覚えられる言葉の数が限られているのです。新しい言葉をどんどん覚えさせたら、そのうち忘れるはずなので、新しい歌を覚えさせようとしたら止められました。それどころか、旦那様みずから日に時折その歌を歌われるのです。忘れるはずありません」
「なるほど……どんな歌か、覚えていますか?」
「ええ。私もヨウムと一緒に、何度も書斎で聞きましたから……このような歌です」
誰が金のがちょうを見つけたの?
誰が 金のがちょうを見つけたの?
「わたし、小さな雀。 月明かりの丘で見つけたわ」
誰が 金のがちょう 寝かせたの?
「ぼく、アカハラツグミ。 蔦の影で寝かせたよ」
誰が 金のがちょう 守ったの?
「わたし、古びた鳩。 割れた石の上から」
誰が 金のがちょう 呼んだの?
「あたし、小さなヒワ。 三度の鐘に合わせてね」
誰が 金のがちょう 埋めたの?
「気むずかし屋のフクロウさ。 でも棺は空のまま」
誰が 金のがちょう 覚えてる?
「灰色の詩人だけ。開けぬ棺は影の主へ」
「と、このような歌なのですわ」
「お上手なのですね」
「いえ、とんでもない。もう何度も聞きましたから……ねえ、聞いてくださいます? あのヨウム、あの子……立派なケージが必要なんです。お屋敷のようなところで、貴族に飼われるために連れてこられたのですわ。そばに誰かいなきゃ生きていけないんです。わたしには無理なんです。お屋敷を離れれば部屋もない、賃金だってやっとのことで……」
ローラは女性の手を見た。
あかぎれだらけの手だ。
「だから、最初は……いっそ若奥様が言うように、殺してしまえば苦しまなくてすむのでは、なんて……、そんな考えが頭をよぎってしまって……自分が情けなくて。どうしようもなくなって、ヨウムのかごを持って、とにかく自分の住んでいるアパートに行こうと歩いていたら、ふと劇場のポスターが目に入ったのです。菫の妖精の噂話を思い出して……そうしたら、馬車から降りて、窓口で当日券を買っている貴方が目に入ったのです。雷に打たれたようでしたわ。もしかして、と思ったのです。私は流感にでもうかされたように、いそいでアパートに走り、ヨウムのかごを置き、今月の給金を全て持って、着の身着のままここに来たのです」
そう熱っぽく言われて、実のところローラはバツが悪かった。
最初はルシアンに買いに行かせたのだが、あまりに酷い席だったので、自分で直接交渉しに行ったのだ。
陰険なばあさんというのはどこにもいるもので、今日は最低な人に当たってしまった。
劇場の古株、マーサばあさんは、機嫌の悪そうな虎のような目をすがめて、満席ですと言ってのけた。
それで、憤慨したローラは交渉に時間がかかってしまったのだ。まさか、見られていたとは。
「殺せなんて、やっぱりできません。たとえ私に飼えなくても……誰か、この子を飼ってくださる優しい貴族の方がいるはずなのです。そうじゃないと、私どうにもできません。実は、こうやって来たのは、貴方におすがりしたいという邪念もあるのです。ごめんなさい。だけど、私には貴族のお知り合いなんて、当然ながらいないのです。ええ、正直に申しあげますわ。私、あなたが菫の妖精でも、そうでなくても、ちっとも構わなかったんです。貴族の方に話しかける口実さえできれば、そうして、哀れに思った貴族の方があのヨウムの行き先を口利きしてくださればと……だまし討ちのようになってしまって、本当に申し訳ありません」
ローラは必死に言いつのる女性を、改めて眺めた。
裾のほつれた薄いコート。
走って来たのだろう。くたびれた革靴にどろが跳ねている。
「あなた、お名前は」
「ポリーです」
「そう、ポリー。あなた、おいくつ?」
「今年で18になります」
「その年で独り暮らしを?」
「ええ。16の春になると、孤児は貧窮院から出ていかねばならないので。町外れの丘の上にございます」
「暮らし向きが素晴らしく良いわけではないのでしょう」
ローラが落ち着いて尋ねると、ポリーは曖昧に微笑んだ。
苦労から幾度も這い上がったことのある人間だけが見せる、諦念と希望との入り交じった表情だった。
「ええ、見ての通りでして……ですが、私はまだ運が良かったのです。孤児院で、旦那様に拾っていただけて。他の子どもたちの中には、幼くして亡くなってしまう子たちもいたのです。孤児院の古びた壁の隣には墓があって、もう不気味で。誰も近付きませんでした。そこに入るよりは、こうして貧しくても生きているのですから。幸せと思います」
「それでも、あなたのお給金のほとんど全てを使って、鳥一匹を助けようとする? それでも幸せなの?」
「ばかみたいですよね。自分でも理解しています。こんなになりふりかまわずに……でも、お嬢様。だってあのヨウム、優しい声で「もうすこしの辛抱よ」って言うんですよ。私を励ましてくれてるのが、どうにもいじらしくて」
菫の令嬢は、しばらく頬に手をあてて考えていたが、ふむ、と小さく頷いた。
「あなたはどうしたいと考えているの? なにが知りたいの?」
「私は……私は、ただ旦那様とのお約束を守りたいのです。あのお屋敷に置いておけなくとも、ヨウムを愛してお世話をしてくださるところにきちんと届けたい」
「あなたはヨウムを殺したくないのね」
「ええ。あの子はこれからまだ、何十年も生きられるのです。殺してしまうだなんて、罪です」
まっすぐな目をしている。
ポリーは賢くて、心優しい女性だ。
確信したローラはにっこりした。
今となっては、対価はもはや問題ではなかった。




